こんばんは。
トップの写真はあまりに暑いのでかき氷にしてみました。
しか~し。
『暑い』という言葉では、弱すぎます。
『極暑』、『獄暑』、『鬼暑』、『烈暑』・・・。
↑どれもただ思い浮かべただけで、一般的に使われているかは知りません
何か新しい言葉が生まれそうですね。
外を歩くだけで、生命の危険があるというのも恐ろしい話です。
東北の仙台でも昨晩は熱帯夜一歩手前。
異常です。
早く冬来い!! ※写真はイメージです。
さて、本日はマニアックかもしれません。(いつものことじゃろ)
たまたま、昨日『歴史秘話ヒストリア』を観ました。
なかなかマイナーな方も取り上げるんでなかなか面白い。
昨日は、水野勝成 なかなかの猛者。
以前には、戦国最弱の武将 小田氏治 なんてのも。
有名な方はよく取り上げられますが、こういうのもどんどん取り上げてほしいものです。
さて、I・DA・TENが、一番好きな戦国武将は誰か??
以前にも、このブログでいろんな方を取り上げてきました。
関ヶ原で、小早川秀秋の裏切りを見抜いて、500の手勢で1万人以上の軍勢を3回跳ね返した
大谷吉継
徳川家に3戦2.5勝、0.5敗、1分け(I・DA・TENの解釈)した、
真田昌幸、信繁親子
この2人の戦いの歴史は、ミスター戦国時代の
立花道雪、宗茂親子
関ヶ原の時のどさくさで、天下まで狙っていた
黒田官兵衛
大坂夏の陣で、豊臣方なのに、ほとんど負けなかった
毛利勝永
関ヶ原の戦いで石田光成が挙兵した時に、わずか1800で40000を相手に13日間伏見城を守って、最期は62歳にして一騎打ちで果てた
鳥居元忠
東北の関ヶ原、長谷堂城の戦いで直江兼続と死闘を繰り広げ、大将自ら先頭に立って突撃した
最上義光
騎馬像は、日本のもので一番好き。(馬のポーズはほとんどフェラーリ)
いろいろありますが、やはり一番好きなのは地元の
伊達政宗ですかね。
真田信繁(幸村)と同世代のため、戦国時代の武将では一番若い世代。
関ヶ原に出陣したわけでもなく、イメージ先行で人気があるだけと言われてもおりますが、若かりし頃は東北各地で修羅場を潜り抜けてきており、7000の手勢で30000の敵を退ける人取橋の戦いや、蘆名氏との摺上原の戦い等、武勇もあります。
諸説ありますが、騎馬鉄砲隊や、スペインの無敵艦隊を呼ぼうとしていたとされる慶長遣欧使節の派遣など、かなり大胆なこともやりますし、秀吉に何度も抹殺されそうになったのを切り抜けた生命力。
徳川3代に仕えた政治力(でも機会あれば天下を狙っていたらしい)、62万石と言われていたが、実は100万石以上あったとされる経済手腕(100万石になったのは18世紀ですが)
江戸時代は、一国一城なのに外様であるにも関わらず2つの城を認められていた存在感。
そして本人の業績ではないもののダースベイダーのデザインに採用されたらしい甲冑なんかも面白い。
なんてったって、仙台の街の基礎を築いたんですから。
見習ったって、マネできるもんじゃございませんが、いろんな戦国武将調べてもやはり伊達政宗は個性的だなと感じます。
ちなみに、サンドイッチマンの伊達みきおさんは、伊達家ですが分家です。
グダグタ書きましたが、書いてる間はしばし暑さを忘れました。
本日はいじょ。
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Posted at
2018/07/19 23:57:06