• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

めんまいとのブログ一覧

2019年10月02日 イイね!

ステーションワゴンの形を留めているが立派なクロスオーバーを務めたアヴァンシア

ステーションワゴンの形を留めているが立派なクロスオーバーを務めたアヴァンシアかつてのアコードエアロを連想させるような形状に整えた、ホンダ・アヴァンシア
現在では中国のみで活躍しているクロスオーバーSUV、ホンダ・アヴァンシアはステーションワゴン型の普通乗用車を果たしていて、その姿はまさにアコードエアロデッキ及び北米向けのアコードを連想させる。もちろん良い車だったと好評を受けてホンダの戦力になったが、登場した時期があまりに早すぎたため、日本国内ではたった1代で終了した。

日本での展開は、初代TA1/2/3/4型だけだったが、充実した構造を保っている

1999年に誕生したホンダ・アヴァンシアは北米仕様アコードを基に開発された国内専売車種で、エクステリアは5ドアステーションワゴンを留めていて、かつてホンダが手掛けていたアコードエアロデッキにも似ていた。ちなみにこのような形状はアーチキャビンフォルムと呼ばれ、厳密に言えばワゴンとは言えず、4ドアクラブデッキという呼び名が該当していた。それでも独特のスタイルを保っていたため、ステーションワゴンに近いハッチバック車、オペル・シグナムに大きな影響を与えたのだ。エンジンは直列4気筒またはV型6気筒のSOHCが使われ、駆動方式は前輪駆動・FFまたは4WDで、サスペンションは前方がダブルウィッシュボーン、後方が5リンク・ダブルウィッシュボーンとなる。ちなみにエンジンを含むパワートレインは、ホンダ・オデッセイと全く同じものである。

販売を終了した後は、ホンダの戦力となるミニバン・オデッセイに受け継がれた

アヴァンシアは2003年に終了したが、その後はホンダ自慢の上級ミニバン・オデッセイに受け継がれることとなり、こちらはクリエイティブ・ムーバーの趣旨を掲げて5代に渡って販売された。現在でもホンダの立派な戦力となっていて、最大で8人乗りは当たり前で、モーターで手助けを行うハイブリッドの要素が加わっている。そしてCOBBYによると、製造は日本ではなく中国の工場にも任せられ、何より堂々とした迫力ある姿を留めている。

アヴァンシア以外にも日産にはこれまでにも名車を世に送り出してきた

例え終わってしまっても、その勇ましい姿は中国仕様に整えられ、現地で展開している

終了して10年以上の年月が経った2016年に、ホンダ・アヴァンシアはもう一度復活して今度は中国で展開することを決めた。今度からはステーションワゴンではなくクロスオーバーSUVとなり、前回よりも堂々としたエクステリアを保ち、エンジンは直4 DOHC VTECターボ及び直4 DOHC VTECターボが使われ、トランスミッションは無段変速機・CTVまたは9速もあるATが組み合わされた。当然今の車で求められる安全装備にも抜かりなく、ABS、エアバッグを始め、自社独自の技術・Honda SENSINGを採用している。

肩を並べた姉妹車は、圧倒的な最高出力を発揮するK20Cエンジンが搭載されたUR-V

先ほど紹介した中国でのアヴァンシアは、日本に比べると大ヒットを記録して、今でも販売を継続している。それと肩を並べる姉妹車は、新型クロスオーバーSUVを留めたHONDA UR-Vで、こちらは最高出力272馬力、最大トルク370Nmを発揮できる4気筒VTECターボエンジン・K20C3エンジンが搭載され、外観もたくましくて強靭な印象が強いものとなっている。もちろんここでも9速オートマチックトランスミッションが搭載された。

現在中国で展開しているアヴァンシアは、自社の安全運転支援システムが加わっている

やっぱり車を運転する上では、優れた走行だけではなく危険から自分を守る安全装備も欠かせない。そして中国で活躍するアヴァンシアは独自の安全運転システム・Honda SENSINGが必ず備わっている。これは高性能のミリ波レーダーと単眼カメラが使われ、車両前方約60mまでの歩行者や対象物体の属性や大きさなどを識別していることを始め、衝突軽減ブレーキ ・CMBS、誤発進抑制機能、歩行者事故低減ステアリング、路外逸脱抑制機能、オートハイビーム、渋滞運転支援機能・トラフィックジャムアシストとなどがある、充実した機能が集結した。

