河口湖自動車博物館は山梨県にある私設博物館である。
毎年8月の一ヶ月間限定で公開されており、他の11か月は閉まっているという、かなり個性的な博物館である。
博物館フリークとしては以前から一度行きたかったところではあるのだが、スケジュールが合わなかったり、クルマが調子悪かったりしてなかなか行く機会が作れなかったのだ。
今年はここしばらく行われていた「彩雲」の復元作業がかなり進んだとのことで、いい機会だと思い、重い腰を上げることにした。
朝食後、9時過ぎに自宅を出る。
途中首都高と中央道の渋滞にいい感じに巻き込まれながら、12時過ぎに到着。

いきなりカーチスC-46輸送機がお出迎え。
これは戦後、米軍から貸与されて航空自衛隊で使用されていたもの。

自動車博物館というだけに、本来はこちらの自動車館がメインのはずなのだが

お客さんの大半はこちらの飛行館に吸い込まれていく。
入館料は自動車館が1000円で飛行館が1500円。

自動車館の外にもこんなのが置いてあったり

飛行館の外のコンテナの上にさりげなくF-86セイバーが置いてあったりする。

1500円払って入館すると、体育館くらいの広さの建物に、所狭しと貴重な展示物が並べられている。

写真下が陸軍の一式戦闘機隼二型。
写真上の天井から吊っているのが、隼一型。
二型はエンジンがパワーアップしているので、カウリングが違うし、一番の相違点はプロペラ。
二翔可変ピッチから三翔可変ピッチに変わっている。

この角度だと、隼一型の下面がよくわかる。
主翼後端付け根の空戦フラップが日本独自のアイデア。
これを使うと翼面過重が下がって、旋回半径が小さくなる。
隼が低速低高度での水平旋回戦闘なら、WW2最優秀と言われた所以である。

隼二型を側面から。
海軍の零戦があまりに有名なため、以前は不当に評価が低かった隼だが、最近は見直されてきている。
米軍機を相手にするには、やや武装が弱いという欠点はあるが、不十分ながら最初から防漏タンクやパイロットを守る防弾装甲を装備していたり、零戦ほど無茶な軽量化をしていないなど、美点は多い。

ライト兄弟の世界初の動力飛行機、フライヤー1の実物大レプリカ。
ここからの飛行機の発展の歴史は凄まじい。

中島飛行機の栄一二型エンジン。
空冷星形復列14気筒。
空力的に不利な空冷エンジンだが、液冷に比べて構造が単純で技術的にハードルの低い空冷エンジン中心なのが日本機の特徴。
これは国産初の実用1000馬力級エンジン。
今まで欧米のモノマネでやってきた日本が、独自開発でここまでできるようになったという証しでもある。

零戦用の落下式増槽。今風に言うならドロップタンク。
航続距離を伸ばすためのアイデア。
戦場まではこの中の燃料を使って飛び、敵と遭遇したら切り離して戦う、というもの。
広い太平洋や中国大陸などを戦場として想定していた日本陸海軍は軍用機の航続距離を稼ぐことに熱心だった。
日本機の爆弾搭載量が欧米の同クラスの飛行機に対してかなり劣るのは、機体構造が華奢というのもあるが、爆弾搭載量より燃料搭載量を選択した結果でもある。

みんな大好き零戦こと海軍零式艦上戦闘機二一型。
二一型は零戦初の量産型。
軽快な運動性と500km/h以上の高速と20mm機銃2門の大火力と3000kmを越える航続性能をこのサイズに押し込んでいる。
当然、無理に無理を重ねた設計をしているので、欠点も多い。
拡張性の欠如もその一つ。
普通の飛行機はある程度余裕を持たせた設計をする。そのため、将来的な改良発展の余地が生まれる。
しかし、零戦は最初から削れるところは全て削った設計のため発展の余地が無く、改良しようとしていじると、どんどんバランスが崩れていった。
ベテランほど後期の改良型より、この二一型を好んだという話もある。

零戦二一型の特徴である翼端の折り畳み機構。
両翼が50cmずつ折り畳めるようになっている。
これは空母のエレベーターに乗れるようにするため。
この機構は後の型になると、速度向上と生産簡易化のために廃止され、主翼は50cmずつ短くなる。

朝日新聞社の社機「神風号」の模型。
陸軍の九七式司令部偵察機の試作二号機を入手した朝日新聞が企画し、日本と欧州の当時の世界最短飛行記録を作った。

海軍の零式観測機の模型と実物のフロート。
零式観測機は海軍が艦隊決戦時の弾着観測用に開発した水上機。
戦艦や巡洋艦に搭載されることになっていたが、よく知られている通り、太平洋では白昼堂々の艦隊決戦はついぞ起こらなかったため、本機も運動性のいい水上機として、各地で連絡、哨戒、偵察などの任務に使われた。

愛知の熱田一一型液泠倒立V型12気筒エンジン。
ドイツのダイムラーベンツDB601エンジンの海軍向けライセンス生産品。
艦上爆撃機彗星用に採用されたが、故障続出で、結局は三菱の金星エンジンに変更になった。
陸軍向けには川崎がハ40としてライセンス生産したが、それぞれ独自の工夫を織り込んだため、実はこの両社のエンジンは同じものをライセンス生産したはずなのに部品の互換性が無い。
まあ、いつもの日本陸海軍である。

