客先

　今日は仕事で、夕刻になってから或る客先へ出掛けた。
　場所は文京区の超高級住宅街の一角。後で知ったことだが、入居するには家賃というより、シティホテルの宿泊代のようなレヴェルの金額を要するマンションの一室がオフィスだった。


　入口はオートロックの機械警備ではなく、上品で物腰が柔らかい、それでいて怪しい侵入者への冷徹な監視を怠らない初老の女性管理人が待ち構えていて、訪問の趣旨を伝えると住人との約束があるかと切返される。
　まさかそんな高級マンションがオフィスだと思っていなかったし、担当の方がいらっしゃればお話しできればいいかぁなという程度の段取りで出てきたので、アポは取っていない。仕方なく、その場で携帯から電話を掛けた。

　たまたま担当者が在席で、訪問の意図がスムーズに伝わり入館OK。前出の女性管理人から渡された、「GUEST」と大書きされたバッジを胸に、オフィスとなっている一室へ向かった。


　通されたオフィスは無機的な事務スペースではなく、マホガニーの家具や本杢のテーブルに猫脚の椅子が並んでいる。高級マンションの1区画なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、余りに手が込んでいて日本離れした調度品の数々に面食らってしまった。



　私が禄を得ている建設業界も、ご多分に漏れず不況とデフレに苦しんできたが、中にはこのような環境で仕事をしている企業もあるのだ。
　その会社は、外資から導入された特殊技術で他社が真似できない製品を開発・供給している。業界全体が厳しい環境下にあっても、しっかり事業の足場を固めて利益を上げているのだろう。



　良い機会だったので長めに時間を頂戴して、バルコニーの眺望と格調高い調度品を愉しみながら打ち合わせを済ませ、礼を述べてオフィスを辞しバッジを外して退館。

　住人のものと思しきメルセデスやBMWが屯するエントランスを抜け、外に出るともう1700時を回っていた。
　強い西陽が照らしだす閑静な住宅街のなかを散歩しながら、今日の珍しい体験を反芻しつつ家路に就いた。