2012年05月31日
福祉が人を殺すとき
こんにちは。
昨日の話は別に書くこととして、この間ずっと気になっていた「生活保護」の問題について書きます。
また、長くなりますし、読んだら辛い気持ちになると思うので、楽しい日記を探している人はスルーして下さいね。
生活保護をめぐる事件を考えていてネットを検索していたら、今年の1月におこった記憶に新しい事件を報道した新聞記事につきあたりました。一部を抜粋して載せます。
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< 111 >
手元の携帯電話で、111番にかけてみた。「タダイマカラ着信試験ヲ行イマス」という女性の音声ガイドが返ってきた
▼姉妹とみられる40代の女性2人の遺体が見つかった札幌市のマンションの居室玄関には、「111」の発信履歴のある携帯電話が残っていたそうだ。お姉さんが先に病死した後、一人きりになった妹さんは、十分な食事を取れないまま凍死した、と警察はみている。妹には知的障害があった。110番か119番に通報しようとして間違った可能性があるという
▼料金滞納で電気もガスも止められていた。冷蔵庫は空で、食べる物は無かった。誰かに救いを求めて、必死に数字を押し、呼べども叫べども、返ってくるのは無機質なガイド音声だったとしたら―。やりきれない
▼この冬、釧路市のアパートでは、年金生活とみられる高齢夫婦の遺体が見つかった。妻が病死した後に灯油ストーブの燃料が切れ、認知症の夫が凍死したらしい
▼二人きりでどうにか暮らしをやりくりしていても、支えてくれる人が亡くなると、置いてけぼりになった命が尽きてしまう。まるで酷寒の荒野に一人放り出されたかのように。人は何のために寄り集い、地域社会や国をつくっているのだろう
▼残された「1」の並列は、孤独の闇の中でとめどなく落ちる涙の軌跡にも、「これでいいのか」と問い迫る言葉の矢にも見える。
(2012・1・24 北海道新聞 卓上四季)
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この事件は札幌市の白石区というところで起きた。一人で死んだのではなく、姉妹二人で亡くなったため「孤独死ではなく、孤立死の時代」「高齢者ではなく、若い人でありながら疎遠な地域社会から取り残され亡くなる時代。どう防げばいいのだろう」とマスコミはその特徴を書き、新しい「孤立死」という概念と言葉を生み出した事件であった。
しかし、これは「たまたま起きた不幸な事件」ではない。
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▼札幌市白石区のマンションで知的障害のある妹(40)と姉(42)とみられる遺体が見つかった問題で、 この姉は約1年半前から3回にわたり区役所に生活相談に訪れ、生活保護申請の意向をみせていたことが、 市役所への取材で分かった。姉は自身の仕事や妹の世話をしてくれる施設も探していたようで、 その最中に急死し、連鎖的に悲劇が起きたとみられる。
▼札幌市保護指導課によると、姉は10年6月、11年4月、同6月の計3回、区役所を訪れ「生活が苦しい」と訴えた。 2人の収入は中程度の知的障害がある妹の障害年金だけだったとみられる。
昨年6月、姉は「今度、生活保護の関係書類を持ってくる」と言って必要な書類を聞いて帰ったが、その後は相談がなかった。
▼北海道警の調べでは、姉妹の部屋に求職に関するメモがあった。姉とみられる遺体の死因は脳内血腫。 姉は3年前に脳外科を受診した記録があり、体調不良を自覚しつつ職探しをしていた可能性がある。 区内の民間障害者施設によると、姉は約1年前に妹の通所の相談に来たが、決まらないまま連絡が途絶えたという。
▼一方、妹とみられる遺体の死因は凍死で、死後5日~2週間。 料金滞納のためガスは11月末に止められており、室内は冷え込んでいたとみられる。
(同日 毎日新聞より一部抜粋)
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つまり、姉妹は白石区役所を3回も訪れ、生活の窮状を訴えていたのである。しかし、窓口は生活保護申請書の用紙を出すことさえ渋り、3回目でやっと書面を出したのであった。その後、姉はその用紙を出しにはこなかった。病気のためだったのか、自分の責任だと諦めて仕事を探していたのか、妹の入れる施設探しを優先したのか…今では理由をつきとめることはできないが、少なくとも窓口の対応に絶望したことは確かである。
