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2021年06月16日 イイね!

輜重

輜重 全国紙・毎日新聞のニュースサイトから『スタジアム用地から軍事施設跡見つかる 最大級の被爆遺構 広島』に注目。

 私が社会人生活のキックオフを遂げた地・広島の話題。
 以前から市内中心部への移転・再整備が検討されていたサッカースタジアムの建設予定地で、旧軍の大規模遺構が発掘されたとの報。

 輜重(しちょう)とは、軍隊や旅行者が持ち運ぶ物資や荷物のことで、輜重隊とは現在の軍隊で云うところの補給隊に相当する。
 最前線で華々しい武勲を挙げる部隊ではないため、配属を忌避する者が続出したり、配属者は陸軍大学校へ進めない時期があったりと、旧軍の中では格下に見られていたとされる。
 兵站を軽んじた結果、我が国は拡大し切った支配地域を維持できないどころか、全ての植民地と沖縄・北方領土・太平洋の島々を喪失して敗北に追い込まれた。
 軍組織のなかで差別され、貧弱な武装しか与えられずに敵陣突破を強いられ、戦争の最後に原爆で灼かれた輜重兵の無念は、察するに余りある。

 可能な限り広く・多く遺跡を保全して、輜重隊の歴史と併せて公開を進めてもらいたい。



 私個人として、このエリアで思い浮かべるのは「原爆スラム」である。
 記事中では「簡易住宅」などとキレイな表現をしているが、何のことは無い、掘っ立て小屋のスラム街が広がり、戦後長くこのエリアを不法に占拠していた。
 治安上や防災上の懸念から、行政はスラム街の撤去を強力に推進。住人には北隣に整備した基町アパートに転居してもらい、下った先の原爆ドームまでの旧太田川(本川)左岸に護岸公園を、陸地にはスタジアム建設現場となった中央公園や公共施設群を、それぞれ整備して現在に至る。

 護岸公園(太田川基町護岸)は、川の流れに沿った緩やかなカーヴを描き、江戸時代に設置された石造りの制水工(水流を穏やかにして堤防の侵食を防ぐ構造物)や、武家屋敷の川側玄関口だった雁木を模した親水護岸を整備している。
 広島が辿った歴史的な景観を維持しつつ、堤防の嵩上げなど治水対策を両立させた先駆的な事例として、土木関係者の間で高く評価されている。


 ただ、余りに美しく機能的に整備されてしまったがために、「原爆スラム」の歴史がすっぽり抜け落ちてしまったようにも思う。
 顧みるに、広島で古くから暮らす人々にとっては、余り触れてほしくない暗部なのかもしれない。私と交流があった人の中には、あのエリアの話になると眉を顰め、「原爆スラム」で暮らした住人が移り住んだ基町アパートをして、市街地至近の優良な公営住宅として運営され住民の多くが入れ替わっているにも関わらず、バラックの印象から脱し切れぬまま「ガラが悪いけん、よう近寄らん」と言い切る人もいた。


 基町を東西に貫く城南通りの空鞘(そらさや)橋上流側、ちょうどスタジアムが建設される場所の川岸に、かつて大きなポプラの樹が立っていた。
 戦前の写真等には記録されていないので被爆樹木ではなく、戦後復興に際し緑化推進事業の一環として、原爆スラムを含む一帯の住民の配られた苗木が、河川敷に植えられて大きく育ったらしい。
 河川管理の上で、余りに大きく育った樹木は洪水時に流出して橋を破壊したり、海へ流れ出て船舶の航行に支障したりするため、好ましいものではない。
 しかし、そのポプラは地元住民に愛される地域のシンボルとして、また景観を構成する大きな要素の一つとして基町護岸整備事業で保護され、継続的に手が入れられてきた。

 だが高潮と強風で安芸の宮島を破壊した2004(平成16)年の台風18号・ソングダーに伴う、太田川水系の大出水で倒木。傷んだ枝を落とすなどして懸命の処置を施し、再度建植されたが、高潮に因る塩害など厳しい環境に耐え切れず枯死し2008(平成20)年に伐採。代わって若芽から苗を育てた2代目が隣接地に植えられ、11mの高さにまで育ったが白紋羽病に罹り5年ほどで枯死。現在は更に別の若芽から育てた3代目が、2代目の樹高を超えて成長を続けている。


