
2019年11月追記
なんと、2019年5月頃、火事によって本堂が焼失したとの事。
ニュースに掲載されるような事ではないので詳細は不明ですが…深夜3時頃に消防が出動したようです。
もともと火気は無いので、放火でしょうね。
火事で焼失する廃墟は多く、悲惨な最期を遂げています。
関係者による解体は別として、無関係な第三者の手で破壊される事は大変残念です。
無管理状態だったここも、立入が厳しくなるでしょう。
追記終
茨城県の廃寺に行ってきました。
といっても、
前回とは違い、本当の廃寺です。
有名サイトでは既に解体されたとの情報でしたが、みん友の
かね@35さんから伺いまして往訪する事としました。
以前よりある写真を見て、自分でも行ってみたいと思っていました。
現地に到着しました。
かなり山奥ですが、ここまでは86でも余裕です。
ちなみに4月と5月にそれぞれ1回ずつ訪ねているので、季節感がバラバラです(*_*)
息の切れる入り口。
賽銭箱のある本堂。
開いとるんか?
大広間。
ここに多くの人が講釈を聞いていたのだろう。
何者かによって、某教祖が祀られています。
信者のフリをした落書き。
動物の鳴き声が夜になると怖い、はリアル。
〇×は1人でやってたのか?
離れに行きます。
足の踏み場もない。踏むと踏み抜ける。
有明みかん五輪塔。
真っ暗な上に遺留品だらけです。
もう1つの離れも似たようなもんでした。
小ぶりな建屋。
開いとるんか?(二回目)
仏像と、無数の操出位牌。
この光景を見てからここに行ってみたいと思っていましたが、解体されたと聞いていました。
自分でも見る事が出来るとは。
床が腐り、棚が歪んでいます。あらゆる家の位牌が並んでいます。
自分の名前はあったかな?
無慈悲。
実際、抜け落ちている箇所があります。何故か消火器や笠が…。
一つ、どんなものなのか手に取ってみます。
中の木札に先祖代々の戒名を書き、まとめておく位牌だそうです。
通販で見てみると、数万円はする高価なものです。
まぁ、こんなもん拾って使ったら祟られそうですが。
何故、ここまで色々なものが放置されているのか。
それは1990年代末期に、この寺を統括していたグループが詐欺集団としてオウム真理教に次いで史上二番目に解散命令を出された宗教団体である為です。
1980年代、水子供養をビジネスとして商売していた男性が、本格的に宗教ビジネスを始めようと思い立ちました。
実際に真言宗醍醐派の僧侶としての修行を行い、徳を積んだ上で「霊感商法」を始めました。
真言宗寺院として、茨城県大子町に寺を設立します。後に真言宗より独立して僧侶に歩合制を課し、不安を煽る言葉で、人々から次々と金を振り込ませます。
1990年前半に訴訟が多くなった事から、和歌山県で休眠状態だった寺を買収し、関西で同じビジネスを始めます。
また訴訟問題が多くなり、1990年代半ばに主犯格の男性と上役達が詐欺罪で逮捕されます。
その後、1999年に宗教法人解散命令が出され、明覚寺グループは解散します。
傘下の寺は三十以上、信者は二万人とも言われていたそうです。
最後に、事務所を見てみましょう。
最高カビ臭いです。
マスクがあった方が良いでしょう。
傘がたくさんある。
よく壊されないな。
三階建ですが、上に登るほどおかしな事になってきます。
アルバムが放置されています。
祈祷や修行の写真集です。
どこかの滝で修行?
