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2013年08月29日 イイね!

昭和60年男は70年代が好き

昭和60年男は70年代が好き今日はクルマ以外の話題で書いてみよう。

火曜日に春に遊びに行き泊めてもらった、
前支局長とまた飲む機会があった。
「K同の若いの、連れて行ってもいいかな」

通信社も同業であるが、若い記者らと一度でも
仕事を一緒にしたら、仲良くなれるのは、
支局長がもてなしの料理を作り、楽しい酒宴を
よく開くからである。


マスコミ人で取材記者のうち、ローカルコレスポンダーは、
大変だが、自分の裁量で生きる私には憧れの職種であった。

マスコミに対する誤解が解けないが、別の角度から普段の彼らを見て来た
私に取り「一緒の釜の飯を喰う」ことの大事さは、何より終生の友情の
ところがある。

それを経験出来ぬうちに辞めてしまったが、そのうちに俳優エキストラの
依頼が来たらぜひヤッて見たい役柄である。

支局長氏の好みを知っているので、私はLPレコードを置いている、ちょいと
アナクロでアナログなバーを指定した。

約束の時間に、昼間に近所のおばちゃまと飲んで寝てしまったので、遅刻
するという失態を演じたのだが、彼は心配もせずに磊落に既に飲んでいた。
2行上の記述、おばちゃまと寝たのでなく、昼寝なので誤解しないでね(爆爆)
まあラテンだから、どっちでもいいか(爆)。

そこには二人の若い記者が同席しており、特に一人は古いことが大好きだ
と言う。
バーのマスターが、ELOだのクインシージョーンズのDUDEなんかを
かけるので私が片っ端から解説する。



そうするとカウンターの左隣で飲んでる36才男が、今度は私に聞いて来る。

QJのことは、常識的知識なので"Rod" Tempertonという右腕がおり、
そこを聴き落とさないように、と説明しておいた。



これは80年代のライブインジャパンだけど、この圧倒的な音源には肝を
抜かれる。あの時代というのは、こういう日常が、どこかで起きていたが、
特別なニュースでもなかった。

田舎の朝日新聞だけを読んでいる波平さんには終生無縁の、夢のような
時代であった。


低下していたテンションが、上がって来たので、若い彼らと話をすると
「昭和40年男」という雑誌の大ファンだという。
70年代と言うことばに憧れが有り、再放送で見た、ドラマやアニメに
大変惹かれると言う。

ふーん君らは何年生まれだ?と訊くと、昭和61年だという。
彼らは昭和生まれであることが、古くささの誇りであり、この後平成
生まれの奥さんをもらって、他愛のない口喧嘩をするのだろうな、
きっと。

さあ次に行きますかと、頃合いを見計らい、新地に繰り出す。
ゲルピンおじさんと、最初に断っているので、私の行ける範囲で安い
所にいく。
そうして、彼らにいろんな歌を歌ってもらった。
どんなのが好きかと言うと、中村雅俊、チューリップなのである。





おそらく難関試験をパスして、こういう職種に進んだ彼らは、中村を
先輩にいだく早稲田などを出、時代の先端のITよりも選んだ道の正当性を、
自身の趣味の古くささに、求めているのでは、ないだろうか。

近年こういった男臭さが、とりわけ懐かしい年齢になってきた。
パーソナルなツールが発達する以前、共同生活や、貸し借りのあることは、
人間教育の一環だったのかもしれない。

時代が無機質になる直前に生を受けた彼らが、今の時代に必死になり
立ち位置を探している。
私は偶然、その時代を目撃しているのと、何よりも観察眼が強いので
その当時と今を比べたり、背景の差に着いて考えている。
そんなに今見ても、昭和って面白いものなのかも、しれない。

今日は自動車の話まで、持って行かなかったが、僕はちょっとだけ
最近の若者の気持ちが判ったような、気持ちがして、心地よく
酔っていたのであった。













Posted at 2013/08/29 13:36:50 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 音楽/映画/テレビ
2013年08月28日 イイね!

