[徳大寺有恒ベストエッセイ]
を見つけたので、即座に買いました。
1976年に間違いだらけのクルマ選び が発刊されたそうですが、ワタクシは84年版から毎年欠かさず読んでいます。小学2年か3年から読んでいることに。その言いたいことを言う姿勢や本質を見抜く審美眼に魅せられていました。
その徳大寺さんが1992年にシトローエンについて書いたエッセイが紹介されています。
DSの特異性、異端なまでにアバンギャルドな個性をたたえています。
深海魚と例えるデザインをはじめ、テニスボールのような操作ペダルやセレクターを動かしてかけるエンジンなど、変なクルマを生んだフランス車は、一時期世界の主導的立場にあったとも。
何にも似てなく、何にも影響を与えない独創性
ガソリンエンジンで動く乗り物を最初に作ったのはドイツ人たが、それは内燃機関で動く馬車だったと。それを完成させたのはフランス人なのだそうです。
エンジンを前部に置き、クラッチを操作してリアを駆動させるシステムを作ったのはフランス人、DOHCエンジンを実用化したのはドディオン・ブートン・プジョー、空気入りタイヤを開発したのはミシュラン兄弟です。
おフランスはやはりすごい。
世界最初の自動車ショーはパリサロンです。
しかしクルマを芸術的進化させたため、戦後の合理的思想に受け入れられず、サルーンが台頭するとドイツ車の後塵を拝することに。
そこでフランス車の伝統、個性を守るため、孤軍奮闘したのが、シトローエン。
ダブルヘリカルギアという歯車で起業家となったアンドレ・シトローエンは、第一次大戦中は砲弾を作り、戦後は理想主義を貫く自動車メーカーへと発展させたのです。
自分たちの作るものに付いて来れる人だけ買ってくれれば良い。
市場や経営陣に影響されず、エンジニアとしての理想を貫いたシトローエン。
その独自性は一般的とは言えず、またアンドレシトローエンの浪費癖も影響を及ぼし、シトローエンは経営難に。
57歳で生涯を閉じたそうです。
その後のシトロエンは、日本車を認め日本車に近づくと、日本人のファンは離れていくということに。
時代は進み、現代に甦ったシトロエンDSシリーズ。
その独自の発想や個性を知ると、BMW製エンジンやアイシン製ATなどを採用する今のシトロエンは、シトローエンではありません。
ただ、自分が何となくシトローエン好きなのは、子どもの頃から読んでいる 徳大寺有恒 の世界観に影響を受けていることに、改めて気づきました。
ワタクシの人生観は、さりげない一言に大きく影響を受けているのです。
Posted at 2015/10/25 11:42:43 | |
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