子供の頃〜若い頃は漫画が大好きで、ジャンプやサンデー、マガジン、キング、チャンピオンなどの漫画雑誌は生活に欠かせず、気に入った作品の単行本が出ると書店に走ったものだった。部屋の本棚は勉強のための本などわずかで、巻の番号順に整然と並べられた漫画の単行本で埋め尽くされていた。漫画雑誌を買わなくなったのはいつの頃かあまり覚えていないが、大量の単行本に関しては結婚が決まったのを機に慌てて処分したのを覚えている。その後は仕事や子育てに忙しかったこともあって、ほとんど漫画を読むことはなくなった。どちらかというと子供たちに読み聞かせながら絵本の方を読むことが多くなった。
子供たちが小学校の高学年くらいになると彼ら自身が漫画を読み始め、たまにそれを借りて読んだりするようになった。子供たちの部屋の本棚に巻数順に整然と並べられた漫画の単行本を見ると、デジャブのようで微笑ましくも懐かしかったが、それでも、私自身はあまり熱心に読んだり自分で雑誌や単行本を買ったりすることはなく、あくまで子供たちのご相伴に預かる程度だった。
子供たちが高校生〜大学生くらいになると、自分が気に入った作品を「読め」と勧めてくるようになった。自分が読んだ漫画の感動を、親である私と共有したいと思ってくれるのはそれはそれで嬉しい事だし無下に断ることはできないので、あまり気が進まなくても、十数巻にも及ぶ長い話でも、何度か読み返さないと理解できないような難解な話でも、一生懸命に読んだ。子供たちから勧められる作品の多くは、読んだ後にアニメ化されて大人気になったりすることが多い。「弱虫ペダル」や「進撃の巨人」、「鬼滅の刃」などは人気に火がつく前から読んでいた。
で、どうして今、こんな漫画の話を書き込んでいるのかというと、先日たまたまYahoo!ニュースで「マンガ大賞2023」のノミネート作品が発表されたという記事を見たからだ。ノミネートされた11作品の中に、息子たちに勧められてすでに読んでいた漫画が2作品、入っていたのだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b7122c1f048cc1f1f68392696487cb95db68222
ひとつは「タコピーの原罪」、
もうひとつは「さよなら絵梨」。
この2作品、今まで子供たちに勧められて読んだ漫画の中でも、特にインパクトの強い作品だった。「タコピー」は上下2巻、「さよなら絵梨」は1巻のみ、どちらも短編なので気軽な気持ちで読み始めたが、まったく想定外の重たい話だった。
「さよなら絵梨」は息子が帰省した際に本を持参し、「読め」と渡されてリビングでお気楽に読み始めたが、話が進むにつれて引き込まれ、話が終盤に差し掛かると、もう涙が止まらなくて横でテレビを見ていた息子と妻に「そんなに泣く?」とドン引きされてしまった。
「タコピー」は勧められてからネットで電子版を購入し、ひとりでパソコンで読んだから良かったが、ひとりだっただけに外聞もなく号泣してしまって、読み終えた時には脱力状態だった。
あまりネタバレにならないようにちょっとだけざっくり紹介すると、「タコピー」はハッピー星から来た宇宙人で、地球で優しくしてくれた小学四年生の「しずかちゃん」を笑顔にしようと奮闘する。・・・こう書くと、まるで「ド○えもん」のような心温まる話かと思うかもしれないが、全然違う。読んだ人それぞれに捉え方はあると思うが、自分には「正義と不義」「善と悪」とは何なのか?それは何を基準に誰が決めるのか?ということを、小学生の立場を通して問いかけてくるような物語だと感じた。
「さよなら絵梨」は、現在アニメでも人気の「チェンソーマン」の作者の短編だ。実はチェンソーマンも息子から勧められて7巻か8巻くらいまで読んだけれど、つまらなくはないが正直自分にはあまり刺さらなくてその後続きは読んでいない。「さよなら絵梨」というタイトルだが、主人公は絵梨ではなく「優太」という少年だ。チェンソーマン同様にやや難解で分かりにくい描写も多いが、主人公の置かれている立場があまりにも悲しいのに、なぜか飄々(ひょうひょう)としているところなどもチェンソーマンの主人公に似ているかもしれない。
どちらも終始重たいストーリーで、エンディングにも救いが無い。「タコピー」の方が少しだけ希望が持てる終わり方になっているが、手放しにハッピーエンドと言える結末ではない。どちらも読み手の捉え方でさまざまな解釈ができると思うが、短編で読みやすい(あくまで〝時間と費用〟的な意味で。決して内容が〝読みやすい〟わけではない)ので、興味を持たれた方はぜひ一度読んでみてください。
Posted at 2023/01/26 17:04:45 | |
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