陸軍の特攻専用機である剣の実機の外板。
500kg爆弾を積んで体当たりするためだけに作られた本機は離陸と同時に脚を切り離すようになっていた。

九三式中間練習機。通称赤トンボ。
パイロット養成用の練習機として親しまれた。
沖縄戦には本機も250kg爆弾を搭載して特攻出撃し、レーダーピケット任務にあたっていたフレッチャー級駆逐艦キャラハンに一機が突入し、撃沈している。
木と布でできた機体はレーダー波を吸収するため接近に気づかれず、対空砲弾は全て貫通して信管が作動しなかったためらしい。

零戦五二型の内部構造がわかる。
軽量化のため、徹底的に肉抜きされた機体は極端な脆弱性と引き換えに軽快な運動性を手に入れたが、この五二型では機体強度の強化、エンジン強化、防弾板の装着などを行った結果、軽快な運動性と長い航続距離は大きく損なわれることとなった。

海軍の一式陸上攻撃機二二型のエンジンとプロペラ。
この型から一式陸攻は、三菱の火星二一型エンジンと四翔式プロペラへ変更している。

胴体部分がこの博物館で完全復元された一式陸上攻撃機を機首方向から。
機首下の前方防御用機銃がよくわかる。

機首部分の見張り窓。
陸上攻撃機ってのは日本海軍独自の機種。
日本海軍では、急降下爆撃ができる機体が「爆撃機」、水平爆撃や魚雷攻撃ができる機体が「攻撃機」と分類された。

一式陸攻の主翼取付け部分。
展示スペースの関係もあり、主翼の復元は実施しない予定とのこと。
残念である。

上部旋回式の二十ミリ機銃。
日本機としては珍しい、電動式の動力銃塔である。

側面防御用の7.7ミリ機銃。
一一型ではブリスター式に張り出していたが、開閉窓式に変更された。

大きな垂直尾翼。
この双発の大型機で日本海軍は敵艦隊に近接しての魚雷攻撃を多用した。
当初は被害も大きいがそれなりの戦果も上げていたが、戦争中盤以降、米軍の防空能力が著しく強化されると被害が増大し、戦果も見込めなくなったため、昼間雷撃は中止された。

尾部の銃座。
稼働範囲を、広げて射界を広くしたのが特徴。

一式陸上攻撃機を初め、海軍機のほぼ唯一の航空魚雷として使われた九一式魚雷。
日本海軍といえば酸素魚雷が有名だが、これは従来型の空気魚雷だ。

こちらで復元した中島の栄一二型エンジン。
現在世界で唯一稼働する栄エンジンとのこと。

零戦五二型。
零戦の後期量産型。サブタイプを入れると色々と細かくなるが、まあ、いいだろう。

昭和17年のラバウル航空基地のジオラマ。

中島誉二一型空冷復列18気筒エンジン。実際に稼働するように復元中とのこと。
国産初の実用2000馬力級エンジン。
世界的にもこのクラスで量産されたものとしては、最小にして最軽量。
ただし、小さく作りすぎたため、生産性や整備性は劣悪で、実戦配備されたものは、カタログ値から大きく劣っており、不具合や不調も頻発した。

復元中の艦上偵察機彩雲を機首方向から。
速度を稼ぐため、ギリギリまで絞って細くした胴体が特徴的。

この細い胴体に三人が搭乗した。
日本海軍機としては最速の機体で、テストでは639km/hを叩き出し、海軍機の最速記録を保持している。
空母搭載機として開発されたが、完成したころには日本空母部隊は見る影もなく、陸上基地からの運用が中心となった。
サイパン島への強行偵察時に、迎撃に上がってきたF6Fヘルキャットを振り切った際に発した「我に追い付くグラマン無し」の電文が有名。
あれほど情報を軽視した日本軍が、何故か偵察機には異常な情熱を燃やし、陸海軍ともに偵察専用機の開発に血道をあげたのは謎だ。
まあ、そうやって偵察機が必死に持ち帰った貴重な情報が全然生かされないのが、日本軍の悲しい実態だったりする。

操縦席も異様なまでに小さい。
パイロットをはじめ搭乗員に忍耐を強いるのは、日本軍機の悪い特徴でもある。

日本初の空対艦誘導ミサイルである桜花一一型。弾頭には1.2tの高性能爆薬が搭載され、敵空母への一撃必殺の兵器として期待された。
誘導装置が「人間」であるということ以外は極めて人道的な兵器である。
一式陸攻に搭載されて戦場まで運ばれたが、重さが2.2tもある桜花を積むと、大幅な過積載で一式陸攻の機動性は無いも同然となり、ヨタヨタと飛ぶ姿は敵戦闘機や対空砲の好餌となった。
ほとんどの陸攻は、目標である敵空母を狙える位置までたどり着けることは無かった。
したがって、桜花が上げた戦果も艦隊から離れて行動中のレーダーピケット艦への攻撃のみである。

屋外展示より、ノースアメリカンT-6テキサン練習機。
これは戦後アメリカから貸与されて航空自衛隊で使用されていたもの。

これはブルーインパルス仕様のF-86セイバー。

ロッキードT-33Aシューティングスター練習機。
これも航空自衛隊で使われていたもの。
初のジェット練習機であり1990年代まで長く使われた。

八九式活動写真銃。
偵察機に搭載された航空機用動画写真機。

飛行機に時間を取られ過ぎて、自動車館をみる時間がなくなったので、遺憾ながら撤収。
富士山周辺の森林地帯を駆け下りる。
書くのを忘れていたけど、この辺りはかなり標高が高いようで、空気が涼しい。

昼メシは談合坂SAで食べようとしたが、あまりにも混んでいるので、弁当にした。
信玄豚の味噌カツ弁当と山梨名物の
鳥モツ煮。
美味なり。

談合坂から小仏トンネルまでの長い渋滞に巻き込まれながら17時丁度に帰宅。