• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

y60kuroのブログ一覧

2011年03月26日 イイね!

相馬市長の決意

ろう城

まず今回の地震津波で亡くなられた多くの方々のご冥福を祈りたい。
相馬市の場合、地震の揺れが終わった直後に災害対策本部を召集し、津波からの避難呼びかけと誘導を指示した。海岸部の5027人の家屋が流出て瓦礫となったが、亡くなった方は約一割。多くの方を避難させた消防団の方々に、心から感謝と敬意とお詫びを申し上げなければならない。避難指示、あるいは誘導の業務により逃げ遅れ、殉職された団員が7人。この方々の尊い命と引き換えに守られた、多くの市民の生活と郷土の再建に死力を尽くすことが、私のせめてもの償いと思っている。

さて震災直後は情報収集と生存者の救出に全力をかけた。地震の倒壊による死者はわずかにひとり。その50分後に信じられない報告が対策本部に入ってくる。津波が6号バイパスを越えようとしているというのだ。私には想像もつかないことだったが、現実は原釜、磯部の集落が壊滅、尾浜、松川も高台以外は波にのみ込まれ、原形をとどめる家屋は無くなっていた。体中に心配と不安が走るなか、災害対策本部の次の仕事は生存者の保護と救出者の健康管理である。夕方の、沿岸部のすべてを飲みつくした海水の中で、孤立している被災者をひとりでも多く避難所に退避させ、暖を与え水と食事を摂ってもらうことに専念した一夜だった。

時間がたつにつれて、行方不明になっている親族や知人の報告が入ってきたが、対策本部の中では誰ひとり感情を表に出す者はいなかった。この非常事態に、市をあげて取り組まなくてはならないことを全員が分かっていた。被災の10時間後、4回目の対策会議で我われは、復興にむかって一歩ずつ進んでゆくことを誓い合いながら、今後の行動指針を短期的対応、中長期的対応に分けて策定した。明日になれば、災害の全容がわかるだろう、犠牲者の情報ももっと詳しくわかるだろう、しかしどのような事態であっても臆することなく、着実に計画を実行していくことを肝に銘じた。

二日目以降の避難所は、被災者とライフライン不通による一般避難民とで過密状態となったが、女性消防隊や自衛隊の応援による炊き出しや、早くも届いた支援物資で何とか最小限のことは出来たと思う。
家を無くされた方々の避難所生活から、アパートや仮設住宅での自立した生活に移行してもらうこと、災害現地をできるだけ整理すること、またそれまでの長期にわたる不自由な生活のなかでの健康管理や精神的なケアなど、中長期の計画に添ってチーム一丸となって歩み始めた。

ところが。

45キロ離れた遠くの双葉郡から、二度目の悪魔が襲ってくる。放射能の恐怖という不安心理である。広がる一方の原発事故は一日中の過敏報道とともに、周辺地域はもとより日本中を恐怖心に駆り立ててゆく。半径20キロの範囲が避難指示地域になったころから、相馬市にも遠くに逃げ出そうという気分が広がっていった。
同時に国内の物流業者が敏感に反応し、相馬地方やいわき市に入ることを避けるようになった。ガソリンのタンクローリーなどは郡山で止まってしまい、運転手をこちらから向けないと燃料も手に入らない。震災後わずかに開いていたコンビニやスーパーも商品が入って来ないため閉店である。ガソリンと物資が入らない日常生活の不便に加え、原発の放射能拡散の恐怖が相馬地方を襲ったのだ。


市民は終日テレビにかじりつき、解説者は得意げに危険性を説明する。たしかチェルノブイリでも30キロのはずだったが、45キロ離れて避難命令も出ていないはずの相馬市民の顔色がみるみる不安にあふれていく。
もしも放射能の数値が上がったら、その時避難したのでは遅いのではないか?国は、本当は健康被害が出るくらいの危機的状態なのに、国民を騒がせないために隠しているのではないか?ひょっとしたら今こそが逃げるべきタイミングなのではないか?現に米国は80キロまで避難させたではないか?
事実、屋内退避とされている南相馬市では大量脱出が始まった。ガソリンも食糧も医薬品も届かない陸の孤島にいたのでは、ヒロシマのように爆発してからでは遅いのだという恐怖が、まず南相馬市民を相馬市に向かわせた。相馬市の避難所に押し掛けてきたので、こちらでは新たに廃校となっていた相馬女子高を南相馬市民のための避難所とした。容量は1000人分。もちろん食糧の提供もこちらの義務となるが、我われより困っているのだと思ってひき受けることにした。災害対策本部には、一瞬顔をこわばらせるものがいたが異論は出なかった。
しかし、南相馬市民の不安や脱出願望を肌で感じた相馬市民にも危機感と焦りが生じてきた。早く逃げないと、放射能による障害をまともに受けるのではないかという不安が蔓延するようになってきたのだ。対策本部としては、国から避難命令が出る前に、自分たちで自主避難を決めることはあり得ない。この当たり前の立場を対策会議で確認して、三か所の避難所で演説してまわった。

