
断捨離のスタートとして、まず過去の遺物処理から。
1976年に完成したロードレーサー。
今風に言えば、ロードバイクです。
自転車は、2階の自室で管理。
ベッドの横に鎮座していました。
出掛ける度に部屋から担いで降ろして乗り、帰って来たらまた担いで部屋に戻します。
重量は、10.1kgくらい。
サドルが重かったからね。
自転車本体にスタンドも無いので、専用のスタンド(置き台)に乗せていました。
ちょっと遠出したり雨中に乗った後は、自室でメンテナンスも。
主にペダル・ハブのグリス交換、ハンドルバーテープの巻き替え(2重に巻いていたので、上に巻いたテープのみ交換)
白いVELOX?だったか。
なのですぐ汚れます。
油は、自転車用ではなくミシン油を使っていました。
ミシン油は自転車用とは違って、粘度が低いのでこまめに使います。
メリットは埃汚れが少なく、チェーンの洗浄は半年に一度くらい。
当時は、お菓子の空き缶(お煎餅とか入っていた平たい缶)に灯油を入れて、チェーンを漬けて置き、使い古しの歯ブラシで洗浄。
終わったら、ウェスで拭いて物干し竿の端っこに掛けて干して置きます。
まあ今でも自転車愛好家の方々は、同じように自室や少なくとも玄関内で保管されているんじゃないかな?
実際に稼働していたのは、1982年くらい迄。
翌年からディーラーの営業マンになり、数ヶ月後に結婚。
中々自転車に乗る機会も減ってしまって。
その頃より、ずっと屋内保管へ。
結婚前までのように自室保管は出来ないので、カミさん(実家は自転車店)からは邪魔者扱いされていました。
それ以降は、年に数回乗る程度。
だんだん車ばかりの生活になり、子供も3人出来たし殆ど乗ることはなくなりました。
2005年に家を建て直してからは、ついに屋外保管(軒下)になり、劣化が進み乗れない状態へ。
最後に乗ったのは、その2005年頃だったかなぁ。
江戸川堤を走ったんだけど、すでに思いっきりクラシカルバイクになっていたので、若いサイクリスト達からは物珍しそうな視線を浴びていました。
そもそもチューブラータイヤの自転車なんて、そうそう見ないしね。
そして本日の解体作業。
各所サビサビ状態故に、専用工具の他ニッパやボルトクリッパーにて解体。
フレームは、グラインダーにて細かく切断の上、不燃物用のビニール袋に入れて廃棄となりました。
なんか寂しい火花の花火大会になりました😢
前後ホイールとハンドル部分は、後日の処理となりました。
では、思い出の最後に乗った頃の写真と、残った前後ホイールの写真。
フレームは、片倉のカスタムメイドフレーム。
コンポーネントは、主にカンパニョロのレコード。
一部、当時新発売となったスーパーレコードも。
スーパーレコード使用パーツは、ヘッド小物、リアディレイラー、シートポスト、ペダル。
ロングライドが多いので、サドルはBROOKSプロフェッショナル。
これが重量増の原因。でもお尻に優しい。
変速レバー。この当時はダウンチューブに設置がスタンダード。
ヘッドマークは、遊び心で。
ヘッド部。
ハンドルは、珍しいリムで有名だったフィアメ製。
ハンドルステムは、スマートな形状の3T製。
バーテープの代わりに着けていたのは、アメリカ研修時に買って来たハンドルバー専用のパイプ形状のスポンジチューブ。
これは良かった。
テープ巻き替えの必要から解放されたし、耐久性もあったし。
今でもお勧め。でも日本で手に入るかなぁ?
ブレーキレバー付け根には、本来ならばゴム製のカバーが付いて手に優しくなっています。
しかし当初はあめゴム(輪ゴムの色)製で耐久性が無く、何回も交換しました。
その後、カーボン入りの黒いゴム製に変わりましたが、やはり消耗品で付け根の裏側から切れて来ました。
上り坂などで、バー自体を持ち上げる感じで力を入れるからね。
ちなみに、ロゴ部分にはグリーンで色入れをしていました。
リアディレイラーのスーパーレコード(初代)
上下のボルトがチタン製で軽い。
タイヤは色々。
その時に手に入る(安いのね)物で。
クレメンとか高くて買えませんでした。
リムも色々。
これはNIZI製。
サイド部分の色落ちはしませんでした(ブレーキシューが当たる部分)
以前のMAVIC製の金色のリムはすぐ剥げた。
と、海外製のパーツばかりなんだけど、今の人達から思えば何故シマノのパーツを使わないの?
って思うかもね。
実は目立たない所で使っていました。
リヤハブのシャフト。
DURA-ACEに交換しています。
当時、6速のボスフリーが発売されたんだけど、それに対応するハブがカンパニョロから入手出来ないので、交換してしまいました。
人柱的にやりましたが、バッチリ。
これを見込んで、フレームもリアのオーバーロックナット寸法を124mmで作ってもらいました。
片倉さんも46,000円のレディーメイドのフレームなのによく作ってくれました。
当時の日本のメーカーは、イタリアのカンパニョロを基本としていたようで、結構互換性がありました。
レコードのギヤリングと杉野のマイティーコンペのギヤリングが同じ規格だったし。
フロントのブレーキもシャフトをDURA-ACEのリヤ用に付け替えて、フレームのフロントフォーククラウンのブレーキシャフト穴の後ろ側を拡張して、シートピンの5mmメスねじで固定していました。
通常のナット止めと違って、とてもスマートでしたよ。
そして、タイヤ以外の消耗品は国産パーツばかり。
チェーンやボスフリー(当時はこれしか無かった)、スポーク、ワイヤー、ブレーキシュー(最後の使ったのは前田工業のシュパーブ)
因みにボールベアリングも日本製に交換していました。
ボトムブラケットではリテーナーを使わず、フルに日本製のベアリングで。
解体後のホイールを見てみると。
チューブラータイヤ用なので、パイプリムです。
タイヤの固定には、リムセメントで糊付けです。
軽量化の為、肉抜き的なところも。
最終形態ではDURA-ACEの6段ボスフリーではなく、SHIMANO600の5段フリーが付いていました。
しかしよく見てみると、どうやらギヤ自体はいじっていた様です。
一枚だけ金色のDURA-ACEの物が組まれています。
って事で、結局はクルマと一緒で、そのままでは乗らない?乗れない性格なのがわかりますね。
家にしろ、車にしろ今回の自転車も然りで、使わないとどんどん劣化してしまう。
人の「気」のせいなのかな?
こまめにメンテナンスしてずっと使い続けていたら、このロードレーサーもまだ元気だったかも知れません。
ご近所の空き家の屋根付きガレージに、古い紺色のBMW3シリーズが埃まみれで、タイヤは空気が抜けている状態で放置されているのを見ると、忍びなくてね。
やはり使い続けるのが一番かな。
長々とありがとうございました😊