オートバイレースは好きで昔よく見ていたのだが、最近はyoutubeでたまに覗くくらいになってる。根本健さんのライディングyoutube動画など、気が付けばチラ見する程度の興味は持続してるし、DT50@黄色№ と、YSR80の再生は未だあきらめてはいないww DT50の錆穴の開いたチャンバーは中古部品の程度の良いものを手に入れたし、あと前輪が見つかれば着手しようと思っている。あと、シートの裂けも何とかしなきゃだけど、最悪ガムテープでの仮補修で凌ぐ手もあるから。
で、この本である。
何かの拍子で、MotoGP というかWGP250ccクラスの最後のワールドチャンピオンが、この ”青山博一” だと知り、少し調べるとワールドチャンピオンとなった2009年のエントリーは、2年前にHONDAが開発修了した2007年式のレーサーRS250RWを1台だけで戦ったというのだ。
ライバルは最新型のアプリリア・ワークスマシンRSA が予備パーツなしの本体価格が100万ユーロだという。ライバルたちはそれを各自2台要すのだ。正直無謀な挑戦ではあったはずだ。そして、最高速の10km程も劣る旧型RS250RWで、コーナーで抜きストレートで抜き返されるという屈辱にあまんじながら。
結果、シーズン当初にはだれも予想しなかった結果につなげたという快挙。
このRS250RWの開発修了は、2009年をもってWGPの250ccクラスが終わり、moto2(600ccのワンメークスエンジン)となることが決まっていたので、HONDAの怠慢というわけではない。また、ツーサイクルエンジンの環境負荷云々を受けての移行という側面もあったようだ。また、2008年のリーマンショックのせいで、財界には様々な不協和音が響き、マシンメーカーやスポンサーも直接間接の悪影響が蔓延していた時代でもある。
そして、本書でも触れられているが、GPライダーのシートは、F1マシンのシート同様、ドライビングのスキルのみで得られるものでもない。メーカー@コンストラクター が直接監護する”ワークス”であってもスポンサーを多少は気にするし、サテライトチーム@セミワークス ならスポンサーの意向でどうにでもなるというような具合でねww
要は、”お金@スポンサー”でシートが買えるってところもあるんだな。。
この点、日本人ライダーは非常に不利なのだ。まずもってレースー@レーサー自体の社会的認知度が低く文化的評価も世界レベルと比較すると無いに等しい。
一開催@3日間のグランプリレースの観客数が20万人wwwくらいコンスタントに集まってしまう欧州とは人気@経済規模 が違い過ぎる。
こんな社会的背景から、スポンサーとなる企業も少なく苦労を強いられる。
作中、同様にレーサーであった博一の実弟”周平”は、スポンサーを探さなくて済むかもと宝くじを買ってみたことを語るエピソードもあった。レース活動とお金は斯様に密接な関係があるのだ。まぁ周知の事実だが。
2001年頃、ヨーロッパで”知ってる日本人は??”と聴くと、大抵”ダイジロウカトウ”と返事が返ってきたという。 これは、2001年の250ccでワールドチャンピオンとなった加藤大治郎のことである。あのロッシに”唯一の脅威だ”と言わしめた彼は残念ながら26歳で亡くなっているが。
欧州ではレーシングドライバーやレーシングライダーの社会的評価も地位も非常に高い。世界選手権のシートを手に入れることが出来ているというだけでも社会的価値が大きく、またその中でのチャンピオンともなればカリスマスポーツ選手と同等かそれ以上の評価が与えられるのが常態化しているのが世界標準である。
加藤大二郎がNHKのトーク番組に出ていた時、イギリスでの空港のエピソードを語っていたが、空港の関税もほゞフリーパスだという。関税職員が”ダイジローだろw こっちを通れww” と長い行列をパスさせてくれたとか。代わりにサインを求められたって笑って話してた。
確か、サッカーの有名選手と、これもイギリスだったか空港で一緒になり、群衆がワーワーと騒ぐので自分のことだろうとニコリとして手を振ったサッカー選手は、全員が加藤大二郎目当ての群衆だったっとボヤいてたという笑えるニュースも聴いたことがある。
世界GPには数々の日本人が参戦しているが、如何せん国内では話題に上ることが少なく、まぁ古くは片山敬済のWGP350ccでのワールドチャンピオンが日本人初だったってことくらいだろうか。私もそうは詳しくないが調べてみるとこんな感じの戦歴である。
