秋の長雨──
この言葉には不思議な気配がある。
梅雨の雨が,芽吹きの匂いを放つなら…
秋の長雨は,旅立ちと到来の匂いを含んでいる。
夏の名残を纏(まと)った空気と,北から忍び寄る秋の冷気。
その二つが出会い,やわらかく身を横たえるのが秋雨前線だ。
不快に思える雨も,四季の芸術家のように音や色彩を連れてくる。
傘を叩く雨音は懐かしい調べ。
街路樹の水滴は,さながら小さな宝石に変わる。
渡り鳥が空を塗り替え,しとしとと降る雨粒が時の足音を刻むあいだ,私はその景色を楽しんでいる。
夏と秋を繋ぐこの一筋の境界線は,季節の気配を告げる手紙。
頬をかすめる風の冷たさも,その手紙の余白に書かれたメッセージなのかもしれないな…
セブンに電源ソケットを増設した。
正直,少し抵抗があった。
このクルマに余計なものを付けるのは,和服にワッペンを貼るような気がしてならない。
走ることだけに特化し,ストイックに削ぎ落とされたマシン。
まさにそれこそがセブンの哲学であり,私がこのクルマに惚れ込んだ理由でもある。
けれど,時代は変わった。
指を舐めてめくっていた道路地図は,今やスマホナビをフリック&ピンチ。
ナビの音声案内を聞くための骨伝導イヤホンも,耳を塞がず安心・コードレスでスマート―――のはずが…
あと少しで目的地というときに限って「バッテリーが残りわずかです」と,ささやいて沈黙する。
有史以来,火を点けていたタバコも電子タバコの時代へ。
百円ライターは握って温めれば復活したが,電子タバコはバッテリーが切れたら,ただの棒。
みんな,便利の皮をかぶった恩知らずな奴らである。
そんなわけで,ついに,あの禁断のアイテムをポチってしまった。
電源ソケット―――すなわち,それは魅惑のエレクトリカルパレードの入口で…
ハイテク文明とセブンとの間に,とうとう回路を繋げてしまったのだ。
最初は,スマホの充電だけのつもりだった。
しかし,気づけばケーブルが増え,コクピットは小さな充電サービスセンター。
文明はそっと入り込み,そして居座る。
だが…それでもアクセルを踏めば風は吹く。
風の中では,電気もコードも関係ない。
今日もセブンは,ただ先を目指す。
―――かすかな電流に支えられながら。
今年から,免許証はマイナンバーカードと一体化できるようになった。
便利そうだが,パチンコ屋に置き忘れたら,財布どころか人生ごと盗まれてしまう。
愛人にさえ明かしていない秘密まで,ギュッと詰まったマイナ免許証。
マジックミラーの試着室で,パンツの柄を店員さんに見られるぐらいの勇気と覚悟が必要だ。
しかし,制度がどう進化しても,免許証で一番の問題はそこじゃない―――写真写りである。
なぜだろう?
前日に散髪に行き,当日はネクタイ姿で挑んでも,出来上がった写真は必ず「オーディションを受けに来た犯人役」の顔になる。
友人に見せると「これ,お前のお父さん?」と言われたことさえある。
いやいや,いくら自分が歳とっても,ここまでひどくならないだろう。
そして運転免許センターでは,今日もそんな顔が量産されている。
写真撮影,視力検査などが終われば,あとは受講するだけだ。
受付のお姉さんは,目から下だけが笑顔で,行列を罪状に応じて各々の講習室へ送り込んでいく。
ゴールド組の講習室からは,軽やかな笑い声と共に,閑談が漏れてくるが…
違反組は「なぜここにいるのか?」と自問自答を繰り返し,笑えない講師の冗談に愛想笑いを浮かべながら,終了時間ばかりを気にしている。
受刑者が,面会に来た両親とガラス越しに座るような居心地の悪さだ。
結局マイナ免許証になっても,便利になるのは制度だけ。
写真写りも違反講習も,何ひとつ改善されていない。
これが政府の推進する行政DX(デジタル・トランスフォーメーション)の限界かもしれないな。
それならば,次こそは必ずゴールドを目指そう!
