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すた☆君のブログ一覧

2009年11月15日 イイね!

能登半島・金沢旅行記 ≪後編≫

夕方、ホテルに到着しました。
金沢駅の近くのホテルです。
じゃらんネットで、人気投票ナンバーワンでした。
部屋は、ちょうど真ん中の、最上階。
人気があるだけに、この内容でこの料金はすごいなぁと、思いました。
とてもいいホテルでした。^^


ホテルで自転車を借りて、町を探索しました。
あちこちまよって、東茶屋町にたどり着きました。

ここも確か、唐揚トラベラーさんが教えてくれた、観光スポットです。w
茶屋町とは、芸者さんがいる店があるところで、『一元さんお断り』とかあるところです。
こういう店がある事が、金沢は小京都と呼ばれている由縁のひとつなのでしょうね。




おうみ市場というところに、たくさんのすし屋があって、その中でここぞというところに入りました。
私生まれて初めて、中トロというものを食べました。

少々値段は高いのですが、とても美味しかったです。
普段から一生懸命働いているから食べられるんだなぁと、たまにはいいよねと、思いました。
(笑)




また、金箔というものも、初めて食べました。
まったく味はありませんでした。
苦手なうにも、まったく臭みが無く、素材がよければ、ここまで違うのかと思いました。
これはまさに、日本の食文化の芸術ですね。


ホテルの朝食です。
ホテルもでっかいだけに、レストランもとてもでっかく、そしてきれい。
バイキングを食べました。
ゆったりと時間が流れ、美味しい料理に舌鼓。
もう幸せです。^^



≪朝マック≫
ちなみに前の日の朝食は、朝マックでした。
毎回毎回、ご馳走を食べていたら破産しますから。
この日は、特別です。
もちろん、マックも美味しかったですよ。w
(笑)



今日もホテルで自転車を借りて出発です。^^

金沢城
石垣の博物館と呼ばれるらしく、石垣の説明がたくさんありました。
とても大きな、立派できれいなお城でした。



☆★豆知識のコーナー☆★
『金沢城』
このお城は、もともとは浄土真宗のお寺(堀や塀のあるお城のようなお寺)で、約100年間、加賀一向一揆でこの国の支配権を持っていた本願寺の門徒たちが住んでいた。
しかし、戦国時代にここを攻め落とした佐久間盛政が織田信長から貰い受け金沢城とし、初代城主となった(この一揆を沈静化したのは前田利家という説もある)。
その後、盛政は賤ヶ岳の合戦で羽柴秀吉(豊臣秀吉)に破れ、この城は前田利家が貰い受け、佐久間家に代わって、前田家の城になった。

『佐久間盛政』
織田信長の家臣で、初代金沢城主。
身長180センチの大男で、その勇猛さから、鬼玄蕃と称されていた。信長の没後は、柴田勝家に従った。
勝家が安土城に赴き留守だった合間を狙って、加賀に攻めてきた上杉景勝を破るなどの功績をあげた(白石城を落とされていたが、追い返した)。
賤ヶ岳の戦いで、勝家が羽柴秀吉に敗れた時、秀吉に『九州を平定したら肥後一国(熊本県)をやるから、家臣になれ』と強く要望されたが、信長・勝家の恩を忘れられず、死の道を選んだ。
死ぬ時、京市中引き回し、その時、できるだけ派手な格好、そして縄をかけるように要望した。
『縄をかけられていなかったら、縄をかけないように要望したと思われるのが嫌だから』との事。
その後、宇治で斬首された。
享年30歳。


『賤ヶ岳の戦い』
滋賀県北部で起こった、織田信長没後の、柴田秀家と羽柴秀吉との後継者争い。
本能寺の変で、信長は明智光秀に殺された。
毛利攻略の為に中国地方へ遠征していた秀吉は、急遽戻り、明智光秀(3日天下)を討ち取った。
その後秀吉は、信長の座を狙ったが、それを疎ましく思う武将と激突し、勝利した。


