さて、リドリー・スコット監督の新作映画「ナポレオン」が、12月1日に公開された。
公開日とその翌日は仕事だったので、昨日の日曜日に流山おおたかの森まで、吹替版を観に行った。
お話としてはマリー・アントワネットの首が落とされるところから始まり、ナポレオンがセントヘレナ島で死ぬところまで。
上映時間は158分。
ナポレオンの人生をこの尺に納められるわけがないので、ある程度の簡略化は仕方ないと覚悟して映画館に入った。
冒頭、王妃の処刑から始まり、若きナポレオンが英軍に占領されたトゥーロン港を奪回する作戦へ。
なんで砲兵大尉にすぎないナポレオンが司令官に選ばれたかと言えば、当時のフランスには正規の士官教育を受けた軍人が著しく不足していたから。
結論から言うと、このトゥーロン攻略戦がこの映画で唯一まともな戦闘シーンだった。
城門を爆破し、同時に城壁に梯子をかけてよじ登り、大砲を奪って港内の英軍艦を次々に沈めていく場面は迫力充分だった。
私ときたら、ここでよせばいいのに、この先に期待してしまった。
続いてヴァンデミエールの反乱。
王党派の暴徒に対して、パリ市内で大砲を水平発射して黙らせる有名な場面も一応あったけど、その前後の説明は申し訳程度。
まあ、無いよりはましというレベル。
ジャコバン派の独裁からロベス・ピエールの失脚、そしてそれによって捉えられていたジョゼフィーヌの解放。
彼女がナポレオンと知り合った時、彼女が短髪だったのは獄中にいたからなんだが、ほぼ説明なし。
この時、ジョゼフィーヌはバラス総裁の愛人だったのだけど、これも一切描写なし。
彼女の前夫ボーアルネ子爵との息子ウジェーヌがナポレオンを訪ねてきて、父の形見の剣を返してくださいと頼む場面。史実通りなんだけど、ウジェーヌの出番はまさかのここだけ。彼はこの後フランスの将軍として義父の部下として活躍するんだけど、描写なし。
ナポレオンとジョゼフィーヌの結婚式の場面では、お互いに年齢のサバを読んで書類上同い年にした、というネタがあるのだけど、その描写も無し。
ついでに言えば、ナポレオンには商人の娘でデジレ・クラリーという婚約者がいたのだが、ナポレオンに裏切られ、泣いていた彼女を慰めたのが、ナポレオンの部下のベルナドット将軍。
この後、二人は結婚するのだが、ベルナドットはその後スウェーデンの王太子になり、国王になる。
つまり、デジレは町娘から王妃になるという数奇な運命を辿ることになるのだが、この映画ではカットされ居なかったことに。
第一次イタリア遠征は無かったことにされたのかバッサリとカット。
当然、ロディ会戦もアルコレ会戦も無し。
ナレーションすら無し。
第一次対仏大同盟を崩壊させたカンポ・フォルミオ条約もまったく触れられず。
前置き無しに、いきなりエジプト遠征。
ピラミッド会戦はマムルーク騎兵に大砲を撃ち込む場面がちらっとあって終了。
その後、ジョゼフィーヌの浮気がバレて、怒ったナポレオンが兵を置いてきぼりにしてフランスへ帰還。
ナポレオンが帰った理由は女房の浮気だけじゃなくて、総裁政府の無能のせいで各戦線でフランス軍が敗退し、特にイタリアは第一次イタリア遠征でナポレオンが勝ち取った成果が全て失われたことに怒ったからなんだけど、説明無し。
これじゃナポレオンがただの小物だよ。
帰還したナポレオンが馬車の中で読んでいたのは英国の新聞。ナポレオンがジョゼフィーヌに送った浮気を責める手紙を載せた船があろうことか英海軍に拿捕され、ご丁寧にも全文翻訳して新聞に掲載されたものだったりする。ちなみに実話。
浮気相手と旅行中だったジョゼフィーヌが慌てて帰宅すると、彼女の私物が全て屋敷の外に放り出されているのは史実通り。だけど、この一件以来、ナポレオンはジョゼフィーヌに距離を置き始めるんだが、この映画ではあっさり許している。なんだかなあ。
帰還したナポレオンはブリュメールのクーデターに参加。
この時ナポレオンは合法的な手続きに拘り、その意を受けた弟のリュシアンが国民議会で演説するが総スカンを食らい、割って入ったナポレオンが議員達に袋叩きにされかける。この場面自体は史実通りだけど、一切の説明が無いから、経緯を知らない人はこの辺りポカーンだろう。
ナポレオンの皇帝戴冠に至る経緯もウソだらけ。
まず、第二次イタリア遠征も無かったことにされ、カット。当然アルプス越えもマレンゴ会戦も無し。
有名なナポレオン暗殺未遂事件も無かったことにされ、カット。これが直接の引き金になってナポレオンは皇帝戴冠に至るんだけどねえ…。
映画の中だと英国に和平を願い出て拒否されたナポレオンがより高い地位を求めて、みたいな描写になっていた。
アミアンの和約が無かったことになってるから辻褄を合わせるのに大変だw
まあ、監督がそう考えるんならそうなんだろうな。監督の中ではな。
ナポレオンの皇帝戴冠式の描写は流石に有名な絵画の通り。
ただし、実際には欠席していたのに絵画には描かれている母のレティツィア・ボナパルトは映画では居ない。
この映画の数少ない史実に忠実な場面だw
戴冠式が終わるとあっという間にアウステルリッツ会戦。世に名高い三帝会戦もウソだらけ。
まず、オーストリアとの初戦、ウルム会戦は無かったことに。トラファルガー海戦?なにそれ?
