
押し入れの肥やしになっていたこのスプリング。
サーキットでは丁度良いくらい(14kg 12kg)なんですが、
普段のお山や街乗りではちょっとアレな感じで。
いちいちサーキット前に組み替えなんかするわけ無いし、でもいつか使うかも??みたいに思って持っていましたが、
先日、とあるルートで知り合った
若いGRB乗りの子に譲りました。
知り合ったゆーても某SNS上での “友達の友達” なアレなんですが…
…というか、要は例の可能性として…、某・東の刺客氏の後輩さん。( ̄▽ ̄)
めっちゃ若い子ですが、盆栽嫌いの
ガチな人wだそうで、それだけで好印象w
刺客氏と一緒にクルマを弄り倒して走り倒しているらしく、それだけで信用に足るw
そんな彼が今探しているというバネが、
レートもIDも自由長も、ワタクシの余らせているのがドンピシャだったもので。
いや、ね。
ワタクシももう四捨五入40歳で、 “おっちゃんに片足突っ込んでる” 身。( ̄▽ ̄;)
昼のサーキットはともかく、夜のお山の世界は「あと10年出来るかな…?」という危惧。
乗り手として “既に下り坂に入っている” と思う。
そんな時に、ガムシャラにひたむきに “走り” に没頭している若い子を見ると、
もうこちらは「知恵と道具を次に渡していく役割」に入っていくのかもなぁ、と思った。
ワタクシ自身、散々バネを組み替えてあーだこーだ試して、
未だに脚回りの答えは出ていないですが、
そういう経験を若い内にするのは良い財産になると思う。
人から聞いた “正解” を知識で蓄えるのも大事ではあるけど、
それ以上にやっぱり、失敗も含めて自分が経験した事がモノを言う。
おっちゃんが腐らせている道具が、誰かの “経験値” になるのなら。
その想いで、超激安にてお譲りしました。( ̄▽ ̄;)
ぶっちゃけ、刺客氏の後輩さんならタダでも良かったんやけど、
知らんモン同士ではあるし、一応責任の所在を移すという意味でお互いに変な事気にせんでええよね、とか
たぶん、譲ったバネが彼の最適解になることも無いだろうし、あくまで過程の一つ。となるとタダで貰った物ってなんか売りにくいやんww
お金払って買ったものなら気にせず売り払えるし、そうしてくれたら良いしw
正にこの心境。
でも、ふと思う。
例の “我こそは最強” の方。
方向性がおかしな事になってたけど、
アレもどうも、根っこの所は似たような想いがチラ見えする気もする。
アレはアレで「若い世代に何か伝えたい」「キッカケを与えたい」という気持ちがあるんじゃないか。
まぁ…
アプローチが540°くらい違うけどww
そもそも伝えたい内容も違うけどww
で、
突然話変わっ(たように見せて同じ所に繋げるつもりなんですが)、
こないだスマホゲームの話を少ししました。
昔の家庭用ゲームは、時間かけてチマチマやり込んでパラメータカンストとかアイテムフルコンプとか、そういう事が楽しかったと思う。
そんでたまに裏技とかPAR(ProActionReplay)とか使って「最初から最強データ」的なのでヒャッハーして遊ぶということもありましたね。
けど、そういうヒャッハーな無双データって大抵、楽しいの最初の一瞬だけだったりする。
すぐやることなくなって白ける。
むしろ、よりシビアな縛りプレイでニューゲームする方が面白かったりするよね。
究極の極論
(キケンガアヴナイ、ウマニジョウバ)言うと、ゲームというものは
“数字を変動させる事が楽しい” んだと思う。
1を99まで、255まで、3E7まで、65535まで。
最強武器とか、超レアアイテムとか、
普通にプレイしたらめっさ時間かけて、運も絡む努力をしてやっと手にいれるワケです。
けど、PARをポチって該当するデータを0から1に書き替えたら、開始早々最強武器を持った状態にできる。
「すげー!\(゚∀゚)/」な反面、「しょーもな…」感もある。
最強武器は手に入れるまでの長い道のりがあるから有難い。
しかし、ゲームのオンライン化が進むと共に、PAR=データ改造は「不公平性」の問題で淘汰された。
代わってイマドキのスマホゲームで、かつてのPARのポジションに出てきたのが
real moneyです。
ウン万円突っ込んだら強くなる。うん、分かりやすい。資本主義万歳。
一つ違うと思うのは、
PARはあくまで “反則” だと、皆ちゃんと自覚して使っていた。
しかし、今の課金制を反則だと思う人は居ないでしょう。
むしろ、それが出来ない(金が無い)方が悪い、という雰囲気すらある。
ウン万円突っ込んで、その時だけの無双優越感に浸る。
毎月毎月更新される新要素に毎回毎回大金を突っ込む。
そうして得た “強いデータ” は楽しいのか?誇りに思うのか?
果たしてそこに、“積み上げる楽しさ” は有るの?
追われて踊らされてるだけちゃうの。
長い時間と手間をかけるもどかしさが、逆に楽しみになるという面を、
ゲームのオンライン化が薄めた事は否定できまい。
クルマの世界でも同じことが有ると思うのです。
お金があるからって、あれやこれや何台も何十台もクルマ買って、
パーツ一気にごっそり買って短期間で仕上げて「完成」って言って、
「こんなもんか」とまたすぐ次のクルマ、次のクルマ。
何台も同時平行で取っ替え引っ替え。
あるいは、
ショップのデモカーやコンプリートカーを買って、クルマが速いのか人が速いのかわからんパターンとか、
そういうのを買ってオフ会でドヤってるだけとかw
反則ではないけど、なんか違う。
そこに楽しみはあるの?
それは誇れるの?
それを「愛車」と言えるの?
それで嬉しいの?
やっぱり、チマチマコツコツ作っていって、思い通りにいかなくてあーだこーだ試行錯誤して、トライエラーを繰り返して、
そういうのが楽しいんじゃないの?
ワタクシ、赤ターボに乗って気付けばもう8年です。
何年も前から「羽根付けたい」とか言ってますが、お金や機会が無くてまだ付けてませんw
ブレーキキャリパー燃やしまくって、今ので4個目ですww
バネは10本くらい試しました。
でもそれは無駄でも遠回りでもない。
先延ばしになってる計画が幾つもあります。
どれを先にやろうと考えていたら、もっと緊急性の維持メンテが勃発したりします。
大袈裟に言うと、そうやって
苦楽を共にするから “愛車” って言えるんじゃないの?
人が作ったクルマ買ってきて「新しい愛車」って言うのはちょっとよくわからん。
その “愛車” で事故って潰しても悔し涙は出ないでしょ。
一途に没頭できる事は楽しいし、幸せだと思う。
正解へ近道してるだけじゃ得られるものは大して無い。
そういう感覚を伝えたいよね。
そういう感覚で語れる相手にだけ伝えたいよね。