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すた☆君のブログ一覧

2018年04月26日 イイね!

甲冑ボランティア 「約束どおり、インドネシアから。」

去年の一番最後のお客さんとの奇跡的なエピソードです。

去年の10月に甲冑ボランティアを終えて帰宅していると、たまたま決戦地で友人にあい、話しこんでいるところに、一人の初老のおじさんと出会いました。

おじさん曰く、「もうすぐインドネシアから孫が帰ってくるから、下見に来た」 とのこと。

電車を乗り継いで、一人で兵庫から来ていた。

おじさんは足が悪いと言う。

しかも、結構遠い。

お孫さんは、関ケ原合戦が大好きで、向こうでよく勉強しているから、連れて来るとのこと。

しばし話し込んで、「今度来たらガイドしますよ」 と 約束して、ノリノリのおじさんとお別れした。

約束と言っても、日時もわからないし、携帯の交換もしていない、適当なものだった。


甲冑ボランティアの活動シーズンは11月いっぱいなのだが、最近は仲間が増えたので、オフシーズンも活動をやっている。


それは、去年の最後の日 12月のことだった。

今年マックスともいえるぐらいに、多くの仲間が集まってくれた。

午後~おもてなし活動を開始していると、16時少し前頃に 友人が 「そろそろ帰ろう?」 と言い出した。

もう寒いし、「そうだなあ」と思ったが お客さんもまた集まってきたので、もう1グループだけとガイドして、「さあ、下山しますか」 といった、 まさにその直後の出来事だった。


下から多人数のグループが上ってきた。

老若男女バラバラの親戚のグループかなにか、よくわからないグループだった。

記念写真だけ撮ったら下山しようと思っていた。

「さあ、帰ろうか。」

そう思ったら、後からゆっくり上ってきた初老の男性が ニコニコしながら私のほうによってきた。


10月に決戦地で出会った おじさんだった。

驚いた。

最後の最後に、再会した。

おじさんは、約束どおり、インドネシアのお孫さんを連れてきたのだ。

奇跡的な再会にお互いに感動し、おじさんとがっちりと握手をした。

お孫さんも、ワクワクしているのが伝わってくる。

すた  「よし、ではお約束どおり、ガイドを始めます。」


ガイドは大いに盛り上がり、こ一時間ぐらいが経った。


友人  「すたさん、そろそろ帰ろうよ。」

もう5時だ。

みんな待ってくれていた。

やりすぎた。

あまりにも嬉しかったから、あまりにも楽しかったから、つい。

^^;


おじさんたちと仲間たちとでみんなで一緒に下山した。

お別れ時に、またおじさんとがっちりと握手をした。

インドネシアの子供は、帰国したらまたいっぱい勉強して、また来てくれるとのこと。



おじさんたちは、車数台に別れて乗り込んだ。

彼らは窓を開けて、「ありがとうございましたー!!」

と叫んでくれた。

子供たちも 手を振ってくれた。

僕らも大きく手を振って、彼らを見送った。

これが去年最後の甲冑ボランティア。


こういうことって、あるんだなあ。

ご縁って、あるんだなあ。


そう思った、最高の出来事でした。


また来てね。

楽しみにしているよ。

^^
Posted at 2018/04/26 22:58:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲冑武者ボランティア | 日記
2018年04月19日 イイね!

8日間、北へ大旅行。 ③ 『 怒涛の米沢戦国史跡巡り!! 』

早朝ホテルを出発。

高速を走っていると、明らかに原発の土嚢を積んだ巨大な空き地を発見。

いわきに入る途中は、放射能レベルの表示もあった。

こんなの、いつまで続けるのだろうか?


