終戦記念日は、ほぼ毎年の行事でもあるのかなと思う。ある意味で鉄板ではあるのかな。
他に昭和の時代だと226事件の資料が見つかったなんて番組が毎年の2月26日に前後に放送されてた。
軍によるクーデーターなんですが、市民には直接的に影響しないので、それほど重要ではなかったような。その時の様子が百戦百勝という山種証券創業者の物語に書かれている。
ただね、8月15日をもって区切りがついたって感じなわけで、その後の10年分は考えないような気がする。
戦争に負けた、そして海外に出ていた多くの人たちが戻ってきた。それは、着の身着のままで国内になんの保証もない 裸一貫の世の中であった。
そういった中で多くの企業が創業してうまくいかずに撤退していった。そう、企業だけを見ていくとそうなんだけど戦争の渦中にいた人たちのその後に目を当てていく人は少ない。
終戦時に小学生だった子どもは、飢餓寸前の中で足りない教科書や先生とともに勉強して上の学校に進むかどうかの判断をして今に至っているのではないだろうか。
子どもは、それでいいかもだけど、子育てを担っている父母はもっと大変で廃材を寄せ集め雨風だけを防ぐバラック住まいのスタートから教育費を含めありとあらゆるルートで稼いだ金が流れ出る。
今朝の読売新聞に
藤原ていと新田次郎夫妻の戦後史が載っている。
姉に云わせるとカボチャは嫌いなんだそうな。たぶん、秋になると毎日がカボチャだったのかな。
戦後の苦労を支えた終戦時に二十歳前後だった人たちの苦労は計り知れない。戦争で矢面に立って苦労した上に平和になっても結婚して生まれた子どもなどの家族の(経済面での)面倒も見なければならない。
当時の女性の給料は安かったから、必然的に男の仕事ではあった。
仕事をしてタバコと酒。健康志向なんて云ってられない、とにかく稼がないといけない。なんとしても。
結果として男がまっさきに力尽きてしまうわけで・・・・ウチの親父殿は、60歳で亡くなった。ウチの母上は、その後にハワイまで行ったとか。
でもね。若い頃の話は全然しなかった。それなりの苦労があったんだろうなぁと思いを馳せるくらい。なにしろ、終戦記念日あたりが18歳。昔の定番的フレーズだと
「鬼も拾八番茶も出花」ってやつで妙齢真っ最中でしたっけ。
今の90歳から80歳あたりは、そういった苦労の世代だから「たいへんやったね」って見てあげてほしい。
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Posted at
2025/08/16 18:13:39