
「ただいま!」
学校から帰宅し昼ごはんを食べながら、土曜日の楽しみ、「オンナの60分」を観るのが好きだ。
そして午後からは森ちゃんとキャッチボールをするのだ。昨日、もっちゃんにカーブの投げ方を教わったから、森ちゃんにキャッチャーやってもらってカーブを投げてみよう。プロみたいにギュンギュン曲がったらどうしよう。町のチームのピッチャーになれるかもしれないよね。
と、そんなことを考えながらワクワクしていたら、クルマの止まる音がした。悪い予感がする。
「おい!今から工事いくぞ!」
えっ?森ちゃんとキャッチボールの約束してるんだけど…
「ごめんなさいって電話しろ。早くいかないと夜になる。」
ウチは建設資材の小売が家業だが、フェンスやガードレール設置の工事も請け負ったりする。1カ月に一度はこんなことがある。
泣く泣く森ちゃんに連絡して、家の手伝いで行けなくなったことを伝えると、父と一緒にホンダの軽トラに乗り込んだ。
どうやら玖珠の山の中のガードレール工事らしい。ここからだと2時間弱かかるとか。夜はドラえもんの長時間スペシャルがあるんだけどそれまでに帰れるのかなぁ…。
夏の耶馬渓はいつ通っても爽やかだ。濃い緑に綺麗な水は降りて水遊びをしたくなるが、工事に向かっているのだからそんな暇はない。もう小学4年生なのでそのくらいのことは分かっている。黙ってOBSラジオを聞きながら助手席からボンヤリと外を見ていた。
荷台にモルタルやライトカッターやコアカッター、部材と工具を満載した軽トラはウンウン唸りながら現場についた。途中、やまなみハイウエイと書いてあったから大分の真ん中辺に来たんだろう。
現場は鬱蒼とした林の中で少し薄暗く、横に小川が流れていたが路肩にはガードレールが無かった。ここにガードレールをつけるのが今回の仕事らしい。
「夜になる前に終わらせよう、バケツで川から水を汲んでこい」
モルタルをどう練るのかなと思っていたがそういうことか。ガードレールがまだない部分から川に降りてバケツで水を汲んで8往復した。きつい。
軽トラに積んである部材だけでは少ないなと思っていたが、仕掛かりだったらしく、一部の部材は既に路肩に置かれ、ガードレール支柱用の穴もいくつかは開いていた。
父はコアカッターで残りの穴を穿つ作業を開始し、僕は既に空いている穴に支柱を立て水平器を使って垂直にたてる作業を受け持った。
僕は小学4年生にしては大きい方で後ろから3番目だ。ミヤコ君ほど大きくはないけどチカラは強い方。ボール競技は苦手だけど体力測定の筋力項目ではクラスで1.2番だったりする。
とはいえ20本近い支柱を立てていくのは大人でも楽ではない。しかしやらねば終わらないので、黙々と作業を続けた。
ガードレール支柱の垂直を維持するためには小石などを挟んでおく。1本1本垂直を出していくのだが、たまに少し引いたところから見るとガタガタになっている。この前の耶馬渓ダムの工事でX組の現場監督から
「このガードレール、誰が垂直出してんだ!ガタガタじゃねぇか!」
と怒られたときに、僕の作業なのに父が飛んでいって謝っていたのをみて非常に悔しい思いをした。
「こういうのをな、木を見て森を見ず、っていうんだよ!」
ペコペコ頭を下げるしかない父に大変に申し訳ない気持ちになったし、もう同じミスはしないぞと思ったのだ。
なので5本ずつやって数本を微調整、10本やってまた微調整を繰り返す。
コアカッターで円形にカットしたコンクリートは実はキレイに円柱形には切れない。
最後水平方向に綺麗に切る術はないのだ。だからスキマにタガネをいれ、祈るようにハンマーでコツンと叩く。ガードレールはクルマがぶつかっても抜けない様、支柱の有効深さが必要なので出来るだけ深いところで折れてもらわねば困るのだ。
しかし思うように折れるのは半数もないため、削岩機でハツる調整をせねばならない穴もある。数センチが届かないものは仕様の範疇で支柱側をライトカッターで切って何とか高さを合わせる。
こうして垂直だけでなく高さも石などを使って調整していくのだ。
空いている穴には全て支柱の仮設置を終え、苦労はしたが、とりあえず満足のいくレベルになった。
どうかな?
