
こんにちは…お元気ですか。
どうもこの冬は風邪に好かれてしまったようで、治った矢先から喉が痛くなり熱が出て先週から倒れている。医者からもらった薬も珍しく欠かさず飲んでおり、今日は少しマシになった気がして仕事に来た。宿直もあるし、期日前投票も済ませておけば、最悪週末は安心して倒れることができる。今流行のノロウイルスではないので、トイレと友達にならないだけよしとするか・・・。
娘も朝から調子が悪く「しんどい」といいながら登校した。しばらくは2人でお粥かうどんか・・・という生活になるかも。まあ、嫁さんと息子はピンピンしているから何とかなるであろう。世の中案外うまくできているのかもしれない。
<今回の選挙は仮装大会?>
さて、倒れている間に総選挙は終盤に差し掛かった・・・らしい。これまでは「小泉旋風」とか、「政権交代」など2大政党制のもとで「勝ち馬に乗って投票すれば、なんとなく自分が政治を動かしている気分になれる」という「気分選挙」が続いてきたように感じる。今回もマスコミが言うには「自公で300議席を伺う」というアゲアゲな結果を予想しているようである。
ところが「そんなイケイケどんどんな風が吹いているようにはどうしても思えない」と首をかしげているのが当の自民党候補らしい。候補者というのは候補者カーで手を振れば、街角で演説すれば、それだけである「手ごたえ」があるのだそうである。勝つ時は、自分の力以上に周りから背中を押されて体が宙に浮くような上げ潮を肌で感じるというのである。そんな感覚が今の自民党候補はぜんぜんないというのだ。
また、これまでの「イケイケどんどん」の選挙の時には公示日には「もうどの党へ入れるか決めたよ」という人が5~7割いて、大勢はほぼ決まり、あとは少数政党がどうなるかぐらいのものであった。ところが、今回は中盤の段階になっても5割が投票先を決めかねているというのだから、だいぶ様相が違う。最後まで何があるのか分からない。つまり期日前投票だけでは予測できないようなことが、投票日当日に起こってもおかしくないという選挙なのだ。
ここまで投票先を決めかねている原因は何か?「民主もだめ、自民にも戻りたくない。でも第3極もわからない」という多数乱立という状況もあるだろう。その上にややこしくしているのが、政党そのものの存在意義が揺らいでいることだろう。「政党の政策が分からない」「政党の(党首の)政策が日替わりでどんどん変わっていく」「党の政策と候補者の言っていることが違う」という、なんとも複雑怪奇で、あまりにも乱雑・ずさんであるからだ。
こうした現象の裏を見れば、「勝てそうだからこの名前の党から出よう」との姿がこれほどまでにミエミエの選挙はない。良く見ないでも、新しい政党の候補者の多くが元自民・元民主だったりするからである。何が生まれ変わったのか、何を期待したらいいのか?あまりにも下手な仮装大会に、あ然として口をあんぐりとあけて見つめる有権者の姿がありありとうかがえる。
<有権者をコントロールできない?マスコミと財界>
今回の選挙の争点は何であろう?マスコミは「自民か、民主か、第3極か?」と報じた。「こう報道すれば、自民か、民主か、維新か、未来(小沢)かいずれかの4つに票が集まる。そうすればとりあえず自民党を中心とする保守政党の連立内閣の見通しができる。消費税増税はそのまま2年後に実施できるであろうし、原発も再稼動・推進に持ち込める。マスコミの(あるいは財界が準備した)筋書きはこうだったのである。
ところがそんな政局に当てはめようとした思惑に有権者は疑念の目をむけている。マスコミは自分が報じたことを選挙民が鵜呑みにして話題にしてくれることを期待していたのであるが、なかなか盛り上がらない。それどころか、党首がいい気になって本音をポロポロ言い出したものだから、政局遊びだけで終わるはずだった総選挙がにわかに「おい、あいつら危ねーんじゃねーの?」「やばいよね」とヒソヒソがツイッターやフェイスブックで広がりだし、有権者をコントロールしていたはずの連中が焦り出したのである。
そもそも「大仮装大会」を演出しなければならなくなったことが間違いの始まりだ。自民党が賞味期限を過ぎ、代わりの受け皿として民主党が第2自民党として現われたものの、ことごとく公約を投げ捨て、国民から見放され、「2大政党が共に政治を競い合ってどんどん日本は良くなる」という夢物語が幻想であったことがバレたからに他ならない。だから今度は「自民でも民主でもない新しい何か」を無理やり作り出したわけだが、やっぱ即席ラーメンほどの無理やりだから、「無理やり」感がバレてしまったのである。まるで20世紀少年の二足歩行ロボット並みのお粗末さだ。
<右傾化する政党>
こう書いてくると、ただただオバカな政治屋がお遊びで税金を食い物にしているだけのように見えるが、そんな軽々しく平和な日本であるわけではない。いつの間にか大仮装大会の裏で日本は非常に危険な歴史的曲がり角に立っていると思うのだ。
自称「暴走老人」の世迷言が、世迷言でなくなるような予感がしたのは「妄想弁護士」と手を組んで「維新」なるものを作りあげた時だった。実際に出来上がった政党を見れば、頭だけがでかくてあとは貧相な元自民と元民主のかき集めでしかない。ところが、これが50議席を伺う勢いだというのだから気持ちが悪い。
常々「核兵器を持てばいいんだ」と公言してはばからなかった2人が出会ったのであるから、当然右翼的な政党になるだろうとは思っていた。ところがアンケートを取ると、右翼的なのは2人だけではなかった。なんと候補者の80%が核兵器配備に賛成だというのだ。被爆国日本の政治家の集まりだとはとても思えない「暴走集団」である。ファシズムとポピュリズムを巧みに操ったヒトラーの現代版にならないとは限らない危うさを感じるのは僕だけだろうか?あるいはより緻密になったオウム真理教と言っても言い過ぎではないような気がする。なぜならば、彼らを支持する層は、アジアあるいはアメリカをも敵視し、鬱屈した閉塞感を力でねじ伏せようとする「暴走老人」と「妄想弁護士」にもろ手をあげてシンパシーを感じて集まった集団だからである。
そして危険なのは維新だけでなく、自民も同じである。自民党は「憲法を改定する」と政策にうたっている。現に憲法改定案なるものを出している。その内容は「天皇を元首とする」とか、「自衛隊を国防軍」にするとか、集団的自衛権を認めるとか、九条2項を取り払うとか、国論を2分するような大問題がサラっと書いてある。
それだけでなく、見過ごせないのは、空気のように当然とされてきた「国民主権」の様々な権利がことごとく「国益」と「秩序」のために制限されていることに目を向けなければならない。
例えば第21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」との現行規定に「前項の規定にかかわらず、
公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という条文を追加したのだ。
これだと権力者が「公益及び公の秩序を害する」と判断したら、表現の自由が許されなくなってしまうことになる。ファシズム時代そのものの条文だ。というか、帝国日本時代の「治安維持法」そのものではないか。
例えば争点のひとつである原発について、異議を唱えて国会前に集まることも許されず、学習会や講演会もストップ、テレビや新聞で発言することも制限され、本さえ出版することも許されず、場合によって「秩序を乱した非国民」として逮捕される可能性(危険性)もあるのだ。「おっかしいやん」の一言さえ言えない日本は67年前の日本帝国とどこが違うというのか。
自公に300議席を超える票を投じるということは、こうした「憲法改定」に国民は白紙委任状を渡すことになるのだ。「だって政策に書いてあったじゃん。それを認めたんでしょ?だから僕の好きなようにやらせてもらうよ」と安倍総裁は言うだろう。
<危険な政治地図>
政党の何がどう変わってきたのか?
*民主党は「増税する前に必ず総選挙をする」「後期高齢者医療制度を廃止する」「基地は県外に」などの公約を次々に投げ捨て、いわば「自民党政治」に戻ってしまった。
*自民党は「自民党化した民主党」との違いを出すために、「さらに右傾化した自民党」になった。
*そして、自民党のナヨナヨした弱さに業を煮やした「極右」の元自民党が「維新」に集まった。
*残りの「かつての自民党の残りカス」が集まって「未来」をつくった。いわば「小泉改革前の昔の自民党のなごり」である。
というわけで、未来以下4つの政党は全部右よりになってしまい、そこに公明党がくっついているのである。そしていわゆる「左翼」と呼ばれる政党は日本共産党と社民党だけになってしまった。その社民党でさえ、未来と提携することで合意文書を交わしているのだから「左」であるか怪しいものである。90年間変わっていないのは日本共産党ぐらいのものだ。
こうして、この国の政治地図はあまりにもバランスの悪いものになってしまった。「従来、日本国民は左右のバランスを取ることで政治の安定を測ってきた」と識者は繰り返してきたものだ。ところが実際は、「国民のバランス」などというものは実は感覚だけの問題で、実際の政治の中身については感覚を欠いているということが明らかになったのではないだろうか?現に未だに民主党政権を「左翼」だと言い張る論調は続いている。どこをどう割ってみても左翼ではないのに、そういうレッテルを貼ることで何か分かったような感覚にさせて国民をコントロールしてきたのが「支配者」なのではないか。
ある意味、国民もなんとなくみんなと同じ位置にいることで安心したがっていたのかもしれない。「安心する」というのは「寄らば大樹のカゲ」ということだ。まずどちらが勝ちそうかを様子見して、勝ちそうな方に立ってみて、結果通りになったら「みんなと同じだった。あ~よかった…」っと安心するということだ。それは自覚的に自ら選んだということにならない。そこには結果だけがあって、過程がない。「こんな社会であってほしい」という思考過程を飛び越して「結果的にこうなる(だろう)」という予見だけを見させられて選ばされる。「自ら作る」という道はあえて考えないようにしてきたように思えるのだ。そうした国民の思考が結果として長期の自民党政権を支えてきたのかもしれない。
<支配者の歴史>
考えて見れば、日本の歴史は今まで「支配者の歴史」であったように思う。それは明治維新が起こり、遅ればせながら形として帝国憲法ができ、更に敗戦を迎えて世界の最先端の平和憲法を身につけて今に至るまで、「結果だけを選ばされた」という意味では支配者の歴史であった。もちろん並走するように「抗してきた民衆の歴史」も当然あった。しかし、教科書でもマスコミでも流される多くの情報は支配者の側の歴史ではなかったか。
例えば、富国強兵の掛け声のもとで日本で始めておきた足尾銅山の公害と田中正造と民衆の闘いがあった。言論の自由や選挙権の拡充、大地主制度の疲弊にあえぐ民衆が大正デモクラシーを起こしてきた。あるいは日清、日露、第1次世界大戦、日中戦争、第2次世界大戦と、日本が次々と帝国主義・大企業の利益のため戦争を重ねるたびにマスコミは戦争を称えるようになっていったが、一方で戦争反対の旗を降ろすことなくたたかってきた政党や政治家がいた。
あるいは平和憲法が作られ、民主主義が大きく前進したはずの戦後になっても、支配者の歴史は続いた。国策として差別をし続け、今でも続くハンセン氏病元患者のたたかいがあった。国民の健康よりも企業の利益を優先させた水俣病や四日市喘息、イタイイタイ病などの公害や森永ヒ素ミルク事件。また、アスベスト公害訴訟、エイズ訴訟、C型肝炎訴訟などのたたかい。沖縄の基地をめぐるたたかい、そして、今回の3・11東日本大震災と続く原発再稼動問題へとたたかいは引き継がれてきたように思う。特に原発のめぐるたたかいは、足尾銅山の公害とたたかいの構図と何一つ変わっていないのだ。人命や子どもの未来や地球環境よりも、目前の国益と利益を優先する政治のあり方にどこが変わったというのだろう?
明治以降現在に至るまで、支配者の「国益」、あるいは大企業の利益を優先しようとする政治が150年近くにわたって続いてきたのではないだろうか。そして、国民は時にその力に飲み込まれそうになりながらも、諦めずに平和と民主主義の旗を降ろさなかったのも事実なのだ。
<自覚的な民主主義づくりの芽吹き>
「民主主義」とは「民(たみ)が主人公」となってつくる政治のあり方である。これまでのように支配者が作ったいくつかの選択肢を「選ぶ」のではなく、みずから知恵を出し合って1から「作る」政治であるとも思う。そうした民主主義の経験を私たち日本人はあまり経験してこなかった(あるいは充分に継承できてこなかった)のかもしれない。戦後67年たって、改めて「選ぶものがないのであれば、自分で作り直してみようよ」という息吹が急速に広がっている。
それが脱原発であったり、反TPPであったり、消費税増税反対であったり、基地のない沖縄であったりするのだ。そこには新しく始まった運動もあれば、これまで続けられてきた運動に、それまでは保守的なだった人や無関心と思われた若い人が参加して広がっている場合もある。
更に、「自分はとにかく反原発」とだけ1点でまとまっていた人たちが、維新や自民の危険な政策に気づき、原発問題をたどると憲法や平和の問題も、外交問題や基地問題も、経済や雇用の問題も考えなければならない」と多角的に「自分たちならこんな日本をつくる」という論議になっていっているのだ。奇しくも「極右政治」への警戒が、新しい民主主義をつくるきっかけになっているというのはなんという弁証法だろう。
私たちは3・11の震災を経験して、自然の力の前に人間の傲慢さがなんと無力なことか思い知った。それは人間対自然ではなく、どう見ても人間は自然の一部であることを認めることになった。同時に、その人間は自らの「火」を使って自分の母なる存在である自然を殺す術を身に着けてしまったことに気づいてしまったのである。自然と人間、社会と歴史と自分の関係性と持続性を自覚したのだといえる。
だからこそ、今回の新しい運動は持続する。途切れない。自己責任と恨みの連鎖を乗り越えて、連帯し助け合うことを知った新しい運動はもっと発展する。例え今回の総選挙で極右連立政権ができたとしても、その政治は長続きしない。そして民主主義を求める声はますます大きくなり、矛盾は激しくなり、早いうちに解散総選挙をやり直さなければならない事態に追い込まれるであろう。
<受け継いだバトンを渡す>
今回の都知事選と総選挙は、歴史の曲がり角の前になるのか、曲りつつあるのかは分からない。でも、少なくとも第3極などというちまちました政局などではなく、「ファシズムか民主主義か」という大きな歴史的争点が浮かび上がってきたのは大きな成果だと言っていい。その意味では、なんと投票しがいのある選挙であろう。これほど1票の重みを感じて投票する選挙は投票し始めて25年になる私としても始めての経験である。もう東京都民でなくなっているのが残念でならない。
これまで何回も書いてきたが、政治は黙って結果を受け入れるものではない。自分の考えを家族で、友達で、地域で、学校で、職場で、ネットでいろいろな場で論議し、暮らしの目線で分かりやすく話し合う中でつくられるのが本当の政治だろうと思う。政治は難しくない。政治は生活のつぶやきが集まってできるものだ。それが民主主義だとすれば、これからが本当の日本の歴史の夜明けではないだろうか。
思えば、私の父母は昭和4年生まれ。15歳で敗戦を迎えた。仙台と愛媛から上京し、たまたま教師になり、出会い、結婚し、兄と私を生み育ててくれた。親父とお袋は83歳。母親は認知症が進む。しかし、若かりし両親は「教え子を二度と戦場には送らない」の意志をもって教壇に立ち続けてきた。両親の戦争体験を聞きながら育った最後の世代が45歳になる私だ。私はこの平和のバトンを受け継いで生きてきた。だから今度は子ども達にしっかりと渡さなければならない。戦争する国をストップさせ、原発の稼動を止めて、基地をなくし、平和のバトンをしっかり渡し、人間が大事にされる国をつくることの喜びを子ども達に味わってもらいたいのだ。
あと数日、自分のつながりで今度の選挙についてあれこれ話しあい、自分が出来うる限りの民主主義づくりに参加をして投票しようと思う。