『ワールドチャンピオン』
1977年:片山敬済(350ccクラス)
1993年:原田哲也(250ccクラス)
1994年:坂田和人(125ccクラス)
1995年:青木治親(125ccクラス)
1996年:青木治親(125ccクラス)
1998年:坂田和人(125ccクラス)
2001年:加藤大治郎(250ccクラス)
2009年:青山博一(250ccクラス)
まぁ結構活躍してると思う@日本人 けど、日本ではほとんどニュースになってないんじゃないかと思う。ほんと、最近だと加藤大治郎だけだなぁ~@ニュース 1980年に初めてバイクを買った@XL125S 私でさえこれだから、社会的に如何に認知されてないかと思うと、当時の偉業が情けなくも思えてくる。原田哲也は少し記憶に残ってるんだけどねw
WGPへの参戦の大変さは、片山敬済、根本健、などの名前で検索してWikipediaをざっと眺めるだけでも気が遠くなる。ワークスとしても大変だが、サテライトでの参戦、ましてやプライベーターでの参戦など非常に困難を極める。
プライベーターに等しい形での参戦の状況は、根本健さん『グランプリを走りたい - '60-'70を駆け抜けたバイク人生』枻出版社〈枻文庫 001〉、2002年11月20日 発行、初版。ISBN 978-4870997561 に詳しく、片山さんとのWGPで一緒に写った写真とか、まぁ細々とした苦労をしのぶに最適の一冊であろう。
Wikipediaに記されるエピソードの殆どはこの本から引用されているので、Wikipediaだけでも目を通しておくと非常に面白い。
ライダーの第二の人生として、”オートレーサー”への転向も幾人かあるようで、この本で触れられる青山博一の実弟、周平も現在オートレーサーとなり活躍しているし、先にあげたWGPチャンピオンの幾人かも同様に活躍しているようだ。
考えようによるとオートレーサーはWGPチャンピオンよりもうかる商売かも知れない。最近の契約金は
2位 バレンティーノ・ロッシ(イタリア)
890万ユーロ(10億7300万円)
1位 マルク・マルケス(スペイン)
1330万〜1600万ユーロ(約15億6700万円~約19億3000万円)
などいう記載も見つけたが、ほんの一握りのカリスマトップライダーにのみ可能な収入で、地味な日本人チャンプはチャンピオンと云えども正直なところぜいたくな暮らしは出来ていないと思う。
かの青山WGPチャンピオンも、支度金以外にはそれほどの給料は貰ってない様子だし、その2年ほど前はラーメン屋のアルバイトをしながらレース活動へのリクルートをしていたというくらいだから。
現在の青山は、
2018年からホンダ・チーム・アジアの監督に就任[10] し、Moto2及びMoto3クラスに参戦する選手達をはじめとした後進ライダーの育成を行なっている。2019年には同チームからMoto3クラスに参戦している鳥羽海渡が開幕戦カタールGPで初優勝を果たし、青山もチーム監督として表彰台に登壇した[11]。
と、それなりの待遇でメーカーワークスでの仕事を得てるが、これは稀有な例だろうと思う。
弟、周平はオートレーサーとなり家庭を支えている。結構戦歴もよいようでかなり稼いでいるんじゃないかと思う。オートレースのノーマルレースの賞金は1位で確か8万円、重賞レースだと1位で3,000万円なんてのもあるらしいから、結構な収入となるだろう。競馬の方が派手そうだけど、馬の購入代金と育成費、厩舎の運営費やそれにまつわる諸々を勘案すると結構経費が掛かるので、オートレースの方が随分と仕事としての取り回しはコンパクトで経費も格段に少なくて済むはずだ。バイクの整備は自分でやるだろうし、消耗品部品とタイヤが馬でいうところの厩舎費用ってことになるかな?? ボートレースなんかも同様だろうか。
とまぁ生臭い話は別として、世界に挑むという非常に困難な挑戦を選択して、トップを極めたものの姿は美しい。経済原理の海を泳ぎ切り、自らの求める栄光を手にすることの困難さと素晴らしさを噛みしめ、ままよと我が仕事と人生をたまに振り返るのも一考ww とねww あゝ・・・
根本健 - Wikipedia
加藤大治郎 - Wikipedia
片山敬済 - Wikipedia
青山博一 - Wikipedia
Posted at 2021/07/04 13:27:10 | |
読書 | 日記