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すた☆君のブログ一覧

2014年06月25日 イイね!

長野旅行記⑦≪最終回≫ 妻女山・小松姫菩提寺・胴合橋・松代城御殿 等

山本勘助の胴体と首を合わせた場所です。

敵に取られた首を奪い返して、この場所で胴体と合わせました。

胴合橋

川中島古戦場の公園の少し南にある大きな土産物やの駐車場の片隅にありました。








松代城御殿
ここはなかなかよかったです。

縁側に座って庭を眺めて、まったりとしていました。

また行きたいです。

^^








第四次川中島合戦で、上杉謙信が陣取った山です。

妻女山 看板






広いなあと思いました。

展望台





千曲川 雨宮



深夜に妻女山を降りた上杉軍 1万3000人は、音も立てずに この川 『千曲川(ちくまがわ)』 を渡り、武田軍の作戦の裏をかく事に成功した  と言われています。

目的の史跡にはたどり着けませんでしたが、この地域(雨宮)のこの川である事には違いありません。









この旅、最後の史跡になります。




小松姫菩提寺・大英寺



小松姫は、真田信之の妻で、戦国最強、無敗の猛将・本多忠勝の娘です。



小松姫



関ヶ原合戦の時、主人が留守の城を守っている最中に、敵方(西軍になった)の義理父 真田昌幸が 『孫の顔を見せてくれ』 とやってきました。

しかし、小松姫は甲冑姿で、 『敵だから城に入れるわけには行かない』 と追い返したそうです。

本多忠勝の娘らしい、勇ましいエピソードです。








またまとまった時間ができれば、どこかの戦国史跡巡りの旅をしたいですね♪
Posted at 2014/06/25 19:53:52 | コメント(1) | トラックバック(0) | 川中島古戦場 | 旅行/地域
2014年06月20日 イイね!

長野旅行記⑥ 善光寺、山本勘助の墓、松代城、真田宝物館(関ヶ原ファンにお勧め)

第四次川中島の合戦で、上杉軍は善光寺に着陣し、2000(5000?)の兵を残し、武田軍のいた 海津城(後の松代城)には目もくれず、妻女山を目指した。

領土だけではなく、善光寺の権威も手に入れようと争ったそうです。

善光寺







参道で名物食べました。

美味しかったです。^^









続いて、山本勘助のお墓へ行きました。

言わずと知れた、武田信玄の天才軍師。

キツツキ戦法を提案、実施したが、上杉謙信に見破られ、責任を取る形で討って出て、

戦死してしまいました。


土手



道が細くて車で行きにくかったので、500メートルぐらい離れたところから歩いていきました。

少し手前の細道の三つ角には、こすった跡がたくさんあり、みんなこすったんだなあと思いました。

10分ぐらいかけて、細いカーブの坂道をバックで下った、明智藪を思い出しました。

史跡めぐりは運転テクニックを要します。



山本勘助の墓



お墓は、土手を下った河原の土地みたいなところにありました。


墓 アップ


川中島古戦場の一騎打ちの銅像の東に1キロぐらいの場所にありました。

この辺にはいろいろ密集しています。






海津城(現・松代城)

武田軍がいた城です。

ここからキツツキ戦法で、一部が上杉謙信のいた妻女山(南へ)を目指し、武田信玄らは一騎打ちの銅像のあった公園(北へ)へ移動しました。


ここは後に、真田の城になりました。


関ヶ原合戦で、真田親子は、東軍と西軍に別れてお家を存続させる作戦を取りました。

真田昌幸(幸村・信之兄弟の父)・幸村は西軍で、信之(幸村の兄)は東軍でした。

西軍は負けたので、東軍の信之が松代藩10万石を与えられ、松代城主になりました。







真田宝物館



ここには、真田昌幸の甲冑などありますが、私個人的に一番見ごたえあったのは、関ヶ原合戦で活躍した武将たち 石田三成 大谷吉継 井伊直政 らの文献でした。



しかも、このメンツが・・・、

私が大好きな ワン・ツー・スリー !! みたいなところが、またたまらなく。。。

A^^;





字の書き方から、性格が見えてきます。

当時の字は、筆に墨汁をつけて書くので、書いていくうちに墨汁がきれてきて、薄くなります。



石田三成は 関ヶ原合戦の前に真田親子宛に 「勝手に西軍を立ち上げてごめんね よろしくね」 みたいな文章を書いていたのですが、その文字がとても丁寧で、全て濃い文字で、気合が入っていると言うか、

もしかしたら、いつもこんな字を書いているとしたら、彼は大変真面目な、とても厳しい人間なんだなあと思わされました。



大谷吉継は、部下にほめ言葉を書いた文章があったのですが、・・・なんというか、汚い。。。

最初に太い文字で行間を開けて書いて、まだ他に書き足りないこともあったから、その間に小さい字でダラダラと書いていて、部下にはゆるい、適当な性格なのかなあと思いました。