EXILE(違
この写真は何なのか…。
すぐ横が広間になっています。
机が無数にあり、大勢の方がここに居たのだと思います。
そして、ここにある大量の資料は…。
逮捕された上役の方の供述書?全て手書きで200ページはありそうです。
通帳の山。
4億とかの残高の書いてある通帳もあるようですが…。
当たり前ですが、こんなもの持ち出して使おうとしても逆に捕まりますからね。
ほぼ全ての銀行が吸収合併で名前が変わっていました。
ビデオテープ等も転がっており、再生すると何が映るのか。
物凄い数の資料が段ボールに仕舞われていますが、一部は長年の雨漏りで完全に腐っています。
畳はナヤノシロチャワンダケというキノコがたくさん生えています。キモい。
さて、最上階に行きますか。
またおかしな事になっています。
本堂の某教祖もそうですが、定期的に特定の人物が来ているようです。
何故か天井にも無数に貼ってあります。
以前、何故かブラジャーが万国旗のようになっており、廃墟マニアの間では「ブラ寺」などと呼ばれていたようです。
先ほどから個人の名前がたくさん晒されているのですが、どうもヨガ教室に通ったものの効果が出なかったという恨みによるもののようです。
Twitter拡散希望、というあたり執着心の強い人物です。
この廊下の横の部屋が、ブラ部屋として有名だったようです。
愛知の呪いの絵画展。
ベッドの置かれたその部屋は、ある人物の名前や住所がこれでもかと貼り付けられていました。
どうも廃墟趣味の人物が廃墟から金目の物を盗んでヤフオクで販売していた事で、この部屋の主に目を付けられたようです。
不明な薬物等としてビン類を販売したりしていたようですね。
この部屋の主が直接被害にあったのか、鉢合わせてしまったのかは分かりませんが…。異常な執着心です。
アンケート用紙があったり、アートミュージアムと謳っている等、異常である事は疑いようはありません。
しかし、本当に異常な人間というよりは、異常なフリをしているような…そんな違和感はあります。
この先も行ってみましょう。
2018年12月追記
前は違う部屋に置いてあった壺が、廊下に。
足が生えたようです。
2018年12月追記
前はこの部屋にあったような。
2018年12月追記
どの部屋も
2018年12月追記
同じくらい傷んでいます。
これは雨漏りするわ。
2018年12月追記
お、これはブラ寺。
2018年12月追記
万国旗^_^
カギがかかっているのかはよく分かりませんが、ガラスが割れていたのでそこから出てきました。
ここに来るまでに案内看板があり、この寺も未だに看板に名前の記載があります。
この先にあるつつじヶ丘という景勝地へ行くには敷地内にある道路を通らなければなりません。
何も知らないで来たら、すごいイヤそう。
という事で、探索を終わります。
全く管理されておらず、良い物件でした。
車を停めるスペースはありますが、乗用車ですと2台停めると3台目は他の車の前に停める事になるでしょうね。他にも停めようとすればいくらかありますが。
いずれにせよ、妙な人物の車で封鎖されないようにしましょう。脱出できなくなりますよ(笑)
Posted at 2018/05/21 02:08:07 | |
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廃墟 | 趣味
2018年04月30日

群馬県で、スカイラインR34GTRとの貴重な出会いをしり目に湯沢町を目指します。
このルートは草津が噴火の影響で通行止めだったので使えませんでした。
その為、さらに南下し迂回して、湯沢町の二居(ふたい)渓谷を目指します。
ここには、変電所跡と貴重な橋があります。
三国街道から、貝掛温泉近くに来て一度停車します。
しかし、この街道は道が広いせいで、飛ばす車が多いですね。
ファミリーなミニバンの後ろにぴったしくっ付く輸入車なんてのは、余裕があるようには見えません。
スポーツタイプ・輸入車等の嗜好性の強い「いい車」に乗っているなら、それ相応の余裕のある、かっちょいい運転が求められると思います。
二居渓谷にある、旧国道17号線を目指します。
まずは変電所はおいておいて…貴重な橋を見に行きましょう!
