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すた☆君のブログ一覧

2022年05月16日 イイね!

菊水飴 結城秀康の孫を救った飴

垂井町の余呉農園で見つけました。

「1600年代に福井藩主の松平光通(みつみち)の参勤交代中の腹痛を直した」との事より、調べてみるとやはり、徳川家康の曾孫、結城秀康の孫でした。

水飴で、砂糖を使ってなくて黄金色。

味は美味しく、ゆかり共にとても興味深い品でしたので、また買いたく思いました。



Posted at 2022/05/20 06:11:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 徳川家康 | 日記
2019年10月15日 イイね!

「愛知キャンピングカーフェスタ」「岩崎城」「イケア」

一月ほど前ですが、愛知で「キャンピングカーフェア」があったので、懲りずにまたまた行きました。

仕事を早期退職して、「北海道とか回りたいな~」とか。

「欲しいな~」と思うけど、現実的にみて買えない(というか許されない)。

ちなみに、「欲しいな~」と思うのは、900万円~1500万円ぐらいで、もうほとんど家でした。

夢見るお父さんでした。

すぐ北に「イケア」があるので、そちらへ行くことにしました。

途中、私のお城センサーが働き、昔訪れたお城を発見。

「岩崎城」

小牧長久手の戦いの時、秀吉軍をくぎ付けにして、城兵約300人は全員死亡、家康軍への進軍を遅らせた勇者たちの城。

恐ろしいですよね。

「イケア」では、風呂場の更衣室の棚と、コーナーディスクを購入しました。

イケア式の購入は初めてで、指定番号のパーツをあっちこっちでバラバラに集めてレジに持っていき、購入するというシステム。

レジの店員さんはそれらが確実にそろっているかとかは確認せずに、ピピっと勘定したらそれで終わり。

あまりの適当さに驚きましたが、こういうシステムだから、激安で買えるんでしょうね。

家具の輸送は箱の中に空間が多くて無駄だから、バラバラにしてたくさん詰め込んで輸送する。

ヨーロッパ発の斬新なビジネスモデル。

面白かったので、また行きたいです。
Posted at 2019/10/16 07:14:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 徳川家康 | 旅行/地域
2019年03月17日 イイね!

田原城址 「家康が引き渡された城」

前回のブログ「愛知県田原市 浦町大谷吉継の歴史の史跡巡り」の続きになります。

浦町を出発し、次の目的地 田原城址へと向かいました。

田原城は昔はお城の際まで海が来ていたそうで、やはりこの地域は隔離された地形だったようです。

落人を匿う事ができるという村というのも納得できます。


田原城址とロド


一万石ちょっとの大名の城と聞いていたのでそんな大きくないかなと思っていましたが、意外に大きくて立派で驚きました。


天守への登り階段には野面積みが見えました。

戦国時代をイメージさせられ、ワクワクしてきます。

野面積み

天守の横の明らかに切り取られた深い空間。

いやあ、いいですねえ、こういう景色、大好きですよ。

これを人の力で掘ったって、凄いですよね。


堀切


天守跡には大きな博物館と小さな史料館があり、大きい方は「渡辺崋山の絵」がメインでした。

渡辺崋山は、田原城主の家老で、若い頃家計を助けようと絵を習っていて、開国について主張していた内容が幕府に嫌われ、蟄居させられ、蟄居中に生活費を稼ぐために絵をかいていたら「反省の色がない」と注意され、家族に迷惑がかかると心配して自害をした人物らしいです。

田原市には渡辺崋山が自害した場所が今でも残っています。

恐ろしいですよね。

でも、こういう勇気ある人たちのおかげで、今の新しい時代があるんですよね。


因みに、小さい史料館は、戦国時代と旧石器時代の史跡で、私、こちらの方が好きでした。

甲冑とか田原城の模型がありました。



内堀


田原城を造ったのは 戸田宗光(全久)で、その後の城主 戸田康光の時にある事件が起きました。

戸田氏は今川氏に属していたんですが、戸田康光は裏切り、人質としてとらえていた松平竹千代(のちの徳川家康)を、今川氏ではなく、織田信秀(信長の父)の元へ送ってしまいました。

