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すた☆君のブログ一覧

2011年03月22日 イイね!

セロリ炒め

セロリ炒めI cooked dinner .
Posted at 2011/03/23 17:35:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 料理 | グルメ/料理
2011年03月21日 イイね!

京極一族の眠る街⑤ 京極高次の墓(霊廟)

門をくぐって中に入りました。


墓は上下二段に設置されています。

上が古い墓、下が新しい墓です。

まず、手前から。

一番左端の白い墓が、京極高次の墓です。


他のと違って、真っ白でした。

何か意味があるのでしょうか。

霊廟



瓦を見てみると、・・・これは、豊臣家の家紋でしょうか?




1600年9月 京極高次は、関ヶ原合戦前に大津城で、西軍を足止めしました。
江の姉、初の旦那です。





墓の横には、人の彫り物が。

墓の番人でしょうか。



中を覗いてみました。


上の段の墓たちと同じものがありました。

上段はスペースが無いから、中に入れてないのでしょうか。


どうよの墓は、上段にあります。

早速、登る事にしました。
Posted at 2011/03/23 17:19:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行/地域
2011年03月20日 イイね!

山中鹿介

山中鹿介幼名甚次郎、幸盛、通称鹿之助、鹿助。

尼子十勇士の一人。

部下4万人の中から選ばれた。

『願わくは我をして七難八苦を与えたまえ』

三日月に祈ったこのセリフ。

明治の文豪大月佳月の創作であるとされている。

山中鹿介は、美作(みまさか)で2万石の尼子家重臣であった。

≪1560年、16歳≫
義久に従い、ほうき尾高合戦で菊池音八を討ち取った。

その後、様々な戦で強敵を討ち取り、多数の書物に活躍が書かれている。



≪尼子家内の争い≫
尼子家の直系たちがよくない振る舞いをしていたので、勝久ら親族たちが挙兵てこれを追い出した。
尼子家は3代で滅亡。
その後、鹿介らの新しいグループが尼子家復興のために約10年間奮闘するが、実現できずに終わった。


イラストは、『歴史群像シリーズ特別編集 全国版 戦国精強家臣団 勇将・猛将・列将伝』より



今で言うとまだ高校生に上がったばかりの頃から命がけで戦い、凄い人生だなあと、ただただ感心させられるばかりです。
Posted at 2011/03/22 07:08:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行/地域
2011年03月19日 イイね!

京極一族の眠る街④  山中鹿介とのつながり

京極家の家紋は、尼子家と同じです。
尼子家は最大8藩(隠岐・出雲・稲葉・美作・備前・備中・備後ともうひとつ)を治めていました。

バサラ大名・京極導誉(佐々木どうよ)の孫・高久が、尼子氏の祖でした。
高久のひ孫(経久)のひ孫に、勝久がおりました。
ここで、山中鹿介が登場します。

彼は人気の戦国武将で、大きな鹿の角の兜をかぶっていました。
山中氏は、尼子氏の一族です。

山中鹿介の物語は、上のために忠実に働いたという事で、戦前によく利用されたそうです。

毛利軍(小早川隆景と吉川元春)に、上月城(こうづきじょう)にいた勝久と鹿介は包囲され、秀吉は助けに行こうとしたが、信長に裏切られ、二人は死にました。

享年33歳


いろいろ調べていくと、新たな発見があって面白いです。





Posted at 2011/03/19 09:21:55 | コメント(3) | トラックバック(0) | 京極一族 | 旅行/地域
2011年03月18日 イイね!

京極一族の眠る街③ 『バサラと呼ばれた男』

京極(きょうごく)。

名前のひびきがいいですよね。

京都の新京極(しんきょうごく)を思い出してしまいました。

小学校の修学旅行で行きました。

新京極の商店街で土産物を買いましたっけ。

(笑)

京極家の家紋の瓦


家紋、かっこいいですよね。


京極家の4代目に、京極高氏という男がおりました。

出家してからの名前を、京極導誉(どうよ)といいます。

お寺に入ってすぐ横に、導誉桜(どうよざくら)と言われる桜があります。

彼が植えた桜だそうです。




どうよ桜



鎌倉時代に、佐々木一族が近江を治めておりました。

その一族が、京極、六角、高島、佐々木、大原へと分かれていきました。

六角一族は、織田信長に滅ぼされてしまいました。

近江の北部は、浅井一族の前、京極一族が治めておりました。




桜の反対側には、三重塔があります。

三重塔


塔の周りには小さなお堀があり、趣があっていいです。^^


塔の堀



どうよがバサラと呼ばれる理由ですが、客人が来た時、畳を全て張り替えてもてなしたところ、粋な計らいをしたというところから、バサラと呼ばれたそうです。




本堂


残念ながらこの日は受付は休みでした。

あいている日のはずでしたが(時間帯もOKのはず)。

御用の方は向かいの家にお越し下さいと書いてありましたが、わざわざ呼び出すのも申し訳ないのでやめときました。


本堂の横に行くと、お墓への入り口の門がありました。


墓の入り口



こ、この奥に京極一族の墓が・・・。



近づいてみると、門の横が開いていました。







・・・ん? なんか書かれているぞ。


金入れ



誰もいませんでしたが、バカ正直に300円を入れて門をくぐりました。


お堂も入場料300円なので、あわせると計600円にもなります。

お堂閉まっててよかったなーと思いました。


お墓の維持費に使ってください。
(ーー;)
Posted at 2011/03/18 09:49:27 | コメント(2) | トラックバック(0) | 京極一族 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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