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2022年12月23日 イイね!

行程

行程 出張行程の度重なる変更は、概ね上手くいったのだが、唯一変更が確定できていない区間が残っていた。
 帰路の最終区間、宮古~羽田の便である。本来は昨日の最終便を確保していて、途上の変更に伴い今日→明日と先送りになっている。
 サイトを見る限り、明日は予約が全て埋まっているわけではなく、余裕があるはずなのに座席の指定ができない。

 結論から言うと、明日24日が土曜日かつ年末運賃の開始日で、搭乗に用いていた企業向けの回数券が、本来使えない日だった。
 宮古島の航空会社支店窓口へ出向き、予約を変更できない状態を相談したところ、そう言われたのだが、そもそも度重なる機材故障で行程が狂ったが為に年末運賃日程に食い込んでしまったわけで、航空会社の責任で何とかしてくれと申し入れたところ、支店の端末からアクセスして、24日の最終便の席を確保して貰えた。

 これで全ての行程が確定し、後は多良間島での業務を遺漏なくこなすだけと、勇み市街地から空港方面へ向かった。
 午後便までは少し余裕があったので、空港手前の本土資本の量販店に寄って、行程延長に伴い不足する着替えとお土産の購入、そして隣接するステーキ店で昼食を摂り、鋭気を養う。

 ステーキ店は滑走路(04/22)の延長線上にあり、北東(04)側に出発する航空機が真上を通過する。
 離島としては発着便の多い空港ではあるが、然程頻繁に離発着があるわけではないので、飛び立つ飛行機を眺めつつ航空時刻表を参照しながら、「これは那覇便だね」「次は中部国際空港行きか」などと評定しながら食事をして、店を出た。
 ジェット機も飛び立つ滑走路端から、空港ターミナルまでは少し距離があるものの、腹ごなしにちょうどいいやと歩き始めた時、上空をDHC-8-Q400CCが飛び去った。

 あれ、この便は航空時刻表に無い。
 度重なる機材故障等があったので、乗客を乗せないフェリーフライトとなったのかな……程度に考え、そのまま空港ターミナルまで歩き、チェックインして漸く多良間便の搭乗客となった。



 多良間空港は、ローカル線の駅舎と言ってもいい位のこじんまりしたターミナルを持つ空港で、機材を降りてから歩いて到着ロビーへ向かう。
 建屋に入り、到着ロビーのカウンターを何気なく眺めると、既に到着済みの便として宮古からの臨時便が表示されている。
 状況が直ぐには理解できなかったので、到着カウンターの係員に尋ねると、午前便は欠航したが、前々日からの欠航で搭乗できなかった利用客の便宜を図るため、昼過ぎに臨時便を飛ばした……と。欠航でご不便をお掛けした皆さまには、それぞれご案内したはずなのですが……と付け加えた。

 ステーキ店から出た時に見たDHC-8-Q400CCは、この臨時便だったのだ。
 いやいや、臨時便が飛ぶなんて情報は受け取っていない。
 私が欠航を知って直ぐに、手際よく午後便に振り替えてしまったからだ。航空会社としては、後続便を確保できているのだから、連絡はいいやと思ったらしい。
 しかし昼に臨時便が飛ぶのを知っていたら、間違いなくそちらで多良間入りし、その日中に仕事を終えて宮古に戻り、羽田行きの最終便に乗り継いでいた。

 機材故障に因り2日も宮古島で待たされた上に、臨時便の情報を伝えてくれないとは、どういうことか。臨時便に搭乗できていれば、多良間島での宿泊は不要だったので、この費用は負担してほしい旨、係員に抗議と要望を伝えた。
 係員は抗議と要望を一旦引き取って奥に下がったが、程なく「ご宿泊の領収証をお示しいただければ、実費をお支払いします」と答えてくれた。
 その対応には納得しつつ、機体整備に万全を期し欠航が無いよう、そして直前に搭乗便を変更した利用者が、臨時便の情報を知らない可能性にも配慮するよう、改めて申し入れた。