随分すっとばした 弾丸ツアーのような福島旅行だった。

強行スケジュールだったので、会いたかった友人にもあわなかった。


高速が米沢までつながっているのを知らず、下道で山間部を走って米沢に入った。

ここから念願の怒涛の戦国史跡巡りが始まった。



前田慶次の供養堂


これは、昭和55年?に建てられたお墓。

地元の人たちの愛情を感じる。




むくあん


前田慶次が住んでいた屋敷あと。

残っているのが凄い。

近くに井戸あともあり、さがそうと思ったが、藪とか雪とか凄そうだったから、やめた。





直江堤

1メートルぐらい雪が積もっていた。

駐車場から30メートルぐらい離れた看板まで、雪の上を歩いた。

足を置くと沈みそうになるので、ニンジャのように、右足が沈む前に左足を出す。

左足が沈む前に右足を出す。

しかし、私はニンジャではないので、10cmは沈んだ。

これを繰り返して 看板までたどり着いた。



直江兼続が庶民のために造った堤防で、彼の愛情を感じられた。







宮坂考古館


ここは今まで私が訪れた甲冑博物館の中で一番感動的だった。

5両あったのだが、全てわかる。

上杉謙信、上杉景勝、前田慶次、直江兼続、謙信に上杉の名前を与えた武将。

慶次の へのへのもへじ が刻まれた ひょうたん もあり、感動した。

まあ、全てわかると言うのは、それだけメジャーで好きだと言う事だけどね。




米沢城址の 博物館


ここの博物館はでかかった。

面白い古文書の物語があった。

カタカナだったので自分でもスラスラ読めた。

物語はこうだ。

「農民が畑仕事をしていると、立派な成り立ちの二人のお侍さんがやってきて、畑仕事を手伝ってくれた。

そのお礼にと、おばさんが住所を聞いてお餅を持っていったら、そこが殿様の屋敷で、畑仕事を手伝ってくれたのが上杉鷹山公、本人であると知って、とても驚いた。

鷹山公は御餅のお礼にと銀貨5枚をくれると言うので、そのお金でわらじ(雪用の)を村のみんなにプレゼントしてあげたい とお願いして そうしてもらった。

このわらじをあなた(おばさんの子供)にあげるから、これを宝として、仕事に励みなさい。」


子供用の小さな雪用のわらじが展示してあった。


展示物を見ていると、上杉鷹山がますます好きになってきた。



米沢城址から



鷹山の銅像が誰よりも大きかった。

「天地人」の英雄たちもいいが、

米沢市民に一番慕われているような気がした。




直江兼続の墓所


上杉家の家族たちと家来たちのお墓があった。

殿様は別の場所にあるらしい。

直江兼続は家来なので、奥さんと一緒にお墓があった。

一国一城の主はすべての民にとっての特別な存在。

殿様の特別さ を感じた。



上杉鷹山、田植えの場所


「なせばなる なさねばならぬ 何事も。 なせぬは人の なさぬなりけり。」

大赤字の米沢藩の窮地を救った英雄、鷹山の名言。

僕の好きな言葉だ。

思わず、この名言の額縁を買ってしまった。

(笑)


上杉家の墓所

お墓なのに入場料を取るのか? と疑問に思った。

まあ、取らない所は、取れないのかもしれない。





上杉謙信の墓所

ほとんど参拝客はおらず、戦国の英雄と一対一で向かい合う贅沢さを感じた。




上杉景勝の墓所


ここの墓所には少しだけ分骨して、ほとんどは高野山のお墓に納骨していると言うが、やはりこちらのお墓がありがたみがある。

高野山は凄いが、これは本物か?と思うぐらいに大物たちのお墓が密集しすぎていて、価値が薄れる。




上杉鷹山の墓所




他にもたくさんの藩主たちのお墓があったが、雪かきをしているのはこの人気の三人の前だけだった。

ほら、あかんだろ?

他の殿様も大切にしろよ。

何のためにお金取ってんの?




