
タイトル画像は97年&98年の「チャンピオンマシン」が並んだ貴重なショット。
数年前の「モータースポーツジャパン」での演出です。
妄想ですが・・・
もしも、ホンダ&日産が「電撃復帰」して1998年以降もJTCCが続いていたら・・・
まず、CD型アコードの「ホンダ最強」は変わらなかったでしょう。
98年に噂があった「2ドア車も参戦OK」なんてあったら、
クーペを投入して更なる空力アップをしていたかも。
続いてはP11型プリメーラの日産勢。
せっかく97年に「リバースヘッド」をモノにして戦力アップを果たしていたのに撤退。
参戦継続なら、間違いなく「いちばんアコードに追いすがったマシン」でしょう。
この2台は「自分が本気で買おうとしたクルマ」ですよ。
アコードは金銭的に届かず、プリメーラは程度の良い2000CCモデルがなかった・・・
このとき買っていたら「トヨタ党」じゃなくなっていたかも?!
で、トヨタは・・・
95年登場のエクシヴは戦闘力で「さすがに限界」を迎えていたと思います。
ワークス体制の開発が止まってしまったのが痛かった。
しかしながら、プライベーターがコツコツと仕上げて、本当に最後の最後まで参戦していたでしょう。
「記録より記憶に残るマシン」だと思います。
当然ながら、エクシヴも欲しかったです。
もともと販売台数が少なかった車種だけに、中古車で売ってるのを見た記憶がほとんどない・・・
「買おうとしたらモノがない」状態だったと思います。
プラットフォームはセリカと一緒だし、いろいろな魅力が詰まった車種でした。
では、チェイサーが「チャンピオン争いできたか?」というと、悔しいながら、答えは「NO」です。
「TRD&東富士研究所」という、トヨタワークス体制で開発しても、あれ以上のポテンシャルアップは厳しかったと言わざるをえません。
それでも自分には格好良かったんです。
「ビリを走るか、クルマがぶっ壊れるか」のどっちかでしたが、チェイサー格好よかったんです。
走らないマシンで必死に戦う関谷正徳さんに痺れました。
空力はアコードに及ばず、大柄なボディにエンジンは2000CC、重量もFF車より25キロも重い・・・。
ただ、98年モデルが「最初は置いてかれた」エクシヴに対して「あれだけの走り」ができていたので、
「最後部に埋もれる」ような事は免れたでしょう。菅生や仙台など、何度か優勝できたかも。
てなわけで、99年ないし2000年には『アルテッツァに参戦マシンチェンジ』という、トヨタはまたしても「ベース車両交代」をしていたかもしれません。チェイサーより小柄なアルテッツァのほうがJTCC規定にマッチしていたと思います。
めぐりめぐって2014年、なぜか私はチェイサーのオーナー。
JTCCでは戦う場所すら失ってしまったチェイサー、後にD1GPでチャンピオン獲得。
これがきっかけで、JZXや1Jエンジンに興味を持った方も多いでしょう。
カテゴリーは違えど、再びモータースポーツで注目されたのはチェイサーにとって良かったと思います。
ノーマルも良し、弄っても良し、チェイサーとJZXの魅力はまだまだ続きます!
長文、乱文、失礼いたしました。
Posted at 2014/02/18 21:12:28 | |
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