 空港ターミナルに併設のレストランが、レンタカーの貸出しカウンターを兼ねていたので立ち寄り、足を確保。
 面会予定の代理人さんには、漸く上陸できた旨の報告とお詫びを伝え、明日の予定をお尋ねすると、作業が始まるタイミングで宿まで行くので、朝一緒に現場へ行きましょうと仰る。
 恐縮しつつ提案を受け容れ、明日の行動が確定した。


 島内は、空港周辺や周回道路を除けば、概ね細い道ばかりで、観光地化され開発が進んだ島々とは異なり、離島で暮らす人々の静謐な生活の中に入り込むような感覚がする。
 宿まではクルマで、チェックイン後は歩いて周辺を回ったが、村営の観光施設を除き、お土産物屋や飲食店の看板等はなく、少々離れた市街地中心部に、生協が運営するスーパーがある程度。あとはひたすら個人のお宅が並んでいる。

 宿はコテージ形式で、テレビが置かれたリビングと玄関が共有だが、鍵の掛かる個室が配置されている。ベッドも大きく、居心地はよさそうだ。
 ただ夕食は、厨房が病欠で食事を提供できないとのことで、居酒屋を探して食事にありついた。
 明るいうちは気付かなかったか、民家の庭先に在る、少々大きめの納屋かと思っていた場所が、夜は居酒屋として営業していた。

 明確に観光客と見受ける客はおらず、我々のように仕事で来島している人か、地元の人か……という構成だった。
 ここでも多良間の暮らしに溶け込んだような経験をさせていただき、時折雲間で煌々と輝く星々を眺めながら、宿に戻って明日に備えた。

Posted at 2024/05/06 12:43:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 飛行機 | 日記
2022年12月22日 イイね!

欠航

欠航 前夜の不安は、不幸にも的中してしまった。
 午前便・午後便とも、機材繰りがつかず欠航となり、フェリーも前日の段階で欠航が確定していたことから、今日中に多良間入りする計画は、早朝の段階で脆くも破綻した。
 



 不幸中の幸い、というべきか、面会予定の代理人さんには「渡れる見通しが付いたら改めて」とだけ言ってあり、予定にフリーハンドを残したことと、業務用のPCを持ち歩いていたため、急ぎ処理しなければならない仕事や問い合せ等は何処にいても対応できる状態だったことで、宮古で明日まで待機する体制を組めた。
 当然に、まずは最短で多良間へ渡るべく、明日の午前便に予約を入れ直し、投宿中のホテルに延泊を申し入れた(改めて、新型コロナ対策の金券支給)。


 私も帯同者(同僚)も、午前中で為すべきことを終えてしまい、午後は昼食場所を探しがてら、島内を回ってみようかという話でまとまった。

 宮古島は、周辺に浮かぶ池間島(池間大橋)/伊良部島・下地島(伊良部大橋)/来間島(来間大橋)とは、それぞれ道路橋でつながっており、レンタカーを確保できれば効率的に回ることができる。
 観光案内などで、風光明媚な海中道路の景色をご覧になられた方も多かろう。

 幸いホテルから徒歩圏内で、格安で軽自動車を貸してくれるところが見つかり、いざ3つの橋を一挙に渡ろう…と出発した。
 勿論目的は単なる物見遊山ではなく、建設技術者として地方における道路インフラ整備状況および海上における長大橋梁の見学、である。

 いやいや、そんな無理繰り理由付けしなくても、出張先で時間が少しでも空いたなら、観光地や名所旧跡を巡っておくべきだ…と、先輩職員に教わった(それが目的化してはならないが)。
 所詮は外様でしかない我々が、地元に根付いて仕事をされている方々と渡り合うには、如何にも情報が足りない。況してや、文化も風土も異なる沖縄の離島である。
 話の枕として「有名な○○城へ行ってきましたよ」「△△山の景色は凄いですね」と話題を振ることができれば、相手も悪い気はせず、追々会話が弾むことが多いのは経験から実感している。
 殊、建設業界で禄を食んでいるのであれば、地元ゼネコンや生コンプラントが施工に携わったであろう長大橋と、青い空と海の中をクルマで走り抜ける絶景を経験しておいて損はない。