自分の個性をはっきりと出すために、カスタムしても全然悪くない
これまで紹介してきたアヴァンシアは、そのまま走らせても十分にカッコいいが、やはり自分らしい車にするためにカスタマイズしても悪くない。その方法は、フロントやリア部分にエアロパーツを取りつける、タイヤホイールを凝ったデザインに変える、マフラーを迫力あるサウンドが出せるものに変える、車高調やヘッドランプを高性能なものに変えるなど、色々ある。

結論から言えば、ホンダの優れた技術が結集したステーションワゴンだった
日本では長続きせずに終了してしまったが、中国では燃えるように勢いを増しているホンダ・アヴァンシアは、自社独自の技術を惜しむことなくつぎ込んだ名車と言える。ステーションワゴンからクロスオーバーSUVに進化した過程は、非常に素晴らしいもので、やっぱりホンダの歴史にきちんと貢献したことが伺える。
Posted at 2019/10/02 10:29:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2019年09月13日 イイね!

残念ながら日本では展開していないが主に海外で広まっている日産自慢の名車

残念ながら日本では展開していないが主に海外で広まっている日産自慢の名車中国で生産され現地で展開しているパラディンは、モータースポーツでも圧倒的な走りを見せた
日産自動車が主に中国で展開しているSUV・パラディンは、中世ヨーロッパ諸国で一定の高位にある騎士を示す言葉が車名となっていて、製造も現地に構えた工場で行っている。ベースはD22型ダットサントラックで車体形状はエクステラとほぼ同じで、フロント回りのデザインはD22型フロンティア後期型に似ているが、エンジンは強い出力が可能な直列4気筒DOHC KA24DE型及びV型6気筒SOHC VG33E型を搭載され、前期型には5速MT、後期型には4速ATが組み合わされた。

日本よりもはるかに広い国で製造されているエクステラは、輝かしい賞を受け取った
ブラジル、アメリカ合衆国、中国の工場で製造されているエクステラは、D22型フロンティア(ダットサントラック)をベースとしていて、オフロードでの耐久性をより高めるためにラダーフレーム構造が採用された。室内空間も十分な容積が確保されていて、駆動方式は後輪駆動または4WDがあり、搭載するエンジンはV型6気筒 SOHC VG33E型、ルーツ式スーパーチャージャー装備のVG33ER型、直列4気筒 DOHC KA24DE型が使われた。この功績が認められ、2000年に北米トラック・オブ・ザ・イヤー及びモータートレンド スポーツユーティリティ・オブ・ザ・イヤーを受賞して、2001年にはアメリカ自動車協会 ニューカー・トラック購入ガイド トップカーに認定された。

日産の主力車種の一翼を担っているピックアップトラック・フロンティア
開拓された地域の最前線という意味の名前を持っていて、ピックアップトラックの形状を留めフロンティアは、北米などで生産され、オセアニアやヨーロッパ、南アフリカにも到達している。荷台は十分な大きさを確保していて、荷物を積んで運ぶのにふさわしく、エンジンはディーゼルもある直列4気筒と、V型6気筒が揃っていた。ちなみに生産はテネシー州・スマーナ工場から始まり、ブラジルパラナ州・ルノー工場にも任せられた。

オーストラリア市場で幅広く活躍して、ヨーロッパやアジアにも浸透したナバラ
日産・ダットサントラックは、オーストラリア市場に向けて同じ形状を留めたナバラを生産した。こちらもピックアップトラックの形状を成し遂げていて、エンジンは全て直列4気筒でガソリン2種、ディーゼル1種が用意され、しばらくするとヨーロッパやアジア各国にも行き届いたとCOBBY。こちらは商用車として使うこともでき、進化するにつれて強靭な印象が強くなった。

乗用だけではなく、荷物をたくさん積んで運ぶこともできるフルサイズバン・NV
北米で製造・販売する貨物及び乗用のフルサイズバンである、NV(エヌブイ)は、北米日産キャントン工場で生産され、人の役に立てるような車となった。こちらは日産初のフルサイズバンとなり、エンジンはV型6気筒またはV型8気筒が使われ、展開はアメリカ、カナダ、メキシコがほとんどだった。車を根底から支えるプラットフォームは大幅な改良を加えたF-Alphaプラットフォームが使われ、用途は主に貨物用の商用車となる。