 ほぼ唯一といっていい「原爆スラム」の遺物が、このポプラである。
 斃れても枯れても、若芽を吹き出し続け、今なお命を繋ぐ。

 成長がとても速く、数年で見上げるような樹高に達する。
 戦後、長足の復興と成長を果たした広島、そして日本の姿と重なって見えはしないか。
 そして「原爆スラム」で過ごした人々の歴史は、他の誰でもない私たちの歴史である。


 スタジアム整備と並行して、冒頭記事で報じられた帝國陸軍輜重隊の歴史に加え、「原爆スラム」で厳しい暮らしを強いられた人々の戦後生活史もまた、ポプラのエピソードを添えて展示してもらいたい。

 ちなみにポプラ(poplar)は、古代ローマにおいて樹の周りに市民が集い、話し合いをしたことから、「人々=people」の語源となっている。


Posted at 2021/06/16 16:53:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2021年06月15日 イイね!

亜星

亜星 スポーツニッポンのニュースサイト・スポニチアネックスの配信記事から『異色の経歴の小林亜星さん 官僚の父と女優の母 医学部から転部、1カ月で退社』に黙祷。

 聞き覚えのある名曲の数々を編み出した大家・小林亜星氏が身罷られた。
 記事にある通り、東京六大学の雄にして、先ごろ野球部が日本一を果たした慶應義塾大のOB。
 その前は旧制の慶應義塾普通部(現在の中1~高2相当)に通い、途中から学制改革に伴い新設された慶應義塾高等学校(当時は慶應義塾第一高等学校)へ編入。日吉の普通部校舎が米軍の空爆で破壊された折には、天現寺の福澤邸に隣接する慶應義塾幼稚舎(小学校)を間借りして授業を受けていたと聞くので、紆余曲折ありと云えど小中高大全ての学び舎に通った生粋の慶應ボウイと言える。

 日本レコード大賞受賞局「北の宿から」では、明治大OBの作詞家・阿久悠とコンビを組み、他にも「ピンポンパン体操」や、弊ブログでも紹介したことがある2代目カローラのCMソング『ちょっとうれしいカローラ』などのCMソングを世に送り出した。


 個人的に最も好きなのは、昨年経営破綻したアパレルの名門・レナウンの『ワンサカ娘』だ。
 妹さんが同社にお勤めだった縁で、半ば強制的に(笑)作曲させられた作品が、小林亜星氏にとって最初のCMソングにして、代表作となった。
 テレビ朝日系「日曜洋画劇場」のスポンサーを長く担っていたので、映画好きとしては当然にCMも視聴しているが、最も印象的なのはレナウンの社会人アメリカンフットボールチーム・ローヴァーズのスタンド応援で、ブラスバンド用にアレンジしたヴァージョンである。
 社会人王者として、学生王者とどちらが日本一かを決める「ライスボウル」に6連続出場した強豪だが、当時は京大ギャングスターズ・日大フェニックス・関学大ファイターズなど学生チームが強力で、残念ながら1度しか日本一になっていない。
 それでも親会社ともども、マイナースポーツであったアメフトを支えてつづけた「名門」であることに変わりはない。


 コンビを組んだ阿久悠氏を見送り、楽曲を提供し栄華を極めたレナウンの凋落を目の当たりさせられ、巨匠・天才をしてコロナ禍に沈む現世は、つまらないものとなってしまっていたかもしれない。
 高き処にて、先に行かれた同時代の大家と再会し、永遠に音楽を楽しんでいただきたいと祈る。

 合掌





Posted at 2021/06/15 12:28:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2021年06月11日 イイね!