 日本離れした景色が味わえ、途中に航路確保のため起伏が設けられている池間大橋・伊良部大橋、比較的短いものの、橋の袂にある展望台から絶景を望める来間大橋を、それぞれ堪能できた。
 特に池間大橋は、北詰(池間島側)の公園内に、橋の建設に用いたPC箱桁のサンプルが置かれていて、中空構造の桁構造や、PC鋼線を通して桁同士を連結・緊張させる仕組みが良く理解できる。



 宮古島のインフラ見学を終え、レンタカーを給油・返却して一旦宿に戻り、夕食は近くの居酒屋でもと同僚と約束して、別れた。
 私は少し元気が残っていたので、繁華街から平良港の方面へ散歩に出た。



 港まで緩い下り坂になっている途中、宮古神社のところで、やたらと人懐っこい猫を見付け、遊んでいた最中、宿に残っていた同僚から電話があった。

 「明日の午前便も、欠航になったと表示が」

 踵を返して宿に戻りながら、スマホから午後便の予約状況を確認し、空きがあったので直ぐに振り替えた。
 同時に、午前便で渡れれば必要がなかった多良間での宿泊の再手配を、同僚にお願いした。
 冬休み前とは言え、インフラの脆弱な離島の場合、まさにこれから面会に行く現場の作業員さんなどで宿がいっぱいになっている惧れもある。
 幸い、こちらも村営の宿泊施設に空きがあり、部屋を確保できた。


 トラブル続き…ではあるものの、トラブルへの対応は何故かスムーズに進むという、良く分からない状況に戸惑いながら、今日の夕食は沖縄民謡のライヴ演奏が愉しめる居酒屋で、しかも1曲リクエストを聞いてもらって、鋭気を養い明日の移動に備えた。




Posted at 2024/05/03 17:13:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 飛行機 | 日記
2022年12月21日 イイね!

糖酒

糖酒 昨夜は海の幸を堪能したのみならず、地元の酒・ラムも愉しんだ。

 現地で呑むことができるラムは2種類あり、精糖の過程で産出される(廃)糖蜜を醸造したもの(工業生産ラム。一般的にラム酒と言えば、この製法)と、当に精糖の原料であるサトウキビの搾り汁から醸造したもの(農業生産ラム)がある。
 廃糖蜜は性状が安定していて、各地に輸送の上でラム酒以外にも様々な食品原料として多用されるのに対し、サトウキビの搾り汁は直ぐに酸化してしまうため、醸造所をサトウキビ生産地に置かなくてはならず、即ち大消費地やインフラの整った地域から遠いためコストが高く、ラム酒生産量の3%程度しか流通していない…とされる。

 「農業生産ラム」の新鮮で爽やかな味わいと、雑味を誤魔化す香料や着色料の入っていない「工業生産ラム」のパンチの利いた味わいの両方で、心地良く酔わせてもらった。


 今日は終日移動日で、朝の便に搭乗して那覇、乗り継いで宮古~多良間というルート。
 佳い酒のお陰か、帯同する同僚ともども朝早く目覚め、朝食を摂って早めにチェックアウト。空港へ向かう前に、改めて島の中を巡ることにした。

 島の中心地に、古い蒸気機関車とディーゼル機関車、そして客車・貨車が保存されている。
 1983(昭和58)年まで、島内のサトウキビ収穫用に活躍していた専用鉄道の車両(シュガートレイン)で、2007(平成19)年に近代化産業遺産の指定を受けている。
 
 専用鉄道は2フィート6インチ(≒762mm)の軽便規格で、島内を一周する環状線と、枝分かれする支線からなり、総延長30km弱。最盛期には8輌のディーゼル機関車と300輌以上の貨車・作業用台車が、製糖工場の稼働に合わせ24時間体制で運行していたという。
 蒸気機関車・ディーゼル機関車は、当地に保存されている車輌のほか、観光鉄道に活用できないかと本島に持ち込まれた各1両があり、計画頓挫で一時は放棄されていたものの、現在は那覇市内の壺川東公園で保存・展示されている(但し、蒸気機関車は腐食が著しく下回りのみ)
 また南大東島の中でも、観光資源として復活させる動きがあるようだが、現時点では具体的な整備計画が見えていない。