『前田利家』
豊臣秀吉のよき理解者あった。槍の又左として、恐れられた。
若いころは派手な格好を好み、歌舞伎ものと呼ばれていた。
ちなみに、甥の前田慶次(漫画『花の慶次』の主人公)も歌舞伎ものとして人気。
信長の没後、しばらくは勝家の下にいたが、途中で秀吉の下に代わった。
賤ヶ岳の戦いでは、柴田軍についていたが、途中撤収した。
豊臣政権樹立後、五大老の一人として、秀吉を支えた。
加賀100万石の礎を築いた。
秀吉の没後は、政権を奪取しようとする徳川家康の間に入り、沈静をうながそうと注力したが、秀吉の死からわずか8ヵ月後に、病でこの世を去る。
享年61歳。
家康が利家のもとに病気見舞いに来た時、利家は太刀を忍ばせていたというエピソードもある。
最近では、NHK大河ドラマ『利家とまつ』が有名。
利家という強大な邪魔者がいなくなった家康は、以後、一気に徳川政権の樹立へと動き出す。





★☆まめ知識のコーナー 終わり♪  〆(^^) ☆★







しかし、裏に回ると塀に支えがあり、建物は無く、まったくのからっぽで、公園があるのには、笑えました。


せっかくなので、門のところで記念写真。
きまっていますか?^^



続いて、『兼六園』に行きました。
言わずと知れた、日本三大庭園のひとつです。w

大変整備のされた、とても手の込んだ庭園でした。
中学生の時、修学旅行で福岡?の三大庭園のひとつに行きましたが、その時はそのよさというものがまったく分からず、ただ、なんとなくきれいで、広いにわだなぁぐらいしか思いませんでしたが、今は趣味でガーディニングをやっているおかげか、枝の選定の仕方や、木の葉の刈り方、配置など、どれもこれも本当にすばらしいとわかるようになりました。
おっさんになったということでしょうか。
(笑)



池の真ん中にある、二つに分かれている亀の甲羅みたいな石の道は、有名らしいです。w
この池の周りは、囲まれていて、見るだけで、入れないようになっています。w



人だかりができていました。
冬支度をしているのでしょうか。この写真もよく見ます。
貴重なシーンを見られて、ラッキーでした。^^
・・・それにしても、職人さんはすごいなぁ。。。


この大木は、有名らしいです。よく分かりませんでしたが。
とても大きな、立派な木でした。


池の上に浮いている家がありました。
それにしても、どこを撮っても絵になりますね。
本当に、きれいな庭です。^^


続いて、西茶屋町に行きました。
東茶屋町ほどは大きくありませんでしたが、少しだけ風情ある町並みがありました。
西茶屋町資料館という、入場無料の建物があったので、喜んで入りました。^^


私は、アニメ銀魂が大好きで、今吉原編というのをやっており、芸者の部屋がでてくるのですが、まさにそれと同じような赤い部屋がありました。
それにしても、どうして茶屋の部屋は、赤いのでしょうか。


忍者寺に行きました。本当の名前は、妙立寺だそうです。忍者とはまったく関係なく、忍者屋敷のようだから、忍者寺と名づけたのでしょう。商品登録もされているようでした。
きっと、忍者寺と名前を変えたら、儲かると思ったのでしょう。

中を見るには予約が要るらしく、お寺のわきにあるインターフォンで人数と時間、名前などを予約しました。それまで少し時間があったので、昼食を食べることにしました。ちょうどすぐ近くに和菓子屋さんがあったので、そこに入って、みたらし団子や酒饅頭を食べました。たまにはこういう昼食もいいなぁと思いました。^^


金沢の人気観光スポット第二位だけあって、とても面白かったです。^^
たくさんの人たちが来ていて、いくつかのグループに分かれて、順番にガイドさんが案内してくれました。料金は800円とちょっと高めですが、40分ぐらいでしょうか、たくさん案内してくれて、とても充実した内容でした。
金沢にきてよかったと思いました。

金沢城の殿様がここに来ていて、もしものために、どこからでも逃げられるようにと、たくさんの逃げ道や隠し部屋が作られたそうです。

私は、伊賀上野や甲賀の忍者屋敷も行きましたが、正直、ここの方がはるかに凄かったです。
隠し部屋は当然のごとく(というか、部屋ありすぎ)、地下へ通じる秘密の床とか、玄関の落とし穴とか、それはまるで、巨大な忍者要塞のようでした。