湯麵

湯麵 老舗経済誌・週刊ダイヤモンドが運営する情報サイト「ダイヤモンド・オンライン」の配信記事から『蒙古タンメン中本の退店騒動に見る、社長対応の「ありえない」問題点』に既視感を覚える。

 些か散漫な文体で読み下し難いが、記事に接して「そういえば」という場面が2つあった。

 一つは、神田神保町の「いもや」。記事では天婦羅屋でのエピソードを挙げているが、棟続きで豚カツ屋も営業しており、その日の気分でどちらの暖簾を潜るか、選べた昔が懐かしい。
 そもそも、なのであるが、近隣の大学生(明大・専大・日大等)やサラリーマンが低廉な価格で美味しい天婦羅ないし豚カツを愉しむ店であって、本来カップルで訪れて飲食するような場所ではない。
 混雑する時間帯では、席を別々にアサインされても何ら文句を言える立場になく、時間差であっても隣席を配慮して貰えただけ感謝すべきなのだ。

 長く続く飲食店には、経営者と常連によって紡ぎあげられたプロトコールがあり、そこへ自らを合わせられない客(概ね一見さんが多い)は、経営者・常連にとって迷惑でしかない。
 逆に、少々緊張感を持って初めての店に行き、敏感にプロトコールを感じ取り賢く振舞えれば、その時から常連と肩を並べたと思って良い。



 もう一つは、所謂「退店騒動」の飲食店側からの検証に際し、店舗内の監視カメラ映像が使われた点である。

 私が恒常的に利用している九州ラーメン店で、或る粗相があった。
 私にとってデフォルト(!)の替玉を頼んだ際、注文を受けたフロア係が、ほぼ同じタイミングで入店してきた新規客の案内を先に済ませてから、キッチンへオーダーを通した。
 一旦提供されたラーメンに、新たな麺を投入するのだから、刻々とスープは冷めていく。替玉は可及的速やかに提供されねばならない。
 フロアからキッチンへ、一言「○○さん、替玉ハリガネ!」と声掛けしてから、新規客の対応するのが正なのでは、と店を辞してから苦情を入れた。

 程なくして、当該店舗を統括するマネージャー氏からお詫びと改善を約するメールが返され、その内容自体は大筋で了としたのだが、1カ所引っ掛かる部分があり、そこだけは改めて苦言を呈した。

 マネージャー氏のメールには、
 「店舗内カメラの映像を確認したところ、お客様ご指摘の通り不手際がありました」
 となっていた。

 フロア係の粗相が明白だったのであれば、当然同じ空間にいた私の様子も映っていると容易に想像がつく。
 また客の苦情に対し、端から不当要求を疑っているかのようにも受け取れる。

 返信として。
 「客の立場で、カメラで見られていたと聞けば、あまりいい気はしません」
 「カメラ云々を敢えて書き記す必要はなく、平易に事実関係が確認できたことだけをお知らせいただければよかった」
 と記した。


 昨今の「モンスター・カスタマー」および「カスタマー・ハラスメント」への対処を明確にし、飲食店側として毅然とした態度で臨む意図に加え、映像記録メディアの容量が飛躍的に向上しつつ価格が下落していることが後押しして、店内を常時録画するシステムが普及しているのだろう。
 私が利用している九州ラーメン店も、「蒙古タンメン中本」も、そのデヴァイスに記録されたエヴィデンスに基づき、公正かつ真摯に対処しているつもりなのだろうが、果たして客の心情に寄り添ったコミュニケーションと言えるのか。

 記事では「意図しない悪意」とソフトに表現しているが、映像記録を押さえていることを明確にするのは「これ以上要求をエスカレートさせるなら、証拠に基づき法的対処をしますよ」という、限りなく威迫に近い牽制の意図が隠れてはいないか。


 企業としてのリスク対応の困難さ、言語コミュニケーションの繊細さ・難しさを、改めて認識するとともに、私自身と他者との関りにおいて教訓を得たい。

 なお「退店騒動」そのものには、店舗側にもタレント側にも与しない。
 偏に人気店での行列に堪え性を欠き、賢く振る舞えない精神的貧困層が無粋に騒いだだけのことである。
 飲食店におけるプロトコールに従えないのであれば、そもそも暖簾を潜る資格すらない。
 恥を知れ。




Posted at 2021/06/11 22:43:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2021年06月05日 イイね!

