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カクシカおじさん(プレミオおじさん)のブログ一覧

2011年06月12日 イイね!

➏北関東・東北ドライブ3日目 その②  帰宅編

➏北関東・東北ドライブ3日目 その②  帰宅編  
 帰宅は結局、運転が簡単な磐越道・北陸道・名神経由でなく、

 磐越道→東北道→北関東道→関越道→上信越道→長野道→中央道→名神高速→中国道という風に、ジャンクションをたくさん通り、あえて複雑な帰宅ルートを取りました。



 さて3日間の旅を終え無事自宅へと着きましたが、3日間の全走行距離は2474.1kmを数え、まあ自分でもよく走ったものだと思います。

 マイコンテ号もこの旅行でオドメーターが35000km近くになり、またまたオイル交換が迫ってきましたが、もうちょうど納車1年なので整備点検に出したとき、一緒にエンジンオイルを交換することにいたしましょう。
Posted at 2011/06/27 19:45:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行記 東北 | 旅行/地域
2011年06月12日 イイね!

➎北関東・東北ドライブ3日目 その①  会津磐梯山・土津神社と会津の偉人

➎北関東・東北ドライブ3日目 その①  会津磐梯山・土津神社と会津の偉人 
 松島観光を終えた6/11土曜日の夕刻、おひさまも沈んだので、お風呂と夕食を済ませ帰宅の途に就くこととしました。


 もう一日あれば青森まで遠征したのだけど、休みは3連休しか取れなかったし、以前軽二輪バイクで青森ツーリングをしたので、残念だったけど今回は見送りました。
 



 3日目は帰宅を兼ね、ちょっと寄り道をして会津磐梯山を見に磐梯山ゴールドラインに入って、裏磐梯を見たあと桧原湖に少しの間だけ寄り、表磐梯に回って磐梯山を一周しました。

 上のタイトルの写真は桧原湖畔(ひばらこ)、
裏磐梯の写真はいいのが撮れなかったので表磐梯のものを下に載せました。


                (表磐梯 : 2011.6.12筆者撮影)


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ところで磐梯山のそびえる会津といえば、真っ先に浮かぶのが保科正之公と野口英世さんではないでしょうか。


 で、保科正之公は徳川三代将軍家光の異母弟で、お江の方の嫉妬を恐れて?武田-保科家へと預けられ養子として育てられます。
 
 近年、大河ドラマでお江の方が取り上げられたので言うのはいささかはばかれますが、お江の方は次男の国松をとても溺愛したようで甘やかされて育てられたためでしょうか、幼名は国松ですが後の徳川忠長は、晩年には自分の家臣を籠の中から突き刺して殺してしまうなどご乱行が目立ちすぎまして、もともと家光と折り合いが悪かったためなのか、最後には自害させられることになりますね。

 もし忠長が聡明なら源義経の失敗、つまり後白河法皇の策略にはまり兄の頼朝に無断で高い官位を授かって、頼朝の怒りを買った失敗の二の舞を踏むことはなかったでしょう。
 で、他家で育てられ苦労したこの保科正之公のほうが、残した業績を見ればよほど人間として立派なのではないでしょうか。

 そういえば、先に訪問したここ会津のお隣の米沢にも、上杉鷹山(うえすぎようざん)公という、こちらも特筆に価するすばらしい大名もおられましたね。


         (保科正之公 : ウィキペディア)


         (上杉鷹山公 : ウィキペディア)


 特に1657年(明暦3年)の明暦の大火で江戸の町が丸焼けになった時に江戸の庶民を救い、莫大な費用のかかる江戸天守閣をあえて再建せず、江戸の町の再建に全力を尽くしたことは、あの時代の常識から考えれば特筆に価しますよね。

 江戸幕府を開いた徳川家康は自らの政権の維持のため、財力のある大名には普請事業を盛んにやらせ、庶民には身分制度まで設けて大名や庶民の財力を削ぐことばかりを考えていました。

 なので徳川265年の世は、泰平の世が続くようになっても 「大井川に橋はまかりならぬ」 …とかいうように橋を架ける努力をしなかったため、特にトンネルと橋梁の土木技術がほとんど発展しなかったのと、産業革命を終えて蒸気機関が発達し驚異の軍事力・輸送力を持った欧米諸国から、日本は完全に取り残されてしまいました。


