このたび、数十年来の大きな懸案事案が解決し、肩の荷が下りました。
長文になりますのでスルーされて結構です。
自分史の一つとして記録しておきます。
今から遡ること41年前、某市議会史編さんの一翼をになった縁で、廃棄されるはずの重要な基礎資料が私のところに回ってきたのが発端です。
この資料は、度重なる火災や空襲により、公文書の多くが消失して、乏しい資料の穴埋めと裏付けのために関係機関の明治期から大正期の公文書や発行資料をはじめ、明治から昭和中ごろの新聞の地方版をつぶさに調査した資料です。
東京日日新聞(現毎日新聞)の府下版で大正5年~昭和20年は、事務局がコピーを購入。それ以外は、所蔵している施設に出張調査でした。
それぞれの資料ごとに1件1枚のカードに書き出して集約しましたから、膨大な数量です。
この作業に3年間かかり、私が関わったのは、資料が出来上がったところまで。
そこからは、大学の教授などの編集委員や、アシスタントとして残った方々により、6年余りかかって記述編、資料編、年表編が昭和から平成にかけ順次完成。
資料として収集したものは、保存することになったのですが、基礎資料として作成した膨大なカードは廃棄が決定したそうです。
最後の編纂委員会で廃棄することが決まり、最初から一緒に携わってきたAさんが私に電話してきて「せっかく調べ上げた資料なのに廃棄だなんて残念です」と、憤慨していたことを覚えています。
事務局閉鎖後の残務整理には、電話してきたAさんがお一人だけ残され、かなりの資料を処分してきたようです。
しかし、基礎資料としてのカードは、Aさんが持ち出して、最後まで一緒に作業に携わったBさんのところに保管していただいたようです。
持ち出した、Aさんが、どのように使うつもりだったのか、終了後間もなく事故死されてしまい、知る由もありません。
その後、最初に保管していたBさんが、住んでいたアパートの売却で退居することになり、私のところで預かってもらえないかと相談が来て、引き取りました。
それらの資料を、どうしたらよいものか思案して時が流れてしまったら、4年前にBさんも急逝してしまったので、完全にお手上げでした。
3年前にBさんの1周忌で当時の作業に携わった方々に連絡してCさんとDさんと私の3人でしたが顔を合わせることが出来ました。
当時のことを話しているうちに、市史編さんにも関わっていたCさんが「市史編さんのときに、議会史で作った30年前の資料があれば良かった」とのこと。
思わず、「その資料なら、うちに保管してある」と、経過を説明すると残っていたことにビックリされました。
驚いたのは、当時、大学院生で一緒に作業に関わったDさんが、「Aさんに頼まれ、Bさんのところへ運ぶのを手伝った記憶がある」とのこと。
時間がかかってしまっていましたが、その当時の他にご一緒に作業をしてきた方々の労苦を無駄にせずに生かせる方法を模索しました。
自分一人で整理し新たな資料集にするには手に余るし、資料持ち込みで編集してもらう出版社に頼むにしても資金面で及びません。
初期に嘱託で来ていた大学院生のEさん(後に都立高校教諭)が郷土の近代史、現代史の研究をして修士論文にまとめたので、その方にも打診したのですが、精神面の不調で中途退職し、何かをやる状況ではないとのことで、断念したしだいです。
Dさんは、今では大学教授になって多忙ですが、資料をスキャナーで読み取り、画像処理してDVDに保存すれば、元の年表カードは廃棄出来るので、いつでも持ってきてとの提案もいただきました。
ただし手書き文書なので、今のテクノロジーではAIが判読して文字や文言を抽出できない欠点があることも教えていただき、足踏みです。
Dさんには、郷土資料館など関係者への働きかけをしていただいて紹介された方に相談しましたが、6ヶ月経過しても音沙汰ありません。
こちらから郷土資料館に問い合わせたら、「公文書扱いになるようだから、教育委員会ではなく、公文書管理課に連絡してもらう」とのこと。
半年放置のうえ、これには呆れてものも言えません。
しかたがないから、後輩の市議会議員に相談し、役所内の担当に当たりをつけてくれて、連絡が来たのが公文書管理課ですよ。
「最終的には実物を見て決めるが、議会事務局と郷土資料館とも受け入れを相談する」とのことです。
しかし、来た返事は、「どこでも受け入れない」とのことで、実物を見ることも無く終わりました。
コロナ禍で、互いに出かけずらいこともあり、電話での説明では、どのような資料なのか要領を得なかったことと思います。
そこで、緊急事態宣言解除になって、藁にも縋る思いで、地元の郷土史研究を手掛ける有名な地域文化振興財団に電話で説明して「実物を持って行くから見てほしい」とお願いしました。
すると、所長が担当者に見てくるようにと指示されたようで、数日後、担当者が訪ねてきました。
担当のFさんには実物をご覧いただいたことで、多少なりともご理解を得られ、様々なお話しの中でも自分との関わりがあったり、話が弾みました。
何よりも私の小学校1~3年の担任だった先生が生前に収集した資料を香川県に持ち帰っていたのを、10年余りにわたって御遺族と交渉して地元に返していただけることになったお話です。
その資料には、自分が小学校の頃、学校や先生の自宅で見せていただいた貴重なものが含まれていました。
なんだか、懐かしく思い出させてくれました。
Fさんは、資料をスマホで写真に撮影し、上司の所長にメールで送ったところ、「即、引き取って来るように」と電話があり、持ち帰っていただきました。
長い間、我が家の一角を占めていた資料ですが、30年ほど時間が経過して、どうにか安住の地を得た次第です。
下の写真は、Fさんのクルマに積み込んだものです。
1カ月ほどして、Fさんから「資料を精査し、すでに年表編に掲載されている資料以外は、スキャナーで読み取り、画像保存することに決定」したとの連絡をいただきました。
あとは、これらの膨大な基礎資料が、今後の郷土誌研究に活用されることを祈っています。
本日は、これらの作業に関わった方のうち、動ける元気のある方が集まり、ランチタイムのひと時を過ごしました。
そうは言っても40年余りの時間が経過して、大学教授になっているDさん、地域の歴史研究を手がけ続けているCさんと私の3人しか残っていません。
それでも、Bさんの残してくれた資料だけは、自分のところに残してあるので、持参して皆さんのお話しのネタにしました。
次々と当時のお話が出てきて、ランチをゆっくりと食べながらですが、2時間があっという間に過ぎました。
Cさんが持参してくれた昔の写真コピーには、若かりし頃の自分がありまして、懐かしく拝見させていただきました。
料亭でのランチが終わり、Bさんのお墓参りをして、ちょっと、お茶でもと言うことで、こちらに寄り道。
さらにこちらでも2時間も話し込んで夕方、それぞれの自宅近辺まで送りながら分かれて来ました。
お互いに高齢者でコロナワクチンを優先接種出来る年代ですから、コロナに負けず、いつまでも元気に過ごせれば、またいつか会えあるであろうことを楽しみにしています。