米沢市を出て

長谷堂城の横ナビ


ここは 「北の関ケ原合戦」 と呼ばれる場所で、関ケ原合戦と同時期にここでも 西軍 東軍 で戦があった。

北から 西軍の上杉勢が攻めてきて、東軍の最上義光(よしあき)と戦っていた。

すると、西軍の負けの知らせが入り、東軍の伊達政宗もやってきた。

上杉の直江兼続は絶体絶命のピンチで、自決しようとしたが、前田慶次がこれを勇め

「死ぬのはいつでもできるから、今は生きて帰ることだけ考えろ。」

といい、自らしんがりを勤め、無事ここを脱出、帰還できた。



長谷堂城(はせどうじょう) は よく調べていなかったのが失敗だった。

まず間違いなくこの城だが、上り口が全くわからない。

山の麓に入ったが、道が細くて住宅が密集しており、怖くなってすぐに抜け出た。


長谷堂城


だが、ここまでこられた事に満足。

この辺りで戦った事は間違いない。




直江本陣?


これも、多分この山だろうな~と 想像しながら、写真を撮った。

米沢の戦国史跡巡りはここで終わり。

こ一時間ほど北上すると、大きな町と大きな山が見えた。


山形市 蔵王山



蔵王って、よく聞いた名前だけど、そのスケール感と形に圧倒され、感動した。

大きな町のすぐ後ろに 樹氷がある 異形の山肌が見える。

景観が面白かった。



樹氷も知ってはいたが、蔵王と言うのは知らず、行きたいなとも思ったが、もうシーズンは終わっていた。

シーズン中は車は難しいんだろうな。

でも、いつか見に行きたい。

また一つ、行きたいところが増えた。

東北から北は、まだまだ知らない魅力でいっぱいだ。



ホテルに到着した。

山形駅のすぐ近くで、かなりの街中、繁華街だった。

ホテルの近くにデパートを見つけたので、そこの地下でお惣菜をたくさんかって、ホテルで食べた。

節約のつもりが、逆に高くついた。

でも、美味しかったし、楽しかった。

^^


デパ地下ディナー

さて、明日は山形市を少し史跡めぐりしたら、次はいよいよ、


新潟入り!! 


です。


続く♪
Posted at 2018/04/19 23:49:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018年 旅行 | 日記
2018年04月07日 イイね!

8日間、北へ大旅行 ② 『那須で世界旅行、象に乗る 等々。 』

那須 東武ワールドスクウェア

ここは、世界中の建物を25分の1のスケールで再現している。

だから、もともと大きなものは、小さく再現といってもかなり大くなる。

東京スカイツリーがあったが、実物は600メートル以上もあるので、再現は25メートルもあった。


ジャンボジェット



おや? ビルの向こうに 巨人がいるぞ!


エンパイアステートビル






エジプトでらくだに乗る








ピザの斜塔







国会議事堂




なかなか楽しかった。

^^


続いて、この日の一番の楽しみ、「象ライド」へ GO!


