日本最古の財閥系自動車メーカー、三菱自動車の歴史まとめ

2019年4月22日

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最近は日産・ルノー・三菱連合の一員として注目されている三菱自動車工業ですが、元々は三菱財閥の一員としてその歴史をスタートさせています。明治時代に始まった三菱自動車の歴史と、その時代における主要車種について説明していきます。

文明開化とともに花開いた海運会社がそのルーツ

三菱自動車は1870年(明治2年)に創業された海運会社「九十九商会」にそのルーツを持ちます。九十九商会は三菱合資会社、三菱造船となっていきますが、その三菱造船の神戸造船所で作られた三菱A型乗用車というモデルが三菱の名を持つ最初のクルマということになります。三菱A型乗用車は2.8リットルの直4エンジンをフロントに搭載するショーファーセダンで、ドライバーはハードトップ下、パッセンジャーはキャビンに乗るタイプとなります。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦を経て、1934年(昭和9年)に三菱造船はその名称を三菱重工業に変更。第二次世界大戦に突入し、1945年(昭和20年)に終戦を迎えます。終戦後、小型三輪トラック、ふそうバスの生産を再開します。1950年(昭和25年)には財閥解体により、三菱重工は3つに分割されます。東日本重工業(後の三菱日本重工)、中日本重工業(後の新三菱重工)、西日本重工業(後の三菱造船)の3社およびふそう自動車販売が設立されます。

戦後復興とジープが三菱自動車を復活させた

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1951年(昭和26年)には東日本重工にてヘンリーJ型乗用車の組立販売が始まります。また同年、中日本重工ではアメリカのウィリス社の間でジープのノックダウン組立契約を締結、1953年(昭和28年)。新三菱重工はジープのノックダウン組立を開始するとともに本社に自動車部を再設置します。三菱がジープを手がけることになったのは、警察予備隊(後の自衛隊)からの要望に応えたもので、三菱と国との密接な関係がうかがえます。

モータースポーツへの積極参戦と三菱自動車工業の誕生 そして日産との関係

1960年(昭和35年)になると新三菱重工が初の小型四輪車である三菱500を発売、翌年には軽四輪車の三菱360バン、三菱360ピックアップを発売、1962年(昭和36年)にはコルト600を発表するとともに岡崎にテストコースが完成。第9回マカオグランプリにおいて三菱500スーパーデラックスがクラス優勝を果たす。1964年(昭和39年)に第2回日本グランプリ自動車レースでコルト1000がクラス優勝、1966年(昭和41年)に第3回日本グランプリで「コルトフォーミュラ3A」優勝、1967年第4回日本グランプリ自動車レース・フォーミュラカーレースで「コルトIIA」が優勝、第2回オーストラリア・サザンクロスラリーで「コルト1000F」クラス優勝と、1960年代のモータースポーツでの活躍は実に輝かしいものでした。

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1970年には三菱自動車工業が設立されます。1973年に発売されたランサーが第8回オーストラリア・サザンクロスラリーで完全優勝を果たすと、翌1974年には東アフリカサファリラリーでもランサーが優勝を果たします。

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1982年(昭和57年)になるとクロカン4WDのパジェロが登場。

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1983年(昭和58年)にはパリ~ダカールラリー初出場のパジェロが無改造車クラス マラソンレースで優勝します。その後パジェロは1985年(昭和60年)にパリ~ダカールラリーで初の総合優勝、その後12回もの総合優勝を果たします。

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1987年(昭和62年)には6代目となるギャランを発売。

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このギャランのトップグレードには世界ラリー選手権(WRC)参戦を前提としたスポーツモデルVR-4を設定。 その後、WRC用マシンはランサーエボリューションへと受け継がれます。

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一方、電気自動車の開発にも積極的で、2006年(平成18年)には世界初の量産電気自動車となるi-MiEV(アイ・ミーブ)を発表。

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2009年(平成21年)からデリバリーが開始されています。2010年には日産と共同で軽自動車を開発、製造するNMKV社を設立。2016年には日産自動車が三菱自動車の株式を34%保有する単独筆頭株主となったことにより、同社はルノー・日産アライアンスの一員となりました。


(諸星陽一)

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