8月は暑かったけど、最後は涼しく

8月は暑かったけど、最後は涼しく今年の夏は誰にも、苛斂誅求な暑さでした。
そんな夏ももう暦上では終わろうとしています。

私は、17年前の夏から、滋賀県のびわ湖バレイ
と言う場所でなんとなくの、自動車の集まりを
開いています。
しきりは8月最後の日曜日。
そのこゝろは、「いかないで夏休み」といった
気持ちで行く夏を惜しもうというものでした。


このハマり文句はオリジナルでなく、実は1982年のことに溯ります。
当時新進のミュージシャンだった、杉真理(まさみち)と、女性歌手の
須藤薫、それにこの二人にとり同い年であり、繋がりの深いユーミンこと
松任谷由実が、3人プロジェクトで、8月の最終週に、渋谷の公会堂で
数日間のコンサートをやりました。

題して「ワンダフルムーン」、その時のポスター(週刊誌の広告は切り取って
今も保管しています)によくコンビを組んだ、杉、須藤の二人が写っており
「行かないで夏休み」がキャッチコピーでした。

私は杉真理も好きですが、とにかく彼の歌を歌う時の須藤薫の伸びる声が
好きで、数少ない関西のコンサートの時は、欠かさずに通ったものです。
1980年デビュー。これはアルバムでシングルは1979年の「やさしい都会」
という平山三紀の歌のリメイクでした。これを作詞したのが結婚する以前の
荒井由実だったと記憶します。



これは「恋のビーチドライバー」というシングルだけの曲ですが、
彼、彼女ら1954年生まれの5才上の世代は、クルマを取り上げた曲が多く
この年からクルマに乗り始めた私には、須藤薫ナンバーはドライブの必需品
でした。



これは杉サンの「素敵なサマーデイズ」というご機嫌なナンバー。
まあランサーも2ドアの方でしたから「ガタの来たクーペ」に乗り続ける
ことはサイコーじゃないかと、その後も、セリカ、フィアット850ときて、
未だに私は、キープコンセプトを30年以上続けているわけです。



そんな私の「行かないで夏休み企画」も、もう17年目。
クーペもわたしも、大分ガタが来ていますが、今年も悪天候をついて
開催いたしました。昨年は自分を含めて、参加台数は3台。
飽きられもせずに、今年は雨の中、私以外の4台がよく来て頂きました。

話は前半に戻ります。

近年はコンサートに行くこともなかったけど、相変わらずにお気に入りだった
須藤薫さんが今年の3月3日のひな祭りの日に、この世から突然旅立たれました。
58才と言う年齢で、急病のためでした。
しかたないと言えば、それだけですが、私も今年で54才。
行かないで夏休み企画は、最初の始めた年が、私は37才。

二人の子どもの親であり、密かに心の底に、1982年夏へのオマージュと
須藤薫さんの歌に元気づけられて、20代を走り切って、30代は家庭を持ちました。
ああそれなのに、あのシンガーはもう、この世にいない寂しさは
お分かりでしょうか。




それで今年は最後の夏にしようかと、この場所に、また来てしまいました。

連日の猛暑と、今のよるべなき気持ちと、私を必要としている人はいるのだろうか。
そんな無聊な気持ちも、直前に修理からアルファが帰って来たので、今年は板金中の
850でなくニューカマーで参戦いたしました。
僅か1ヶ月前の状況なら、代役の2000円ミラだったでしょう。





山から下りる頃は、霧も晴れて来て、ご覧のような琵琶湖の眺望が広がり
ロープウエイ車内でも歓声が広がりました。







さあ、遅れて参加のもう1台を見に行きます。



大阪からのMさんは、なんとダイムラーダブルシックスのダークブルーを
足に使われる自営の青年です。



これが変速機レバーまわり。



これがジャングルの奥に隠れた12本足のディストリビューター。
(爆)



最初の頃はこんなに電装品がついてなくて、英国の工場でも整備出来たのに
長命ゆえ、最後の頃は、こんなぐっちゃぐちゃのエンジンルーム。
うーん、無理。

しかし長く続くことは、嬉しいサプライズもあるのです。



このルノーRC−Zに乗られる男性は、以前はスープラ似の3代目ソアラを
乗っていて、2度ほど、びわ湖バレイミーティングに来ていただきました。

今年は、ご家族、二人の可愛いお嬢さんと奥様が2次に分かれて、最初は
RC−Z(父+二女)、第二次がステップワゴン(奥様+長女)と元気一杯の
ご参加をいただきました。そうかあの時の彼が、今はお父さんなんだ。