貧困問題に取り組んできた札幌市の市民団体や弁護士が調査団を結成し、この問題をとりあげ中で、とうとう白石区も「申請をしていたとしたら事件は防げていた」と認め、当時の窓口担当職員から事情聴取をした。すると、聴取記録(相談者の名前や住所、連絡先、どんな相談内容だったか、区としてどんな対応をとったか…などを記す書類)もとっていなかったことが明らかになった。この調査をした区は「時間がたったので、あまり覚えていません」と言う職員を「面接から6ヶ月から1年もたっているからやむを得ない」と弁護した。
調査団は、「背景には行政のあり方と生活保護バッシングがあり、構造的な問題がよこわたっている」として、再発防止の提言まとめ、改善を求める要望書を提出したそうである。
<構造的問題とは何か?>
この事件の関連記事を追うと「25年前にも同じ白石区で似たような事件を起こしている」との記載があちこちに書かれていて、アッと思い出した。寺久保さんという、私の卒業した大学の大先輩で、障害者施設を立ち上げながら、貧困問題などを追い続け精力的に活動するすごい人だった。私の在学中にちょうど <「福祉」が人を殺すとき―ルポルタージュ・飽食時代の餓死 あけび書房>を出版し、それをゼミやサークルで読んで、大いに論議したことを思い出した。その事件はこんな内容であった。
(著者) 寺久保 光良
1948年、埼玉県に生まれる。日本福祉大学社会福祉学部卒業。医療ソーシャルワーカー、生活保護ケースワーカー、精神医療ソーシャルワーカー、大学講師を経て、現在、障害者共同作業所所長のかたわら、自治体問題・社会福祉問題の取材・執筆活動にとりくむ
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札幌・女性餓死事件
【事件概要】
1987年1月、札幌市白石区の市営住宅の一室で、女性(39歳)が衰弱死しているのが発見された。女性には3人の子供がいた。
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【許しておくれ、母さんを】
1987年1月22日、札幌市白石区の5階建て市営住宅の一室で、ある女性が死んだ。栄養失調による衰弱死だった。女性はF子さん(39歳)という。
遺言
母さんは負けましたこの世で親を信じて生きた
お前たち3人を残して
先立つことはとてもふびんでならないが
もう、お前たちにかける声が出ない
起き上がれない
なさけない
涙もかれ、力もつきました。
お前たち空腹だろう 許しておくれ 母さんを・・・・
この日は冷えていた。この家のガスは料金滞納により止められ、ストーブの灯油もすでになかった。あるのは八畳の居間に置かれた電気ごたつだけ。冬の間、母子4人はそこに寄り添って、寒さをしのいでいた。
23日早朝、F子さんの小学5年の二男(当時11歳)と、4年生の三男(当時9歳)が階下の知人宅に母親が息をしていないことを知らせに行った。中学生の長男(当時14歳)は友達の家に泊まっていて不在だった。
知人がF子さんの様子を見に来ると、バンザイをしたような姿勢で横になってこたつの布団を胸までかけた彼女がいた。しかし知人の知るふっくらしたF子さんの顔ではなく、骨に皮が張りついただけのような状態で、目を大きく見開いたまま死亡していた。
F子さんはもともと身長160cmで60kg。それが死亡時には30kgほどになっていた。子供らに呼ばれて部屋にやってきた知人は、すぐにこの死体がF子さんと結びつかず、ハッとすると子供達に「なんでこんなになるまで黙ってたの」と怒鳴った。
部屋は異臭がたちこめていた。寝たきりとなっていたF子さんの嘔吐や排泄物が処理できていなかったためである。子供らが言うには、もう1ヶ月以上も前から寝たきりの状態で、食事もとらずに水ばかりを摂っていたという。子供達が無理に食べさせようとしても、首を振って拒否し、激しく嘔吐した。最初のうちは這ってトイレにも行っていたが、次第に動けなくなっていた。死の3日前には長男を呼んで、哀しそうな表情で何かを訴えた。それは言葉にはならなかったが、長男にはその意味が理解できるような気がしたという。