それで怒った今川義元は、田原城を攻撃し、落城、戸田康光は討ち死にしました。

1547年です。


桶狭間の戦いの後、

田原城は吉田城主 酒井忠次、池田輝政の指揮下となり、江戸時代は再び戸田氏が入りました。

江戸時代の大垣城主が戸田氏なので、繋がりがありそうですね。




田原城址の石碑


何のご縁か、浦町の大谷吉継の史跡と同様に、田原城も、私がメインとしている 「関ケ原合戦の参戦武将の史跡巡り」 となりました。

面白いものですね。





桜門とすた


建物類は、昭和になってからのものですが、石垣等は戦国当時からのものでした。



お堀には大きな鯉が泳いでいました。


本丸跡の石垣が近代ビルとつながって、トンネルになっていました。

これ、たぶん本物の石垣を固めたんでしょうね。

なんというか、もったいないというか。。。



近代ビルと石垣が合体


櫓も昭和の建物ですが、当時の大きさがうかがえ、面白かったです。

石垣の色が真ん中から違っていたのもユニークでした。



二の丸櫓

田原は石灰岩が産出されるので、田原城には石灰岩が使われているそうです。

地域性が面白いです。

本丸跡の前に中学校のグラウンドがあり、モロ石垣の上にあったのがとても印象的でした。

田原の史跡は驚きだらけです。



お城を出て、ランチへと最初の待ち合わせ場所に戻りました。

雨が降っているにもかかわらず、広い駐車場はほぼ満車でした。

ここの道の駅は最近リニューアルしたばかりで、大人気だそうです。

ランチはずっと節約してきたので、一番豪勢なメニューを注文しました。


大アサリ定食

実はちょっと気になっていた「大アサリ」を初めて食しました。

渥美半島は貝がとても美味しいと評判だそうです。

ごちそうさまでした。

(-人ー)



終わり。
Posted at 2019/03/17 16:37:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 徳川家康 | 日記
2018年04月01日 イイね!