どこから見ても勇ましい印象がはっきりと伝わってくるフルサイズSUV・アルマーダ
全長、車高、ホイールベースは満足のいく規模に整い、エンジンは5.6L V型8気筒となっているアルマーダは、乗車定員が最大7人まで可能で、全長に対してキャビン容積を最大限に採るため、エンジンをカウルに潜り込ませる設計を採用した。その迫力ある姿はアメリカ合衆国で重宝され、製造も現地に構えたテネシー州デカード工場、ミシシッピ州キャントン工場に任せられた。

たくましい外観を十分に表現したタイタンも、アメリカで活躍するピックアップトラック
ギリシャ神話に登場する巨人族の神から名前が付けられた、フルサイズピックアップトラックのタイタンは、いかにもたくましくて立派な構造をしていて、V型8気筒DOHC VK56DE型エンジンと、5速ATが組み合わされた。シカゴオートショーで紹介された時は誰もがその迫力に圧倒され、テキサス州を含む、アメリカ南部の中央部の州で高い売り上げを誇った。外観やエンジンが強靭なだけではなく、室内空間も広く確保していて、強靭な牽引能力も兼ね備えていて、乗り降りする時に開閉するドアが観音開きとなっているのも素晴らしい。これならアメリカの広い大地をどこまでも突き進めるに違いない。

アジア各国に向けて広まっているSUV・テラは、現地の要望にしっかりと応える
先ほど紹介したナバラをベースにして製造されたテラは、クロスカントリーSUVを果たしている。製造は中国及びタイの工場が受け持ち、展開は中国やフィリピンなどのアジア各国に行き届いた。エクステリアはどの角度から見ても迫力満点で、走る姿は勇ましくて颯爽としているのが伝わる。
Posted at 2019/09/13 13:57:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2019年09月11日 イイね!

日産が海外に向けて展開している小型乗用車・アルメーラは研鑽を惜しまなない

日産が海外に向けて展開している小型乗用車・アルメーラは研鑽を惜しまなないヨーロッパで広まった初代 N15型は、世界ラリー選手権にも出場した実績を持つ
主に海外で製造販売をしている小型乗用車・アルメーラは、ヨーロッパを中心に展開し、1.4リットルGA14DE型、1.6リットルGA16DE型ガソリンエンジン及び、2リットルCD20型ディーゼルエンジンが搭載されたセダン車だった。発売の起点はヨーロッパに当たり、国によってはハッチバックの形状も作られ、英国ラリー選手権・BRCや世界ラリー選手権・WRCのモータースポーツにも積極的に参加して、輝かしい成績を収めた。なお販売は日本国内にも行き届いたが、パルサーやラティオ、ブルーバードシルフィという名前で展開していた。ちなみに初代の活躍期間は、1995年から2000年までだった。

2代目 N16型になっても独自の麗しさは変わらず、強化したエンジンが加わった

2000年に2代目へと突入したアルメーラは、前回と同じ麗しさを保ちつつ、直列4気筒DOHCやディーゼルインタークーラーターボ、ディーゼル直噴ターボのエンジンが用意され、プラットフォームは日産・MSプラットフォームに変わり、形状、サスペンション、駆動方式、トランスミッションは前回と同じだった。さらには今回からパルサーという名前でオセアニアに、アルメーラクラシックという名前でロシアやウクライナにも進出した。なお展開はどんどん進み、中東諸国やラテンアメリカにも行き届いたのだ。

ハイブリッドの要素を加えてトールワゴンの形を留めた派生車・アルメーラティーノ
アルメーラは、MSプラットフォームを土台とした派生車種・アルメーラティーノも手掛けていた。こちらは普通乗用車のトールワゴンに分類され、最大で6人乗車が可能となる。日本ではティーノという名前で展開しており、モーターとエンジンとハイパーCVTを融合させたハイブリッドモデルもあるので、Design Zentrum Nordrhein Westfalen(ノルトライン=ヴェストファーレンデザインセンター)によるレッド・ドット・デザイン賞を受け取った。ちなみに製造はスペインのバルセロナにある日産モトール・イベリカ社ソナフランカ工場に任せられた。

ロシアやウクライナでは、アルメーラクラシックという名前で発売されていた

先ほど述べたように、ロシアやウクライナに進出したアルメーラは、アルメーラクラシックという名前で展開していた。こちらは従来よりも流麗さが加わっていて、QG15DEまたはQG16DE型の直列4気筒エンジンが使われ、フロントがマクファーソンストラット、リアがマルチリンクビームのサスペンションとなっている。

