• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

Eishing++のブログ一覧

2017年06月28日 イイね!

【奈良】室生摩崖仏~十三重の塔~石舞台

【奈良】室生摩崖仏~十三重の塔~石舞台実家和歌山帰省のついでに奈良の歴史に触れてきました。










※画像をクリックすると拡大します



■室生大野寺 弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ)

室生寺入口にある大野寺。

高校生時代にバイクで来て以来ですから約40年ぶりの再訪。

その前を流れる宇陀川をはさんだ対岸の自然岩に摩崖仏があります。




よくわかりませんね。

望遠で寄ってみましょう。




像高11.5mの弥勒如来です。




この摩崖仏は、鎌倉時代(1207年)に後鳥羽上皇の勅により3年の歳月かけて彫られました。

一説には朝廷が鎌倉幕府を倒すために祈願して作られたとも言われてます。





■談山神社 十三重の塔

実は前日GINPARAさんとこっそり二人で飲んでました(笑)

明日は室生と石舞台に行くと話したら、GINPARAさんが奈良には十三重の塔があるよねと言うのでその場で調べてみると「談山神社」という事がわかりました。

ただし場所まで確認してなかったので、十三枚の屋根の間隔は狭いに違いない等と言ってあまり気に留めなかったのです。

ところが室生から石舞台に行く途中に、談山神社の案内表示板を発見!

これはGINPARAさんのお導きに違いない(笑)




秋の紅葉が映える談山神社は観光客も多く訪れ人気だそうです。

一方で青もみじが香る5月6月も新緑の眩しさに心洗われるでしょう。




このシーン見覚えありませんか?




JR東海のCMですね。



URL:https://youtu.be/QNvBi1WM8RY


※動画削除されていたら予備(同一動画)を参照ください。

予備URL:https://youtu.be/0x182gA0pes





談山神社は、中臣鎌子(後の藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)が 西暦645年5月に大化の改新の談合を行った地です。

左手は鎌足をお祀りする本殿、右手は拝殿。




大化の改新(646年)覚えてますか?

飛鳥時代の蘇我一族を中心とした豪族政治から天皇中心の政治に変えた政治改革ですね。



藤原鎌足没後、墓をこの地に移され十三重の塔を建立しました。




予想通り、屋根の間隔は狭い(笑)

高さ17m、小さくて可愛いです。












中臣鎌子と中大兄皇子はこの地で国家の正しいあり方を考え、大化の改新前夜に激しい議論が交わされたのであろう。

そして、蘇我入鹿を宮中で暗殺し、親である蘇我蝦夷(蘇我馬子の子)を自害に追い込んだ。

西暦600年代のいわゆるクーデターであった。






■明日香 石舞台

談山神社から明日香村を一望できる峠を下ること約5km。

石舞台までめちゃ近っ!




築造は7世紀の初め頃と推定され、元々は1辺約55メートルの方墳だったとされていますが、

早い時期に古墳上部の盛土が失われ、現在は巨大な石室が露出した姿となっています。

墳丘の周りに幅5.9~8.4メートルの空堀がめぐり、幅約7メートルの外堤が設けられており、

外堤を復元すれば一辺約80メートルで、高さは約1.2メートルになるという。




被葬者は明らかになっていないが蘇我馬子というのが有力。

馬子は大化の改新で暗殺された蘇我入鹿の祖父であり蘇我本宗家の当主である。




横穴式石室である玄室は、長さ約7.7メートル、幅約3.5メートル、高さ約4.7メートル、室内部には排水施設がある。

30数個の岩の総重量は約2300トン。











蘇我一族は天皇家をしのぐほどの実力者として大和朝廷に君臨した。

しかしその絶対的な権勢は後の大化の改新により滅亡する。






Posted at 2017/06/28 22:32:27 | コメント(5) | トラックバック(0) | ドライブ_紀伊半島 | 日記
2017年06月23日 イイね!

