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すた☆君のブログ一覧

2014年02月14日 イイね!

徳島城天守・清玄坊神社

徳島城天守・清玄坊神社実家で母が教えてくれたので興味が出て、初めて徳島城の天守跡に登りました。

子供がサッカーできるぐらいに広かったので、驚きました。

私も今まで、いろんな山城に登ってきましたが、あそこまで広いのはあまりありませんでした。
(徳島城址のレポはまたの機会に)


この祠は、清玄坊(せいげんぼう)といって、戦国末期の坊さんを祭っています。

では、何故ココにこんなものがあるのかというと、

蜂須賀家政が徳島城を造ろうとしたとき、この山の中腹にお寺がありました。

その寺の坊主の清玄坊は、立ち退き要求に対してかたくなに拒否を続け、城主の手の者に暗殺されてしまいました。

清玄坊は清和天皇の子孫で、三好一族に仕えていたそうです。

私も清和天皇の子孫で、三好一族も親戚なので、彼らとは遠い親戚に当たります。

なので、なんだか悲しい、切ない気持ちになりました。


清玄坊が殺されてから、変事が続いたので、『これは彼の祟りに違いない』と噂され、

公がこの祠が建てると、変事はピタリと止まったそうです。

それ以来、彼が暗殺された町では彼のための祭りを続けているそうです。





立ち退き要求に反対し続けたから、邪魔になって殺した。

問答無用で、ぶっ壊した。


命取るまではしないかもしれませんが、

『人間のやる事は、今も昔も変わらないなあ・・・。』

と、思いました。
Posted at 2014/02/14 05:46:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三好一族 | 旅行/地域
2014年02月11日 イイね!

引田城  ~鈴鳴り武将・仙国秀久、十河存保らの城~

引田城  ~鈴鳴り武将・仙国秀久、十河存保らの城~香川県引田町の瀬戸内海に、東へ突出するように半島があり、このこんもりした山が引田の山城・引田城址です。

故郷の戦国時代が大変詳しい友人(きほろロードスターの考案者)がお勧めしてくれたので、正月に訪れました。



三好義賢(兄・長慶は天下人)の次男の十河存保、仙国秀久、生駒親正らが城主でした。

十河存保は、1586年12月の戸次川(へつぎがわ)の戦いで戦死(33歳)してしまいました。

仙国秀久は、この戦いで島津の野伏せ吊り(深追いした敵を取り囲み、前後左右から撃ちまくる)で大敗し、十河存保らを死なせてしまい、その罰として秀吉から城を奪われました。

1587年には生駒氏が入りました。

仙国秀久は浪人になっていましたが、秀吉の北条征伐の時に全身に鈴をつけて出陣し、活躍をアピールすることに成功して、武将に復活しました。

ゆえに、鈴鳴り武将と言われるようになりました。

生駒氏は関ヶ原合戦のとき、親子で東軍と西軍に別れて、一族の存続を図りました。



今回は時間の都合上、瀬戸内海の城山を挟んで南側から撮影しただけでしたが、また機会があればゆっくり登って、瀬戸内海の風景を観たいです。

麓に『権兵うどん(ごんぺいうどん)』といううどんやさんがあるらしく、探しましたが、あまり調べずに行ったので、よく分かりませんでした。

権兵とは、仙国秀久の事らしいです。

祠があって、大きな草鞋もあるそうです。



調べてみると、数多くの有名な武将たちが関わった、魅力的なお城でした。

今度はもっと調べてから、じっくりと訪れたいです。







*訂正 
×仙国久秀⇒○仙国秀久
(2014.2.14)
よく似た名前が多いので
^^;
Posted at 2014/02/11 17:09:50 | コメント(2) | トラックバック(0) | 三好一族 | 旅行/地域
2013年09月01日 イイね!

