2013年04月28日
人間の3色型色覚は、赤外線より内側から紫外線の内側までを、色として認識していることになっています。図でいうと下記です。色として認識できる、見える、だから「可視光線」です。その周波数の範囲だけ、反応するセンサー標準装備が、人間だってことです。
赤外線 IーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーI 紫外線
赤 ー 緑 ー 青
厳密には違うけど、まぁわかりやすくこんなものだと思ってください。破線の範囲は、赤緑青の組み合わせです。図のようにはっきり別れているわけではないです。
ここで「原色」の意味が重要になります。
「原色の組み合わせで出来る色」という理解が、重要となります。
人間の目は、このセンサーの組み合わせのみを、あたかも現実として脳みそが加工処理して、空間を作り出す、という事実です。
言ってみれば、人間型RGB仮想空間でしかないのです。
繰り返します。私たちがいる三次元空間にある光は、実はこの三原色の組み合わせでできているわけではないという事実です。私たちが認識できるのが、「この三原色の組み合わせとしての形だけ」であるというだけなのです。
人間のこのRGB光センサーは、光エリアの波長を色として脳みそが認識するという、それだけの結果なのですね。
では、4色型色覚だとどうなると予想できるか? 先の脳の経験的発達の話の通り、これは多い方から少ない方への説明のしようがないのです。
例えば私たち3色型視覚ものが、2色型色覚を理解したり、白黒の色覚を理解することはできます。しかし、その逆は出来ないんです。見たこともない色など、理解自体が出来ないのです。4色型色覚を持つ人は、4元色を理解し、一般の人間には、見たことも、想像すらも正確にはできないだろう新しい色の組み合わせとして物理世界を認識されるだろう、という予想ができます。
同じ可視光線の周波数な内ですら、上記の通りでしょう。人間にとっての可視光線外までも視覚として認識できるとしたら、もしその範囲にも色がつくことになるとしたら、それが全部可視光線の範囲になってきます。
周波数が上がっていくと、ものを素通りするようになりますよね。X線とか。
X線を目に見える形にするから、X線写真があるわけですから、この時点で可視光線の周波数範囲へマッピング作業がされていることになります。人間の目に見えるようにうるためです。この処理なくして、脳が映像を捉えるとしたら、マッピング処理されずに、そのままを見ることになったら?もっと高機能で、可視光線の範囲を任意に変更できる脳を持つことができたら?
この現実世界は、視覚空間的には壁は素通りするし、身体なんてなくなってしまうかもしれません。
PS
視覚だけにポイントを当てて書いてきましたが、例えば「触覚」なんてものを人間が持ち合わせていなかったら?または、持ち合わせていても、それを認識できる脳がなかったら?
可視光線を色として認識し、触覚で実在を感じているのなら、目をつむって下さい。真っ暗な中でです。
触覚は、全くないとして下さい。
地面からの押し返しも感じられません。触覚がないのだから、感じ様がありません。一体何が存在しますか?
意識? 最後に残るのは、意識?
でも、意識+潜在意識+無意識を100とすると、意識は10%ないと言われています。6パーセントとか。
だいたい、ありもしないかもしれない色を、周波数から可視光線として脳が勝手に描いているとすれば、その考え方を触覚にも展開すれば、ものがあると感じているその空間の理解自体が変わって来るでしょう?
PS2
もし、人間型センサーで知ることができるホワイトマター以外を感知できたら?
何もないと思っている空間に、何かあることになりますよね。
PS3
人間と全く同じ視覚センサーを持つ貝が発見されています。RGBの視覚センサーを持ち、人間の目の構造と全く同じ機構全て持っているのです。驚くべく事実です。
もっと驚くのは、この貝、その視覚センサーから送られる信号を受ける脳みそが全くないのです。何も見ていないのですよ!、人間のようには。
PS4
もし隣の人の緑色視覚センサーのマッピングが、脳内で赤色視覚センサーに対してマッピングされていたとしたら? 同時に、全ての視覚センサーマッピングが、通常と異なっていたら、その人は信号機を読み違え、事故を起こしますか?
