「ヒットしなかった名作にかけたエンジニア」
(リクルート「TECH-Bing」 99年8月号誌上に掲載)
技術者の人生で一度あるかどうか
そんな濃密な時間を体験しました
「NAVi5」開発チーフ(当時)畔柳楯三さん
くろやなぎ・じゅんぞう 武蔵工業大学機械工学科卒。1964年、いすゞ自動車に入社し、エンジンやECGIの設計開発に従事。81年から開発本部開発企画室に異動し、NAVi5の開発を指揮。
マイコンをフル活用して 夢のクルマを作りたい!
NAVi5という“第三のトランスミッション”がいすゞのアスカに搭載されたのは、1983年9月。
当時は自動車専門誌ばかりか各種のメディアが採り上げ、衝撃的なデビューを果たした。しかし、商業的には芳しい結果を残せず、登場から2年後にNAVi5は乗用車のカタログからひっそりと消えていった。
このNAVi5とは、5速のマニュアル変速機(MT)を電子制御ロボットが操作する自動変速システムのことである。オートマ(AT)と同じ操作を実現しながら、内部的にはMTなので、ATの弱点である燃費や加速、エンジン・ブレーキなどの問題を解決できるわけだ。
今現在でさえ、非常に秀逸なアイデアのように感じる。彼らはいかにしてこのシステムを発想し、実現したのか。
「78年の排ガス規制(マスキー法)で、当社では電子制御インジェクションを採用したところ、実に簡単にクリアできたんです。
このときエレクトロニクスの凄さを痛感したんですね。その体験があったので、81年に開発企画室に異動したとき、マイコンを使って何かできないかと考えたのです」(畔柳氏)
意外に知られていないが、いすゞは電子制御式の燃料噴射装置を市販車(117クーペ)に初めて積んだメーカーだったのである。
しかし、マイコンをフルに活用した自動車とはいったいどんなものなのか。畔柳氏自身もコンピュータに関しては素人だったので、答えが出ない。そこで、知り合いの技術者たちに呼びかけたところ、共感した7人の若手技術者が集まり、議論が始まった。お互いのクルマへの夢を語り合ううち、具体的な形が浮かび上がってきた。すなわち「ドライバーの意志を読みとってクラッチやギヤチェンジの操作を代行してくれる感性ロボット」である。
さっそく廃車寸前のジェミニを譲り受けて試作を開始。エアボンベとエアシリンダーでクラッチやギヤシフトを操作するロボットを製作して積み込んだ。マイコンは秋葉原で部品を購入し、参考書を片手に自作したという。
「趣味のサークルと同じなので、活動は就業時間外のみ。しかし、強制しないのに、昼休みや終業後はもちろん、土日も返上でみんなこの夢のクルマの開発に熱中したんです」
自動車全体を電子制御する
世界初のシステムが誕生した
製作開始から半年後、事件が起きた。9月のある休日、藤沢工場の正門前で走行実験をしていたときに、滅多に工場に来ることはない岡本社長(当時)が偶然、通りかかったのだ。
「“とても社長に乗っていただける段階ではない”と断わったんですが、“構わないから乗らせろ”と言われまして」
試作車に乗り込んだ社長は、ギクシャクと辺りを一周した後、メンバーの努力を讃えて全員と握手を交わしながら「来春にもう一度乗るからね」と言い残し去っていった。
感激したのもつかの間、翌日上司に報告すると大騒ぎになった。またたくまに“お遊び”は、正式なプロジェクトに格上げ。メンバー全員が専任となり、予算も人員も増強された。それから発表までの2年間はまるでジェットコースターに乗っているようだったという。
「革新的な製品は早く出さないと意味がないと、会社に泊まり込んで開発に没頭した。ドライバーが行なう当たり前の操作を分析し、ロジック化する作業は予想以上に困難で、怒鳴り合いのケンカも日常茶飯事でした。未知のテクノロジーに挑戦しているんだという気概が、すべての障害を乗り越えさえたんです」
最終的なNAVi5の完成型では、車速、アクセル開度、エンジン回転数など約20個のセンサーから得られる情報を元に、8KバイトROMと192バイトRAMを搭載したマイコンが演算・制御する自動変速システムとなり、オートクルーズやHSA(坂道発進補助機構)も追加された。0.3秒という速さでシフトチェンジを行ない、キックダウン時もエンジン回転数を完璧に合わせてクラッチミートする、極めてインテリジェントなシステムが完成したのである。
「全国のディーラーを回ってお客さんに話を聞くと、好き嫌いがハッキリ分かれました。気に入って10万キロ超えるまで乗り続けていただいた方もいれば、“どうしても合わない”とおっしゃる方もいました」
NAVi5は構造を熟知しているかどうかで操作感が変わるシステムだった。意識的にアクセルワークを行なえば、ATより自由に変速ができるが、その分操作は複雑だった。また、当時は電子制御の部品が故障すると、部品供給の問題から修理に時間がかかるのも難点だった。結局は“早すぎた”ということだろうか。
ただ、21世紀の自動車作りに燃費向上は至上命題である。その意味でNAVi5は復活の可能性を持っていると信じる。もう一つ注目すべきは、NAVi5はエンジンやブレーキなど自動車全体を電子制御する最初のシステムだったことだ。
1983年にこの思想を具現化した点に、技術者たちの理想の高さを見る思いがする。
と記事は終わっているが、
本当にNAVi5はヒットしなかった名作だったのだろうか?
その後2代目ジェミニ、あの ジウジアーロがデザインを担当し、ボディバリエーションは3ドアのハッチバックと4ドアセダンを設定した。
カジュアル感覚の3ドアHBには電動キャンバストップ付きのユーロルーフ仕様が用意されている。エンジンは 1.5リットルの4気筒SOHCガソリンでスタートしたが、10月に1.5リットルのディーゼルとディーゼルターボを投入。'86年5月に1.5リットルのインタークーラー付きガソリンターボも登場した。また、'88年春には待望の1.6リットルDOHC16バルブエンジンを送り込む。可変吸気システムを採用した4XE1型DOHCは 135PS/14.3kgmのパワースペックだ。ミッションは5速MT、3速ATに加え、マニュアル操作できる電子制御5速ATのNAVI-5を設定した。
ジェミニ
(NAVi5ではシフトポジション「1」「2」「D3」「D5」「R」があり、「1」「2」はそれぞれ1速と2速に固定、「D3」は1~3速で自動変速、「D5」は1~5速で自動変速、「R」はリバースとる)
スポーティーグレードが充実しているのもジェミニの魅力のひとつである。'86年6月にレカロ製のスポーツシートやモモ製の本革巻きステアリング、エアロパーツなどを採用した“イルムシャー”を投入した。これに続き、ハンドリング・バイ・ロータスをシリーズに加えている。サスペンションはストラットとコンパウンドクランクの組み合わせで、イルムシャーにはビスカスLSDをオプション設定した、このジェミニそこそこ売れましたよねぇ~。
まぁ~本当は、このNAVi5、いすゞの車では貢献できなかったかも知れませんが、この技術の特許って意味では、いすゞに大きな貢献をしたんじゃないかな?
と思ったりして、今でもいすゞの技術力って凄い有るんですよねぇ~。
ブレーキアシストシステム、坂道発進でブレーキをアシストしてくれる装置を、世界で初搭載した車(トラックだったけど)も確かイスズだったかな?
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旧車 | クルマ
Posted at
2008/02/14 02:51:25