
花粉症ではないハズですが、
喉がイガラっぽかったり、軽い頭痛がしたり、やたら眠かったり、
少なからず影響は感じている今日この頃。
首の左がやたら凝るのは関係無いか。( ̄▽ ̄;)
色々とクルマのトラブルが続いていて冬の間殆どマトモに走ってなかったですが、
その分読書が捗るというアレ(笑)。
この調子だとホンマに年間50冊ペース。( ̄▽ ̄;)
スティーヴ・エリクソン 『Xのアーチ』 (1993)
原題『ARC d'X』
トマス・ジェファーソンと、その奴隷であり愛人であったサリー・ヘミングスという実在の人物二人を軸に、“愛と快楽、自由と隷属” をテーマに云々…
というから近代アメリカの歴史モノかと思ったら、
まさかの
パラレルワールド&時間SF。( ̄▽ ̄;)
しかもなかなかスケールが大きく、時間軸も世界軸もあっちゃこっちゃ錯綜して難解。
トマス&サリーというアイコンも、あくまでテーマを語る上での素材として活用していて、実際の人物像の再現というものではない。
(トマス・ジェファーソン×サリー・ヘミングスを題材にした作品はアメリカではポピュラーな様で、書籍・映画共に多数有る模様)
男女の烈しい愛のエネルギーが、選択が、世界全体の姿を少しずつ変えていく。
その選択の一つが、決断の一つが、時に、どの染色体が来るかによって胎児が男になるか女になるか決まるように、決定的な分岐点になる事がある。
(先月読んだミラン・クンデラとはまた対照的な話。しかし著者は哲学的にも文学的にもクンデラやフィリップ・ディックから影響を受けているように思う)
一方の可能性世界と、もう一方の可能性世界と、更にそれら全ての可能性世界からこぼれ落ちた滓の行く先を、やや誇大妄想的・精神風景的な描写で作り上げる。
何人もの登場人物の視点と時間軸がオーバーラップしながら謎の糸が絡み合っていく。
全ての伏線ピースが埋まっていく終盤はなかなかのカタルシス。
“時の最果て” 、或いは “時のブラックホール” とも言うべき別次元
“永劫都市” に流れ着く登場人物達。
それぞれの人物がかつての世界で手にした “遺物” が永劫都市のあちらこちら様々な部分に残響する。
そうした “流れ着く歴史” を隠蔽し、閉じた時を維持する “教会” と、教会の支配を逃れた無法地帯 “植物園” 。
元からその世界に生まれ住んでいる者達と、流れ着いた者達。過去と未来が混在する場所。失われた時の狭間。
愛と快楽、自由と隷属、欲望と良心。
それらは両立することなく、しかし、
愛という善は所有という悪を内包し、どちらを選択しても真の意味での幸福は得られない。
コインのどちらの面が出ても、相手の勝ちか自分の負けか、にしかならない。
というような、
愛と自由というテーマを、アメリカ人的な、そして極めて男性的な視点で描く作品。
そのどちらの視点に関しても、敢えてやや断定的で悲観的な論調にはなっているが、それこそアメリカという歴史の浅い国の一つの価値観なのではという側面も垣間見える。
2回読まなきゃわからない難解さではあるが、上質なパズルのようで非常に読みごたえがあり、刺激も受ける一冊。
参考:Wikipedia
サリー・ヘミングス
ローラン・ビネ 『HHhH プラハ、1942年』 (2009)
ナチス第三帝国でヒトラー、ヒムラーに次ぐNo.3。
ゲシュタポ長官、親衛隊大将、チェコ総督代理、〈金髪の野獣〉、〈死刑執行人〉、ユダヤ人問題の「最終解決」の提示者=アウシュビッツを “発明” した男、
そして、
ナチス高官でただ一人 暗殺された男、
ラインハルト・ハイドリヒ。
チェコ亡命政府の命を受けてハイドリヒ暗殺作戦を実行した、スロヴァキア人 ヨゼフ・ガブチークと、チェコ人 ヤン・クビシュ。そして二人と共に戦った空挺部隊員やチェコのレジスタンス。