西伊豆棚田と波打ち際駐車場

西伊豆棚田と波打ち際駐車場1ヶ月程前になりますか。

田植えが見たくて西伊豆の棚田に行ってきました。









相変らず対向車ゼロの安定感を誇る西伊豆スカイライン。




仁科峠から宇久須経由、松崎町マーガレットライン(R136)の2個目のヘアピンを過ぎた直後から山に入ります。




石部(いしぶ)の棚田です。








西伊豆の松崎町石部(いしぶ)地区の集落入口から山に向かって約1.5㎞遡った所、標高120~250mの範囲に4.2ha、枚数にして約370枚の棚田が広がっています。

昭和30年代には、枚数約千枚、総面積は10haにもおよんでいました。伊豆半島の農地は、地形上、その多くが棚田形式ですが、そんな伊豆半島においても、これほどまとまった棚田には、なかなかお目にかかれなかったでしょう。

石部では、傾斜が急であること、良質な石が手に入りやすかったことから、石積みによる棚田が造成されました。

こんな石部の棚田ですが一度だけ、大災害に見舞われたことがあります。

江戸時代後期、文政年間(1820年代)の頃、突然山津波が発生し、石部一帯は石河原と化したそうです。もちろん、棚田も跡形もなく崩れ落ちました。現代の棚田は、この大災害の後、約20年をかけて復田されたものです。



※公式サイトから転載⇒http://www.ishibu-tanada.com/history.html




「静岡県棚田等十選」に認定され、駿河湾を眼下に空気の澄んだ晴れた日には富士山と南アルプスを望むことができるそうです。

この日は生憎の薄曇りで見ることはできませんでした。




と言いますか、、、

田植え見たくてここまで来たのに終わってますがな(ガーーーーーン





こういった風景を見るとどこか懐かしい気分になる。








聞こえるのは鳥の鳴き声と伊豆の山々に心地良く流れる風の音だけ。

電車、駅のアナウンス、キーボード、電話、上司部下の声から解放されるとこれほどまでに安らぎをもたらしてくれるのか。

都会の喧騒から離れて心をリラックスさせてくれた。








ふと背後に目を向けるとそこには現実がっ!?




今来た道を再び戻るんだよね?

上の駐車場から降りて来たので帰りは上り坂(笑)

菅生魔の最終コーナーなんて比じゃない。

20から30度はあろう勾配を、何でこんな所に来てしまったのかと後悔しながらも心地良い汗をかいて戻る。

運動不足を反省する良い機会でした。



次回はここから富士山が見えて南アルプスに夕陽が落ちるのを見てみたい。





棚田を後にして松崎に戻る途中の雲見海岸に寄ってみた。




海近し!




漁港でもあり駐車場でもあるので漁船と並べる不思議な光景。






伊豆の山道を走るのも悪くはないが、山や海の自然に触れた方が好きだな。




帰りは伊豆で走ってはいけない道のひとつ、西伊豆町浜橋から仁科峠に向かう県道59号線に踏み入れた。




写真見ると普通の道ですが、この先は昼間でも薄暗くて待避場所の無い1車線幅が永遠13km以上続く酷道。

対向車きたらこう言おう。

「オレのクルマにはバックギアはついてない」(笑)



奇跡的に対向車はなく無事仁科峠に着いたと思ったら、ガスが出てきて西伊豆スカイラインの視界は20m程の悪条件に。





棚田や海を見てリフレッシュ出来たと思ったら、帰りは神経使うな~~






◆石部の棚田 アクセス

石部温泉側から上る方法もありますが、途中の道は狭いので、

山の上側(駐車場あり)から降りて来た方が良いでしょう。

アクセスは公式サイトのこちらから⇒http://www.ishibu-tanada.com/access_ishibu.html

※トイレはありません

プロフィール

「大黒に行ったものの混雑して居心地悪いので速攻退散💦」
何シテル?   07/27 21:47
Eishing++ : エイシン です。 Eishing++ : ++(プラプラ)はC言語のカウントアップからのパクリ^^ 決して+(プラス)に対抗し...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2017/6 >>

    123
45678910
11121314151617
1819202122 2324
252627 282930 

リンク・クリップ

2019夏・北海道旅のまとめ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/05/05 01:20:29

愛車一覧

トヨタ MR-S MR-X spec RS (トヨタ MR-S)
MR-X spec RS(MR-S 改)に乗ってます。 2007年の夏、H14年式中古 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation