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すた☆君のブログ一覧

2014年01月02日 イイね!

竹中半兵衛が垂井に住むようになった理由。

竹中半兵衛の生誕地は岐阜県大野町なのに、故郷が垂井町というのは何故なんだろう?

そんな疑問をもとに、その理由を調査してみました。



垂井町には岩手氏が住んでいました。

しかし、跡を継げなかった半兵衛の祖父が大野町に引っ越し、そこで半兵衛が生まれ、

半兵衛1歳の時、父 重元が垂井の岩手氏の城を落とし、垂井は竹中氏の配下になりました。

だから、生誕地が大野町で、故郷が垂井町という訳です。





ここで、「なぜ竹中は岩手を攻めたのか?」  と疑問に思い、再び調べました。




この時の美濃の時代背景について綴ります。

京都の油売り少年、斉藤道三が美濃にやってきて、乗っ取った話は、「国盗り物語」でもよく知られています。

斉藤道三は、美濃守護 土岐盛頼の弟、土岐頼芸(よりよし)に近づいて気に入られ操って、兄盛頼と戦わせ、兄を追放させました。

その後道三を不振に思った弟も道三に追放させられ、斉藤道三は美濃の国主になりました。



この後、戦いあった土岐兄弟は手を取り合い、政権を取り戻そうと、道三に襲い掛かりました。

兄の土岐盛頼は、織田信秀を頼り、弟の頼芸は、朝倉義景と岩手氏を頼りました。

弟は岩手氏に「近江の浅井、六角と仲良くして、美濃に侵入させるな!」と信頼を寄せていた程の仲でした。

また弟の姉は、六角義賢の妻でした。

岩手氏が守っていた領地(関ヶ原)は、美濃の西の端で、交通の要所でした。


織田・朝倉は斉藤道三の稲葉山城を攻めましたが、落とせませんでした(後に半兵衛が落とした)。

斉藤道三は、土岐の弟と、六角氏と岩手氏が手を組むことを恐れました。



そこで斉藤道三は、「自分に味方するものに関ヶ原を任せたい」 と考え、

1545年 竹中半兵衛の父 重元に、岩手城を落とさせ、1546年菩提山城を築城しました。

この後、岩手氏は2000石の小土豪になり(なんと竹中の城のすぐ近くの屋敷で生かされていた)ましたが、1556年斉藤道三が息子の義龍と戦ったときに道三に従い、戦死してしまいました。




今、垂井町には、土岐氏に関するとされるお墓が北の山際にポツンとあります。

Posted at 2014/01/02 09:37:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 竹中半兵衛 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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