製造を打ち切った部品が増え、34GTRの中古車価格がかなり上がったようだ。(ホンダS2000もそんな気がする)
価格変動の衝撃をイメージとして表すと、価格の横ばいからいきなりギャップアップでストップ高したような感じか。
つまりは、いったいどこまであがるのか?といった喜びなのか不安なのかよく分からない複雑に気持ちが入り混じった感じ、34バブルの様相を呈してきているのだろう。
そのような状況変化の中、今号の読者投稿のページ(リーダーズスタイル)には、第二世代オーナーが身近で率直に感じている気持ちが
に記載されている。
大阪のオーナーさんの投稿「第二世代を取り巻く環境おかしいと思いませんか」に、とてもうまく集約されていると思う。
特に、第二世代GTRの中古車価格の高騰傾向の原因はR35GTRとの価格ギャップにあるとの考察は同感で、
それは海外輸出要因のみならず、平均的な生活感覚としては「ちょっと頑張ったら・・・」という感覚を超えているところにも、
その原因の一端はあるように思う。
かつてはよく見られたR32からR33、R34への買い替えというような同級グレードの新型車への購入意欲の流れがR35には起き難くなっていると思うが、それはR35GTRはGTRと名はつくもののスカイラインの名は外されているところから見ても分かる通り、
初代GTRからのスカイラインとしてのコンセプトの流れは、やはりR34でもって終わったと見る方が自然なのだろう。
グローバルな視点でみれば富裕層とそれ以外という二極化の構造が進み、企業としてもそれに合わせたマーケティングを進めていくのが戦略の常識となっているのだと思う。
35GTRがスポーツカー需要の高い富裕層をメインターゲットとして開発・設定されているとは必ずしも思わないが、
企業意識の変化の中で取り残されたかのように悩ましく思う第二世代オーナーも少なくなのだろう。
もちろん日本においても格差が問題となってきており、主流をなしていて中間層の分布が今後どう変化していくのかはなんとも言えないところだが、そのような中で日本企業もグローバルスタンダードという実質的には偏ったスケールに合わせていく流れとなっているようだ。
(たとえば日産CEOの報酬についても国内では突出しているとか、世界標準であるとか毎年のように話題になりますよね)
グローバルな企業としては国内の事情や動向よりも標準を世界に合わせ、ますます「国内 < 世界」へと変化していくのかもしれない。
そして、その行き着く先は自動車の家電化(どれを買っても大差なし・壊れたら直すよりも買い換えたほうが得)のような気がしている。
もしそうなるとすれば、GTRという車は”愛着の持てる自動車”として最後の存在となるのだろう。
これからの時代、部品の足りなくなっていく状況を乗り越えるためにどうするか?
その対応策のひとつが今号で掲載のBFR・ブルーフォースレーシングのようなプライベータースタイルでの展開なんだと思う。
オーナー目線そのもののコンセプトにプラスして優れた技術を提供してもらえるのは、実に頼もしく嬉しい限り。
このような展開にならい、今後も業界内の有志で知恵を出しあったり、気の合うオーナー同士での情報交換、支え合っていく気運がますます高まっていけたらいいように思う。
製造廃止部品の多さは特に板金屋さん(ボディ修理)にはダメージが大きい。
外装部品、パネル類の供給があると無いとでは修理の方向性が全然違ってくる。
「限度を超えると、さすがに無理」とカナザワさんがコメントしているように、致命的と言っていいほどになっていくのかもしれない。
今のところは、まだストックしてある部品取り車のパネルを適宜切り取って使ったりすることによって凌いでいるようだが、
果たしてストックがいつまでもつのか・・。
作業のやり方次第にはなるだろうが、ある意味、妥協となってしまう修理もこれからは増えていくのだろう。
そうなった場合、どの程度でOKとするか、オーナー側に一段と寛容さが求められてくるのかもしれない。
とはいえ、そもそもボディ修理に限っては経験者の立場からすれば、極論、すべての修理は妥協策である、と言える。
それがうまく仕上がっているように見えるのは、元々のコンセプトの違いが大きいが、それだけでなく細かな詰めの部分の処理であったり、微妙な調整の加減であったりもする。
例えば、R32のサイドシルは腐食しやすい箇所であり、外観重視で進めていくのか、強度・耐久重視で進めていくのか・・・。
もちろん、その両立こそが理想ではある。
が、現実的には、その重視するパーセンテージは状況によって変えざるを得ないものであり、「それでベストなんだ」と言えばそうとも言えるし、
「それは妥協だろ」と言えばそう言えるような死角となる部分はどこかに見つけることはできるものだと思う。
僕のやってきた方法を振り返ってみても、もっと強度優先でやることもできたと思うし、使用材料を減らしたりのコストダウンもできたと思う。
特にドアの当たる部分などは補強パネルの枚数をさらに追加する余地はあったし、そうすれば、さらなる剛性アップにはなっていただろう。
(もし、今やるなら多分そういう方向でのバージョンアップをするだろう)
ただ、それと引き換えになるのは当時こだわっていたスポット溶接の打痕を残すことであり、場合によってはMIG埋めでの処置をせざるをえなくなっていたかもしれない。
それはトレードオフとしての美観の耐久ということを意味し、当然またその逆のパターンも考えられる。
でも、あらためて思うところはネガティブな側面、妥協点をどこに置いたかが作業上のポイントとなるということであり、
そのようなネガティブさを見極める判断能力次第によって完成具合に差が生まれてくるということのように思う。
今号において一番心に響いたのは、やはり「限度を超えると、さすがに無理」という言葉。
そこですぐに思い浮かんだのは、実業家ロッキー青木の古い本にかいてあった「ビジネスはノーから始まる」ということ。
(ロッキーがホテル王ヒルトンの出店要請を一度は断ったことによって、ヒルトンとの関係が逆にいい方向へと進んだことに基づくエピソード)
それは、断って終わる「ノー」もあれば、断って始まる「ノー」もあるということであり、
ノーと断ることによって、どうなるのか?
何か、そこから代わりのプランを考えていったり、歩みを近づけていくことはできないものか?
つまりは、無理=拒絶=終わり、と考えてしまうのは決めつけが過ぎるということなのだと思う。
一方で、僕自身を振り返ってみれば、カナザワさんが発したように「さすがに無理」と、
様々な場面で言えたなら人生全体がもっとラクだったろう。
それができなかった心理的な理由のひとつは、自分の弱さに向き合い、その隠れた気持ちを解放できなかったことにあると思うが、
「無理」と言えるということは自分を自分として生きるための基本の言葉であるとさえ今は思う。
それは、誰にも従属されず、また誰をも従属させないことを意味し、期待や犠牲といった相手をコントロールすることのない対等さと風通しの良い関係へとつながるのだろう。
わだかまりなくノーと言い合える関係になってこそ真の意味で親密な関係であるように思う。
なぜなら、そこから始まり、さらに深まっていくことができるのだから。
ノーと言うことはビジネスのみならず人づき合いの鍵となる言葉なんだと、今号の記事からあらためて気づかせてもらったように思う。
yoshi