日光~那須、結構遠かったが、偶然見つけた下道で高速代が浮いてラッキーだった。


目的地が見えた。

象に人が乗っかって歩いているのが見えて、少し興奮してきた。



那須~ ワールドモンキーパーク 入り口




入場したら、一目散に「象ライド」の手続きをして、すぐ乗った。


注意書きが怖かった。

「三人がけで、バランスを考えて乗って下さい。」


象の上のシートに乗ったら、安全バーの手すりを設置された。

・・・いやコレって、象が横に倒れたら意味無いような。。。

ノリと勢いでここまでやってきたが、

倒れたら・・・重傷・・・ いや、頭から落ちたら、受け身出来ないだろうな・・・ とか。

一抹の恐怖が脳裏をよぎった。


象が歩き始めた。


象ライド


象の傾きに合わせて、重心移動をした。

倒れそうだけど倒れない。

グラウンドをゆったりと一周して、無事終了した。

ジャングルジムのてっぺんに乗って、それが左右に大きく揺れながら前進していくような感じだった。

象くん、頑張った。




尾長猿の赤ちゃんを抱っこさせてくれた。

尾長猿を抱っこ


バランスをとるために、尻尾を首に巻きつけてきた。

カワイイ。





小さいながらも、楽しい動物園だった。

那須 猿軍団はとても面白かった。



チンパンジー


体験型が多い。


ニシキヘビの肩乗せ、やっとけばよかったかなと、少し後悔。


人懐っこいウサギが可愛かった。






檻 人間






檻 うなる






檻 離れる




どちらもとても楽しかった。



今日の宿は、初めての会員制リゾートホテル 「ハーベストホテル」 だ。

福利厚生のいい会社に感謝。



このホテル、とにかく広い。

新しくてリッチ。


ハーベストホテル 那須 部屋

こういう家に住みたい。




那須高原のリゾートホテル。

大人の少年自然の家 という感じだった。



中庭


値段もそう高くはなく、コスパもよかったんで、また来たい。



近くに 「九尾の狐」の伝説のある岩があったんで、行こうかどうかかなり悩んだが、ガスが噴出している地域で、子供もまだ小さいので、安全第一でそちらはやめた。

子供がもっと大きくなったら、また行きたい。




翌朝もホテルのモーニングをがっつり食べて、次は福島へ。

途中、日本100名城の小峰城へ寄った。

東日本大震災で崩れた石垣を修復中だった。


小峰城

ここは丹羽長重のお城だ。
関ケ原合戦では北陸で大谷吉継と共に、前田利長を追い返した武将の。


・・・というか、とにかく寒かった。

寒いので天守前で撤退した。


今日も家族サービスの日。

妻の念願のハワイアンへ。

スパリゾートハワイアンズ

一日中プールにつかって、温泉入って、夜はハワイアンダンスを見た。

ファイアーダンスもお姉さんの高速の腰振りも凄かった。

あまりにも凄かったんで、記念にDVDを購入。

また自宅で見よう。


さあ次は、お父さんの趣味の時間。

米沢へ怒涛の史跡巡りに行きます。

続く。
Posted at 2018/04/07 09:26:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2018年 旅行 | 日記
2018年04月01日 イイね!