その中でももっとも気になったのが、秘密の抜け道のある井戸です。井戸の途中に、お城まで通じる抜け道があるらしいけど、誰もその道を通ったことが無いので、伝説になっている というものでした。井戸には、開けられないように、網がかぶせてありました。
ちなみに、このお寺からお城までは、数キロあります。しかし、当時の技術からしても、とてもお城までは無理でしょうとの事でした。

それにしても、どうして誰も、抜け道を確認しないのでしょうか。
それとも、あえて調べないで、伝説を伝説のままとした方が・・・。

お寺の外に出ると、大雨が降っていました。

・・・やばい。やみそうに無い。。。

そうです。カッパや傘を持っていなかったんです。
しばらく様子を見てみましたが、やみそうな気配がまったく無いので、とりあえず猛ダッシュで、ホテルの車に戻ることにしました。
駅までの地図を、頭の中にたたきこみ。。。

もし晴れていたら、武家屋敷や、足軽資料館に行きたかったのですが、仕方ありません。
幸い余分に準備していた、ジャージとジャケットを着込み、大雨の中を自転車で飛び出しました。

土砂降りの中を自転車で走っていると、自転車通学をしていた高校時代の記憶がよみがえってきました。

それと同時に、車のありがたさも、実感しました。
動く部屋。屋根があるって、すばらしい。。。

帰りは意外と早く、15分ぐらいで到着しました。
車の中で着替えたら、自転車を返して、金沢駅に行きました。ここには大きなショッピングセンターがあります。金沢駅はとても大きく、モダンな建物でした。

時間も午後三時を回っていたので、夕食を食べることにしました。
どこに入ろうかとあちこち回っていると、あるイタ飯屋のメニューが妙に気になりました。

ライスコロッケ・・・なんだろう。。。
巨大なまるっこい唐揚げみたいなのが、ありました。
こんなの、見たことも無い。。。。

その店に入ることにしました。


ピザとパスタとライスコロッケを注文しました。
ライスコロッケは、オムレツのようなものでした。二つに割ると、中からトマトケチャップで味付けされたライスがでてきました。思考が面白いと思いました。

それにしても、パスタ。最高に美味しかったです。^^

美味しいものを食べるのもまた、旅の楽しみの一つ。
このお店に入ってよかったと思いました。^^

ご飯を食べ終わったら、車に戻り、ホテルを出発、一気に帰りました。

車は室内で、本当にいいなぁと思いました。
帰り、あちらこちらのパーキングによって、いろんな人たちの、いつもお世話になっている人たちへのお土産を買いました。


今回の旅で一番面白かったところ・・・なぎさドライブウェイ
2番目に面白かったところ・・・妙立寺(忍者屋敷)

また、金沢及び能登半島に遊びにきたいです。^^





おわり♪




P.S.   なぎさドライブウェイを教えてくださった 唐揚げとらべら~さん、本当にありがとうございました。
(笑)
Posted at 2009/11/15 04:56:19 | コメント(4) | トラックバック(0) | 前田利家 | 旅行/地域
2009年11月11日 イイね!

関ケ原史跡巡り ≪一日目≫

今日は休日。
リュックサックに観光の本、関ケ原マップ、タオルに水筒。
首にカメラをぶら下げ、ジャージを履き、運動靴を履き、自宅を出発しました。
関ケ原駅前には、たくさんの観光客がきていました。
駅前の観光案内ボランティアセンターの前に、人だかりができていたので、私もなにげにその中に入っていきました。

まずとりあえず、東首塚へ行くことにしました。
駅を出て長い長い坂道を登っていくと、JRの線路の上に橋につながり、それを渡ると、すぐ左側に『東首塚』があります。
1600年にはもちろん、JRの線路は無かったから、そうとうココの土地を掘ったんだなぁと思いました。


関ケ原では、町で定められている『掘っていはいけない土地』というのがあるそうです。
理由はおそらく、皆さんの推測するとおり・・・。



≪関ケ原合戦絵巻の塔≫
役場の前にあります。
結構大きく、迫力があります。
関ケ原合戦絵巻の一部分、石田光成を主に描いています。
この絵からも、関ケ原町は、東軍よりも西軍に愛着を持っているという事が、うかがえます。




