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miyaken.1967のブログ一覧

2022年09月19日 イイね!

那珂川 橋巡り⑤

那珂川 橋巡り⑤10 水府橋 すいふばし 354.5m
訪問日 令和3年(2021)11月28日
完成 平成25年(2013)3月

現在の橋は、2代目の橋となります。
下流側から「寿橋」「水郡線橋梁」「水府橋」と、続けて3本の橋が2代目となっています。
初代の水府橋は、昭和7年(1932)に架けられました。国道6号線の橋が、それまでの寿橋から、水府橋に変わったことになります。



橋の袂には、橋の名称が、趣ある書体で表されています。しかし、美しい橋・名橋としての風格があった初代の橋と比較すると、現代風で、味気ない橋と思ってしまいました。

・(旧)水府橋 すいふばし
訪問日 平成26年(2014)1月25日
完成 昭和2年(1927)

たまたま、初代の橋を解体しているタイミングで、写真を撮っていました。8年ほど前の写真になります。水戸市街側からの撮影です。

下流側(右側)に、2代目の水府橋が写っています。
この写真の、左側歩道のコンクリートには、太平洋戦争中にアメリカ軍の戦闘機から機銃掃射を受けた時の弾痕が残っていました。そう考えると、戦争遺構としても残しておきたかったと思える橋でしょう。

11 万代橋 よろずよばし 357.6m
訪問日 令和3年(2021)11月28日
完成 平成6年(1994)10月

平成6年に架けられた、比較的新しく、美しい橋です。この橋は3代目となります。





初代の万代橋の完成:大正8年(1919)
2代目の万代橋の完成:昭和15年(1940)
2代目の橋は、現在の橋よりも、100mほど下流側にかけられていましたが、跡を見つけることはできませんでした。
私の記憶には、水戸市の気象台下から坂を降りてきて渡る橋だったこと、渋滞していることが多かったことが残っています。

12 千歳橋(ちとせばし) 335.5m
訪問日 令和3年(2021)11月28日
完成 昭和50年(1975)4月

今のところ、詳しい資料は見つけられないのですが、この橋は5代目となるそうです。





現在のR118は、茨城大学脇の坂道を降りてきて、この橋を渡って、那珂市方面に坂を昇っていくという線形になっています。職場の先輩から伺った話では、千歳橋から那珂市に向かう坂の下までは新道で、この橋が完成した当時のR118は、水戸市側から渡る場合には、那珂川下流の方向から堤防上の道に入り、直角に曲がって那珂市方面に渡って、上流側の堤防に直角に曲がるという線形だったそうです。「直角に曲がって橋を渡り、渡り切ったら、もう一度直角に曲がる」という形で、事故が多かったそうです。
現在の茨城県道63号線からR118方面に分かれる道路が旧道となり、当時の線形を残しています。

・おまけ
那珂川水管橋 なかがわすいかんきょう 492m
訪問日 令和3年(2021)11月28日
完成 平成7年(1995)

茨城県の企業局が架けている上水道の橋のようです。もちろん、人も車も渡れません。とりあえず、那珂川を跨いでいるということで記録しました。奥に見える橋が、次回紹介する国田大橋です。


次回は「国田大橋」「(常磐自動車道)那珂川橋」「那珂西大橋」「千代橋」です。
Posted at 2022/09/19 23:22:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 那珂川 橋巡り | 旅行/地域
2022年09月17日 イイね!

那珂川 橋巡り④

那珂川 橋巡り④7 水戸大橋 みとおおはし 482.5m
訪問日 令和3年(2021)11月28日
完成
・下り車線 昭和45年(1970)4月
・上り車線 昭和47年(1972)1月



1けた国道 6号線の水戸バイパスに架けられている橋です。片側2車線の快走路で、以前はスピード超過の取締が多かったのですが、最近はどうなのでしょうか。






最後の写真は、上り車線ひたちなか市側の袂の画像です。昭和48年7月となっていますが、これは上り側の橋が完成した日になります。およそ3年間ほどは、現在の下り車線のみで使用していたという記録がありますが、現在の交通量からは想像できないですね。

なお、平成10年8月に流失してしまうまでは、この橋の上から上流方向を見ると、大正時代に架けられた「(旧)寿橋」を見ることができました。

・(旧)寿橋 ことぶきばし
大正元年(1912)に、当時の陸前浜街道に架けられた橋です。平成10年(1998)まで86年間、橋としての役割を果たしてきました。大雨による流失が惜しまれます。

自分が大学生の頃は、当時の勝田市枝川地区と水戸市城東地区を行き来する際、この橋を何度も渡りました。上の画像は、城東地区側から一度那珂川の堤防を上がり、寿橋方面に向かう道路の跡です。