だが,そう思い続けて何十年も経った。
3年に1回の誓いも,そのうち「高齢者講習」のハガキ1枚で,終止符が打たれる気がしてならない。
ペーパームーンという言葉がある。
よく耳にする言葉だが,今ひとつ意味が分からない。
舞台などで,天井から糸にぶら下がった薄い月を,ペーパームーンという。
どこかの映画会社の本編が始まる前に,三日月に座って釣りをする少年がいるが,あれがそうである。
または直訳に近いが,夜空でなく昼間の青空を背景に,透けた紙のような月を指す場合もあるようだ。
何が本当かよく分からないが,どちらかと言えば私は後者の解釈が好きだ。
その言葉の美しい響きは,むしろその方が合っていると思う。
今朝の月はペーパームーンだった。
季節は二十四節気の白露。七十二候だと玄鳥去や,じきに鴻雁来といったところだ。
すなわち,暦の上では燕が南へ帰って行き,雁が北から飛来し始めるころ。
温暖化とはいえ,朝夕の空気には澄んだ気配がまじり始めた。
もう秋が,そこまで近づいて来ている…
最終回のエンドロールに,胸が震えた。
この夏,苦境に立たされるフジテレビが放った奥の手は『北の国から』の再放送だった。
フジテレビは,ドル箱コンテンツの投入で,巻き返しを図る。
私は,まんまとその罠に嵌(はま)り…
録り溜めた物語に時を忘れ,次の回,また次の回へと心を奪われていった。
通常エンドロールは,主役を筆頭にキャストから始まり,制作スタッフなどを経て,最後に監督で終わる。
しかし,『北の国から』は,プロデューサー・演出・主役さえも序列を排し,キャスト・スタッフの関係なく,平等に五十音順で流れる。
これは,原作者倉本聰の意向で,「誰一人欠けても作品は成立しない」という思想の表れと言われている。
これが,作中の大自然を相手に,支え合って生きる人々の営みと重なり,目頭が熱くなったのだ。
実は,この国民的ドラマ『北の国から』を観るのは,今回が初めてだった。
このドラマを放映していた当時(1981),私はあえて観ていない。
それは,思春期にありがちな,父親への反発からだった。
父は事あるごとに,ふるさと北海道の美しさや厳しさ,人々の絆や温かさを語っていた。
それはまさに,ドラマの舞台となった富良野のある空知地方での思い出だ。
主人公の父・五郎(田中邦衛)に連れられ,東京から移って来たふたりの兄妹,純(吉岡秀隆)と螢(中嶋朋子)。
私は,彼らのように田舎を知らない戸惑いや,風光明媚な大自然に嫉妬していたのだと思う。
それらがごちゃ混ぜになり,故郷を熱心に語る父にわざと背を向けた。
時は流れ,わだかまりの消えた私は,最後まで見入っていた。
都会では想像すらできない暮らしがあることを,私は知っている。
父から繰り返し聞かされていたからだ。
画面に映る人々の息づかいが,あの頃の父の声と重なり,胸に迫った。
そして最終回のエンドロール。
五十音順に現れては消えていく無数の名前が,父の語っていた故郷の景色を呼び覚ます。
吹雪に耐える家並み,夜空にきらめく星,春を告げる大地の匂い。
すべてが父の思い出とひとつになり,私は涙を抑え切れなかった。
来週は,父の命日だ。
あのとき背を向けていた私が,今ようやく父の言葉に耳を澄まし,遅すぎる返事をしている。
エンドロールに流れる挿入歌は,まるで父への鎮魂歌のように思えた。
ありがとう,父さん。
※タイトル画像は,昨年訪れた花々に抱かれる美瑛。
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