車が通った後もあります。
目指す場所は結局、車が通れないのでこのまま歩きで良いでしょう。
せっかくトレッキングシューズも買ったしね。
藪に覆われているので、道が分かりにくいですね。
といっても10mくらいで改善します。分かっていれば、大したことはありません。
駒止めがあるという事は、車両が通ったという証。
お、見えてきたぞ。
その名を「境橋」と言い、上路ボウストリングトラス式という珍しい構造をしている橋です。
他は、岩手県北上市にある和賀仙人橋くらいでしょうか。
既に橋の上には、木が大きく育っています。
1952年に竣工しましたが、10年程で道路が廃止されてしまいました。
Wikipediaから画像を借りてしまいますが、これが下路式トラス橋。
これが上路式トラス橋です。今回、これのボウストリングという弓と弦のような構造のモノです。
何故珍しいかというと、日本ではあまり取り入れられなかった構造の為ですね。
特に下路式の場合、強度に難点があるようです。
橋の上は、地面と境目が分からないほど。
手すりは大部分が残っていますが、一部は壊れています。
橋の下方に、橋台が見えます。
旧橋と思われますが、どのような橋であったかはよく分かりません。また、橋へ続く道の痕跡もありませんでした。
親柱は4本とも健在ですが、銘板はありません。
この橋台も鉄筋が露出して、限界に近いです。
河川まで降りて全景。
恐らく、この橋を見に来た方の9割は関連URLの「山行が」レポートを見た為だと思われます。
私もそんな1人ですが…。美しくレアな橋を見られて満足です。
さて、題名通り…
現道の国道17号線にある、二居変電所跡にも行ってみますか。
とりあえず、86を一緒に撮りましょう。
都合よくスペースがあります。
この建物が「二居変電所」なのかは分かっていません。
「二居」と壁に彫られている事と、地図に変電所と書かれている事から、そう呼ばれています。
変電所ではあったようですが、正式名称は不明です。
少し、この変電所の事を調べてみましょう。
ネット上では「二居変電所」が本当の名前で無い事に触れていても、本当の名前に言及している記事はありません。
個人的に調べた限りでは、東京電燈㈱が大正13年(1924年)に落成した「萱付変電所」が本当の名前だと思います。
この界隈は湯沢町ですが、萱付という字・集落跡・地名があり、付近のトンネルは萱付トンネルという名前です。
昭和初期頃の建物という見方をしている方が幾人か居り、年代が一致してきます。
今昔マップ様から。
昭和9年(1934年)では、萱付の名前と発電所/変電所の記号があります。
これが萱付変電所、いわゆる二居変電所とみて、間違いないでしょう。
昭和49年(1974年)には、記号も萱付の名前も消滅しています。
昭和40年(1965年)の地図には、変電所の記号が書き込まれていたというブログ・レポートがあります。
また、東京電燈に勤務されていた知久清之助氏の経歴にも、萱付変電所の名前が出ています。
知久氏によって、この変電所が作られたという事でしょう。
1924年に建設され、1960年代後半~1970年代前半に廃墟となったようです。
意外と早い廃墟化です。
同時期に建設された花畑変電所や猪苗代発電所は、2018年現在も現役である事を考えると、萱付変電所の廃墟具合はどうなのでしょう。
もっと詳しい事は、東京電燈社史や湯沢町史などを読むと分かると思います。
もしくは、直接聞いてみるか。そこまでしませんけど。
中に入るのは大した手間ではないのですが…
どうにも先客が居り、男女の騒ぐ声が聞こえます。
騒ごうにも1人しかいない静かに廃墟を楽しむタイプの私としては、苦手なシチュエーションです。
フォレスターが停まっていたのでソレと思いますが、どんな人物・人数とも分かりませんので、残念ながら今回は中に入りませんでした。
国道沿いという、アクセスが容易過ぎる故ですが、その割にはよく持っています。
ここから少し南に、大正12年に建設された湯沢発電所があります。
今昔マップを見てみると、昭和8年から昭和49年まではこの変電所付近に送電線がありましたが、平成19年(2007年)になると送電線ルートが大きく変更されています。
大正~昭和は湯沢発電所とタッグを組み、昭和中期に入り、土樽発電所や奥清津発電所が建設された事で役目を終えてしまったのでしょうか。
いつになるか分かりませんが、次回来る時はゆっくりと中を拝見したいものです。
発電所・変電所の廃墟は、ロマンが溢れていて好きです。
という事で「二居変電所」の本当の名前は、東京電燈の「萱付変電所」だと思いました。
Posted at 2018/05/18 01:51:36 | |
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廃墟 | 日記
2018年03月31日

3月31日は晴天で桜日和だったので、出かけてみました。
見てみたい廃物がたくさんあって困ります。
今回は、廃のようで、廃ではありません。
茨城県石岡市にやってきました。
国指定重要文化財の、善光寺楼門です。
楼門とは
2階建作りの建物を意味しますが、この善光寺楼門は
2階建にしようとしたものの、なんらかの理由で断念したという歴史を持っています。
正確な建築記録は残っていないようですが、1993年~1995年にかけて修繕を行ったようです。
入り口には、歴史がつらつらと書いてあります。
1501年に新治郡井白郷舘荘太田月光山麗に土浦北部の小田氏が建立したのが始まりとしています。
この小田氏は、後に近隣の佐竹氏に小田城・土浦城を攻め落とされ、没落してしまいます。
4人程のおじ様方が、池の手すりを直していました。
竹を切り出して、寸法出しをしていました。
ボランティアでやられているそうです。
こうした方々のおかげで、きれいな景観を保っているのですね。
この上には、お寺があります。
登ってみます。
月光山善光寺。
1501年に、新治郡井白郷舘荘太田月光山麗に建立され、1701年に山の上へ移ってきました。
仮面ライダーや、ドラマの撮影も行われた事があります。
廃寺に見えますが、現役のお寺です。
ただし、周りはロープで囲われており、中には入れません。
絵が描かれていますが、色あせており、内容はよく分かりません。
右の絵は、割と物騒な具合です。
山号は月光山(がっこうさん)。
山号とは、寺を作る場所が山の中なのでその地名を名乗ったもので、仏道の修行場である事を表す意を含んでいると言われます。
「『比叡山』延暦寺」等が有名でしょうか。太田月光山に建立されたので、月光山の号を名乗っています。
詳しく解説しているサイトがありますので、
興味がある方はそちらで。
見る限り、だいぶくたびれています。
全体が
朱色のお寺です。
桜がある事までは考えていませんでした。
良い時期に来れたかな。
屋根がねじれています。
寺の構造に詳しくないですが、柔軟性がありますね。
日陰は、比較的まだ
朱色だった気がします。
少し脚色していますが、軒天部分も
朱色です。
現在も壊れ続けています。
化物語の、北白蛇神社のような廃れ具合です。
こうなってしまったのには、いくつか理由があるようです。
住職がいなくなってしまったというのが一番大きいようです。
明治時代には、住職がいなくなってしまったのだとか。
その後は檀家の方々で何とか支えていらっしゃるそうですが、この状態は「
恥をさらしている」と快く思っていない方もいらっしゃるそうです。
年齢的にも檀家が少なくなってきており、いっそ取り壊す…という意見もありながら、結局金銭問題となってしまっています。
来る前までにも墓石があったように、周りには多くの墓石があります。
奥には、冒頭で登場しこの寺を建立した小田氏の代々の墓があります。
ところで、寺の敷地に轍があります。確かに車で入れないと色々大変ですね。
ここ数日、雨が降っていないのにぬかるんでいます。FR車なんかはあっという間にダメになるでしょうね。
という事で、86で行ってみます。
道中、結構な段差、らせん状の坂、竹や枝の散乱がありました。
良い子はマネしないでね。
なんとか入り口まで来ました。
ちゃんと案内がありますし、車が入っては行けないとはありませんので…。
この先、未舗の坂になっています。道幅は軽トラ用ですね。枝は86に当てながらになります。
あとヌカルミ、こいつは強敵です。会社のトラックも2台ハマってJAFにお願いした事があります(^-^;
坂を突破して、寺と対面です。
知ってて来ましたが、ヌカルミがヤバいですね。
一回ハマりました。抜け出せないかと思いましたよ。
なかなか見られない光景です。
嬉しいです。
寺がなかなかに大きい事が、分かりますでしょうか。
参道の真ん中に路駐なんて、背徳的。
この日は出かけるのも遅かったのですが、思わぬ事が出来て嬉しかったですね。
撤退します。
なお、この日は
参拝者が1人も居なかったので出来た所業というのを付け加えたいと思います。
他の参拝者・見学者がいる中で、車を寺にベタ付けして撮影するのはトラブルの元と思います。
不気味な寺、撮影の聖地等でここを訪れる方は少なくないようです。
私も終始、他の方が来ないかを気にかけながら撮影していました。
悪路、狭路という事も含めて、車両の乗り入れはオススメ致しません。
禁止はされていませんが……掟破りの地元走りって事で勘弁してくださいm(__)m
Posted at 2018/04/07 02:32:45 | |
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