三好一族滅亡の合戦  ~今切城址~

三好一族滅亡の合戦  ~今切城址~徳島市春日町の城北高校の少し北にある『篠原神社』は、かつて今切(いまぎれ)城があった場所です。

1577年 天正5年3月27日、この地で、三好一族滅亡前の最後の合戦、『 今切城合戦 』 が起こりました。

遺構ですが、神社の真ん中を左右に分断するように排水溝が走っていまして、それがお堀址と思われます。



1573年5月~の阿波国川島での上桜合戦で、篠原長房(織田信長が逃げたほどの名将) を三好長治(三好家最後の将)が殺した戦 をきっかけに、阿波国内の勢力が分裂していきました。

それをチャンスと見た長曽我部元親は、1575年8月~土佐から阿波に進軍し、阿波の南半分を手中に収めました。

1576年 細川真之(反三好勢力)が実権を回復するため、ちょうそかべもとちかと手を組みました。


細川真之と三好長治は異兄弟で、母親は戦国時代絶世の美女の小少将でした。

彼女は2人の息子の争いをやめさせようと、細川真之のいた茨岡城へ行きましたが、彼の側近が大いに怒り、説得には応じませんでした。

失望して帰る途中の小少将を彼らが追撃し、彼女を惨殺しました。

ここで、戦国時代絶世の美女の生涯が幕を閉じました。

彼女の生き方は、お市にも似ております。

ただちょっと違うのは、彼女の場合は、その美しさゆえに、周りの男達が奪い合い、狂わせた というところでしょうか。

阿波の戦国史に大きく関わる、謎めいた魅惑的な女性です。


1577年天正5年3月27日、細川真之に追われた三好長治は、徳島市春日町(城北高校の少し北)にある、今切城(今の篠原神社)に逃げ込みました。

この城には、長治が寵愛していた城主・弾正忠実実長の息子・篠原玄蕃充(しのはら げんばのすけ)(長秀)がおりました。

ゆえに、≪篠原神社≫となったと考えられます。

500人の兵でたてこもっておりましたが、2000人の兵に取り囲まれ、彼らはいっせいに鬨の声を上げました。

城を脱出した三好長治は、徳島市松茂町(東は海、南は大きな川)に逃げて、助けが来るのを待ちました。

船に乗って淡路島に行く計画でした。

しかしその船は入る川を間違えて、いつまで待っても助けの船は来ませんでした。

地元の人間に通報された長治は、追い込まれて自害し、この世を去りました。

篠原げんばのすけは、助任町の郡勘助を頼って逃げ、古井戸に隠れましたが、告げ口されて見つかり、井戸から引き上げられ、殺されました。

三好長治が自害したところで、三好一族は滅亡し、歴史から消えてゆきました。


振り返ると、篠原長房を殺したところが大きな間違いだったように思います。

歴史にもしもはありませんが、そうすると、ちょうそかべもとちかも阿波を落とせなかった、四国統一できなかった、私のご先祖様の重清城城主・小笠原豊後守長政も、ちょうそかべもとちかに殺されなかったのでは? と思ったりもします。

この辺面白いので、また調べていこうと思います。

自分のご先祖様と有名な戦国武将たちが交わるところは、とても興味深いです。



阿波の史跡めぐり、まだまだ続きます。

^^
Posted at 2013/09/01 07:34:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三好一族 | 旅行/地域
2013年08月31日 イイね!

勝瑞城址  ~三好一族のお墓~

勝瑞城址  ~三好一族のお墓~もう、帰省のたびに訪れておりますが、今回は母を連れて行ってきました。

勝瑞城址は会社のすぐ近所だったんですが、興味なかったんで、存在すら知らなかったです。

^^;


お墓は左端から 三好之長(ゆきなが)、元長(もとなが)、義賢(よしたか)、長治(ながはる)で、右端は分かりません。


~三好氏の家系図~

三好之長 一 長秀 一 元長


元長の息子達~

長男・・・長慶(ながよし)←織田信長の前の天下人
次男・・・義賢
三男・・・(安竹)冬康
四男・・・(十河)一存
五男・・・(野口)冬長

義賢の息子の長治で、三好一族は滅びました。 




三好元長は、大坂で一向一揆衆10万人に取り囲まれ、息子・長慶の前で壮絶な割腹自殺を遂げた。

脱出に成功した長慶は、リベンジを心に誓い、成人して再び堺にやってきて、堺幕府を作ることに成功した。



他の息子達も皆活躍し、三好一族が最も栄えた時代だったと思う。






帰省したら一度はここに足を運んで、阿波の戦国史を振り返るようにしています。

^^
Posted at 2013/08/31 06:47:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三好一族 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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