起こしませんよね! その人にとっての赤は赤。緑は緑だからです。
PS5
この辺でやめておきますねっw
Posted at 2013/04/28 13:51:13 | |
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2013年04月28日
朔日に導入部で少しは繋がりやすくなったとオススメ思いますので、本題である簡単な補足を。
一昨日?の4色型色覚、・・・・、 ・・・・12色型色覚、のような 多色型色覚ですが、「共感覚」のようなことが起きてないという仮定、すなわち脳みその構造が同じだったとして、下記のイメージになります。
まず、一般的な人間ですが、3色型色覚です。
RGBですね。Red Green Blue。 赤 緑 青。
人間が眼球内に物理的に3種類の独立した光センサーを持っていて、その色の組み合わせ及び光の強弱を脳に伝え、三次元を光の空間として実在するように見せている、ということになっています。左目センサーからの入力信号及びそれを処理する脳の部分、右目センサーからの入力信号及びそれを処理する脳の部分、この両者を合わせて、本来平面信号である二つの信号を処理して、「擬似三次元空間」を目の前にあるように再現する脳の処理。これらを正常な視覚信号処理ということになっているわけです。
だから、この理屈を少しひねると、センサーが全く正常に動作していても、脳側の処理方法が異なれば、空間は別のものになるということです。
こういう実験があります。生まれたばかりの子猫に目を空いてから最初の一月間一般的な外の風景を一切見せません。その代わりに、360度の一切が地球の重力に対して横方向の線しか存在しない空間に入れ、時間を過ごさせます。同様に縦の線しかない空間に入れて時間を過ごさせます。
これは、どういう実験かというと、光信号入力である視覚が正常に機能している(センサーが正常に機能している)のに、それを処理する脳の発達時期に脳はどのようなマッピングをするか、というものです。
どうなると思いますか?
その猫は、一生を通して、縦線か横線しか把握できなくなるのです。視覚センサーは正常なのにです。見えているもの全てには反応しなくなるのです。
それが、その猫の三次元世界になります。先のモーツァルトの例のように、ハードとしての脳のマッピングが普通と違う場合の例ですね。
脳科学というよりも、心理学的なケースもあります。
美術史にサンゼント輝く、ゴッホやムンクの歪んだ空間図は、見るものに強烈な印象を与えますが、このお二人、実際ああいう風に見えていたのではないか?、という話があります。
もしそうなら、これらの前提を元に、今あなたが見ている目の前のコーヒーカップ。彼らが描くとイキナリひん曲がっちゃうのは、彼らどこ見ても、道歩いてても、恋人の顔見てても、ああいう風に見えていた可能性もあります。
あくまでも空間認識の話ですよ。芸術家としての、筆力の話ではないです。
で、話を戻して、多色型色覚。
ブログ分けます
Posted at 2013/04/28 13:27:02 | |
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2013年04月28日
昨日の「多色型色覚」の話が分かりにくい方も多かろうと、補足記事をアップしようと思ったのですがそれをもっと分かりやすくするために、導入記事を短く。
「共感覚」という単語をご存知でしょうか?
昨日のブログで、もし人間のRGB色覚センサーが一般的に正常と言われる範囲で動作していても、脳の処理方法が異なれば、この見ている空間は異なって見える。そして、正常と言われている脳の処理方法だって、人間としての多数派を正常と言っているだけだから、実際の世界は私たちが見ていると思っている世界とは、全く違うかもしれない、と申し上げました。
実は、これ、実在する例が人間の中にもあるんです。
「共感覚」といいます。
例は各々異なるのですが、視覚の話ですので、視覚の範囲で興味深い例を。
ヴォルフガングモーツァルト。 あのモーツァルトです。彼は、もちろん天才なのですが、実は共感覚の疑いがあります。視覚と聴覚の脳内マッピングが、どうも一般的ではなかったと。
これを仮定したある科学者が、様々な有名な作曲家の作品とモーツァルトの作品との違いを光のスペクトラムとしてマッピングし直したんです。
すると、どうなったと思います?
モーツァルトの作品は、音が光の重なりとして、美しい光の重なりとして、現れるのです。本来音のダンスである音楽が、光の美しいダンスとして現れ、和音が(様々な光の色)が重なり、クライマックスでは、神々しく輝くのだそうです。
すなわち、音を光として感じる部分を持った脳の人物だったと仮定しないと説明がつかない。
普通の作曲家は、天才であっても、音を音として認識し、音を音として輝かせます。モーツァルトは、美しく視覚的に光り輝くように、音符を重ねて行ったアプローチをとっていた可能性があるのです。
すると、モーツァルトは、普段の生活レベルに支障を来たさない、もしくはそれを他人には気付かせないレベルではあったけれど、普通の人々とは同じ空間を見れていなかった顕著な例であったかもしれません。
センサーのマッピングが、異なるというのはこう理解していただくと、一例ですが、少しわかりやすくなりましたでしょうか?
すなわち、その逆の共感覚も存在し、RGB視覚センサーからの信号が音に変換されることもあります。視覚が味覚である味にも、嗅覚であるにおいにも、変換される場合もあるのです。色を見て、味を感じたことはありませんか?あれのマッピング版ですね。共感覚って、本物の共感覚も心理的共感覚もどきも結構例があるのです。
であるならば、共感覚という大きなマッピング違いまでいかない、RGB内での誤差など日常茶飯事だと推測できませんか?
隣人が見ている色の世界は、あなたとは異なる可能性です。
では、空間認識センサーは??