≪井伊直政・松平忠吉の陣跡≫
東首塚の中にあります。
ここでちょっと、彼らについてまとめてみましょう。

『井伊直政とは、どんな人物か?』
直政は、東軍で、家康の忠実な家臣の一人です。今の彦根の礎を築いた人物で、美男子だったそうです。家康にも可愛がられていました。
大変厳しい性格で、少しのミスも許さず、すぐに打ち首にしたので、恐れて、他の武将の下へ逃げた部下も、少なくなかったそうです。
外様大名であるにもかかわらず、家康に大切にされていたので、そのひいきの目を隠すため、人一倍、仕事に励んだそうです。
井伊直政の赤揃いの部隊はとても強く、徳川軍最強・精鋭揃いと言われていたそうです。赤くしたのには、合戦で見分けがつきやすいとの理由もあったそうです。

『関ケ原の戦いでの井伊直政は?』
東軍の中心的な指揮を行い、先鋒を努めました。
薩摩の島津義弘を追撃していた時、甥の義久を討ち取りました。しかしこの時、敵の鉄砲の弾が着弾し、1602年に、過労と着弾による破傷風が原因で、この世をさりました。
関ケ原の戦いのあとは、徳川家と島津家との仲の取り持ちなどを、行っていたそうです。

『松平忠吉とは、どんな人物か?』
井伊直政の娘婿で、徳川家康の4男でした。
徳川四天王の一人です。

『合戦での松平忠吉は?』
合戦当時、若干21歳でした。
福島正則と争い、直政と共に、先方を務めました。
直政と共に、島津豊久を討ち取り、その褒美として、尾張清洲に52万石を与えられました。
しかし、1607年に、この戦いでの傷が原因で、28歳の若さで、この世を去りました。






≪入り口の門≫
朱塗りで真っ赤です。



その門の横のお堂を修復していました。
歴史的な文化財にかかわる仕事って、かっこいいですよね。^^


≪首洗いの井戸≫
合戦で取ってきた武将の首は、この井戸の水を使って、洗われたそうです。
秋の初めには町の花火大会が行われ、ここから見る花火は、とてもきれいです。

観光に来た人にとっては、ただの気味悪い怖い場所で終わってしまうかもしれませんが、花火大会の時には、この首塚の周りにたくさんの大人や子供たちが集まってきて、みな、腰をすえて花火を眺めています。
この恐ろしい伝説のある東首塚も、町民とともにありき、町民に守られている、または、町民を見守っている という感じがして、親しみさえ感じてしまいます。


余談ですが、私はお化けとか幽霊とかは一切まったく信じない性格なので、こんな場所でも平気で写真を取れまし、一人で訪れます。
そのくせ、ホラー映画や心霊写真は、怖くてよう見れませんが。
(笑)





≪関ケ原歴史民族資料館≫
関ケ原の合戦屏風や、大パネルで合戦シュミレーションを楽しめます。
その他、関ケ原町の祭りの模型などもあります。
入場料も300円ととても安く、かなり楽しめます。
関ケ原観光には、外す事のできない場所です。

ちなみに、多くの観光客は、ここの土産物やでお金を落としていくそうです。
最近では、売れ筋を狙ってか、『愛』の文字が入ったグッズも売れているそうです。

・・・それ、関ケ原に関係ねーんじゃねぇのか??
まぁ、どうでもいい事ですが。買った本人が満足ならば。(笑)








≪御霊神社≫
関ケ原の戦いで亡くなった、多くの兵士やどこの誰かも分からない、何千、何万とも言われる屍の霊を弔っています。
関ケ原町がいろいろなところに呼びかけて寄付金を募り、この神社を建立しました。
最近改造したらしく、とてもきれいになっています。

ちなみに余談ですが、関ケ原ウォーランドの近くのお寺では、鎮霊祭をやっています。
どうしてわざわざ、2箇所で供養するのだろう・・・と、疑問がつきません。

ひねくれた私は、お金になるから・・・などと、考えてしまいます。坊主丸儲け。(--;)