ターゲットであるハイドリヒの半生と、暗殺作戦の始終を、可能な限り(偏執的とも言えるレベルで)あらゆる資料を読み漁り、歴史的事実に拘って描く。
著者曰く「(資料を)1000頁読んで、やっと2頁書く割合」。((((;゜Д゜)))マジカヨ…
肝心な時に故障した銃、最悪のタイミングでやってきた路面電車、狙いがズレた手榴弾。
しかし結果として此処でハイドリヒの命を奪えた事で、WWⅡの大局に二つの大きな影響を与えたと言える。
・一つは単純に「ナチスで最も頭の良い男」
(タイトルの『HHhH』は、この事を揶揄するドイツ語の一文の頭文字)ハイドリヒの頭脳をナチスから奪えた事。
チェコの占領政策で成果を上げたハイドリヒは、チェコでの任務を後任に任せ、新たにフランスで同様の仕事をするべく旅立つ前だった。
・もう一つは、一週間経っても襲撃犯の手掛かりを得られない捜査部隊に激怒したヒトラーが報復&見せしめとして命じた、(襲撃事件に何の関係も無かった)チェコの一つの村リディツェを跡形も無く破壊し “地図から消した” 事件。
これが国際社会に露呈し、それまで対外的にはそれなりに誤魔化して来ていたナチスの化けの皮が剥がれ、連合国側の士気が一気に高まった事。
ハイドリヒ亡き後、ヒトラーに対して「そんな馬鹿な事をしたら自分の首を絞めます」と冷静に諫められる者は殆ど居なかった。
(しかし、まだこの時点では “ユダヤ人問題” の実態は世界に知られていなかった。そして、ハイドリヒが作ったとも言えるアウシュビッツが本格的に稼働するのは彼の死後。200万人の命を奪ったそのホロコーストの作戦名は 「ラインハルト作戦」)
『帰ってきたヒトラー』は “ナチ物” としては異端の作だが、本作は “ナチの狂気” の部分もしっかりと描き出している。
ユダヤ人排斥の旗を振り音頭をとって焚き付けた張本人はヒトラーその人だが、実際にそのプロセスを検討し、組み立て、実行責任を負ったのは、ハイドリヒや、その部下アイヒマン、ミュラーらである。
ベルリンの総統官邸で怒鳴り散らして(ヒトラーのヒステリー気質は彼が日常的に摂取していた “薬” の副作用でもある)言わば、無責任に夢想的に好き放題言ってるだけのヒトラーと、実際に大量虐殺の手順を考え実行し、より効率的に “改良” していたハイドリヒらと、どちらの方が “常軌を逸する” だろう。
だが、ナチスの(なのか、ドイツ人の、なのか)効率性、合理性を追求する体質は個人的に嫌いではない。
ヒトラーの演説術にしても、人心掌握の技術・技法・手腕としては非常に優れている。だからこそ使い方次第で危険なのだが。
そして、ヒトラーが他の(現代の)政治家と比べて一つ評価されるべき所は、少なくとも彼は嘘はつかなかった。
著者の手法は小説としては異色で、著者自身の語りが随所に入る。「小説を書く小説」とでもいう作風。
“歴史的事実” にやたら拘るも、ノンフィクションでもドキュメンタリーでもなく、やはりこれはれっきとした “小説” である。
いかにも小説的なフィクションの部分も勿論あるが、著者はそれを「資料が無く裏の取りようがないので仕方なく僕が創作した」というようなスタンスで捉えている。
終盤では、著者である「僕」の視点が自由自在に1942年のプラハを巡り、臨場感に溢れ、没入感に大きく貢献している。
歴史資料としても価値の高い一冊。
映画『ナチス第三の男』原作。
しかし、ハードカバーの本は仕事中に持ち込むには読みにくいw
余談だが。
作中でハイドリヒがスリヴォヴィッツをグイッとあおる場面がある。
東欧産の、高アルコール度数のスモモの蒸留酒だが、あまり美味しくないらしいww。
大酒呑みのハイドリヒは酒なら何でも良かった、という主旨の一幕だが…