最初参加した時は、妻はGFの結婚以前で、一緒に連れて来たのですよと、
ちょいコワの顔でにっこりされると、私も頬が緩みます。



2才と5才くらいのお嬢ちゃんたちは、元気一杯で、楽しんでいかれました。
そういえば、私にもそんな時間がありました。

僕らにとり、クルマはただの道具でなく、ライフスタイルの一端でもあり、
このW6を乗り回される方のように、クルマ好きが高じて、商売の道に進まれる
人もおられます。

彼のW6と私の75の乗り比べも、やってみました。
今年は残念ながら来られませんでしたが、盟友紺の豚氏も大好きな、
夏の日の思い出作りです。

そうやって考えると、クルマ社会はどんどん変わって行っても、最初のきっかけは
子ども時代に自動車好きであったことから、来ているのではないか。
それが学生時代くらいに後ろ倒しになることがあっても。

最後に須藤薫の思い出として、彼女がアルバムデビューするきっかけになった
ユーミンの名作「サーフ天国・スキー天国」を間に挟む。
この合間に綺麗なファルセットでコーラスしていたのが須藤薫で、その後
松任谷正隆のラジオ番組で、紹介された放送を私は聴いていた。
彼女はほんとうに、天国にいっちゃったけど。



今年もびわ湖バレイミーティングが終わり、暑いぐったりとした季節が
去りました。

今回たくさん仲間を連れて来てくれたスマートクーペに乗る、滋賀のK島さんは、
昔はずっとA112で来てくれた。この間のジャガーオフと言い、いつの間にか、
遊びで乗れるクルマも、すっかりサマが変わったなと思います。

僕らも次の世代が、そろそろ大人になりかけている。
このミーティングは、来年も続くだろうか。
その前に、近年衰えを感じる私が、元気にならねばいけないでしょう。



去りゆく夏の日の終わりに、私はそんなことを考えながら、今年から乗るように
なったアルファセダンのハンドルを握り、ひとり家路を戻って行ったのでした。

Posted at 2013/08/28 11:43:50 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年08月27日 イイね!

【朗報】アルファ75名変終了



昨日東灘の陸運事務所到着15時半
手続きぎりぎりで、アルファロメオに
神戸ナンバーが着きました。

神戸503の2821です。

とりあえず携帯で撮った写真より。

隣は珍しいフラットダークグリーンの旧プント。



昨日の陸運事務所、最後の封印作業車でした。
Posted at 2013/08/27 11:21:19 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年08月22日 イイね!

岡山の人は乗られませんか ボルボ365

岡山の人は乗られませんか ボルボ365一度は見に行き、結局アルファ75になったので
買わなかったボルボ365の事を思い出しました。

結構いい状態です。
お値段はそれなりにします。
岡山59ナンバーが、残ると良いと思うのですが
どなたか岡山県の方、乗り継がれませんでしょうか。

クルマはリンク先の方が、フォーセール中です。

http://blog.livedoor.jp/nocartrouble/
2013年08月19日 イイね!

岡山に豹狩りに行ったお話。

岡山に豹狩りに行ったお話。金曜日から、先祖の墓参りと高校の同窓会で、
山口と福岡県に行って来た。

後者の方があんまり盛会と、人的繋がりに
プラスになりそうもなかったので、旅先に届いた
1本のメールに最後は賭けることにして
最終の上りの新幹線に飛び乗り、途中駅で降りて
宿を取った。

朝早く電話があり、9時に岡山に着くという。

ワタシも起きて身仕度をする。今日も暑くなりそうな予感だ。


9時ちょうどにホテルを出て、ペパーミントグリーンメタリックの、
冷房の効いた友人のクルマに乗りこみ、豹紋ならぬ虎の皮のパンツは
履いていないが、いざ鬼退治に出かけるとする。