≪決戦地≫

最大の戦が行われた場所です。
光成の陣取っていた笹尾山は、写真の少し左で、ここから約150メートル・・・というところでしょうか。
かなり近くまで東軍が迫ってきていたことが、容易に伺えます。
おそらく、関ケ原で一番見ごたえのある、歴史を感じさせられる、きれいな風景は、ここでしょう。
周りが全て田んぼというのが、幸いなところです。
天気がいい日もいいですが、やはり薄暗くどんよりした日のほうが、趣があります。

私はここに、数年ぶりにやってきました。


少し手前から、大雨が降り、どうしようもなく動けなくなり、木々の下で雨宿りをしました。私と同様に、雨宿りをしている、一人できている20代位の青年もいました。

標識の右上にある林の下で雨宿りをしました。




雨がやんで少し西に進むと、生い茂るススキの原っぱの向こうに、巨大な決戦地の石碑とその後ろに笹尾山展望台が見えました。


今もココで関ケ原の戦いという、石田光成と徳川家康の戦い が眠り続けているんだなあと、固唾を呑んでその景色を眺めていました。

私も今まで、いろいろな歴史的な場所を訪れてきましたが、これほど、歴史の趣を感じた場所は、二条城(大政奉還を行った場所)以来でした。



後ろにあるのが、関ケ原小学校。少し前に廃校になって今は働く人の応援の場所として、提供されています。ここで、甲冑などを作っています。学校で育てていたヤギなども、今もここで飼育されています。
そのヤギですが、ここだけでは土地がたりないのか、島津陣跡の前の空き地でも、放し飼いされています。近寄ると、えさをくれると勘違いするのか、よってきます。w


石碑の近くまで行くと、自転車を止めて、石碑の周りをぐるぐるしている30代~40代ぐらいの男性がいました。近寄ると、写真をとって欲しいと頼まれたので、快く引き受け、少し会話をしました。
なんとこの男性、静岡から来たそうです。遠いところから、本当に歴史が好きな人なんでしょうね。w

関ケ原はこのように、一人でやってくる男性が非常に多い町です。w


≪蒲生隊の陣跡≫

決戦地の次に、笹尾山へ行きました。
数年前ここに来たときは、関ケ原についてあまり知識も興味も無かったので、登りもせずに帰ったのですが、今はとても興味があるので、舐めるように見て周りました。(笑)

笹尾山に向かって右には、島左近の陣跡が、そして左側には、蒲生隊の陣跡があります。
正確には、最前列に島隊、そして中間の列に、蒲生隊だったそうです。
島左近は大変人気のある武将なので、みんな関心深そうに、陣跡に集まっていましたが、悲しいかな、すぐ近くにあるのに、蒲生さんの陣跡に行く人は、あまりいなかったように思います。まぁ、そのすぐ横は竹やぶだったので、島左近さんに比べると扱いが悪いような気もしましたが。w


笹尾山にたどり着くと、さきほどの男性が、しんどそうに自転車を押しながら、坂道を上がっていました。w
島左近の陣跡に行くと、その周りに、数人の観光客がむらがっていました。


≪笹尾山展望台≫
笹尾山の階段は、なかなかの大きな段差で、足の悪い人には、ちょっと苦しいのでは?と思ってしまいました。途中、栗がたくさん落ちており、『来年来るときは、金バサミを持ってこなければ!!』と、思いました。
笹尾山は小さな山で、少し登ると、すぐ山頂になります。ちょうど、21号バイパスに、笹尾山トンネルというのがあり、その真上となります。400年も経てば、自分が陣取った後に、トンネルができ、自動車なる奇怪な乗り物が、猛スピードで走り回っている・・・。
いったい誰が想像できたことでしょうか。光成もびっくりでしょう。(笑)

光成の陣跡の石碑は新しいものと古いものと二つありました。

山には、たくさんの人がいました。ざっと見渡しても、20人ぐらいはいたでしょうか。w
おじさん、おばさん、子ずれの親子から、私みたいな一人旅の男などなど。

地元の人でココに来る人はおそらく、戦国時代ブームにのっかってやってきた、実はあまり興味の無い人たちでしょう。
あと、無料というのも、大きいと思われます。今は、歴女だなんだと騒がれていますが、ブームが去った後、いったいどれぐらいの人がここに来てくれるのかと、疑問に思いますが、それはそれで、よしとしましょう。w



≪展望台からの景色≫

関ケ原は南半分は、結構な町です。店はあまりありませんが、住宅が密集しています。w
人や車の往来は多く、活気があります。JRの電車が走り、高速道路が走り、新幹線も走っています。w

関ケ原は、はらっぱばかりのど田舎だと思っていたそこのあなた!!