3代目 N17型になると、タイから始まってオーストラリア、中国、アメリカにも浸透した
とうとう2011年に3代目となったアルメーラは、タイで製造が開始され、翌年にはオーストラリアやマレーシアにも浸透した。今度からプラットフォームが日産・Vプラットフォームに変わり、形状がセダンのみに統一され、トランスミッションは5MT、4速AT、CVTが揃い、サスペンションはリア部分がトーションビームに変わった。最初は月に1,200台の販売目標を定めていたが、徐々に売れ行きが低迷していき、とうとうジリ貧に追いやられてしまった。しかしアメリカや中国に輸出して販売すると、月平均5,000台以上という安定した売り上げを実現して、V字回復を果たしたのだ。

日本国内での3代目アルメーラは、ラティオという名前で展開している
アルメーラそのものは日本では販売されていないが、名前を変えて進出した実績がある。そして3代目になった時はラティオという名前で販売され、直列3気筒のHR12DEエンジンと軽量化に優れたボディ、アイドリングストップ、副変速機構付CVTが融合したおかげで、平成27年度燃費基準+10%を達成したとCOBBY。残念ながら日本での展開は2012年から2016年までの間で終了してしまったが、他の国々では休むことなく活躍している。

日本ではティーダラティオとして販売されていたがシルフィも海外専売になる?

流麗な印象が強いB11型は、ロシアを中心としたヨーロッパで広まった
2012年にモスクワ国際モーターショーにて、ロシア向けアルメーラが紹介された。こちらはシルフィをベースにして構築されており、外観はヨーロッパ仕様のシルフィクラシックに似ているが、内装は専用のダッシュボードが与えられた極東地域向けとなっている。エンジンは最高出力102PSを発揮できる1.6リットル16バルブエンジンが使われ、トランスミッションは5速MTまたは4速ATとなり、欧州の安全基準に対応できるよう中央席ヘッドレスト及び3点式シートベルトが新設された。

今までをはるかに超える迫力を醸し出した、4代目 N18型は現在でも続いている

いくつもの研鑽を注いできたアルメーラは、2019年に4代目となり、プラットフォームが新開発のCMF-Cプラットフォームに、エンジンが直列4気筒1.6リットル HR16DEに進化して、大きさも一回り拡張した。その姿はまさに今までを凌駕していて、ものすごい迫力と感動を与える。


Posted at 2019/09/11 13:54:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2019年09月02日 イイね!

クーペ及びハッチバック型の自動車・ルキノは独自の精悍性を保っていた

クーペ及びハッチバック型の自動車・ルキノは独自の精悍性を保っていた2通りの形状で展開した日産・ルキノは、主に20代の若者をターゲットにしていた
1994年から2000年までの間で活躍した日産・ルキノは、クーペまたはハッチバックの形状を留めて、20代の若者を中心に人気を集めた。なお2ドアのルキノクーペはサニーをベースとしており、3ドアまたは5ドアがあるルキノハッチバックは、パルサーセリエをベースとしている。ちなみにハッチバックがクーペが誕生して1年が経った頃に登場した。さらに車名は、ギリシャ・ローマ神話に登場する誕生の女神「Lucina(ルキナ)」から来ている。

サニーをクーペに整えたような風貌を持つ、ルキノクーペFB / HB / JB14型
ルキノの原点はクーペから始まり、そのベースは大衆車であるサニーから来ている。クーペと言ってもセダンのカタチに近いオーソドックスなクーペスタイルを採用して、ホイールベースは2535mmにも及び、ドアは2つだけだが大人2人がゆったり乗れる後部座席もあり、エンジンは直列4気筒で105psの出力を可能にし、低燃費も実現した。駆動方式は前輪駆動・FFのみだがベーシックグレード以外は、ワンタッチパワーウインドウ&集中ドアロック、カセットステレオ、オゾンセーフエアコンなどが標準装備された。

N15型パルサーセリエをベースにした、ルキノハッチFN / FNN / HN / JN15型
1995年に加わったルキノハッチは、名前の通りハッチバックの形状を留めていている。こちらのベースはクーペ、セダン、ハッチバック、バンの種類があるパルサーから来ていて、排気量を増やす、ボディを拡張する、全幅を広げるといった設計を行った。全長は4140mmにも及び、トランスミッションは5速MTとOD付き4速ATが選択でき、駆動方式はFFと一部グレードでフルタイム4WDがあったとCOBBY。なおクーペ及びハッチは、どちらも1999年まで販売を継続した。