いきなり真冬のアウステルリッツで睨み合う仏軍と連合軍。
戦いの展開も史実とは似ても似つかない。
史実ではナポレオンは戦場中央の要地であるプラッツェン高地をわざと放棄して和平を求める使者を送って弱気を装い、さらに右翼をがら空きにして敵を誘いだす。
しかし、右翼にはダヴー元帥の部隊が背後の森に伏兵として隠れていたため、連合軍の攻撃は頓挫。
焦ったロシア皇帝アレクサンドル一世が中央のプラッツェン高地の主力を動かしたところで、スルト元帥の部隊が素早く丘をかけ上り高地を奪取。
中央を分断された連合軍は総崩れになって敗走する。
その際に凍ったザッチェン湖を渡って逃げようとしたロシア軍部隊は、フランス砲兵の砲撃で湖面の氷が割れ、湖に落ちて数万の兵が溺死したという有名な話がある。だがこれは当時のフランス大陸軍広報のフカシらしい。
なぜなら、その後の調査でもザッチェン湖では一人の兵士の遺体も上がっていないからである。
もちろんこの映画はそんな史実は無視している。
ナポレオンがオーストリア軍を挑発。それに乗ったオーストリア軍が攻めてくると、これを撃退。逃げるオーストリア軍兵士を砲撃で湖に沈める。
はい、史実と見比べて下さい。
似ても似つかないでしょ?
この後も、続くプロイセン相手の1806年戦役は無かったことにされ、いきなり話がロシアとのティルジットの和約に飛ぶ。
はい、イエナ・アウエルシュタット会戦も吹雪の中のアイラウ会戦も影も形もありません。
子供が生まれないので、世継ぎの欲しいナポレオンはジョゼフィーヌと離婚。
まあ、1806年戦役がカットされたから、マリア・ウァレフスカとの浮気話も当然無いですな。
さらにナポレオン没落の遠因となるスペイン遠征も1809年戦役もありません。なんですか?それは?
当然、アスペルン・エスリンク会戦もワグラム会戦もありません。
ナポレオンは後妻として、ロシア皇帝の妹を欲しがるが、ロシア側が拒否。そこでナポレオンは次善の策として、オーストリアの皇女マリー・ルイーズを迎える。
次の場面でもう男子誕生。早いなw
大陸封鎖令を守らないロシアに対してナポレオンは討伐を決意。ここに名高い1812年戦役、世に言うロシア遠征が始まる。
逃げるロシア軍を追いかける仏軍。
逃げ続けて士気が下がってきたロシア軍はモスクワの手前、ボロジノでフランス軍を迎え撃つ。
ボロジノ会戦はスローモーションでフランス軍歩兵がマスケット銃を撃って大砲が火を吹いて騎兵が突撃して終了。
やあ、なんかのイメージビデオみたいだなあw
こんな感じで、雰囲気だけ見せときゃ大丈夫でしょって監督が考えたかどうかは知らんけど、そうとしか思えない適当ぶり。
入城したモスクワはもぬけの空。
ナポレオンはアレクサンドルからの講和の使者を待つが、その夜モスクワは大火に襲われる。
その後も未練がましくモスクワで時間を空費したフランス軍は、ようやくポーランドへ退却を開始するが、ロシアの冬将軍の猛威に60万の大軍は消え失せる。
ここから反旗を翻したヨーロッパ諸国との1813年戦役、そしてフランス国内戦役(1814年戦役)が史実ではあるのですが、映画では省略してフォンテーヌブローで退位するところへワープ。
ナポレオン戦争最大規模の戦いであるライプツィヒ会戦(別名:諸国民の戦い)も華麗にスルーです。
ジョゼフィーヌに会いたくてたまらないナポレオンは流刑先のエルバ島を監視の隙をついて脱出…って、いくらなんでもその理由は無いだろう!