それは、大きな間違いです。(笑)




展望台には、地図があり、ボタンを押すと、音楽と一緒に、合戦の解説が流れる仕組みになっています。
さきほどの男性が、恥ずかしいのか、ボタンを押さずに地図と景色をちらちらと見ていたので、横からポチッとボタンを押してあげました。(笑)
すると、その周りにわらわらと人が集まってきて、みんなで一緒に、解説を聞きました。

解説が終わったので、山を降りることにしました。先ほどの男性は、展望台の下にある小さな丘の上の机に、どこで買ったのかコンビニの弁当を広げて、お昼ご飯を始めました。

歴史に思いをはせながら、ご飯を食べるのでしょうか。
こういう食事の楽しみ方ができるって、素敵だなと思いました。^^

笹尾山を後にし、再び歴史民族資料館のところまで戻ってきました。その横には、徳川家康の最終陣跡があります。
ここでも、若い男性が一人でうろうろしていました。この彼は、どこから来たのでしょうか。
(笑)


ここは、首実験場といい、家臣が取ってきた首の確認をしたそうです。入り口の傍らには、家康が生首を確認している恐ろしい絵がかかれています。

ちなみに私はこの絵の前で、記念写真を撮りました。
不謹慎にも、ブイサインをしながら・・・。
バチが当たりますよね、ホントに。
(笑)


最後に、田中吉政の陣跡です。


田中吉政は、東軍の武将で、彼の家来が、合戦で逃げ延びていた石田光成を捕らえました。
光成は、『お主に捕らえられるのならば本望』と、吉政への配慮ある対応などに感謝し、豊臣秀吉からもらった豪華な太刀をプレゼントしたそうです。

ちなみに、光成は、自主的に捕まったそうです。



長い長い関ケ原の史跡めぐりでしたが、これで終わりではありません。
まだまだ続きます。

いろいろな場所を訪れ、物語を知る度に、今までとぎれとぎれで知っていた物語が、まるで一本の糸のようにつながっていくのが感じ取られました。


本当に、知れば知るほど、興味深い町です。w
Posted at 2009/11/11 11:17:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | 関ケ原 | 旅行/地域
2009年11月11日 イイね!

能登半島・金沢旅行(世界一長いベンチ等)

でっかい岩がありました。




≪鳴き砂の海岸≫

ぜんぜん鳴きませんでした。
期待して行っただけに、かなりショッキングでした。
おまけに、海岸汚いし。
(--;)


≪世界一長いベンチ≫
確かに、長かった。

・・・でも、所々の引っ込みは無いほうが好みだなぁ。


≪義経の船隠し≫
奥州へ逃げた義経が、ここに小船を48隻、隠したそうです。
NHK大河ドラマ『義経』のロケや、松本清張『ゼロの焦点』の舞台にもなったそうです。
向かい合う岩肌の間に、波が打ち寄せてきて、景観としては、見ごたえがありましたが、正直、薄気味悪かったです。
展望台と思われるところに、柵がありましたが、本当に怖くて、不気味なところでした。
観光客は多くはありませんが、パラパラと数名おりました。

戻ってくる時、遊歩道の傍らに、小さい石仏があり、真新しい花が祭られていました。
その時、ようやくここが不気味と感じた理由が分かりました。


理由は知りませんが、死んでもなにもいい事はありません。親が可愛そうです。友達も泣きます。
生きていたら、楽しいことはたくさんやってきます。生きる選択肢は、たくさんあります。たちどまって、考え直しましょう。

命を大切にしましょう。


Posted at 2009/11/11 10:18:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行 | グルメ/料理
2009年11月09日 イイね!