今回、ひたちなか市側の痕跡を探そうとしましたが、この先工事中ということで、これ以上先に進めませんでした。奥にアスファルトの跡が残っています。

(旧)寿橋についての自分の記憶は、①欄干が低かった ②アスファルト舗装はされていたが、路面が波打っていた ③どちらの袂にも、車幅を制限する高さ1mほどのコンクリート柱があった ④どちら側からも橋に向かうためには、クランク状の道路を通過していたこと 以上となります。

8 寿橋 ことぶきばし 383.0m
訪問日 令和3年(2021)11月28日
完成 平成19年(2007)12月



平成10年(1998)の流失からおよそ9年後、旧寿橋の約500m上流に、新しく架けられた、2代目の寿橋です。

橋の奥には、水戸市立城東小学校の校舎が見えます。

両側の歩道や、夜間照明など、設備が整っている橋ですが、朝夕を除くと、あまり交通量を多くないようです。

9 水郡線那珂川橋梁 すいぐんせんなかがわきょうりょう
訪問日 令和3年(2021)11月28日
完成 平成22年(2010)7月

水郡線の橋。寿橋同様、この橋も2代目の橋となっています。初代の橋梁は、昭和2年(1927)に、この橋梁よりも20mほど上流に架けられていました。

初代の橋梁は、橋脚が多く(7本)、那珂川の流れを大きく阻害していたこと也、老朽化が問題となり、架け替えられました。この架替によって、貨物駅であった「那珂川駅」(跡)近くの水郡線踏切も撤去されました。

那珂川橋梁の奥には、水府橋が見えます。この橋も2代目となりますが、詳しくは次回とさせていただきます。


次回は「水府橋」「万代橋」「千歳橋」となります。
Posted at 2022/09/17 23:52:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 那珂川 橋巡り | 旅行/地域
2022年09月15日 イイね!

那珂川 橋巡り③

那珂川 橋巡り③4 新那珂川大橋 しんなかがわおおはし 533m
訪問日 令和3年(2021)10月24日
完成 平成11年(1999)7月

自動車専用道路である東水戸道路の橋です。とても美しく、遠くからでも目にすることができます。
もちろんスクーピーで通ることはできないので、近くの河原に停めて記念撮影。

この橋の形状は、水戸市内の万代橋や那須烏山市の烏山大橋に似ていると思います。

なお、「新」がない「那珂川大橋」は、常陸大宮市と城里町の間にある、昭和24年に架けられた橋です。


5 勝田橋 かつたばし 183.9m
訪問日 令和3年(2021)10月24日
完成 昭和35年(1960)6月

自分が高校生の頃から、何度も何度も渡っている橋ですが、今回の計画で訪問するまでは「かつくらばし」だと思い込んでいました。現地の方々でも、そう呼ばれる方がいるそうです。



河口近くの海門橋と同時期に架橋されている橋ですが、平たい形状のせいか、より古い橋という印象を抱かされる橋だと思います。また、下流側に、歩行者用の橋がされています。今回、スクーピーを押して渡りましたが、すぐに渡り切ることができる短めの橋でした。


6 常磐線那珂川橋梁 じょうばんせんなかがわきょうりょう
訪問日 令和3年(2021)10月24日
完成 昭和34年(1959)

水戸市の千波湖付近を流れる桜川と那珂川の合流地点近くに架けられている鉄道橋。特急電車の通過に合わせた写真を撮影することができました。

鉄道橋としては、那珂川で最も下流側にある橋ですが、昭和13年まで、河口近くの4代目海門橋の上を水戸と那珂湊を結んでいた水浜線が通っていたそうです。

なお、那珂川 橋巡り①の中で、海門橋の歴史について現在は4代目の橋と記していましたが、どうやら間違いのようです。ひたちなか市教育委員会「那珂湊市史 近代・現代」には、現在の橋は5代目であるという記載がありました。今回の橋巡り③のアップに合わせて、橋巡り①のブログも訂正しておきます。


次回は、「水戸大橋」「寿橋」「水郡線那珂川橋梁」です。
Posted at 2022/09/15 23:26:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 那珂川 橋巡り | 旅行/地域
2022年09月13日 イイね!

那珂川 橋巡り②

那珂川 橋巡り②2 湊大橋 みなとおおはし 401m
訪問日 令和3年(2021)10月24日
完成 平成24年(2012)5月

この橋は、湊大橋としては、2代目の橋となります。
写真は、2021年に訪問した際に撮影したもので、まだ上流側だけが完成している状態で、下流側に残り2車線分の工事をしていました。現在は、片側2車線の立派な橋が完成しています。
初代の湊大橋は、昭和27年(1952)に架けられました。私の記憶では、赤く塗られた「ランガートラス橋」という構造の橋でした。
湊大橋という名前の由来は、当時の那珂湊地区と水戸市大野地区とを結ぶ橋であることから、両地区の文字を一文字ずつ用いて名付けたと聞きました。