しかし、お姉さんにあてて書いてある手紙は、とても綺麗で、お姉さんは怖かった(厳しいお姉さんだった)のかなあと思い、笑えました。


井伊直政の文章は、家康宛だったと思うんですが、字が最初は濃くて、だんだん薄くなって、また濃くてだんだん薄くなっての繰り返しで、一度墨汁をつけたら、うすくても書けるところまで書いてというところは、

今風に言うと、会社のホワイトボードに、マジックが薄くなってもまだいけるだろうと書いているようで、

案外、適当な性格なんだなあと、これも笑えました。


関ヶ原ファンにはお勧めです。

^^




博物館内に、無料で甲冑を体験して下さい という、なかなかありがたいコーナーがありました。

^^



特技が   甲冑を一人で着られる事  の私は、





着替え 1




ものの5分で 装着してしまいました。





着替え 2




我ながら、早いなあと。










すた・真田幸村バージョン




まあ、当然か。


^^;










着ていると、


新しい、真田の甲冑、いいなぁ、


欲しいなあ とか思いましたが、









やっぱり、自分の甲冑が一番です。


^^
Posted at 2014/06/20 01:49:19 | コメント(2) | トラックバック(0) | 川中島古戦場 | 旅行/地域
2014年06月14日 イイね!

長野旅行記⑤ 川中島古戦場2  武田信玄&上杉謙信、一騎打ちの銅像

長野旅行記⑤ 川中島古戦場2  武田信玄&上杉謙信、一騎打ちの銅像『自分に矢玉は当たらない。』

『自分は戦いの神、毘沙門天の生まれ変わり。』

『大将自ら、敵の中に突っ込んでいく。』

これが、上杉謙信という武将だ。

想像したら、鳥肌が立って、しびれて、涙が出そうになった。


関ヶ原合戦で、周りを3万人で固めて赤子がヨチヨチ歩きするぐらいの速度で敵陣方面へ移動した徳川家康とは雲泥の差だ。

家康も 『死ねー、三成ー!!』と1騎で突っ込んでいたら、400年後彼はいったいどれぐらいの人気が出ていただろうか。




1561年 

第4次川中島の戦いで、天才上杉謙信は、わざと愚かとしかいえない策を取り、妻女山に陣取った。


武田信玄は軍師山本勘助の作戦 キツツキ戦法 で、妻女山の裏側から攻撃し、上杉軍を山~下山させ、あらかじめ前に回って攻撃する という行動に出た。

しかし、それを読んだ上杉謙信は、武田のキツツキ部隊が到着する前に妻女山を下り、深夜に音も立てずに、ひそかに前方で待ち伏せしようとしていた武田隊に忍び寄った。

何も知らずに前に回りこみ、陣を張ろうとしていた武田信玄。

そこにいきなり現れた上杉謙信の本隊。

武田のキツツキ部隊が妻女山についてみると、そこにはおとりの上杉軍がいるだけ。

武田信玄の本体を助けに行こうと下山するも、上杉謙信が残していった部隊にはばまれ、なかなか前に進めない。

上杉謙信は、「車がかりの陣」、武田信玄は「鶴翼の陣」で対抗。

しかし、混乱していたのでなかなかうまく戦えない。

武田信玄の目の前に、いきなり一騎の武将が現れ、物凄い勢いできりかかった。

なんとそれは、敵将の上杉謙信だった。

必死に、軍配扇子で防ぐ武田信玄。

謙信が去った後軍配を見てみると、3回斬られたはずなのに、7つの刀傷がついていた。

目にも留まらぬ速さで斬っていたと言う・・・。

これを 『三太刀七太刀』 という。
Posted at 2014/06/14 22:15:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | 川中島古戦場 | 旅行/地域
2014年06月14日 イイね!

長野旅行記④ 川中島古戦場1 てんきゅう寺 

長野旅行記④ 川中島古戦場1 てんきゅう寺 てんきゅう というのは、武田信玄の弟 武田てんきゅう信繁の事で、武田家ナンバー2の武将でした。

彼は、武田信玄と上杉謙信の一騎打ちで有名な、第四次川中島の合戦の時、この寺に本陣を置き戦いましたが、戦死して(享年37歳)ここに埋葬されて、それがお墓となって今日に至っております。

ちなみに、再来年の大河ドラマの主人公真田幸村の元々の名前は真田信繁なんですが、それは武田てんきゅう信繁の武勇にあやかって、その名前をつけられたそうです。

ここは、信玄と謙信が一騎打ちをした場所から1キロぐらい離れています。

お寺の中には、武田信繁のお墓や日本最大の木造の閻魔様と川中島合戦記念館がありました。

記念館には、上杉謙信の鉄扇や武田信玄が戦時中に陣中でおがんだ仏像などがあり、見ごたえがありました。




Posted at 2014/06/14 21:54:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 川中島古戦場 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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