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すた☆君のブログ一覧

2012年05月10日 イイね!

山崎合戦跡地 3   巨大な合戦図

酒解神社の鳥居をくぐりました。

すぐ左に、巨大な合戦図がありました。



鳥居をくぐる





天王山ハイキングコースには、6箇所にこのような巨大な絵 陶版画があります。

タイトルは『秀吉の道』で、秀吉の天下取りの物語を解説し、日本画家の岩井弘さんが屏風絵として描いたものが原画です。

また、物語を書いているのは、作家の堺屋太一さんです。

せっかくですのでここで、この絵をじっくり見てみましょう。




知っている武将の名前が次々に出てきて、まさに戦国オールスター大決戦という印象を受けました。



図 1 明智の城?




これは、光秀の本拠地でしょうか?



図 2 津田・村上







図 3 明智光秀







図 4 光秀の下




彼らは、光秀の家臣たちでしょうか。。。





図 5 斎藤利三




大垣市 曽根城主 斎藤利三 

美濃三人衆稲葉一徹の家臣、春日の局の父

ここでようやく、地元の英雄が出てきました。

斎藤利三は大河ドラマ『江』で、本能寺の変で山賊に捕えられた江が、明智光秀の城に連れて行かれたときに最初に対面した嫌な侍として登場していました。

主君を斎藤義龍、稲葉一徹、明智光秀と変えて行きました。

美濃・岐阜に根付いた武将といった印象を受けます。


この合戦では、明智軍の先鋒を務めましたが、敗走し滋賀県大津市北部で捉えられ、京都の六条河原で磔、処刑されました。
















図 6 掃部



この名前を見ると、明石掃部こと、明石 全登(あかし てるずみ) を思い出します。

同一人物ではないと思いますが。






図 7 池田恒興




姫路城を今の形にした、池田輝政の父。

小牧・長久手の戦いの古戦場跡での戦死の地や、岐阜県池田町へお墓参りもしました。

馴染み深い武将の一人です。




図 8 中川清秀



彼は最近 アニメひょうげもの(第三話)に出てきましたね。

主人公、古田織部の妻の兄。

松永久秀が信長に謀反を起こしたとき、共に寝返ろうとしましたが、真っ白な鎧を着た織部が妻を連れて清秀の元に行き、本当に寝返るならばあなたの妹をここで殺すと芝居をしたシーンは、今でもよく覚えています。

中川清秀は、しずが岳の戦いで戦死して、そこに彼のお墓もあります。

前回しずが岳に行った時は、彼については全然知らなかったので、お墓は行きませんでした。

でも、だいぶん興味が沸いてきて、知識も積もってきたので、そろそろいきたいなと思います。

^^;








図 9 堀 黒田




黒田官兵衛、いましたねぇ。

正月に行った九州のお城を思い出します。









図10 丹羽長秀




この名前を聞くたびに、小牧山城の前で爺さんが言っていた『わしは丹羽長秀の子孫じゃあ!』を思い出します。

^^;






図11 羽柴秀長



秀長は、江の2番目の旦那で、朝鮮出兵で病死しましたねぇ、確か。。。

エグザエルがやってたような。。。



*訂正・・・羽柴秀長は、秀吉の異父弟。大河ドラマで、江の二番目の夫となったのは、豊臣秀次の弟の秀勝。





・・・ところで秀吉がでっかく見えるのは、気のせいでしょうか。。。






図12







図13







合戦屏風をじっくりみていると時間が足りないので、実はあまりみていません。

その場で、バババッと写真を撮って、先へと進む事にしました。

帰ってからじっくりみようと。

それが今なんですけどね。

(笑)



続く♪
Posted at 2012/05/10 08:37:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2012年04月29日 イイね!

