2008年02月29日
●2月は逃げる。。。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?私は昨日、怖い思いをしました。
●深夜に訪問するところがございまして、広い田舎道をあるいておりました。信号はありませんが、農道と交差する場所があります。その交差点に差し掛かったところで、前方からセダンが走ってきました。真っ暗なのでよくわかりませんが、ちょっと前のコロナかブルーバードみたいな車です。
●そのまま行き過ぎるかと思いきや、突然左折をしてきてキキキキ・・・とスキーる音を鳴らして突っ込んできました。咄嗟に歩道の縁石に飛び乗りました。オラ~!危ないやんけっ!思わず大きな独り言をいいましたよ。
●怖かったのはこれだけではありません。遠ざかる車とは別の方向から、そう交差点のほうから「カワカワカワ。。。」と音が聞こえるではありませんか?自転車?なに???暗闇でよくわかりませんが、だんだんこちらに近づいてきます。心臓バクバク。。。
それは。。。
いったい何だったかというと。。。
ホイールキャップでした!!!・・・超爆)
ああもうっ!驚かせやがって!
●ホイールキャップはトヨタのマークがついてましたよ。さっき曲がった車の落し物でした。空気圧の減ったタイヤでドリフトにもなっていない下手な「左折」はやめましょう。失くしますよ。。。ホイールキャップ・・・ウケケ)
Posted at 2008/02/29 13:10:13 | |
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2008年02月28日
●今日はムーヴの車検で整備工場の人に取りに来てもらいました。カギを渡す段になって「???」ハテナマークが次々に。そして「・・・」「!!!」と変わっていく私。
●実は鍵をつけているワイヤーがよく外れて、いつのまにかカギがポケットの中で散乱していたんです。そこで連結部分にアロンアルファを注入して固定。「やった、ざまあみろ。。。」一人でニヤけていたことを思い出しました。
●ムー・・・人に鍵を渡すことなんて想定してなかったよー。幸い、ゴルフや家の鍵は別になっていたし、自転車の鍵はほとんど使っていないし、倉庫の鍵はしばらく使いません。そのまま預けることにしました。あーあ、でもなんか落ち着かないなぁ。。。
Posted at 2008/02/28 09:37:05 | |
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2008年02月27日
●フォーカスにカブリオレが登場。なかなか流連で美しい車です。私は幌の方が軽量でいいと思うのですが、コペンでもハードトップの時代ですから、そちらのほうが売れるということなんですね。
Posted at 2008/02/27 17:26:05 | |
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2008年02月26日
●さて、こうした青年を育てているのは40代の我々親でもあります。これだけ孤独な青年をつくってしまった我々にも責任があると思います。
●私が青年期の頃は、ケータイもなければ、パソコンも一部の人だけのものでした。好きな人がいれば手紙を書くか、直接打ち明けなければなりませんでした。メールで告白なんて考えられませんでした。悩んで閉じこもれば友人がドアをトントンと叩いてくれました。それでも逃げたければある時は電車に乗って、ある時は自転車に乗ってさ迷うしかありませんでした。実はそれで助けてくれる人に出会ったりしてスッキリして帰ってきたわけですが。帰って来たらきたで「お前はどこへ行っていたんだ」「それでどんなことを考えていたんだ」とゼミやサークルで問い詰められ、泣きながら謝って、こっぴどく温かく叱られたもんです。そんな青年期がよくて、今が悪いとは言えませんが、人間関係というのはいつもリアルだったことは確かです。匿名の誰かがいきなりあらわれて「ヘタレだ」「キモイ」と言い捨てて逃げるなんてことはありませんでした。
●同時に、ネットだけに罪を押しつけるわけにはいきません。それを操作しているのは紛れもなく人間だからです。その意味では私の世代は「積み木くずし」の世代ですから、冷たい刃先を突き付けるようになったはじめての世代かもしれません。人間をまっすぐに受け止めることを嫌いだした世代です。「根暗」という言葉がはやりました。真面目な話をするとすぐに「お前、寝暗だな」と言われました。無気力・無関心・無責任・・・など「12無主義世代」とも呼ばれました。孤独を好み、それでいてさみしがり屋で、かといって集団は嫌いでなんとなくつるんで群れをなす。。。そんな馴れ合い世代でした。