能登半島・金沢旅行 ≪車で波に突っ込む 編≫Dive into wave by car.

2泊3日で、能登半島と、金沢に旅行へ行ってきました。
I visited to kanazawa for two nights and three days at noto peninsula and kanazawa in ishikawa prefecture .

まず初めに、唐揚トラベラーさんに教えてもらった、『車で走れる海岸』へ、行って来ました。
At first i went to beach where car can drive at there .

日本で、車で走れる海岸は、ここだけだそうです。
The beach where car can drive on beach is only here in japan.

想像以上に楽しく、2回も行ってしまいました。w
I drove two times because it was very fan !!

波に沿って走り、海に向かっての突入を繰り返しました。
I drove along wave and i dived into wave by car over and over again .

窓の外には、波が手に届くようなところに見えました。
I could see wave at out side of car's window .
I thought that i might can touch the wave .

もしも砂にタイヤを取られて動かなくなって、満潮になったらどうしよう・・・という、とてもスリリングなきもちになりました。
I became really thrilling.
I thought that even if tire went into sand and then it became high water...

もちろん、無事、海から脱出できました。
But of course my car escaped from sea safely.

ちなみに車は、ロドではありません。
Car was not roadster by the way .

(笑)


Posted at 2009/11/09 09:43:35 | コメント(7) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域
2009年11月07日 イイね!

関ケ原祭り ≪鉄砲隊編≫Sekigahara festival guns soldiers .

笹尾山でのろしを上げていました。
Started signal fire at sasao mountain.

ここに、西軍の総大将の石田三成が陣取っていました。
Ishida mitunari who was general of east army stayed here .
ちょうど前方の柵のあたりに、島左近がいたそうです。
Shima sakon stayed at around forward fance.
He was very strong samurai.

のろしの現場です。
Spot of signal fire.
なにか杉の葉のようなものを、何か液体の入ったバケツに入れて、ぬらしてから、煙突の中にいれていました。
They were putting something leafs in bucket and they putted it in smokestack.
この煙の出し方を工夫して、見方に暗号を送っていたそうです。


あちこち周って会場に戻ってきたら、落ち武者が食事をしていました。
Lost samurai were eatting lunch at under tree.
I saw them when i went back to here .


鉄砲隊の入場
Enter of guns soldiers


Put into gunpowder to the top of gun .
①筒先に火薬を入れる。





④発射Shot!!

真田隊さんの発射
Sanada team's shot.
Sanada Yukimura's team .
He is the most popular samurai in japan now.

一斉射撃
A volley of shots rang out .

二人の勇士
Two heros.

鉄砲隊の退場
Exit of gun soldiers

He is famous actor.
His name is Go Kato.
俳優の加藤剛さん
He played Ishida mitunari in tv drama "Sekigahara".
1981年の正月に3夜連続で放送された、TBSドラマ『関ケ原』で石田三成を演じていたそうです。
ファンも多い名作です。

『大谷義継物語』の練習風景
Practice of the outside theater.
後ろは、首実験場です。
Back place is head experiment place.
合戦が終わった後、ここで家康が、家臣が取ってきた首の確認を行っていました。
When the Sekigahara war , Tokugawa Ieyasu checked head that his feudatory killed their enemy.
今は町民の憩いの場です。
But now this place is relaxation place of the Sekigahara townspeople.

刀を抜く侍
Samurai pull sword.

chastle of children.
こどもの城

I gat some mochi.
餅投げの収穫
ものすごい数の人たちが、鬼気迫る勢いで、ばら撒かれるもちを拾っていました。
(--;)
Many people were picked mochi that were spreaded at around here .
Every people seemed crazy mad damons.
Of course me too.w


お雑煮
This is my dinner.
Mochi put into miso soup.
It was dericious.^^



Posted at 2009/11/07 09:34:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 関ヶ原合戦祭り | 日記

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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霧の中の決戦地 
カテゴリ:関ヶ原合戦の史跡
2010/12/24 11:25:35
 
関ヶ原町の史跡 『十九女池・六部地蔵・七つ井戸・与市の墓』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:40:04
 
関ヶ原町 『常盤御前の墓・鶯の滝』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:36:11
 

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