山崎合戦跡へ  1   『大山崎町歴史資料館・宝積寺』

明智光秀と羽柴秀吉が戦った、山崎の合戦跡地へ行ってきました。




≪プチ知識≫

1582年天正10年、『本能寺の変』で織田信長を殺した明智光秀。

それを知った羽柴秀吉は、毛利軍と(信長はまだ生きているような嘘をついて)和平を結び(黒田官兵衛の策略)、世に言う『中国オウム返し』で、猛スピードでここまで帰ってきて、明智光秀と戦い倒し、天下人への大きな一歩を踏み出しました。







場所は、名神高速道路の天王山トンネルの真上。

『下はよく通るけど・・・』

といった感じでずっときましたが、ここ最近戦国時代に興味が出てきたので、今回やってきました。
^^



まずは、ふもとの大山崎町歴史資料館で勉強。

資料館の方が、登山ルートを丁寧に教えてくれました。

安い駐車場・近道・地図など。

とても助かりました。

ありがとうございました。
^^


大山崎町歴史資料館


入場料は安いですが、なかなかしっかりした資料館でした。

千利休の茶室の再現というのがありました。

ここのすぐ近くに本物があるそうですが、そちらは予約制だったのでいきませんでした。

茶室の内部を見ていると、『 へうげもの 第三話 で、古田織部が宇宙をイメージするシーン 』

を、思い出しました。

(笑)



車は歴史資料館の駐車場が一番安いということで、ここに停めさせていただきました。

1時間150円でした。

ちなみに歴史資料館に入ると、2時間無料になります。

結果、300円支払いとなりました。

^^

駐車場から天王山を眺める


なだらかなゆるりとした山がみえました。

歴史資料館の真正面に新幹線が走っており、山の下には高速道路。

資料館の北には電車の駅がありました。

昔からの交通の要所で、関ヶ原に似ているなと思いました。

やはりこういう要の場所が、大きな戦の舞台になるのでしょうか。


ハイキングコース


資料館で教えてもらったとおり、少し西へ行ってすぐの抜け道へと進みました。

街中と言う事もあり、建物は込み合い、多くの人たちが歩いておりました。

車も多く、賑わしいところで、この辺は関ヶ原とはぜんぜん違っていました。

ひたひたと北へと歩くとたくさんの線路のある踏み切りがあり、すぐ左に電車の駅がありました。

踏切を渡るとちょうど目の前に、天王山の登山口がありました。

ハイキングコースは、右回りと左回りがありました。

僕は左回りで、秀吉の陣跡へ行くコースを選びました。

きつい坂を上っていると、見えてきました。

宝積寺 山門


ここをくぐって奥に進むと、ハイキングコースの続きがあります。

この山門は、鎌倉時代に造られたそうです。

左右には立派な仁王像がありました。

『秀吉も、これらの仁王像を見たんだろうなあ・・・。』

と思いながら、像を見つめていました。

^^


仁王像 左側





右側





山門をくぐって、前を見ました。









さあ、これから本格登山(僕にとっては)が始ります。
(笑)
Posted at 2012/04/29 05:59:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2011年07月20日 イイね!

坂本城址 最終話 『公園~天守址へ』

坂本城址公園を十分探索した後、天守閣跡の石碑を求めて街中へと移動する事にしました。




坂本城址公園前



琵琶湖畔の交通量の多い道路をさっそうと渡り、狭い路地へと入っていきます。


道の向こう



公園から繋がっていた水路を逆方向へと進んでいく事にしました。

整備されていて、ナカナカきれいな道でした。


水路


少し水路沿いの道を歩いたところで、前から小さな男女の子供連れの女性が歩いてきました。

3歳ぐらいでしょうか、小さな女の子は僕の姿を見るや否や、泣き出し、そばにいた5歳ぐらいのお兄ちゃんが、不審者用の携帯ブザーのスイッチを入れようとしました。

女性 『鳴らしたらいかんよっ!』

そろりとその親子は、僕の横を通り過ぎていきました。


・・・オレは不審者かっ!

(涙)





しばらく道なりに進んでいくと、急に道路が広くなり、新しい住宅街の真ん中にポッと出てきました。

その道の向こうを見ると、あったあった、ありました。

綺麗な真っ赤な番傘の下に、坂本城址の本丸跡の石碑が。



坂本城址の石碑



広い交差点の門っこにそれはありました。

この近辺の憩いの場のようで、のどかな印象を受けました。


・・・しかし、ふとその麓を見ると、なにやら石仏がたくさん寄せ集められているではありませんかっ。



石仏


この石仏たちに関しては、なんの説明板もありませんでした。

坂本城が落ちた時に亡くなった兵士の墓でしょうか。

あまりにも無造作に適当に置かれていたので、そのアンバランスさから、ちょっと不気味に思えました。



坂本城址の石碑から、琵琶湖の方、公園の方を向くと、その道路のちょうど突き当たりにお寺がありました。

昔お寺や神社は、お城から一本道の参道で繋がっていたところがたくさんありました。

このお寺もそのゆかりの、坂本城にゆかりのお寺だったのでしょうか。





坂本には、他にも、関ヶ原合戦の時に、大津に滞在していた軍に対して大砲を設置していたというお寺もありまして、また行く機会がありましたら、そちらも行ってみたいです。


なかなか楽しい所でした。

^^


ザンボット3サイコー!!

