2017年03月11日
東日本大震災から6年・・・・・。
私の田舎は福島県富岡町です。父親の実家がありました。小さい頃から夏休み・冬休みは必ず富岡に行きました。特に小学校の頃は毎年夏休みに2週間くらい居続け、富岡のきれいな海と川で泳ぎました。祖母は駅の売店で働いていましたので、富岡にいる時は海か駅にいました。自然と駅員さんとも仲良くしていただき、構内を走る小さな保線車にも乗せていただきました。
また、第二原発の敷地は一部富岡町にかかっていて、当時小学生だったか中学生だったか忘れましたが、工事でもう山には入れなくなると聞いて、入れなくなる前にと自転車で山に入り転倒して怪我を負い祖母に怒られたのも今となっては複雑な思い出です。
その富岡町が4月1日から避難指示解除という報道を今朝見ました。富岡駅前は私の知っている駅前とは大きく印象を換えていました。でも、そこから見える海は昔のままでした。何だかその報道の映像を見て涙があふれてきました。
震災当時、父親の実家には叔父家族が住んでいましたが、津波は直前で止まったそうです。叔父に言わせると「こら!止まれ!って津波に向かって怒ったら止まったんだよ。」と言うのですが・・・・。確かにグーグルアースで確認すると津波の被害は富岡の叔父宅の手前で止まっていました。しかし、原発事故の影響でそれから6年その家には住むことは出来なくなっていたのです。今朝の報道を見て叔父には帰るのかどうかまだ聞いていませんが、調査では富岡に戻ると答えた世帯は少ないようです。
これから、止まっていた時計がこれから動き出すのかもしれませんが、私が思い出すのは以前の駅舎であり、祖母と徒歩で帰宅する途中、優しく「おばんです。」と挨拶をしてくれた富岡の人たちです。
ですから、これから少しでも賑わいが戻ってくることをお祈りしたいと思います。
幸いなのは私の父は震災・原発事故を知らず他界しました。
そして、私は原発事故による廃炉の完了を聞かずに他界することは私自身の年齢を考えれば確実でしょうね。それほど廃炉はやっかいなことのようです。どうか、人間の英知を結集して完全なる廃炉ができることを願っています。
暖かくなってきたら、一度富岡を訪れてみたいと思っています。
私にとっては昔の富岡を思い出させる場所として、そして新たな息吹を感じさせられる場所として。
【3.11 21:00追伸】
今日久しぶりにグーグルアースを見てみたら、富岡駅の付近は津波後の被災の状態ではなくなっていました。叔父宅の付近もきれいになっています。そして、私が何度も行き来した富岡駅の跨線橋も消えていました。「これでいいのだ」と自分に言い聞かせるしかありません。
Posted at 2017/03/11 09:52:00 | |
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