…スリヴォヴィッツって、J・シュトラウスⅡのオペラ『こうもり』で、アイゼンシュタインがオルロフスキー公爵に勧められて一口飲んで噴いてたアレか(°∀°)w とw
Red13指定 必読図書
スティーヴン・キング 『1922』 (2010)
原題『Full Dark, No Stars』
1冊前↑が読み応えがあって頭も使う本だったので、サクッと読める軽いヤツをw
元は(本国では)4つの中編の入った『星も無い真っ暗闇』という1冊。
日本ではそれが2冊に分けられて文庫に。
S・キングと言うと “ホラーの帝王” と呼ばれ、間違いなく “巨匠” でもある作家ですが、
前に短編集
『ミスト』を読んだ時にも思ったけど、どうも個人的にはやっぱりあまり好きでない。
ホラーが嫌とかじゃなくて、どの作品を読んでもそこに
“伝えたいこと” が感じられないから。
「これを伝えたかった!」とか「これを書きたかった!」とかそういうテーマや訴えたいメッセージ、そういうモノが稀薄。
著作を重ねる職業作家の良し悪しか。
軽く読んで楽しめる、娯楽作品としては良くできていると思うけど、一度読んだら終わりで本棚に並べておきたいとは思わない。
…って、内容全く触れてねぇw
タイトル作の『1922』は「底無しの破滅へ落下する、罪悪のもたらす魂の地獄」なんていう売り文句がちょっと肩透かし…予想した方向と違った。
それより、現代版 “悪魔との契約” な『公正な取引』の方が面白かった。いじょw
アルフレッド・ベスター 『虎よ、虎よ!』 (1956)
原題『Tiger! Tiger!』
SFの古典。50年代のSF黄金期の一冊。
“ジョウント” と呼ばれるテレポーテイションにより、人々が一瞬のうちに何処へでも行けるようになった時代。
顔に虎のような刺青をされた男、ガリヴァー・フォイルの、無限の時空を超える絢爛たる復讐の物語が始まる。
なにはともあれ、SFの名作。
やっぱりこの時代のSFは面白い&スケールの大きなモノが多くて良いね。
この時代の流行り…と言うのは失礼かもしれないが、“上の次元” へ至ろうとする壮大なクライマックスの盛り上がりが素晴らしい。
ラストの展開はちょっとクラーク作品(『幼年期の終り』や『2001年宇宙の旅』)と似た部分があるが、主人公ガリヴァー・フォイルの粗暴でエネルギッシュなキャラクターはハードSFでは珍しい?
序盤では、極めて自己中心的、直情的、野性的だったフォイルが、数々の経験を積んで次第に哲学的で超人的な存在になっていく成長ストーリーは王道ではあるがやはり胸踊る。
そこにタイムループやダンジョン脱出やちょっとしたロマンスや退廃美や核戦争や、なんやかんや色んな要素を詰め込み過ぎで、いくつか中途半端に語り残されている部分もある?が、読み終わってみると “悟り” の境地にも似た感情に満たされる。
結局は、人間一人なんて何者でもない、大したモノではないのよ、と。
ジェイムズ・P・ホーガン 『プロテウス・オペレーション』 (1985)
再読。
内容や感想については
前回でほぼ語り尽くしているのでもういいかな。( ̄▽ ̄;)
しかし、3年以上も経って読み直すと、その間に色々他に仕入れて蓄積してる分、更に深く印象付く部分もある。
特に↑ハイドリヒに関する知識がフレッシュなうちに( “ナチ要素” を含む本作を)読んでみると、よりイメージが鮮やかに。
ナチスが戦勝したパラレルワールドで、「71歳になったヒトラーを隠居させ、2代目総統に就任したハイドリヒはその冷血振りでヒトラー時代以上に世界を恐怖に陥れた」なんてのも説得力のある話だわな、とか。
当時は完璧に思えたシナリオプロットも意地悪くツッコミを入れたくなる所もあったりして(笑)。
量子論に関してはコ難しくてややこしいけど、やっぱり好きな1冊だな。