(爆)
Posted at 2011/07/20 09:20:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2011年06月19日 イイね!

坂本城址 ② 城址公園を探索

石像を堪能した私は、公園内を探索することにしました。




石碑


業績


湖の対岸に、近江富士が見えました。

近江富士(多分あっていると思う)


明智光秀が謀反を起こしたとき、光秀の娘婿さんがこの湖を対岸からここまで馬で渡り、最後は爆弾を抱えて爆死したという物語を聞いたことがあります。

恐ろしいですね。。。


*訂正 『爆弾を抱えて爆死した』 ⇒ 『城に火を放って自害した』





公園の南の端に、鳥居がありました。
ここからザンボットが発進したのでしょうか。鳥居


説明


城跡の石垣のようなものが数メートルにわたって残されていました。

しかし実際は、なんの説明も無いのでそうであるかどうかは、不明です。。

石垣と湖




石垣


石垣のすぐ前に、琵琶湖があります。

これがもし本当に坂本城の石垣ならば、お城は本当に琵琶湖の畔に建っていたということになりますね。
天守からだと東が湖ですので、朝陽は綺麗だったことでしょう。
^^


こちらにも(先の石垣の10メートルぐらい後ろの方)石垣がありました。

この石垣の水路は、なぜかくねくねと曲がっていました。

なんの理由があるのでしょうか。

石垣と道路


水路は道路の下をくぐり、西へと続いています。


三津浜


昔この辺は、港町として栄えていたようですね。



この湖に沈んでいる石垣も、当時のものでしょうか?
湖沿い


地図



これで一通りめぼしいところは見ましたので、次は水路に沿って城の中心部へと移動していきました。

続く♪

Posted at 2011/06/22 16:19:00 | コメント(3) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2011年06月13日 イイね!

坂本城址① 明智光秀の石像

ロードスター琵琶湖一周の目的のひとつ。
それは、明智光秀の居城、坂本城跡へ行くことでした。

2時間ほど車を走らせ、ようやくここまでやってきました。

『ついにやってきたぞっ!』って感じがしました。



坂本城址の石碑

大変交通量の多い道路に公園の入り口がありました。
その入り口の左側に、この石碑がありました。
これはなかなか立派ですね。
堂々としていて、威風を感じさせられます。

駐車場は結構狭く、奥に少しあいていたので、なんとか駐車することができました。
駐車場を湖の方へ出たすぐの所に、今回の目的(目玉)のそれはありました。

そう、それはこの城の主、かの有名な明智光秀公の石像です。

正面


事前にこの石像がどんなものかを調べてからきたのですが、やはりなんというか、その・・・、

とても堂々としていて、威風を感じさせられる立派な石像でした。いやこれ面白すぎやろ。B級スポットに推薦できるわ。

この日はとてもお天気がよく、石像は青空によく映えていました。
^^

右斜め前から



・・・おおー、なんかすげえ・・・・。





横顔アップ



・・・蜘蛛の巣、かかってねぇ!?




右下から




・・・いやあ、いいねぇー・・・。


右下から



迫力あるよなぁ。。。




右手


この右手を振りかざして、『敵は本能寺にあり!!』って叫んだんだろうなぁ。。。




いやー、やっぱ凄いよ、このザンボットの光秀の石像は。


本当に、遠路はるばるやってきたかいがあったよ。

心のソコからそう思いました。



・・・オモシロスギル

(逃)



Posted at 2011/06/14 01:43:38 | コメント(4) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域

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「[整備] #ロードスター パナソニック カオス アイドリングストップ専用 N-80、ターミナルアダプター https://minkara.carview.co.jp/userid/572723/car/2397340/8414803/note.aspx
何シテル?   10/29 04:58
旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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