無法

無法 全国紙・読売新聞が運営するニュースサイト「讀賣新聞オンライン」の配信記事から『電動スケーターで女性に後方から衝突「かなりのスピード、警察沙汰が面倒で逃げた」』に懸念す。

 まさに今日が該当するのだが、毎週土曜日の空手稽古の行き帰りでクルマ移動中、かなりの確率で違法な電動スクーターに遭遇する。

 昨年のこと、同じ方向に走る自転車が全く漕いでいないのに結構なスピードが出ているのを見咎め、頭を押さえて停車させ違法電動スクーターであることを指摘し、警察を呼ぼうとしたのだが、隙を見て逃げられてしまった。
 幹線道路ではない暗い田舎道で、相手が武装しているかもしれず、こちらは車内に居たままの対峙なので詳細な容貌までは不明だが、東南アジア系の外国人男性であることは間違いない。

 その後の目撃でも、乗っているのは男女問わず小柄な大人で、ぱっと見では同じような在留外国人かと思われる。
 一度だけ、地域の幹線道路である川越街道でも見掛けたことがあったが、交通量の多い道路では目に付いて通報されるリスクを恐れてか、幹線道路と並行する市町道に迂回しているようだ。
 時間帯及び走行方向は、1800~2100時辺りで全てが南下している。北の川越方面で仕事をして、南の志木・朝霞・和光方面の本拠に帰る途上と推測する。


 その都度、110番通報して目撃地点・時刻を伝え、かつ土曜日の上記時間帯に見掛けることが多く、待ち構えて職務質問すれば一網打尽にできるのではと指摘しているのだが、地元警察にやる気が無いのか一向に減る気配が無い。



 意識的に法令違反を犯しているのか、罪の意識なく電動スクーター・キックスケーターを規制する法令に無関心なのかはさておき、些か遵法精神に乏しい者が、違法な移動手段を利用しているように思う。
 冒頭記事の当事者である住所不定無職も然ることながら、私が遭遇する外国人等の場合、在留資格切れ等の事情を抱えていれば、取り押さえようとして激しく抵抗され、また別の事件に巻き込まれるかも知れぬ。
 自動車としての登録が無い以上、当然に自賠責への加入も無く、歩行者の立場で大怪我もしくは轢過され死亡してしまっては、たまったものではない。

 自転車に毛が生えた程度のモノと軽んじる勿れ。
 裏に重大な犯罪や人的・物的被害が隠れている可能性が高い。
 何より、安心して安全に通行できるべき街路を、無法地帯に貶めてはならない。 


 この記事をご覧の各位に提案したい。
 街中で、また道路上で、怪しい自転車・キックスケーターを見掛けた際は、遺漏なく迅速に110通報を願いたい。

 人目に付く場所では意識してペダルを漕ぐなど、偽装していることも多いのでなかなか判断が難しいが、それでも下り坂でもない区間で、異常に長時間・長距離に亘り滑走している自転車・キックスケーターに気付くことがあるだろう。

 
 冒頭記事の犯人を厳罰に処すことと併せ、地元警察以下全ての官憲に、街路を無法地帯と化し狼藉の限りを尽くす違法電動スクーター・キックスケーターの検挙を要請する。



Posted at 2021/06/05 14:52:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2021年05月27日 イイね!

礎石

礎石 韓国三大紙の一角「中央日報」の日本語版サイトから『伊藤博文直筆の韓国銀行の礎石が保存される』に注目。

 見通しのつかない日韓関係に関連して、日本統治時代(彼の地では「日帝強占期」と呼ぶ)の遺物の一つを、今後どう取り扱うか報じている。
 やや記事の内容が雑なので、植民地出身者の子孫で少々現地事情に通じている者として解説を加えると、韓国銀行(韓国の中央銀行)が用いている建屋ではなく、あくまで「旧本館」であって、現在は「貨幣金融博物館」として活用されている。

 1912(明治45/大正元)年に、当時の「朝鮮銀行本館」として竣工。設計は日本銀行本館や東京駅丸の内駅舎、京城駅(ソウル駅旧駅舎/現「文化駅ソウル284」)など、国内外で大物公共施設を数多く手掛けた辰野金吾である。
 ちなみに朝鮮銀行設立より前に、朝鮮半島へ事業を展開し法定通貨として認められた銀行券を発行するなど中央銀行業務を担っていたのが、現在放映中の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋澤栄一率いる国立第一銀行だった。