8日間、北へ大旅行 ① 『日光東照宮と日本最古のリゾートホテル』

会社から大型連休をもらい、行きたかったところを片っ端から廻った。

すた家未到の8泊9日の大旅行だ。

真っ先に思いついた、行きたいところ。

それはもちろん、日光東照宮。

徳川家康の墓だ。



仕事が終わって帰宅して、4時間の仮眠を取り、深夜0時に出発した。

途中、長野の駒ケ岳SAで就寝。

久しぶりの車中泊だ。

朝日に照らされる駒ケ岳がとても雄大で綺麗だった。

早朝の駒ケ岳


こういう景色を見ていると、旅行っていいなあと思う。



群馬の奇山



初めて群馬に入った。

赤城山系の影響か、日本ではない奇妙な山の形に驚かされた。

面白い。



お昼頃、日光東照宮へ到着。

まず思ったのは、杉が多い。

多いとか言うレベルではなく、多すぎる というか、参道が全て杉で、しかも巨大。

数千本はあったと思う。

数万とは考えたくなかった。



とりあえず、今はやりの「花粉を水に変える」という、ハイドロ銀チタンマスクをしてきたが、

『大丈夫か?』

と不安に思った。


日光東照宮入り口の大杉



東照宮の手前に 「宝物館」があったんで入った。

徳川家康が関ケ原の戦いで着ていた甲冑が前面に展示されていたので興奮した。

家康の天下取りまでのアニメ映画をやると言うので、見てみた。

当然、関が原の合戦が出てきた。


すると 「家康が勝ったのは、義があったからだ。西軍が負けたのは三成には義がなかったからだ」

と説明されていた。


少し腹が立ち、正直あきれた。

というか、あきれが止まらなかった。


「なんだこりゃ?」


豊臣家を滅ぼしといてよく言う。


どうやらここは、「徳川家康教」という名の宗教団体の総本山のようだ。

「勝てば官軍」、「勝者が歴史を作る」 とは、よく言ったものだ。



東照宮の入り口に入った。


有名な みざる いわざる きかざる の建物があった。

これは江戸時代の馬小屋とその宿舎だ。


見ざる



そして、最近大修復が終わったばかりの目玉、陽明門。

夕日に花粉が金色に照らされて・・・。


くしゃみをする人が多かった。

花粉の事を話す人も非常に多かった。


陽明門



普段はよく効く 「ハイドロ銀チタンマスク」が耐えられないレベルだった。

「花粉が舞い降りるのが見える」

という声があちらこちらから聞こえてきた。

本当によく見える。

本社の裏を登ったところに、家康の墓がある。

有名な言葉の表札を見つけた。

「人の一生は重荷をおうて行くが如し 急ぐべからず。」

花粉の苦しさから、 今は 急ぐ事はできなかった。


日光東照宮の参道


なんだかんだで、ついに家康のお墓まで到着。

ついにここまできた。

あまたの関ケ原合戦の史跡めぐりをしてきたが、一番の大元、家康の墓だけは来てなかった。

やっと来れた。

・・・感無量だった。



家康の墓

家康の墓を降りてから、下にある建物 本社 に入った。

ここに家康の魂が眠っている という。

ここが一番凄かった。

内装がゴージャスだ。

二条城よりも凄い。

あまりの凄さに、閉め出されるまで眺めていた。

来てよかった。


東照宮を出た後、時間があったので、いろは坂を上って 華厳の滝へ行って、それからホテルへ行った。

ホテルは日光東照宮の真正面にある 「日光金谷ホテル」だ。





日本で最古のリゾートホテルとして有名で、るるぶには1ページ裂いて紹介されている、

泊まれる歴史博物館だ。

そして、あまたの歴史的人物が宿泊している事でも知られている。



ヘレンケラーとアインシュタインのサイン


コレは一例で、他にも、ルーズベルト、ガンジー、リンドバーグ、ルーゲーリック、フランクフロイド、湯川秀樹、吉田茂、夏目漱石、英国皇子とか、多くの偉人たちのサインが展示されていた。



興味深いのは、何故ココが日本最古のリゾートホテルなのか?

であって、最初は普通の民家で、外国人を泊めたら、「これからは外国人がたくさん来るから、外国人向けの宿泊施設をやってみないか?」と言われ、やっているうちに段々大きくなった というもので、

そのお客さんのために、近くにアイススケートやプールなど、遊ぶ施設を作った 電車を開通させる事業に協力もした というのも興味深いものだった。

普通は 観光地があるからそこのホテルに泊まる だが、 ここはそれをプラスαーで自分たちで作っている。

客を飽きさせない工夫作りの姿勢がとてもいいなあと思った。





ディナー

年配の宿泊客が多かった。

上品な人が多い・・・ まあ、当たり前か。





夕食後、ホテルの中を散策。

ここの人たちはとても優しく親切で、サービスがよかった。


金谷ホテルのソファ


ソファの後ろが玄関で、回転扉があるので行ってみた。



玄関の回転扉


これは珍しい。

こんな扉があるホテルは、日本ではここぐらいでは無いだろうか。。。





翌朝 ホテルの部屋の窓際



泊まってみて一番気になるのは、自分の部屋に誰か 著名人が泊まっていないか?

だった。

帰りに教えてもらったが、どうやら リンドバーグさん が 少し隣の部屋に泊まったらしい。

なんか、嬉しくなった。




階段を降りる



もう少ししたら、大阪の親戚の家に行くので、ホテルの洋菓子屋さんでクッキーを買った。

この洋菓子屋さんは、日光の道の駅などにもあったので驚いた。


昨日の夕食に続いて、贅沢な朝食を食べた。

たまには贅沢もいい。

因みに昨日の昼食はコンビニで、朝食はSAの食堂だ。





ホテルの前で記念写真を撮って、名物ホテルを後にした。

さあ、次は那須だ。

まだまだ栃木の観光は続きます。

Posted at 2018/04/01 13:52:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 徳川家康 | 日記
2017年08月01日 イイね!

鳥居強右衛門の生誕地

豊川と豊橋の戦国史跡巡りをしました。


鳥居強右衛門(すねえもん)勝商のエピソード

徳川方の兵が長篠城で500人で篭城していた時、武田軍1万5000人に囲まれ、落とされるのは時間の問題だったので、鳥居強右衛門が援軍を呼びに行きました。

武田の包囲網を潜り抜け、織田・徳川連合軍3万6000人の援軍を要請する事に成功しましたが、
城に戻る途中に、敵に捕まってしまいました。

その時、敵の大将の武田勝頼に 「援軍は来ないと嘘を伝えるならば、お前の命を助けてやるし、武田で手厚く待遇してやるぞ」 と言われ、承諾したふりをしたけれど、味方のお城の前まで連れて行かれた時に 「あと2、3日で援軍は来ます!!」と叫んだので、武田に殺されてしまいました。

コレを聞いた城兵たちは奮い立ち、援軍が来るまで武田の猛攻撃に持ちこたえる事ができました。

織田信長は彼の自分の命を犠牲にして味方全員を救った武勇に心を打たれ、立派なお墓を作ったそうです。


松永寺



生誕地の石碑を探しましたが、見つかりませんでした。

撤去されたのでしょうか、それともどこかへ移動させたのでしょうか。

代わりにこういうものを見つけました。





因みに、強右衛門の名前は代々受け継がれ、二代目強右衛門信商は、関ケ原合戦の後に安国寺えけいを捕まえた事で知られています。


場所:松永(しょうえい)寺・・・愛知県豊川市市田町中ノ島57
Posted at 2017/08/01 11:04:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 徳川家康 | 日記

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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