我われはその後の対策会議で、復興に向けて着実に進む方針を、短期対応、中期対応、長期計画と分けて市内の実情に合わせて着実に進んでいくことを決めてきた。その過程で、もしも国から一時避難を指示されるなら、市民の健康や生命を案じて計画的な集団避難を実行しなければならないが、漠然とした不安にかられて復興計画を遅らせるとしたら、亡くなった人たちに済まない。だいいち、高齢者などの災害弱者にとって、相馬を離れた避難所生活が辛くないはずがない。だから、国から避難指示のない現段階で、市民とともにこの相馬市を離れるつもりは毛頭ない。

ところが、原発の放射能もれに対する国中の不安が、相馬への物流を決定的に止めてしまった。影響が特に厳しかったのが医薬品である。この点は供給会社のトップと話して、相馬がどうしても撤退できない理由を理解してもらった。彼らの理解を得て医薬品の供給は確保されたので、相馬の医療機関は留まることができる。しかし、問題はスーパーやコンビニで、生活用品や食料を調達できないことである。
市民にはご不自由をかけているが、ここで生活の不便さや原発の恐怖心に負けてしまったら、相馬地方は将来ともに復興が出来ないに違いない。昨日、行政組織の区長さんたちを集めて、相馬市はろう城生活に入ることの了解を得た。いつまでも続くはずもない原発騒ぎや物流の風評被害に負けたら、津波から被災集落住民の命を守って殉職した分団長や団員に申し訳がない。
最低、米と味噌と梅干しがあれば、生きてはいける。天明の飢饉はもっとひどかったはずだ。よってろう城をしながらここで頑張る。さいわい全国の市長たちが支援してくれるから、兵糧の心配はない。

市長より(相馬市長メールマガジンNo248)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1991年11月に雲仙普賢岳が噴火しました。普賢岳は有明海を挟み私の郷里の佐賀県の対岸に位置しますが、その時の衝撃は今も覚えております。その時の島原市長でいらっしゃる鐘ヶ江管一氏がこの普賢岳の一件が落ち着くまでは髭を剃らないと正面からこの自然災害と向きあわれました。島原半島は普賢岳の両裾野から海岸線までの狭い所に民家がある地形です。普賢岳が噴火すると背後から火砕流が押し寄せるような地形ですが、そこで立ち向かわれた鐘ヶ江管一氏と地域住民の決意を相馬市長のこのメールマガジンを読んだ時思い出しました。国があてにならないなら自分達で立ち上がらなければという相馬市長並びに地域住民の方、他被災地で奮闘される方々の決意に敬意を抱きます。いち早い被災地の復興をお祈りし、微力ながら協力致したいと思います。





鐘ヶ江管一氏の著書「ヒゲ市長の防災実記763日 普賢、鳴りやまず」




平成12年3月有珠山の噴火からさかのぼる10年前、平成2年11月雲仙・普賢岳が噴火した。当時、島原市長として防災復興作業の陣頭指揮をとったのが、鐘ヶ江管一氏だ。当時、伸ばし続けたトレードマークのヒゲから「ヒゲの市長」として、地元島原はもとより、全国から注目を集め、噴火災害対策の中心的な役割を果たした。平成4年12月の市長選では立候補を辞退し、3期務めた市長から退任。現在は、島原支援のお礼を兼ねて、防災講演会などで全国を行脚中だ。今年8月、苫小牧市で講演会「島原の教訓」が開催された。普賢岳噴火とその復興について、当事者ならではの臨場感あふれるエピソードなどを交えて語った。「有珠山の噴火災害をテレビなどで目にし、当時の辛さや犠牲者の悲しみを思い出しました」。有珠山での行政の対応は「噴火の予知や避難指示、対策本部の設置など、国や町村の避難などの対応が早かった。雲仙・普賢岳や阪神大震災の教訓が生かされ実施されました」と語った。
 鐘ヶ江氏は平成5年、「ヒゲ市長の防災実記763日 普賢、鳴りやまず」(集英社)を出版。本書を企画した時点では、釧路沖地震と能登半島沖地震の直後で、防災知識の普及に役立てることが目的だったが、執筆編集中に、伊豆半島沖群発地震、北海道南西沖地震、鹿児島集中豪雨など大規模な自然災害が立て続けに起こり、島原市の問題を具体的なサンプルとして、教訓として受け止めてもらいたいと、生の体験をそのまま報告書とした。
 現在12刷まで増刷。本書の著者印税は、平成3年6月3日の火砕流で亡くなった43人の犠牲者の遺族と、財団法人島原市義捐金基金に寄贈し、被害者の支援活動に繰り込んでいる。