さて、では、元々書こうと思ったブログの補足は後ほど。
PS
たぶん、(証明はできませんが)、ピンの右目と左目で見る色の差はマッピングが微妙にずれているんだと。。。要するにピンは、目を閉じたりする組み合わせで、世の中が三種類でみえるんですよ。
右目だけで見える世界。左目だけで見える世界。両目で見える世界。これね、脳の処理が微妙に違うんです。
Posted at 2013/04/28 01:25:04 | |
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2013年04月28日
ミステリー劇場みたいなお話
今日は、この一週間で三つ目の手術をしに病院に行きました。あと先日摘出したグルグリの組織検査の結果を聞きに。
まず、組織検査の結果。
戻って来てませんでした。。。。
一瞬で会話が終わってしまったので、先生に「そしたら、早速次のグルグリ取りましょう!」とお願い。
場所はというと、左手の先前腕の丁度真ん中当たり。 先日に表現を使うと、日本からアルゼンチンへ行って台湾当たりに戻ってきたって感じかな。
先生も今日暇だし「やるか!」って事になって、簡易手術室へ移動。
先日の気絶があるから「君にはもうリアルタイムライブは見せないよっ!」と先生。
ベッドに横になって、腕まくって、腕裏返して、局所麻酔の注射。
さて麻酔効いたかな、「これ感じるかい?」「全然」「よーし切るぞーっ」。
すると、「おぇ?グリグリ消えちゃったぞ」とのたまう。「どこにもグリグリ感じないでしょ?」
「だって麻酔したじゃん」「麻酔したから痺れてグリグリ触られてもわからない。当然でしょ」
「うーん。。。これからどうして欲しい?」
「意味わかんないんですけど。手術して欲しいっす」
「無い物は取れないじゃん」
「だから感じないだけだってば。20年近くそこにあったものだよ。さっき先生も一緒に確認したじゃん」「とっとと切って取り出してまた見せてよ。楽しみにしているんだからー」
「だから無いんだって」「自分で触ってみていいよ」
触ってみる。「あれれー?」本当に消えてる。
「ね、ないだろう?!」
「仰っていることが今わかったっす」
一瞬の沈黙の後。。。
「じゃ今日の手術は終了ってことで」
「まってよ、まって」「切っていいから、予定通り決めた場所切って下さいな」
「切らずにすめば切らないで済まそう」「実際もうないんだからさ」
「切らずにすむことも、せっかく麻酔までしたんだから切って済まして欲しいですよ」「実際一分前まであったんだから、開けてみればきっとあるよー」
「引っ込むものじゃないから、やっぱり無くなっちゃったんだよ」「じゃ、こうしよう。もし後日戻ってきたらまた手術しよう」
犯人がいなければ確かに捕まえられないってのはわかるけど。。。 要するに、犯人は現場に戻るの手術版か?
しかし、いったいどこに行ったんだ?まるで手品だ。スーパーマジックだ。イリュージョンだ。
ミスターマリックだ。
PS
実際この先生、マリック(本名)って名前です。結局 ハンドパワーかよっ。ドクターマリック。名前負けしてないぞ!
Posted at 2013/04/28 00:35:07 | |
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2013年04月26日
実をいうと、たった今投稿した気絶した手術のまさに次の日、もう一個手術をしに同じ病院に行った。別に、気絶をしたくて行った訳じゃないwww
前日の気絶手術の横で、別の先生が別の患者に手術をしていたのだけど、その先生が俺の局所麻酔が効くまでの俺と俺の先生の会話を聞いていた。
「ねぇ先生。今日はこの指の手術するわけだけど、実は俺別にもっと気になっているものがあるんだ」
「なになに?」
俺は右足のズボンを大きくめくって
「この膝の後ろ触って見て。グリグリがあるでしょ。これ取ってくれない?」
この会話を聞いてた隣の医者が、
「それは是非僕にやらせてくれない? そういうの好きなんだ!明日消毒に来るでしょう?その時に自分のところに寄ってよ」
という話になった。
で、俺としては、単に事前検診のつもりでお邪魔したんだ。
上機嫌で待っているそのお医者様に会うと、グリグリを少し触った後に
「じゃ始めようか!」って言う。
「はい?」
「取りたいんでしょう?」
「でも昨日手術したばかり」
「場所違うじゃん。昨日は左手の先。今日は、右足の先。体の逆じゃん。十分離れてる!」
「それって、そういうものなの?日本とアルゼンチン?」
「そそ、ヘイキヘイキ!」
で、手術室へ。
診察室から出たら、さっき迄会ってた昨日の先生ともう一度あって、
「おっ、今から早速?今日はうつ伏せだから手術見れないジャン」
なんて言われる始末。
昨日と同じ簡易手術室へ行くとこれまた昨日の看護師たちが全く同じメンバー。
「モドッタよー!」と言ってやったら、ひどく受けてた。
麻酔が効くまでの間、どこのレストランが美味しだとかやたら教えてくれるw
まぁ、そんなこんなでえらく簡単にグルグリ摘出完了。切り始めてから全部で五分程度? 本当に丸いものが出て来た。全く想像していたものと見た目は一致。
土曜日に摘出物の内容チェック結果を聞けることになってます。
Posted at 2013/04/26 01:45:10 | |
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