 車輌だけでなく、島内には何か所か軌道や集積場(駅)・機関庫など施設の跡が残されている。
 こちらも、観光案内図に示されているところを幾つか回った。
 島内中心部にある機関庫は、現役当時のまま今でも倉庫として使われている。路線廃止後も暫く機関車が周辺に放置されていたようだが、現在は全て片付けられてしまった。
 軌道関連では、道路を横断する部分で踏切の跡(レール内側にガイドレールを敷設してある)や、やはり踏切跡で道路工事をしている現場で、路外に置かれている掘り出されたレールを見ることができた。



 最盛期に来てみたかったものだと惜しみつつ、こうして当時を偲ぶ車輌や軌道が残されていることに感謝し、願わくば一部でも復活の日を迎えてほしいと祈る。
 動力源にはラム酒、、、ではなく燃料用に精製したアルコールを用いれば、CO2の排出を実質的にゼロに抑えられ、観光の振興と環境対策を両立できよう。








 レンタカーを返却し、空港売店で「ラム」をお土産に購入。
 名残惜しい初の南大東島訪問を終えた。
 暫くは天気予報で示される島名を眺めながら、麗しき滞在とシュガートレインを懐かしむことだろう。

 さてさて、次に向かう先も、沖縄の離島・多良間島。
 宮古島からは空路の他、行程2時間ほどのフェリー便(日曜を除く毎日運航)もあり、南北大東島のような「絶海の孤島」(沖縄本島から400㎞弱)ではないが、強風や波浪など天候次第で空路・フェリー共に欠航が多いと、現地で工事に携わる代理人さんから知らされていた。
 工事用の機材と車輌を持ち込む都合上、航空便は使えないのでフェリー一択なのだが、タイミングが悪いと1週間も欠航が続き、作業が始められないまま待ち惚けを食らうこともあるという。
 
 そして南大東~那覇~宮古までは順調に飛び、最終行程の多良間便に搭乗しようとカウンターに向かったところ、非情な「欠航」の通告。聞けば機材の故障が原因で、そもそも予備機材も無く逼迫した運航体制だったため、已むなく欠航に至ったのだとか。

 明日面会する予定だった多良間島の現場代理人さんに連絡し、お詫びと取り敢えず予定の延期をお願いした。
 併せて、今日の多良間での宿泊を延期(明日の午前便で渡れればキャンセル)・宮古での宿泊を手配。航空会社都合で欠航となった補償として、宿泊代相当の金銭は貰えている。まだ冬休み期間ではないので、以前も宿泊したことのある繁華街のホテルを押さえることができた。
 新型コロナ禍後の経済対策で実施されている、宿泊者への補助(金券を支給)も適用してくれる、とのことで、私はたまたま携帯に画像で保存していたワクチン接種証明書を、帯同する同僚は急遽奥方にワクチン接種証明書の画像を送ってもらい、それぞれチェックイン時に提示して食事やお土産の原資を得た。

 機材故障に因る欠航には面食らったが、その後の手配はとんとん拍子に進み、穏やかに宮古での夜を迎えた。
 早ければ明日の午前便で多良間入りし、現場で代理人さんと面会。業務をこなし午後の便で宮古に戻り羽田便に乗り継げたら、クリスマス前には余裕で東京へ戻れる。

 ただ、悪天候(強風に伴う波浪)でフェリーは既に明日の欠航が決まっている。
 フェリーを止めた強風で、航空便が欠航しないとも限らない。機材故障とて、当該機材が設備の整った那覇に居れば対応も早かろうが、離島に居た場合はどうなることか。
 不安を頭の片隅に抱えたまま、床に就いた。

Posted at 2024/05/03 02:07:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 日記
2022年12月20日 イイね!

