亡夫

　地元紙・埼玉新聞の記事から『夫死去…バス路線誘致に奔走　遺志継いだ妻、ルート案内を１万部作成』に注目。



　記事の主人公となった元富士見市役所職員の方、そしてご遺志を尊重して今回のパンフレット寄贈を成し遂げた奥方のお気持ちに、もしかしたら反してしまうことを恐れつつ、報道に触れた私は黒澤明監督・志村喬主演の傑作邦画「生きる」を連想してしまった。


　簡単に粗筋を述べれば、癌を患い余命幾ばくも無い自治体官吏が、公園開設を望む住民の請願へ真摯に耳を傾け、庁舎内外の妨害・反発・無気力と闘いながら残りの人生を賭し、とうとう事業を成し遂げる。
　真新しい公園のブランコで揺られながら、息を引き取るまでの人生最後の時間を過ごす志村喬の演技は、癒し難い孤独感・絶望感が痛々しい一方で、困難を乗り越えて公園開設に至った満足感・達成感が観る者へ熱を帯びて伝わる、名シーン中の名シーンとの誉れ高い。


　
　「生きる」のシチュエーションに準えて、富士見市役所の庁舎内が官僚的な形式主義や縄張り意識に支配されている……、などと批判するつもりはない。
　しかし誰もが為し得る仕事ではない、バスルートマップの企画・製作を個人(故人)任せにしておいて、その果実だけをタダで受け取り、美辞麗句を並び立てた市長の挨拶だけで済まそうとするのであれば、その実態は「生きる」劇中の市役所と何ら変わる所がない。
　

　税収や環境を大きく左右しかねない巨大商業施設へのアクセス改善は、公共性・公益性に鑑みて、明らかに市役所が主体的に関与すべき課題だ。

　また高齢化の進行で、自らハンドルを握って外出ができない老人は、今後も増え続ける。
　経済は縮小均衡状態が続き、マイカー購入への支出が儘ならない若年層は、当面解消されないだろう。
　そういった人々の生活を支える公共交通＝路線バス網の整備および利便性向上は喫緊の課題であり、個人のヴォランティア精神に依拠して済ませられる話ではない。



　個人的な経験から述べれば、旅行で初めて訪れる異国の街であろうと、バス始め公共交通の路線図を手にできたら、ほぼどこへでも安価かつ迅速に移動できる自信がある。
　ただし、そもそも路線図が整備されていない街も多く、仮にあったとしても、役所の窓口にしか置かれていなければ旅行者の立場では入手できず、役に立たない。


　
　バス路線網や時刻表は、いずれ変更・改正される。日の目を見たパンフレットも、早晩更新を迫られるだろう。今後のメンテナンスは市役所が引き取り、責任をもって改訂版を発行してもらいたいものだ。
　加えて一見の訪問客でも手にできるよう、発行部数を大幅に増やし鉄道駅にも常備してほしい。

　我が家では既にシミュレーションを済ませているが、万が一拙宅周辺の鉄道網がマヒした場合、「ららぽーと」発着のバス路線が運行されていれば、何とか自宅近くまで辿り着けるし、「ららぽーと」に留まって救援を待つこともできる。
　富士見市の公共交通網における「ハブ」だけでなく、周辺町村の帰宅困難者を支援する「災害対策の要」としても期待している。



　かつて交通を学問的に研究した者として、故人が成し遂げた仕事の偉大さを称賛するのと併せ、行政の積極的な関与を求めたい。