この僻地日記でも幾度かご紹介させて頂いた「日本のドクターヘリの父」西川 渉先生が、去る2020年2月16日にご逝去されました。衷心よりご冥福をお祈り申し上げますとともに、生前の「多大な」位の言葉では言い表せない御功績に最大限の敬意と感謝を捧げさせて頂きます。
ご逝去を知り日記にあげようかと思った頃はコロナ第1波の最中、ちょっちタイミングで無いなと熟成させていましたが、さすがにもう年も変わろうかという時期になりましたので、書き留めておきます。
先生の細かな経歴や御業績は
Wikipediaや先生の作成された「
航空の現代」をご覧頂くとして、ザックリ書きますとこんな感じですかね。
昭和な刑事ドラマで出てくる「朝日ヘリコプター」(現:朝日航洋)の代表取締役専務を務められた、ヘリの運用/運行のスペシャリスト。
国のヘリによる救急医療研究のメンバー。
NPO法人の救急ヘリ病院ネットワーク(略称HEM-Net)理事
あと、ドクターヘリを扱ったドラマ「コードブルー」のドクターヘリ監修でお名前がクレジットされているそうです。
西川先生と、「もう一人の父」山野豊先生がいらっしゃらなければ、日本の空にドクターヘリが飛ぶ事は無かった、とまでは言いませんが、飛ぶまでに今より20年以上遅れていた事は想像に難くありません。
ドクターヘリなんて要らねんぢゃねな方も、世の中にはいらっしゃるかもしれません。万一そんな方がウッカリこの僻地日記に来られてコレお読みだったら、敢えて問いかけます。
「アナタ、『本格的な』人命救助した事アリマス?」
自分は、日本赤十字社の救急法救急員(当時:今は細分化されてるようです)の資格を(かつて)持ち、知識と技能のある者として「ガチ」の救命救急現場で幾度も活動しました。ちなみにボランティアです。あ゛、所謂半日講習とかとは全く別物の「ガチ」系資格デス。
事故や病気は場所を選びません。都心であっても、交通事情と受け入れ先の医療機関状況で、ドクターヘリの方が遥かに早く治療を開始できます。残念ですが、ヘリなら助かるケド救急車ではムリ、というのはあるんです。
要らなかったら、そもそも今日本で広まってません。まだ足りないくらいですが。
そういった細いハナシは西川先生の大いなる遺産「
航空の現代」に譲ります。自分のような一介のボランティア救急員がエラそうに言えたモンぢゃ無いですし。
その一方で、楽しいお話もありましたね。
桂文珍師匠が飛行機のライセンス取った時のお話とか。再掲デスが、未読の方は、ゼヒ !
最後に、こちらも再掲デスが「
欧米に見るヘリコプター救急の飛行安全策と日本」(PDFファイルが開きます)をリンクしておきます。現在、先生のホームページは息子さんが整理中とのことで、莫大な量もありリンクが切れているページもあるので、
HEM-Netからの直リンクです。タイトルは難しそうですが、量も少なく(60ページ程度)、専門用語もほぼ無く、世界的に見たドクターヘリの歴史から俯瞰できる良書です。先生の海外活動はこれが最後になりましたが、おそらく先生方は御自身のお歳も考慮して、部外の素人が見ても成り立ちから現代の問題まで理解できるように書かれたんだろうなあと・・・。
先生の残された遺産「日本のドクターヘリ」は、日本人全員が共有する先生の遺産と言えます。この遺産を皆でさらに大きく発展させ、「助かる命は助かる」救急医療を拡充していくコトが重要です。
こんな僻地日記ですが、うっかり立ち寄った方がドクターヘリに目を向けて理解を深めていただければ、というコトで〆させて頂きます。
合掌
Posted at 2020/12/09 01:20:56 | |
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