と父に尋ねる。
父は片目をつぶり指を立て、「通り」を確認した。まあいいだろうのOKをもらう。
続いてモルタルを練る。立てた支柱のスキマからモルタルを流し込んで固めるのだ。これもスカスカではガードレールの支柱強度が出ないので充填しなければならない。だが、大きな建設現場でミキサー車から流し込んだ生コンをバイブレータでならして充填するようなことはできない。
地道にコテで少しずつ流し込んで、細い棒などでスキマから詰めていく。根気のいる作業だ。一本あたり10分くらいかけながら地道に詰めていく。父が失敗したと思われる、やたらと深くて、支柱に石でゲタを履かせなければならなかった穴は沢山のモルタルが必要でこれを数本やったところで気づいた。
「お父さん、これモルタル足りないよ。」
支柱20本は現場としては小規模でそう多くは必要ないと判断したのか、モルタルの袋は1つしかなかった。父は苦い顔をして
「仕方ない買ってくるしかないな。荷台の荷物で使いそうなものは降ろしてくれ。街まで走って買いに行ってくる。」
発電機、ライトカッター、工具類を降ろした。
「それじゃ続きをやっててくれ、すぐ戻る。」
そう言って父は軽トラで現場を出た。
残り少ないモルタルはものの数本で終わってしまい、その後は何もない山の中に1人で待つことになってしまった。
いつ父が帰ってくるかわからないので、その辺に散歩というわけにもいかない。側を流れる小川も水は綺麗ではあるが、魚が住んでいるほどの深さでもなく、あまり近寄るとぬかるんで足を取られそうだ。
そもそも現場に着いたのが14時半ごろで、時計はないが日の陰り方から多分もう17時は回っているだろう。
森ちゃんはあの後誰とキャッチボールをしたのかな…と考えながら誰も通らない山の細い道の脇で座っていた。
日の長い九州といえど、山の中の日暮れは早い。あっという間に暗くなり始めた。
父は帰ってこない。どうしたのだろう、何か事故でもあったのか?まさか捨てられたなんてことはないと思うけど、もし父が帰ってこなかったらどうやって家に連絡を取れば良いのか考え始めた。時間が無限にあるような錯覚に陥り、心細さがつのる。
元来た道を戻ってどちらに行けば民家があったか…あまり記憶がない。それに山の中であり街灯などはほぼないため、月明かりくらいしか光源がなく、やまなみハイウエイから外れた側道ではクルマも滅多に通らない。
どんどん不安にかられていると、目の前がフワッと白くなった。
「!」
さっきまで何もなかった川面から湯気が立ち上っている。急にお湯でも湧いたのかと恐る恐る近づいて川に手を入れると冷たい水である。ということは気温が下がってきたということか…。
なんとなく「三途の川」という単語を思い出す。父は戻らない。
そのままなす術もなく、日は暮れていき辺りは完全に真っ暗になった。フクロウの鳴き声が聞こえる。
林の中から物音がするとビクッとしてそちらを見る。何か飛び出してきたら殴りつけようとタガネを打ち込むハンマーを手にとった。
遠くから見ている限り、夜の森林はとても静かに見えるが中にいれば話は別だ。森の中には昼間はおとなしくしていた獣たちがジッとこっちを見ているような気がして落ち着かない。
とはいえ、大抵の獣よりはこちらの方が体格が良いのだから、闇雲に出てきて突っかかって来たりはしないだろう。でも…クマだったら?九州にいるのはツキノワグマだがクマに勝てる気はしない。
クマはヤバいクマはヤバいクマはヤバい…クマで頭がいっぱいになったその時、
「ガサッ!!」
目の前のヤブから何かが飛び出してきた!
(続く)