Posted at 2011/03/26 18:06:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月26日 イイね!

R41 神岡鉱山


雪に霞む神岡鉱山

Posted at 2011/03/26 17:32:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月26日 イイね!

急がばまわれ



よし

近道行くか

もう雪無いだろう。。。


あ!


まだちょっと残っているなぁ

行ける行ける

念のため四駆入れとっか




その暫らく後



あっ! 

しまった!!!











こんな時に限って

長靴

スコップ

何も無い。。。








急がば回れ

いまだ身に付かず・・・






Posted at 2011/03/26 16:48:00 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月26日 イイね!

j8#純正ショックアブソーバー ・y60への流用

またまたガラクタを手に入れた。。。
いえいえ僕にはお宝です。
j8#の純正電調ショックであります。

みん友さんがj8#の電調
無し
純正フロントショックが
リフトアップしているy60にはお気に入りとの
貴重な情報を得て物色していて発見・確保したのです。

私のは電調付き

Y60にTEMS(爆 

  ん~異文化との遭遇の様ですが、
実はもう一個j6#の電動フェンダーミラーも有るのです。





このj8#のショック友人に新品の値段を調べてもらったら

ちょっとビックリ!

種類が28種類

¥6600~¥33000

電調ショックでも¥18000と¥33000円が有ったり

いやはやでありますが、型式で品番が書いてあるので
今度は型式から車両の状態などを判断して
ショックの選択をしたくなりました。  

j8#のショックですがy60の物に比べて
長くて太い!
のでありまして、ここがちょっとつぱってみた
y60の心をくすぐるのであります。

 

            それではどのような具合か比べてみましょう

  

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
               最大長    最小長   ストローク (mm)
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 y60        480      289      191

 j8#        640      420      220 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



j8#のフロントの寸法はy60のリアに近い数字です。
自分が手に入れた電調ショックアブソーバーはコントロール部分が
あるのでこの分ストロークが損しますので
STDの電調無しの部品が良さそうです。

みん友さんも言ってました^^;

それでもってお得意の減衰力比較コーナーであります。
足回りの構造、軸重も同じような感じなので
流用は可能かと思いますが、
さて実際の所どうなのでしょうか?   



  


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
                 伸び側       縮み側 (kg)〔0.3m/s時〕
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 y60ロング 87’     270          113

       91’     218          106

y61ロング        320          128
 
j8# STD、GX     210          120
           
           VX VXlimited   280          160 (スポーツ)
                      
                       230          60  (ノーマル)
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



こんな具合でSTD、GXのなんかy60の設定に
非常に似てますね。

僕のはTEMSですから
設定がまるでリーフ車のようです。

伸びきり状態からようやく余裕が出ます。
どうなるか楽しみですが、
良かったらそのうちSTD用の純正を新品で購入したいと思います。

個人的にはTEMS作動させてみたいなぁ。。。
これはもちろん洒落ですけど(笑

Posted at 2011/03/26 12:10:39 | コメント(2) | トラックバック(0) | Y60 | 日記
2011年03月26日 イイね!

夕刻の時を告げる




櫓から太鼓の音が聞こえます

Posted at 2011/03/26 08:22:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「皆様ご愛読有難う御座いました!」
何シテル?   07/02 23:03
(^-^)
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2011/3 >>

リンク・クリップ

本拠地ブログ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2011/10/20 18:29:08
 
【北海道十勝】大草原の小さな宿「こもれび」 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2011/06/14 14:43:42
 

愛車一覧

ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation