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BL5Aのとーさんのブログ一覧

2021年03月06日 イイね!

2021.3.6.お酒その10。

2021.3.6.お酒その10。今宵も美味しく水割りを頂いております(汗)

さて今宵の話題は、チャリンコね。

ロードレーサー(今はロードバイクって言うのね)の話から。

実は自分は中学2年生まで自転車に乗れませんでした!

過保護な両親が「危ないから乗ってはダメ!」って事で乗らせて貰えませんでした。

しかし友達との交流の中では自転車に乗れないのは非常に不便です。

なので何回もコケながら、やっと乗れるようになりました。

これには当時の友達には大いに感謝です。

因みに自分の姉も20代半ばまで乗れませんでした。

同じ理由からね。

しかし子育てで自転車なしでは大変って事で、頑張って乗れるようになりました。

そんな話をカミさんにすると呆れられてしまいす。

カミさんの実家はチャリンコ屋さんなので。



自転車に乗れるようになった自分は、今までに無い新しい世界が待っていました。

普通なら5歳位までには乗れるようになるのに。

その反動で、どんどん自転車で出かける様になりました。



高校生になると、周りの友達はバイクに乗り始めます。

自分も乗りたいと思いましたが、またもや両親が許してくれません。

仕方なくバイクは諦めて、スポーツサイクルに興味を持ち始めました。

で、初めて買ったスポーツサイクルがこれです。



片倉の27S。

ハイテンパイプの(ハイテンション鋼)のフレームにクロモリ(クロームモリブテン鋼)のフロントフォーク。

タイヤサイズは27×1/8と言う細いタイヤでした。

フロントキャリアに付いているヘッドライトは防水の懐中電灯。

写真のは頭が赤ですが、自分のは黄色だったなぁ。

三信のラージフランジハブは、ウィングナットで固定でした。

まだクィックレリーズハブが一般的では無かったからね。


そして運命的な出会いが。

自転車屋って偏屈な親父が多くて、修理とか行っても愛想の悪い人が多かった。

でも何件かスポーツサイクルをやっていそうな店を回っていたら、全然普通の自転車屋の親父さんがすごく良い感じの方で、自宅から近くでは無いけど通い始めました。

そのお店は、千葉県市川市の東菅野にあった「横山サイクルセンター」と言うお店。

そこの店主は横山 伍 氏は元「山王スポーツ」にいた方で、めちゃめちゃスポーツサイクルに詳しく、自転車好きの人たちが集まって来ていました。

山王スポーツは、現在は横浜にあると思いますが当時は港区の芝にあり、社長は高橋さんと言う方だったと思います。

港サイクリングクラブは元々はこの山王スポーツにあったのが、その後芝公園近くの「シミズサイクル」に移管したとか。

山王スポーツのブランドは「エミネンザ」でしたね。

そんな店主さんなので、都内や千葉のスポーツサイクル店の店主さん達もよくご存知でした。

横尾双輪館の先代社長や船橋本町の瀬尾サイクルさん、松戸五香のオシガモサイクルさんなどなど。



そんな環境に入ってしまったので、このグリーンのスポルティフがどんどんロードレーサー化して行きました。

前後のキャリア泥除けが外され、後輪ハブのスポーク折れが多発していた為ハブ交換となった時に、いっその事ホイール変えちゃえば?

と他のメンバー?に唆されて、何とカンパニョロ・レコードのラージフランジハブにアラヤのパイプリム、ユッチンソンのチューブラータイヤになりました。

そして各パーツが徐々にスポーツパーツに変わって行きます。

リヤディレイラーはカンパニョロのヌーボレコード。

フロントもカンパニョロのレコード。

チェーンホイールはスギノのマイティーコンペ。

ペダルは、極東のトラックレーサー用のステンレスプレート。

もちろんクリストフのトークリップも。

ハンドルは日東、ステムも日東のパールステムの90mm。



だんだんアップグレードしていく中で、フレームもそろそろちゃんとしたロード用のものが欲しくなって。

本当はデローサのフレームが欲しかったんだけど、230,000円は学生には無理でした。

そこで当時発売されたばかりの、このフレームにしました。





この赤/白のです。

そしてほぼほぼカンパニョロのレコードとスーパーレコード、シマノのデュラエースなどで組んでみました。

ハンドルはフィアメ、ステムは3Tの90mm,

サドルはロングライド時はブルックスのプロフェッショナル。

消耗品は国産パーツが多かったです。

ボスフリーはデュラエース(13・14・15・17・19・21T)、チェーンは報国とかね。

因みにチェーンホイールの歯数はアウターがカンパニョロの50T,インナーはスギノの42Tでした。

カンパニョロは50-46Tのセットだったので互換性のあるスギノのマイティーコンペ用の42Tを付けていました。

インナーが42Tでリヤが21Tですから峠道は結構キツかったです。

リヤディレイラーもロード用はプーリー間の狭いものがほとんどでしたからね。

今現在のロードバイクとはその辺りもかなり違います。

今のロードバイクに使われている様なリヤディレイラーは、ツーリング車(ランドナー)などに使われている物ですね。

まあ。そもそも当時はタイヤも700cなんて無かったし。

みんなチューブラータイヤでした。











1976年に完成しました。

学生なので一度に買えず部品を買い集めつつ、揃った段階で組むと言った感じ。

この写真は今から10数年前の物なので、かなり劣化しています。

因みにカンパニョロのスーパーレコードはヘッド小物、シートピラー、ペダル(チタンシャフト)、リヤディレイラー(上下の2本がチタンボルト)

いずれも初期のモデル。ディレイラーはヌーボレコードと同じデザインの。

スーパーレコードのペダルはかなり希少かな。



さて話は変わって表題の「弱虫ペダル」

2年生の時のインターハイですね。

これの3日目の最終ゴール地点。



渋峠です。

先に進めば草津白根山。

そして志賀高原へ抜けて、下れば中野ですね。

漫画では、





な感じですが、ここまで自転車で登れるのかなぁ?

草津から登って来ると。途中に有毒ガス注意の場所があります。

まあ、あくまで漫画だから細いこと言ってもねぇ。

車で行くと、こんな感じ。



散々自転車やったから(若い頃に)

もうロードバイクなど絶対に乗りません。

去年の6月半ばまで自転車屋もやってたからね。

もう自転車はいいかな。

乗るのは「電チャリ」だけです(笑)


久しぶりなので長々とすみません。

※ネットで写真等拝借しました、ありがとうございます。


そう言えば、車好きの方にとって「カンパニョロ」ってマグネシウムホイールで有名でしたね。
Posted at 2021/03/06 03:39:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

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