こたつの上には2、3000円分の小銭が散らばっており、部屋は荒れ、汚れた衣類の他、紙くずや空き缶などのゴミが散乱しており、台所もしばらくは使った形跡がなかった。その他、ゴミにまぎれて公共料金の請求書、サラ金の督促状もあった。石油販売店からの請求書には、「今後、お宅にはいっさいお売りしません」とサインペンで大きく書かれていた。
(本書より一部抜粋)
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実は25年前も世間では「生活保護バッシング」が起こっていることを寺久保さんは指摘している。その流れの中で「暴力団の不正受給を口実とした『第3次適正化』路線の下で、生活受給者をどんどんと減らしていた時期であった・・・」「・・・3人の子供をかかえた母子家庭のお母さんは、福祉事務所に再三、生活の窮状を訴えたが、保護申請として対応されなかったため、悲惨な結膜を迎えたのである」と厳しく指摘している。
当時の本を改めて読むと、これだって「孤立死ではないか」と思うし、なぜ同じ白石区で起きたのか?区は25年前の過ちを何一つ改善してないではないかという憤りがフツフツと煮えたぎる思いがわきおこってきた。今年の姉妹が死んだ事件、3人の子供を残し餓死した母親の25年前の事件、まさに同じ構図「福祉が人を殺した」ではないか。
政府は、こうした「暴力団対策」を名目に、「簡単に窓口で生活保護申請書を出すな」という締め付け「水際作戦」を行い、申請が少なかった自治体ほど優秀だと評価された時期が、つい最近まであったのである。北九州市での餓死事件以来、表向きはこの「水際作戦」は影をひそめたが、今でも作戦は進められていると見られている。なぜならば、未だに申請書すら出さない窓口は全国で当たり前のようにあり、弁護士などが立ち会って詳しく生活状況を聞き取るように促すと、あわてて書類を出してくる…という事例があとを絶たないからである。
私は大学時代や福祉施設で働いている時代(1980~90年代)に、何人もの人たちから「同じような言葉」を「同じ話の展開で」聞いたことがある。
それは、ある時は厚生省(現在の厚生労働省)の事務次官による「行政説明」の中であり、またある時は、アメリカの経済学を研究しているお偉い学者さんだったり、また、ある時は全国社会福祉協議会の幹部であったり、またある時はベネッセコーポレーションやセコムで福祉分野に乗り出そうとしていた担当社員であったりした。
曰く「今は福祉に金をかけすぎだ」「抱っこにおんぶ、肩車の福祉で甘やかしすぎ」「病気でもないのにお年寄りが病院にきて『あら、Aさんは今日はこないわね。病気かしら?なんてブラックジョークですが、本当にあるんです。」「保育所にベンツでお出迎え」「暴力団が生活保護をもらってパチンコをしている」と…。
そしてその次につづく言葉はこうだ。
「これからは公助の時代ではない。まず自助。次に共助、そしてさいごに公助という順番が新しい福祉のあり方だ」「なんでも国がやってあげるのではなくて、自分で多様なサービスを選べるようにしないといけない」「公立ではなくて民営化することがサービスを多様化させる」「民営化するとサービスを競い合い、どんどん安くて良いサービスが広がり、福祉は豊かになります」と・・・。
この2種類の「セリフ」は、しばらくするとテレビの評論家・コメンテーターが、ついにはテレビの司会者までもが、さも当然であるかのようにしゃべるようになった。
そしていつのまにか、まるで自分が見てきたかのように、街角の「奥さんの立ち話」の中で「あそこの暴力団が生活保護を悪用してるんよ。あれっておかしいわよね」「そういえば、うちの近くで形だけ離婚して、二人で生活保護もらってパチンコいってる人がいるって聞いたわ、あんなんほっとくのって市役所は何やってるのかしら」と話すようになっていったのである。
<見えてくる二つの構造>
こう見てくると、二つの顔が浮かび上がる。ひとつは政府や企業など「国の舵取りをしている人」。悪く言えば福祉で儲けようとしている「支配者」の顔である。
どんどんと規制緩和をして、福祉の民営化をすすめる一方で、年金や生活保護、介護など福祉の個人負担は増えるのに、サービスは貧困で、有料で、しかも制度の利用を許可してくれない。