●そんな私たちが社会人になる頃につけられた名前が「宇宙人」でした。「主張をしない、残業をしない、言い訳ばかり」と言われました。一方で納得をすれば、自分のやりたいことがはっきりすれば、まわりを顧みず突き進む世代でもあったと思います。その意味では「古い家制度や集団に縛り付けられることを極度に嫌った個人主義の走り」だったのかもしれません。嫌ったのはよかったが、目的のある自由な集団をつくる能力は極めて低かったのも事実です。いつも「どうする~?」と遠慮しあい、「こうしよう」と提案する人は極度に少なかったように思います。
●こうして人間関係は薄く広く、気の合う仲間だけでたむろする世代がバブル時期にホンワカと就職し、結婚し、子どもを産んで親となっているわけです。もちろん、個性がありますから、一人ひとりの具体は違います。でも、全体を見渡せばなんとなくそんな時代の雰囲気を引きずった世代であると思います。私たちは子どもに「めんどくさいことはやらないでいい」と言ってはこなかったか?約束したことを守らず適当に言い訳をしてごまかしてこなかったか?子どもが泣いている時にしっかりと話を聞いてきただろうか?子どもがいじめられたら先生に言いつけて終わりにしないで、直接親同士で話をしただろうか?それなりの努力はしてきましたが胸をはれるほど自信はありません。
●実は私たち親世代こそが、リアルな人間関係を意識的につくっていかないと、子どもはそれ以上にサイトの中で理性を失い、暴走する危険性があると私は思っています。匿名の誰かになりきる快感よりも、もっともっと実感のある素晴らしい経験を一緒にしなければならないと思います。答えにはなっていなくても、未だ未熟な自分であることを自覚し続けることが私たちの世代の責任であると思うのです。
Posted at 2008/02/26 16:27:52 | |
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2008年02月26日
●こんにちは。仕事がら、私よりも下の年代と話をすることがあります。
●ある女性は装飾デザイナーをめざして専門学校に通っていて、アルバイトをしながら勉強をしています。彼女は高校時代、いじめを受けて不登校になり、リストカットを繰り返してきましたが、それを克服し、自分でつくったメイド服を着て駅前でパラパラを踊ったりしています。今は卒業発表服の仕上げと就職活動にがんばっています。
●またある男性は就職できず自信をなくして引きこもりになっていましたが、親の知り合いの農作業を手伝うようになり、真黒になって働いてからは表情が明るくなりました。「自分が汗をかいてつくった野菜が売れていくのが嬉しい」とはにかんで話してくれます。彼がつくった大根は本当に美味しかったです。
●災害などが起こるといてもたってもいられず、ボランティアで飛んでいってしまうある男性は、今は大手電機会社の下請けで非正規労働者として働いています。しかし、それだけでは暮していけないので、深夜の登録型派遣もしています。がっちりした体格でニコニコ笑顔が凛々しかった彼が、最近はやつれて変わり果てています。絶えずケータイを気にしながら明日の仕事を探す姿が痛々しい。
●彼らに共通しているのは「ネットがなければ生きていけない」ということです。単に手段としてだけでなく、精神的にも必要な存在だと言います。いじめにあっていた彼女や引きこもりの彼を救ったのはネットで出会った同じ境遇の仲間たちでした。同じ痛みを受け止め、分かち合い、励ましあい、それを力に厚い殻を破ろうともがきました。幸い、家族や知り合い、青年やボランティアの集まりなど、リアルな人間関係での支えもあって、なんとか「浮かんできた」と言います。深海の闇の中に取り残された気分は彼らでしか分かりません。
●しかし、一方で彼らはネットで傷つける側に回ってしまうこともあります。自分が傷つけられてきたはずなのに、刃先をつきつけ、突き放し、レッテルを貼ってしまいます。傷つけられた人は今度は傷つけたい衝動に駆られます。復讐したいと思う欲望がもたげてくるそうです。「こんなことを書いたウザい奴がいたから、こう書いてやったら黙ってしまいやがった。。。ハハッ…」そんな攻撃的な会話がポンと口から出てきます。笑いながら話しているのにその目は冷たい。私はぞくっと背筋が寒くなることがあります。そんな2面性を使い分ける彼らを私は否定することはせずに、受け止めながらも一緒に考えるようにしています。彼らの不安や悲しみ、怒りは、彼ら自身が自覚する以上に深いと感じます。
●そんな彼らを見ているといっそのことネットなんかなくなればいいのに、と思うこともあります。「ネットでつながり世界が広がった」「重度障害者が社会参加できるようになった」など、いくらでもメリット面はあると思います。先に紹介した彼らだって、リアルな社会でいじめにあい、就職活動で断られ続け、人間性を否定されてネットで助けられました。でも、一方で技術の急速な発達に人間の心がついていっていないとも感じるのです。
Posted at 2008/02/26 16:13:43 | |
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