 それが幕末への危機とつながっていきます。
 聡明だった(と、私は思っている)徳川慶喜の江戸城の無血開城により、国内で反幕派と争わなかったことが、諸外国が日本に付け入る隙を与えずに済み、明治の世になってようやく開国し急速に世の中が発展して、江戸期の遅れを取り戻し日本海海戦とかの大勝利により、ロシアの植民地になることだけはかろうじて防げました。

 その会津が誇る偉大で現代の政治家よりよほど立派な政治家だった保科正之公を祀った神社が、磐梯山のふもとに建っている土津(はにつ)神社です。
 もちろんここも当然訪れたのですけど、あいにく写真は撮っていなかったので下2枚の掲載写真は、はなゆみさんのホームページから、私的利用ということでお借りいたしました。


      (保科正之公を祀る土津神社入口 : はなゆみさんのホームページより)


           (土津神社本殿 : はなゆみさんのホームページより)


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 その次の会津の偉人と言えば野口英世さんではないでしょか。1876(明治9)年に生まれ~1928(昭和3)年、51歳にてアフリカのガーナにて没しています。


 (野口英世博士 : ウィキペディア)

 幼少に左手を火傷して不自由になったため勉学の道に入りまして、いくつかの病気の病原体を発見していくわけですが、晩年には黄熱病の研究に明け暮れ、自ら黄熱病にかかりその地で亡くなります。
 もちろん詳しい経歴はすでにいろいろなところで書かれているので、詳しいことはそちらで見ていただくとして、一つだけ言えることは第二次大戦前までの国際社会は白人至上主義で、この野口英世さんはノーベル賞がもらえなかったですね。

 もちろん名誉のために仕事をしたわけではないでしょうし、ロックフェラー財団に属していたとかいろいろ言われてもいますが、今もそうですけどこういう地味な研究に今も昔も日本政府はあまりお金を投じないから、当時アメリカに行ったのは仕方なかったのかもしれません。

 現代はこれだけ世界中に旅行者が出かけていると言うのに、日本には24時間体制で世界中の病原体の血清を揃えて管理しているところがない、というお話を回虫研究で有名な藤田紘一郎さんが嘆いていたのを思い出しました。


(黄熱病のウイルス : ウィキペディア)

 結局野口英世さん、細菌とウイルスとを読み間違えてしまい、志半ばで黄熱病の研究により自らの命を失ってしまうわけですが、ウイルスという知識がほとんどなかった当時の常識と、現代のように電子顕微鏡など豊富な機材がそろっている時代でもなかったので、ウイルスを読み間違えたのも仕方なかった面があるのでしょう。

 その失敗をマックス・タイラーという人が生かして、黄熱病のウイルスを発見につながっていったようです。

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 ともあれ、猪苗代湖と会津磐梯山を一通り回って、これから帰途の途につくわけですが、

 ここから近畿地区まで普通に取ると思われるルート、
磐越道→北陸道→名神高速→中国道というルートは、過去バイクでの青森ツーリングと、この旅行以前にも一度東北に所用で行った際に走ったルートなので、また走ったのでは正直面白くないです。

 よって帰宅ルートは高速道路地図とにらめっこし、今まで走ったことがないルートが多く含まれる、
 磐越道→東北道→北関東道→関越道→上信越道→長野道→中央道→名神高速→中国道という風に、ジャンクションをたくさん通り、かつあえて複雑な帰宅ルートを選択しました。
Posted at 2011/06/27 19:37:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行記 東北 | 旅行/地域
2011年06月11日 イイね!