8日間、北へ大旅行 ① 『日光東照宮と日本最古のリゾートホテル』

会社から大型連休をもらい、行きたかったところを片っ端から廻った。

すた家未到の8泊9日の大旅行だ。

真っ先に思いついた、行きたいところ。

それはもちろん、日光東照宮。

徳川家康の墓だ。



仕事が終わって帰宅して、4時間の仮眠を取り、深夜0時に出発した。

途中、長野の駒ケ岳SAで就寝。

久しぶりの車中泊だ。

朝日に照らされる駒ケ岳がとても雄大で綺麗だった。

早朝の駒ケ岳


こういう景色を見ていると、旅行っていいなあと思う。



群馬の奇山



初めて群馬に入った。

赤城山系の影響か、日本ではない奇妙な山の形に驚かされた。

面白い。



お昼頃、日光東照宮へ到着。

まず思ったのは、杉が多い。

多いとか言うレベルではなく、多すぎる というか、参道が全て杉で、しかも巨大。

数千本はあったと思う。

数万とは考えたくなかった。



とりあえず、今はやりの「花粉を水に変える」という、ハイドロ銀チタンマスクをしてきたが、

『大丈夫か?』

と不安に思った。


日光東照宮入り口の大杉



東照宮の手前に 「宝物館」があったんで入った。

徳川家康が関ケ原の戦いで着ていた甲冑が前面に展示されていたので興奮した。

家康の天下取りまでのアニメ映画をやると言うので、見てみた。

当然、関が原の合戦が出てきた。


すると 「家康が勝ったのは、義があったからだ。西軍が負けたのは三成には義がなかったからだ」

と説明されていた。


少し腹が立ち、正直あきれた。

というか、あきれが止まらなかった。


「なんだこりゃ?」


豊臣家を滅ぼしといてよく言う。


どうやらここは、「徳川家康教」という名の宗教団体の総本山のようだ。

「勝てば官軍」、「勝者が歴史を作る」 とは、よく言ったものだ。



東照宮の入り口に入った。


有名な みざる いわざる きかざる の建物があった。

これは江戸時代の馬小屋とその宿舎だ。


見ざる



そして、最近大修復が終わったばかりの目玉、陽明門。

夕日に花粉が金色に照らされて・・・。


くしゃみをする人が多かった。

花粉の事を話す人も非常に多かった。


陽明門



普段はよく効く 「ハイドロ銀チタンマスク」が耐えられないレベルだった。

「花粉が舞い降りるのが見える」

という声があちらこちらから聞こえてきた。

本当によく見える。

本社の裏を登ったところに、家康の墓がある。

有名な言葉の表札を見つけた。

「人の一生は重荷をおうて行くが如し 急ぐべからず。」

花粉の苦しさから、 今は 急ぐ事はできなかった。


日光東照宮の参道


なんだかんだで、ついに家康のお墓まで到着。

ついにここまできた。

あまたの関ケ原合戦の史跡めぐりをしてきたが、一番の大元、家康の墓だけは来てなかった。

やっと来れた。

・・・感無量だった。



家康の墓

家康の墓を降りてから、下にある建物 本社 に入った。

ここに家康の魂が眠っている という。

ここが一番凄かった。

内装がゴージャスだ。

二条城よりも凄い。

あまりの凄さに、閉め出されるまで眺めていた。

来てよかった。


東照宮を出た後、時間があったので、いろは坂を上って 華厳の滝へ行って、それからホテルへ行った。

ホテルは日光東照宮の真正面にある 「日光金谷ホテル」だ。





日本で最古のリゾートホテルとして有名で、るるぶには1ページ裂いて紹介されている、

泊まれる歴史博物館だ。

そして、あまたの歴史的人物が宿泊している事でも知られている。



ヘレンケラーとアインシュタインのサイン


コレは一例で、他にも、ルーズベルト、ガンジー、リンドバーグ、ルーゲーリック、フランクフロイド、湯川秀樹、吉田茂、夏目漱石、英国皇子とか、多くの偉人たちのサインが展示されていた。



興味深いのは、何故ココが日本最古のリゾートホテルなのか?

であって、最初は普通の民家で、外国人を泊めたら、「これからは外国人がたくさん来るから、外国人向けの宿泊施設をやってみないか?」と言われ、やっているうちに段々大きくなった というもので、

そのお客さんのために、近くにアイススケートやプールなど、遊ぶ施設を作った 電車を開通させる事業に協力もした というのも興味深いものだった。

普通は 観光地があるからそこのホテルに泊まる だが、 ここはそれをプラスαーで自分たちで作っている。

客を飽きさせない工夫作りの姿勢がとてもいいなあと思った。





ディナー

年配の宿泊客が多かった。

上品な人が多い・・・ まあ、当たり前か。





夕食後、ホテルの中を散策。

ここの人たちはとても優しく親切で、サービスがよかった。


金谷ホテルのソファ


ソファの後ろが玄関で、回転扉があるので行ってみた。



玄関の回転扉


これは珍しい。

こんな扉があるホテルは、日本ではここぐらいでは無いだろうか。。。





翌朝 ホテルの部屋の窓際



泊まってみて一番気になるのは、自分の部屋に誰か 著名人が泊まっていないか?

だった。

帰りに教えてもらったが、どうやら リンドバーグさん が 少し隣の部屋に泊まったらしい。

なんか、嬉しくなった。




階段を降りる



もう少ししたら、大阪の親戚の家に行くので、ホテルの洋菓子屋さんでクッキーを買った。

この洋菓子屋さんは、日光の道の駅などにもあったので驚いた。


昨日の夕食に続いて、贅沢な朝食を食べた。

たまには贅沢もいい。

因みに昨日の昼食はコンビニで、朝食はSAの食堂だ。





ホテルの前で記念写真を撮って、名物ホテルを後にした。

さあ、次は那須だ。

まだまだ栃木の観光は続きます。

Posted at 2018/04/01 13:52:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 徳川家康 | 日記

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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