大東

大東 クリスマスのイルミネーションが眩しい羽田を飛び立って、半日。
 行政から委託された業務の出張で、離島に降り立った。
 その島の名は「南大東島」。これまで訪れたことは無く、天気予報、特に台風情報などでその名を耳にする程度だった場所だ。

 空港でレンタカーを調達し、到着後1時間も経たずに業務開始。
 或る工事の現場に参上し、代理人さんとコミュニケーションしながら、作業状況・投入人工・使用機械・作業量などを確認していく。
 一般的に南西諸島地域における土木工事は、熱帯性の気候や植生に因る影響が大きく、本土の風土を前提にした基準類は援用できないことが多い。
 土木とは「自然に対する畏敬の念を持ち、美しく豊かな国土と持続可能な社会づくりに貢献」すること(土木学会HP)であるならば、自然環境を無視して工事を進めることはできない。

 陽が傾く頃まで業務をこなし、代理人さん・作業員さんに御礼を述べて現場を辞す。
 島内に数少ないホテルでチェックインするまで少し時間があったので、南大東島の事情視察も仕事のうちとレンタカーを走らせ、一周してホテルへ向かうこととした。


 島内は一面サトウキビ畑で、巨大なハーベスタなる移動式の収穫作業機械が、夕刻で作業を終えたのか畑の所々に置かれている。荷台を籠状に託ったダンプトラックが、ハーベスタによって収穫されたサトウキビを積んで疾走する。
 トラックは本土から持ち込まれた中古車両なのか、最近あまり見掛けなくなった古いモデルが、ボディに海風に因る錆を浮かせつつ、懸命にサトウキビを運んでいる。
 トラックが向かう先の製糖工場に近付くと、砂糖を製造しているだけあって甘い香りがほんのり漂う。


 南大東島は、4000m級の深海からそそり立つサンゴ由来の石灰岩質の島で、元々火山島の周りに発達したサンゴ礁が成長、西側の琉球海溝へプレートが移動する過程で火山は沈降して既に海底下へ埋もれてしまった一方で、何故かサンゴ礁だけは隆起を続けて島として残るという、奇跡的かつ不思議な成り立ちを経ている。
 島の周囲は高さ10~15mもの海食崖になっていて、砂浜はほぼない。
 上陸すると、島の中心部にかけてすり鉢状の低地となっていて、標高は数m程度。ここにため池が多数あり、豊富な降水量のお蔭で海水が浸み込むこともなく、営農や島民生活の貴重な水源となっている。

 文化面では、現在は沖縄県に編入されているが、歴史的に琉球王朝の影響下になく(南北大東島の存在自体は認知)、明治後期に八丈島から移ってきた人々が開拓、後に製糖会社の私有島となった(行政機関は置かれず、私企業による自治)ため、沖縄で一般的な亀甲墓や建屋状のお墓は見掛けない。

 産業としては前述の製糖業のほか、周辺海域に広がる良好な漁場での漁業が挙げられるが、海食崖に阻まれて漁船が接岸できないだけでなく、波打ち際から直ぐに深海となっているため防波堤も築けない。
 漁船は崖上から都度クレーン(ラフター)で上げ下ろしするしかなく、大きさは3t程度に限られ、安全性・効率性や漁船大型化の面でネックとなっていた。
 沖縄県は、漁港機能に加え、悪天候時の緊急避難場所とするため、島北側の海食崖を掘削し、掘り込み式の泊地「南大東漁港」の整備を決定。1989(平成元)年に着工し、2000(平成12)年から一部供用を開始、その後も総量250万m3もの岩盤掘削(爆薬を用いた発破も併用)を続け、2008(平成20)年から全面供用を開始した。

 いざ現地で眺めてみると、島の規模に比して余りに壮大な工事に驚かされるとともに、島民生活の安定・生業の安全に資するべく事業を進めた行政・工事関係者の揺るがぬ執念を感じた。



 ホテルにチェックイン後、提供された夕食には鮪の刺身、少々物足りなくて外の居酒屋へ出向き頼んだつまみに、ぷりぷり新鮮なサワラの刺身。
 それぞれ南大東島のインフラ整備が後押しした、地元の海の幸を堪能した。

プロフィール

「育児 http://cvw.jp/b/1043160/47663127/
何シテル?   04/18 19:29
 建設業界で禄を食む文系出身(経済学専攻)のプロフェッショナル・エンジニアが、愛車整備・政治経済・文化学術・スポーツそして土木施工の現場で日々記した野帳を公開し...
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