➌北関東・東北ドライブ2日目 その①  米沢・上杉謙信公を訪ねる

➌北関東・東北ドライブ2日目 その①  米沢・上杉謙信公を訪ねる

  
北関東・東北旅行の2日目の土曜日の早朝は、
   大雨の中、まず東北道の福島飯坂インターを降りて
   米沢に行きました。
 

米沢に入るとまず米沢城に行き、
   城内にある上杉神社に参拝いたしました。
   尊敬する上杉謙信公の足跡を見たかったからです。




 ここのタイトル画像はウィキペディアに掲載されています上杉謙信公の自画像ですが、上杉謙信またの名を長尾影虎といいますが、1530年に生まれて1578年に享年49歳で没しています。



 謙信公の足跡は、いろいろな方がすでに述べられていますので詳しくは書かないですが、一ついえることは自らは領土欲のための戦は一切せず、自己防衛のための戦さに徹したということでしょう。

 そしてそれは謙信公の私生活にもあらわれていて、嫡男でなかった自分が妻帯し嫡男を生めば兄側と家督争いになるからと、あえて妻帯せず側室も持たず自らの子供を作らなかったことですね。

 これは当時の長尾家一族が家督と主導権争いをめぐり、血と血で争っているのを幼いときから目の当たりにしていたことと関係あるのでしょう。
 


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 そして越後の虎といわれた上杉兼信公、66回いくさして一度も負けなかったのは先を読む力にたけていたともいえますが、特に有名なのが川中島の四回目の合戦で、

 とある日に武田の城・海津城からいつもより多めの煙があがっていたのを見て、今夜自分の本陣である妻女山(さいじょざん)へ別働隊が攻めてくると判断し(きつつきの戦法)、その裏をかいて夜の間に密かに山を下って、早朝夜明けとともに逆に武田本陣へ攻め込んだ、というお話です。
 


 この話、どこまでが真実かどうか未だ不明な点もあるそうなのですが、それを夕飯の炊き上がる煙一つで見抜いて、しかも結果論だけでいいますと、武田勢がこの戦において信玄や家臣の信頼が厚かった実の弟の武田信繁や山本勘助ほか幾人かの有力な武将を失ったことから、実際は信玄側のほうが損害が大きかったとも言えますね。



            (米沢 上杉神社参道 : 2011.6.11 筆者撮影)

        
                   (米沢 上杉神社本殿 : 2011.6.11 筆者撮影)
 



その上杉神社参拝後、隣にある上杉博物館に行って謙信公の足跡を見学した後、
博物館内で売られていた 『特別展 上杉謙信』 という本を購入。


 初版の発行は2005年でしたが、私が買ったのは2009年の3刷り目のもので、上杉博物館が発行しているオールカラー版の本で、直筆の手紙の写真もいっぱい載っている豪華本です。

 たぶん購入価格は1200円だったと思うのですが価格も書かれていなくて、書籍コードも書かれていないので、ここ米沢の博物館しか販売されていない?ようでした。


 【関連情報URL】には、上杉博物館が販売している各種の本のホームページを案内しています。


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 この上杉博物館を見学した後、約1km離れた上杉家御廟所へ降りしきる雨のなか向かいました。門番もいて入場料も徴収していましたが、杉林に覆われたすがすがしい霊廟を維持管理するのに必要なので、喜んでお支払いし霊廟参拝いたしました。掲載写真はその時のものです。

             (上杉家御廟所参道 : 2011.6.11 筆者撮影)

       
                   (上杉家御廟所案内板 : 2011.6.11 筆者撮影)


 
             (上杉兼信公のお墓 : 2011.6.11 筆者撮影)
 


 門番の方に東北大震災時のこともお聞きしましたが、震災当時ここでは積雪が2mもあったということで、この雪に守られたのか、はたまた徳が高いのか、石塔が1体たりとも倒れなかったようです。

 はたまたここの御廟所の保全・管理は米沢市がおこなっていることから、ここ米沢では上杉謙信公、および上杉鷹山(ようざん)公ともども、もう米沢の誇りとして尊敬されているということなのでしょう。


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 その後、この雨の中の米沢から同じ山形県にある月山へと移動します。
                           その②へと続きます。
Posted at 2011/06/27 18:19:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行記 東北 | 旅行/地域

プロフィール

「我がコンテ号、325327kmにて初めてCVTオイルパンを開封(写真)。

CVTは3~4万kmでのフルード交換ぐらいしかメンテはしてませんでしたが、左端の円形のマグネットにヘドロがこびりついている以外はきれいでした。

当然、新品のストレーナ・マグネット・ガスケットへと交換。」
何シテル?   10/26 21:55
カクシカおじさんです。 ニックネームの由来は、我が愛馬コンテカスタムRSの別称、ダイハツの『カクカクシカジカ』と現在の年齢がおじさんになっているところから...
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