百歩譲ってそういう気持ちがあったとしても、王政復古したフランスでブルボン王家が不人気だったため、敗者復活を狙った、
というのが主たる理由だろう。
南仏のフレジュス海岸に上陸したナポレオンが討伐軍を次々と味方にしながら北上するのは一応史実通り。
しかし、ジョゼフィーヌは既に亡くなっていた。悲嘆にくれるナポレオン。
復権したものの兵力で圧倒的に劣勢なフランス軍は英軍とプロイセン軍を分断して各個撃破を狙う…。
というところで、場面はベルギーのワーテルローへ。
え?リニー会戦にカトルブラ会戦?なんですかそれ?
ワーテルローを描くのに、その二日前のリニーとカトルブラを省略したらグルーシーの部隊が遊軍になった理由が分からなくなるじゃないか、と思ったが、流石はリドリー・スコット。そんな事実は無かったことにしやがった!
この映画ではワーテルローの東19kmにプロイセン軍は最初から居て、西に向けて進軍中。
で、その事実をフランス軍は斥候の騎兵が見つけて、ナポレオンに報告。
ナポレオンは最初からプロイセン軍がやって来ることを知っていることになっているのだ。
これでは昨夜からの雨が止んで、地面が乾くまでナポレオンが待っていた理由がおかしくなる。
史実ではナポレオンは二日前にリニーで破れたプロイセン軍は東へ敗走中であると思い込んでいた(それにトドメを刺すためにグルーシーに全軍の1/3の兵力を預けて追撃させてもいるし)。
だから英軍を倒すのに万全を期すため、余裕を持って時間を空費したのだ。
だが、この映画のナポレオンは、プロイセン軍が近くに居てこちらに向かって来ているというのを知っているのに、部下からの大砲は泥濘にはまって動かせないという報告を鵜呑みにしてしまって時間を空費する。
さしもの私も、ここで完全に愛想が尽きた。
もちろん、このワーテルローと称する知らない戦いも展開は本物と似ても似つかない。
同じなのは、フランス騎兵の突撃を英軍歩兵が方陣で迎え撃つところくらいだ。
この騎兵突撃も史実ではナポレオンが休息中にネイが勝手に実行したのだが、この映画ではフランス軍にはナポレオン以外の将軍はいないので(笑)ナポレオンが命じていたりする。
老親衛隊の最後の攻撃も、なんとなく普通の歩兵部隊が攻撃して、英軍の反撃に撃退された感じになっている。いったい私はどこの時空のワーテルローを観せられているんだろうなw
それに何より、フランス軍が縦隊で数に任せて突撃する描写がこの映画では一度もなかった。
ナポレオン時代のフランス軍の歩兵戦術といったら縦隊での銃剣突撃でしょうが。
もうね、リドリー・スコットには、ボンダルチェク監督の「ワーテルロー」を100回観ろと言いたい。
適当な戦場描写するぐらいならナポレオンなんか撮るな、と。
ワーテルローっぽい戦いで破れたナポレオン風の人は、ナポレオンと同じようにセントヘレナ島に流されて亡くなる。
最後の言葉までナポレオンと一緒で
「フランス…陸軍…ジョゼフィーヌ」
だったらしい。へー。
…散々に貶してきたけど、この映画にも素晴らしいところはある。
衣装や美術などの正確さだ。
特に軍服は時代ごとにきちんと変わっていくし、兵科も多分正しい。貴婦人のドレスや髪型も当時の流行をちゃんと押さえてある。
照明の薄暗さも、ランプと蝋燭の時代だから納得だ。
それから、町の薄汚さとか庶民の雰囲気とか、当時の空気を感じさせるのは上手いと思う。
まあ、リドリー・スコットは英雄ナポレオンじゃなくて、一人の人間としてのナポレオンを撮りたかったらしいので、こういう描写が正確なのは狙い通りなのだろうけど。
という訳で、この映画はナポレオンに詳しい人にはダイジェスト過ぎて食い足りないし、詳しくない人にはダイジェスト過ぎて何がなんだか分からないだろう。
結論:ナポレオンの人生は二時間半にはまとめられない。