 渋澤栄一翁が肖像となる新しい一万円札より遥か前、明治末期に朝鮮半島で発行された「第一銀行券」の肖像には、当時頭取を務めていた渋澤があしらわれていた。
 渋澤は、辰野金吾設計の京城駅から、現在は巨大国際空港が置かれている西岸の港湾都市・仁川を繋ぐ朝鮮半島最初の鉄道建設にもコミットしており(但し、漢江を渡る鉄橋建設に時間を要したたため、当初の京城側出発地は南岸の鷺梁津駅)、伊藤博文と並び侵略を主導した人物とみる向きもある。


 韓国経済を支える中央銀行の本丸として機能している現役の建物の礎石が、植民地化を推し進めた人物の筆とあらば反対派がマジョリティだったかもしれない。
 しかし、既に第一線を退き、歴史的遺物となっている建物の礎石だからこそ、そのまま保存するべきとの意見が上回ったのではないか。
 その辺り、経緯を正確に報道するべきと苦言を呈する。




 反日活動の報道ばかりが騒がれるので、日本統治時代の建物などとっくに一掃されてしまっているのでは、とお思いの方が多いかもしれない。
 確かに最も壮麗な建築物であった朝鮮総督府(旧韓国政府庁舎・旧国立中央博物館)は解体・撤去されたが、ソウル市中心部だけでも、先に紹介した京城駅・朝鮮銀行本館に加え、

京城府庁舎(旧ソウル市庁舎/現ソウル図書館)
京城裁判所(旧大法院/現ソウル市美術館:但し車寄せとファザード部分のみ)
京城電気本社(韓国電力公社)
京城三越(新世界百貨店)
明治座(明洞芸術劇場)

などが残されている。
 日本側の視点では、韓国々民の反日感情を無為に煽っているのではとも指摘されるマスコミにおいても、同じく三大紙の一角で戦前に創刊された「東亜日報」の旧本社が、ソウルのメインストリート世宗大路に面した場所に立っている(現在は新聞博物館として活用)。


 朝鮮総督府の解体・撤去については、建設エンジニアの立場では是非とも残しておいて欲しかったところだが、建物の配置を俯瞰すると、竜の頭のような貌をしたソウル北方の北岳山(プガクサン)から、王宮たる景福宮を通り南方の大河・漢江(ハンガン)に向かって流れる「気」を、あたかも巨大なギロチンで断ち切るかのような位置にあった。
 「風水」の恩恵を潤沢に受けていた異国の首都を、政治的・経済的に支配しようとしただけでなく、竜が吐き出す「気」を遮ることで王家や臣民を弱体化させ、人智を超えた精神や霊魂の領域でも支配を確立しようと企てたのでは…と私は考えている。
 植民地支配の象徴たる朝鮮総督府を撤去する、という表面的な目的とは別に、「風水地理」の考えに基づき、ソウルを発展させてきた「気」を取り戻したいという想いが強かったものと推測する。


 現在でも残されている建物を、改めて確認してみれば行政・司法・金融・交通・電力・流通・芸術・マスコミと、云わば社会的共通資本として必要欠くべからざるものばかりだ。

 他国の関与を許したという一点において、韓国民が蟠りを覚えるのは致し方ないと理解するが、その部分も含めて韓国の発展を支えた社会的共通資本整備の歴史である。
 今回の「礎石」取り扱いについての調査結果や、今なお現役で用いられている日本統治時代の建築物を見るにつけ、過半の韓国民は日韓の歴史を冷静に認識し、蟠りを乗り越えて歴史的遺物を次世代に繋ごうとしているように思う。






Posted at 2021/05/27 18:56:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記

プロフィール

「育児 http://cvw.jp/b/1043160/47663127/
何シテル?   04/18 19:29
 建設業界で禄を食む文系出身(経済学専攻)のプロフェッショナル・エンジニアが、愛車整備・政治経済・文化学術・スポーツそして土木施工の現場で日々記した野帳を公開し...
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