ひたちなか市側から撮影。この頃は、完成後、ひたちなか市方面に向かう橋を片側1車線で使用していました。水戸市方面に向かう橋は、工事中でした。




水戸市側の橋のたもとの下にスクーピーを停めて記録撮影。


平成24年(2012)5月竣工となっています。
奥に見える橋は、自動車専用道路である東水戸道路上に架けられている「新那珂川大橋」です。詳しくは、次回紹介させてください。
また、この橋の150m上流側には、昭和13年(1938)まで「関戸橋」が架けられていたそうです。

後日、80年以上前に流失してしまった橋跡を探しに行ってみました。


3 関戸橋(跡)
訪問日2022年5月22日

ひたちなか市側から関戸橋に接続していたと思われる道路跡。周囲よりも、わずかに高く土が盛られていることだけが、道路であったことの痕跡でした。

奥に写っている赤い橋が現在の2代目港大橋です。関戸橋は、湊大橋のすぐ近くに架けられていたことが分かります。


水戸市側の接続道路跡
今でも、どこに橋が架けられていたのか、はっきりと分かります。


川岸まで道路の跡


関戸橋の接続部も残っています。

たまたま、地元の方がいらっしゃったので、お話を伺いました。
①戦争のころ、この場所に橋が架けられていた。
②少し前までは、ひたちなか市側にも橋跡が残されていたが、撤去されてしまった。
とのことでした。

関戸橋について
昭和4年(1929)完成。
昭和13年(1938)、4代目海門橋と同じく、大雨により流失。
昭和25年(1950)12月11日、関戸橋と海門橋を合わせて1本の橋とする計画で起工式が行われた。この時点での橋の名称は「海門橋」となっていた。しかし工事期間中に、那珂川の河口に5代目となる「海門橋」が架けれる計画が立ち上がったため、完成時には「湊大橋」(初代)となった。

以上のような経緯から、関戸橋の後継者が湊大橋となって現在に至っているんだなと思いました。

関戸橋について調べたことは、かつては多くの人々が往来していた橋跡を調べるきっかけとなりました。

次回は「新那珂川大橋」「勝田橋」「常磐線 那珂川橋梁」です。
Posted at 2022/09/13 23:42:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 那珂川 橋巡り | 旅行/地域
2022年09月09日 イイね!

那珂川 橋巡り①

那珂川 橋巡り①コロナ禍で、宿泊ツーリングを控えるようになった頃のことです。

何気なくテレビを見ていると、出川哲朗さんの電動バイクの旅で、四国の四万十川周辺のロケが放送されていました。いい雰囲気の沈下橋を渡っていると、出川さんが「素敵だ。いっそのこと、四万十川にかかるすべての橋を渡ってみたい」と言っていました。

この時、これだ!私は地元那珂川に架けられいる橋を全て渡ってみよう、これなら日帰りで楽しめそうだと思ったのです。

こんなわけで、ひたちなか市の河口から那須高原の源流まで遡り、全ての橋を写真に収めてきました。仕事の合間を見て、月に1〜2回のペースで巡った結果、1年近くかかってしまいました。全ての橋を、訪れた相棒(バイク)と一緒に撮影してきたので、一応ツーリングの報告になるのかな、と思い、少しづつ、ブログにて紹介させていただきます。

1 海門橋 かいもんはし 670m
訪問日 令和3年(2021)10月24日
開通式 昭和34年(1959)7月20日

下流側から、相棒はスクーピー。
ちょうどこの時期は、錆止め?のための工事中でした。


上流側から
川岸には、釣りを楽しんでいる方が大勢いました。


すぐ先は太平洋です。




かいもんばし ではなく かいもんはし です。


昭和34年(1959)6月竣工 と記されていました。

この橋は、自分が小学生の頃までは有料橋でした。大洗町側のたもとのロードパーク周辺に、料金所のブースがあったことを覚えています。昭和55年に無料化となり、料金所は撤去されたようですが、今は面影もありませんでした。

後日、地元の図書館で詳しく調べると、現在の開門橋は4代目の橋ということです。

初代
明治28年(1895)に開通式。有料橋。
明治29年(1896)9月の洪水で落橋。

2代目
明治31年(1898)3月開通式。
大正6年(1917)10月1日の洪水で破損。

3代目
大正7年(1918)12月22日開通式。
大正15年(1926)9月26日03:30 大音響とともに墜落。
数日前の漁船衝突と橋架の侵食が原因と思われる。

4代目
昭和5年(1930)11月19日開通式。白亜の4連アーチ型の美しい橋。しかし、当初から設計ミスで橋脚が沈下していた。
昭和13年(1938)の那珂川大増水で墜落。


その後、昭和34年(1959)までは、橋が架けられず、上流の湊大橋まで迂回する必要があったそうです。

次回は「湊大橋」「関戸橋」です。
Posted at 2022/09/10 00:26:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 那珂川 橋巡り | 旅行/地域

プロフィール

「那珂川 橋巡り⑥ http://cvw.jp/b/1482932/46407996/
何シテル?   09/22 23:33
miyaken.1967です。バイクにどっぷりとはまっています。
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