最終の信号で珍しく同じジャガー同士が偶然並ぶ。向こうは女性が
運転するSタイプだ。
なんとなく、今日は楽しくなりそうな、予感♪



ふと、中年の女性が運転して、サマになる高級車って何があるかと
考えてみる。

ボルボだと780くらいしか思いつかないし、普通のワゴンだとトラック
みたいなオバさんの印象になる。

BMWは、Z3に一時期人気が集中したが、時節がらキャバクラなどの
お水関係に、ウケ過ぎてしまった。だからZ4でがらりと変えて、男っぽく
硬派にイメチェンしたのだろう。
このあたりのマーケティングは、さすがと思うが、ビーエム=メーカー自身
狡猾な印象はぬぐえない。

MBはCクラスとMクラスを運転する女性は、よく見かける。ただ、あまり
美人が運転しているのは、見たことが無い。他意は無いが、ただそれだけ
である。

あとは、アウディか。まあまあ賢いプロモートは認める。
良妻賢母型なのだろう。




市内に出ると、道の構造が広島と同じく路面交通に電車が加わった町なのだが、
ここは古い時代の記憶が残っているので、ナビがくるくる「捕捉中です」を繰り返す。



おや、赤のXJ−Sだ、と思ったら、今回のホスト役の方のクーペだった。
ワインレッドか。

方向が逆なので、何か所用を足してから、集合場所に向かわれるのだろう。
しかし、良い色だな。

ジャガーというとXJ6が好物だが、昔ひと夏だけ、GFだった女性が、シリーズ3
のオーナーになられて、横に乗せてもらったことを思い出す。

でも大型のクーペも好いなと思った



市内から郊外に抜ける国道をしばらく行くと、風景が山あいになり、目的地についたと
乾いた女性の声が、案内を終了した。

この会場はオールドボーイと言うカーショップがメインで、あとは敷地内に
豚の蒲焼き丼が名物のごはん屋とか、喫茶店も有り、真ん中の池には鯉もいる
池水庭園型の、美観が保たれている。




ジャガーのような、日常からほんのわずかだけ、非日常に入り込んだ自動車には
あくせくした環境は似合わない。横には古いジャガーが2台鎮座していたので
さっそくそれを見に行く。






英国車というのは、ふつう、日本人だと旧ミニが入門という人が多い。
たまにメトロとかの114系で、味わったり、1960年代ならトライアンフにMG、
70年代の終わり頃は、日英が入れているMGBしか無かった。

そんな不毛の中でも、新東洋がジャガーXJ6をずっと入れてくれていた。
細々ではあるが、長く続いていて、最近は量よりも、質やファンを大事にする
ビジネスの方が「正しい」と思っている。

僕はだから、30代の頃にローバーP6が乗りたくて、堪らなくなり、新東洋ものの
V8 3500に38才の時に、うまく出会えて9年間乗り続けた。



古いジャガーの他にも、ご商売は、ディーノ系フェラーリやナロー中心の911系
ポルシェと言ったファンの多いクルマで、成り立っているのだろう。

岡山という所は、郡に強い町が多い。倉敷も僅かしか離れていないが、新倉敷に
新幹線を停車させて、いまは陸事もあるので、倉敷ナンバーも参加車両のなかに
散見することが、できた。
あとは津山市と、久世と勝山町が印象的だ。

喫茶店に逃げ込んで、涼んでいると、ミーティングの参加車が、続々と到着する。
やはり近年のシリーズが多いが、懐かしいXJ6や、評論家の観識を一変させた
ダブルシックスも登場する。

他にも周囲に好いクルマが集まって来て、さながら炎天下なのに駐車場は
車好きの花畑の観を呈するようになる。



これは117クーペなのだが、最終期の前のヘッドライトが角4灯に、変わる直前
の52、3年頃のモデルと思われる。砲弾型のバックミラーが、スクエアなタイプ
を残しており、これだけで、オリジナル度の高い個体だなあと、感心する。

ストックヤードの中には、黄色の角4灯時代のモデルが、置いてあったが、その
前の丸目量産型の後期のモデルだと思われる。

裏に回ってみると、SOHCのXCというグレードである。
XEとXGが、高級感が強かったので、中古で手を出した方は、大抵その2つに
行くのだが、そういう人は長く続かない。
ほんとうは、117と言うのは、上品に乗る車であって、威張れるクルマでない
ことは大抵の人が、乗ってがっかりするからである。古くさいメカニズムと、
保守的な、前衛のかけらが無いような、モータリングにである。





しかし117というのは、なかなかに無い個性であり、そのローグレードを長く
維持するというのは、私の850クーペにも通じる共感がある。

ご覧のように、117と言うプレートを希望ナンバー制度の無かった時代に取ら
れているが今の3桁で「117」をゲットして喜んでいる人と、年季の入り方が
全く違う。

これは、あまり使われていなかった頃の字光式で、おそらく普通のナンバーは
岡58や59に、行っていたかもしれない。「ろ」だけが字光式に、割り当てら
れていたのだが、桁が進まないので、55から56にようやく入った頃に、気が
付かれて117番目が回って来るのを、陸運事務所に、通いながら待たれていた
と思われるからである。


自己満足。そりゃ、その一言で片付けるのは簡単だが、クルマなんて、所詮
その延長だと言っても、過言ではない。新車当時の雰囲気に、出来るだけ
近づけたいから、ナンバー一つに腐心する。だから大事に乗り続けられる
個体というのは持って生まれた「運命」に守られているとも、言えるのである。




さて、参加の方々が揃い、いつの間にか正午近くになったので、クルマ談義
は一旦ブレークして、「豚カバ」のお店に入ることになった。
ほとんど朝から食欲が無いのだが、やっぱり冷房が入ると食欲を取り戻す。



全く持ってブタだの、カバだの、お店のメニューの量を見ていると、
バカ盛りだのって、岡山ってところは、言葉がきたないノが平気である。

岩井志摩子のぼっけぇきょうてぇ、言うとるのを想像するが、郷に入っては
郷に従えだ。岡山弁のジャガー乗りらの会話の環に飛び込んだ。

都会のジャガー乗りの印象は、ちょっと澄ませたところがある。
まあ大型シトロエン乗りに近いようなイメージだ。

だが噴水池のある中庭を眺めながら感じたのは、ジャガーは英国性の
カントリーボーイ(郷紳)も乗る車だから、こういった行動的な持主、
特に地方に於いて中長距離的な使い方をする方が、理に叶ってる
そう思うように、少し意識が変わって行った。



今日ここに連れて来て頂いた友人に感謝だが、彼は共食いのように
豚蒲焼き重を食べているので、私もサラダプラスのカレー味きしめんの
セットを食べることにした。

この間の、アルファ75を見に行った時の〆は、京都駅タカバシの
ラーメン炒飯の“コース”。
気が付けば私も大食いになり、この夏は3キロ太った。



食事のあとは、フレンドリーさも増したので、皆さんのクルマを
少しずつ仔細に見させて頂く。



決して乗りっ放し、工場に任せっぱなしのオーナー衆でなく、ここに来て
いる方々は、暇があったら自分の愛車を、時にはDIYで加工されるような、
自分の手を汚す“オイリーボーイ”であることに感心した。
英国車党は、こうでなくては。



主催の方のクーペ、今回一番気になったのかもしれない。
最後の方で友人にハンドルを預けられたので、助手席に乗り込ませて
いただく。



ほんの10分足らずのドライブだが、うーん、なんて贅沢な12気筒の
大型クーペ。友人の愛車であったフェラーリ456の官能世界とは違う。

ラグビーのサイドラインから、一気にタッチまで駆け上がって行くような
“馬で駆ける”秘めたる野蛮をもった貴族性を感じられずにいられなかった。
なかなか私には“12頭立ての馬車”は、飼い主にはなれないだろうが。


まだまだ名残は尽きないが、お盆の期間のラストサンデーということも
あり、早々に会場を後にした。
お会い出来た皆様、XJ−Sクーペの主催の方に、心よりお礼を申し上げる。


この後友人の淡雪のような色のジャガーは、こともなく大阪までの道を
「ぺろり」と完走してくれました。

200キロ以上のランには、好いものだが、せせこましい都会の道には
少し不憫なのかもしれない。
この後の“彼女”の人生に、幸多からん事を祈ります。




Posted at 2013/08/19 10:39:55 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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