さらにルキノハッチには、通常とは一味異なるS-RV及びFも登場して販売されていた

先ほど紹介したルキノハッチには、通常では味わえない形状をしたアウトドアを意識した5ナンバーサイズの5ドアハッチバックモデル・S-RVもある。直列4気筒DOHCの2L(SR20DE)、1.8L(SR18DE)、1.6L(SR16VE)、1.5L(GA15DE)エンジンが使われ、駆動方式はフルタイム4WDのみだった。そして何より外観はスポーティーでたくましい印象が強い。

日産にはルキノだけではなく数多くの名車が存在する

名前を200SXに変えて、北米を中心に展開した海外仕様車にもなった実績がある
これまで紹介してきたルキノは、日本国内だけではなくアメリカ合衆国を中心に世界各国へと広まっていった。まずはクーペが1,597cc115馬力のGA16DE型エンジンと1,998cc140馬力のSR20DE型エンジンを搭載して、アメリカで200SXという名前で展開した。200SXと日本仕様車の違いは、ハンドル位置、大型化した前後バンパー、フォグランプ形状、ドアミラー、ヘッドランプ(ガラス製)、フロントサイドマーカーランプ、フロントグリル、ラジオアンテナ位置、メーター類、センターコンソールスイッチ位置、シガーソケット、内装生地が異なっていることが当てはまる。

ヨーロッパやオーストラリアでは、アルメーラという名前になって展開した
ルキノの展開はヨーロッパやオーストラリアにも浸透して、今度はアルメーラという名前で活躍した。形状は3ドアと5ドアの2種類があり、現地で求められるような仕様に整った。なお先ほど紹介したS-RVは国内専用車扱いで、海外では一切販売されなかった。

エンジン、安全面、サスペンションなどは、年数と共に改良を続けている
車を構成する上で欠かせない部品は、1,497cc105馬力のGA15DE型、1,838cc140馬力プレミアムガソリン仕様のHB14型、1,497cc105馬力のGA15DE型、1597cc120馬力のエンジンGA16DE型などのエンジンが揃い、サスペンションは基本的にVZ-R標準車と同様のものかスポーツタイプのものを使っていた。そして車を走らせる安全面は、世界各国で求められる基準をきちんと満たしていて、安心して車を運転できるように整っている。

耐久レースにも積極的に参加した後は、徐々に終わりに向かうこととなる
クーペやハッチバックの形状を揃えて、海外でも広まった日産・ルキノは、1997年になると専用のSR16VEエンジンやシリンダーヘッドを取り入れたハッチバック型のレース仕様車を開発して、スーパー耐久レースに出場した。この車は1,600ccクラス最強の200馬力を発揮してライバルを圧倒し、翌年には、細々とした改良を惜しむことなく注いだ、ハッチ3ドアにVZ-R・N1 Version2及び同レース仕様車がレースに参加した。ちなみにルキノハッチのレース仕様は、日産車の中でも非常に貴重な扱いとなっている。
Posted at 2019/09/02 13:56:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2019年08月30日 イイね!

一般向けの普通乗用車だけではなく公用車の役割も果たしていたセドリックセダン

一般向けの普通乗用車だけではなく公用車の役割も果たしていたセドリックセダン初代 30型系は、貴賓を運ぶのにふさわしいくらい立派なセダン車を務めていた
日産自動車自慢のセダンは、数多くあるが、その中の一つであるセドリックセダンは、独自の麗しい姿を保っていて、自家用車だけではなくタクシー、教習車、パトカー、ハイヤー、社用車、公用車などに使われることも多い。誕生してから休むことなく駆け抜けてきた道のりは長いもので、どの代でもずっと変わらない意思が受け継がれているのは素晴らしい。そして初代の誕生は1960年にさかのぼり、たった5年間の間でも改良すべき所を積極的に改良して、セドリックセダンの原点を果たした。

ヨーロピアンスタイルの要素を取り入れた2代目 130型系は、最上級グレードもある
初代が終わって間もない頃に、2代目のセドリックセダンが登場した。今度は直列6気筒L20型エンジンが搭載され、イタリアのデザイナーであるカロッツェリア・ピニンファリーナがデザインを手がけ、ヨーロッパ車のような風貌に整えたのが特徴。マイナーチェンジによって内外装が大幅に変わり、開閉可能だったリアドアの三角窓が固定式となり、1969年には最高級グレードとなるパワーステアリング・パワーウインドウを装備した「スペシャルGL」と「パーソナルDX」が加わった。そして1970年6月にニッサンマチック・フロアタイプを追加して2代目は終了する。