なのに、ゼネコン行政やアメリカの思いやり予算は増え続け、財政難になれば「高齢者が増えたせいだ」と責任を国民になすりつけた上、「消費税がないと福祉がもたない」と消費税を導入しても、実際には福祉には一向に使おうとしなかった。そして、自治体に、「生活保護の相談に来たヤツには申請書を出すな」とまで命令する「支配者」の顔である。
もうひとつの顔は、そういった支配者のコトバをオウム返しに繰り返す「識者・マスコミ」そして「彼らにマインドコントロールされた国民たち」の顔である。
コントロールされているのに、本人らは自覚しておらず、「自分の主体的な思いで話している」と思い込んでいる。そして餓死事件が起こったことも忘れて、芸能人がなにか個人的に悪さをしているように見えてしまい、ヒステリックに攻撃をする。
これが、25年前の事件と違うのは、当時はネットがなかった。パソコンがやっと会社などに普及しだしたばかりで会計ソフトがあるくらいだったから、国民のマインドコントロールも限定的なものだったのだ。ところがこれだけネットが発達すると、ネットに書き込むとスッキリし、自分と違う意見が書き込まれると自分が否定された気分になり、更に過激な発言となって膨張していく・・・というマインドコントロールされた「さもありなん」な話が、どんどんとストレスを感じるほどに膨張していくのだ。
そして、その異常に膨張した「世論」を担保に「ほれ見てみろ、これが国民の声だ」とばかりに、更に生活保護の抑制を要求する国会議員と、それに従順に従う官僚たち。その異様なまでの「見えない圧力」のために「やっぱり私も甘えているのだろうか、こんなに苦しいけれど、生活保護なんて口に出せない」と、自分の責任だと口を閉ざし、役所にいくのを諦め、第2、第3の餓死者がつくられようとしているのだ。
私たちは、暴力団が不正受給をしているなら、見た本人が警察や役所に訴えるなり、自治会で話し合って暴力団に立ち退いてもらうたたかいをすればいいのだ。又聞きした人は、うわさを広げるのではなくて、それは役所の問題ではない。暴力団が悪いのだ。と冷静に考える知恵を持たなければならない。「年金者より生活保護の方が多いなんて不公平だ」という人には「年金が少ない人に足りない分を補うのも生活保護の役割。諦めずにおかしいと窓口に言いに行きましょう」と励ましていこう。
病院にこなかった友達を「病気かしら?」と心配するのは当たり前の感情だ。だって病院は調子が急に悪くなってくる人もいるけれど、慢性的な病気で定期的に診療する人はいくらだっていることをイメージすれば、お年寄りが病院を「サロン」がわりにして医療費を無駄遣いしているのでははないことはすぐに分かるし、福祉で儲けたい人や、お役人や学者のバカらしい作り話であると分かるはずだ。
<命を守る福祉をつくるために、本質を見抜く力を>
人間はひとりでは生きていけない。
だから繋がって、助け合って生きている。
だけど、時々人間は忘れる。
誰かの力を借りて大金持ちになった人がいると
「努力したものが金持ちになって何が悪い」
「怠けているから勝てないんだ。努力をしろ」
と自己責任で済ませて、人間の絆を忘れることがある。
あるいはこういう人もいる。
「気持ちの持ちようだよ」と。
「お金がなくったって幸せだと考えるようにすればいい」と。
でも、生きていく最低限のお金もなく餓死した人は
「幸せな人生だった」とはきっと思ってないよ。
「許しておくれ母さんを」と言わせ餓死させたのは誰だ?
福祉の窓口?
政府?
もっとお金を儲けたい人?
それとも・・・僕たち?
生活保護を削れという人をそれでも応援しますか?
貧困な人が買い物をしたら10%も払わなければいけない消費税に賛成できますか?
答えられる人も
考え込んでしまう人も
今はあんまり考えていない人も
忘れないで下さい。
人間はひとりでは生きていけない。
だから繋がって、助け合っていきている。
それを3・11で気がついたことを。
まず、声をかけあい、話し合い、手を携えあい
でも主張すべきことはして、本当の問題をみつけ
自分たちの声で国を動かす「大儀」と「道理」を見つけ出そう。
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Posted at
2012/05/31 15:29:50
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