3代目 230型系から新たにハードトップモデルが加わり、グロリアと肩を並べた
とうとう3代目に突入することになったセドリックセダンは、新たにハードトップが加わってフロントドアの三角窓が廃止になり、、元プリンス自動車のグロリアと肩を並べる双子車になった。1973年には昭和48年排出ガス規制適合にも対応でき、セダンのリアターンシグナルランプはハードトップと同様にレンズの色がアンバーに変更され、独立して点滅するようになった。

グロリアシーマは「シーマ現象」を引き起こした名車

4代目 330型系からアメリカンスタイルのデザインに切り替わり、多くのTVドラマで使われた
セドリックセダンの発展は留まることを知らずにどんどんと続き、3代目が終わった1975年に4代目へと進んだ。2000ccのパワー不足を補うためEGI仕様のSGL-E/GL-Eを追加して、ガソリン車は51年排出ガス規制適合で331型に変わり、53年排出ガス規制適合/2000SGL-Eエクストラが加わった。

5代目 430型系に突入するとターボモデルが加わり、集中電子制御システムが採用された
大きな曲がり角を迎えて、ついに5代目へと突入することになった時は、ターボモデルが追加され、
L型エンジンをベースとした日本初の直列6気筒ディーゼルエンジンLD28及びECCS(エンジン集中電子制御システム)を搭載した。その後はマイナーチェンジが行われて後期型となり、電子制御OD付フルロックアップ4速ATの性能が格段に強くなった。そして1983年に5代目は終了する。

6代目 Y30型系は最後のフルラインナップを果たし、今までよりも大きな注目を集めた
やっと6代目まで到達したセドリックセダンは、今までのような直列6気筒のL型エンジンではなくV型6気筒のVGエンジンが搭載され、乗車定員が6人まで対応できるようになった。外観はセダンのみになり、貴賓を乗せて運ぶのにふさわしい印象に整った。ちなみにV型6気筒エンジンは馬力が180psに向上し、中南米で展開する時はメキシコに構えた工場に製造を任せることになった。ちなみにこの代の姉妹車は、高級車として肩を並べるグロリアセダンである。

日産が景気良かった時に誕生した。最後のモデル・7代目 Y31型系で有終の美を飾る

バブル経済の影響が強かった1987年に、7代目 Y31型系が誕生して、そこには今までをはるかに凌駕する装備が加えられた。この代から軸の回転数を示す計測器・タコメーターが登場し、より高級感が強くなったロイヤルリムジンが登場した。エンジンは6代目と同じV型6気筒がそのまま受け継がれ、マイナーチェンジによって電子制御5速オートマチックやインタークーラーが加わり、フルオートエアコン、リヤオーディオコントロールユニットなどを標準装備した。平成に切り替わった頃にはターボエンジンが廃止され、アンチロックブレーキシステム・ABS、運転席エアバッグが装備されてグリル、ヘッドランプ、バンパーのデザインが変更となった。1999年になると姉妹車のグロリアセダンが統合され、エンジンがRD28Eに切り替わり、海外輸出も終了となって、とうとうセドリックセダンは2002年に終了を迎えることになる。今改めて振り返ってみると、日産・セドリックセダンは、54年間も歴史を紡ぐことができたと感じる。

完全に終了した後は、同じセダン型乗用車を留めたブルーバードシルフィに受け継がれた
ずっと途切れることのなかったセドリックセダンは、同じくセダンの形を留めたシルフィに受け継がれた。こちらも日産が誇る名車で、日本ではブルーバードシルフィという名前で展開した。やっぱりどんな形状になっても、日産のセダン車らしさは捨てていない。
Posted at 2019/08/30 12:48:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記

プロフィール

「タイヤサイズの見方~ロードインデックス・速度記号を読み解くコツ http://cvw.jp/b/3159047/46943034/
何シテル?   05/08 12:04
車大好きめんまいとです。 好きなのにぜんぜん詳しくないので、自己満足の勉強を兼ねた日記になります。よろしくお願いします。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/5 >>

   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

愛車一覧

ホンダ N-WGN カスタム ホンダ N-WGN カスタム
ホンダ N-WGN カスタムに乗っている、国産車、外車、旧車問わず、車好き女子です。 好 ...

過去のブログ

2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation