宮城県訪問記も今回が最後です。
ずぼら猫さんと宴会の後の日曜に、会社の人々と気仙沼まで向かおうと言う事になり、レンタカーで向かう事になりました。
その際、今回の地震及び津波の状態を目の辺りにしました。
今回の画像掲載に賛否両論は有るかと思いますが、被災された方々に是非、掲載すべきとのお言葉も頂きましたし、私も皆さんに今の現状を知って欲しい上に掲載させて頂く事にしました。
今回は画像を縮小せず原寸大で掲載させて頂きます。
少し見辛いかと思いますが、ご容赦下さい。
先ずは石巻市内です。
石巻市民病院付近です。
ここにはたくさんの住宅があったのですが、全て津波で流されてしまいました。
足元には、被害に遭われた方の診察券等が落ちてあったりします。
付近の学校ですが、津波で流された車が火災を起こし燃えてしまったそうです。
学校の岡上には、全く被害が出ておりませんでした。
小学校付近に有った住宅も全て津波で流されてしまいました。
市の発表では85%の瓦礫処理が進んでいるそうですが、実際には画像の奥にも見える通り、瓦礫を積み上げているだけだそうです。
この瓦礫処理が、今後の課題だそうです。
この後、石巻港へ向かいます
皆と近辺の被害も甚大です。
恐らく在庫していた魚がまだ残っているのでしょう。
魚の匂いがかなり残っていました。
一番驚いた風景が
中央分離帯にまだタンクが残っています。
このタンク。もとはこんな状態でした。
画像はずぼら猫さんのところからお借りしております。
元に有った場所から400m~500m流されてきたそうです。
丁度エスティマで隠れていますが、中央分離帯に大きな松の木があったそうで、それに引っ掛かり止ったそうです。
車は女川方面へ向かいますが、更に被害の深刻さを思い知る事になります。
住宅が全て流されています。
少し高台に上がり、報道陣の拠点となっている病院へ上がります。
瓦礫は回収されていますが、少し遠くに目をやると
瓦礫の積み上げが確認できます。
更に車を進め、雄勝町へ向かいます。
雄勝町の被害も甚大です。
かなり衝撃を受ける光景がありました。
公民館の屋上へバスが乗ってしまっています。
もう言葉になりません。
この町は結構山間な所にあるのですが、河からの津波が・・・
瓦礫と車の積み上げです。5/25に回収が完了したそうですが、それ以降は全く処理が進まないみたいです。
ただ、暗い話だけでは有りません。
地元の人達が河で釣りを楽しんでおられます。
勿論、地元以外の人も居られましたが、皆さん釣りを楽しんでられる姿に、心が落ち着きました。
何でも、鮭が釣れるみたいです。
続いて、南三陸町へ向かいます。
ここは、瓦礫の処理も進んでいません。
南三陸町は、昔のチリ地震で津波被害に遭った所ですが、今回はそのチリ地震を大幅に上回る被害です。
防災対策庁舎も・・・
この日は9月11日でした。震災から半年と言う事でしたので、慰霊祭が行われておりました。
他人行儀で失礼では有りましたが、ここの行事に少し参加させて頂きました。
当日は報道陣も居り、遺族の方々が取材を受けられておりました。
そして気仙沼へ向かいます。
JR気仙沼線は津波で線路全てがなくなっている区間が多く、復旧には見込みが立っておりません。
この後の画像ですが、カメラの保存設定が上手く行っておらず撮影した画像が保存出来ておりませんでした。
気仙沼の港はかなりの被害でしたが、市場は既に再開されておりました。
その市場の活気には驚きを隠せませんでした。
みんな顔が明るいんです。そして、一生懸命業務をされているんです。
やはり復興は人々の頑張りによって着実に進んでいるんだと実感できました。
本当は復興が進んでいる画像を載せるべきでしたが。。。
自分のポカミスで残念です。
そして9月17日、全ての業務を終了し仙台を後にしました。
現状を知り、無力な私は今何をすべきか?
それは日々働き、好きな車に乗り、物を消費する事が、復興の為の活動では無いかと考えます。
勿論、ボランティア活動や義援金/物資を送る事も大切です。チャンスがあれば、また参加したいとも思っております。ただ、現在復興を目指している東北の人々の様子に触れた結果、自分の都合の良い様に解釈しているのではないかとお叱りを受けるかもしれませんが、私達には日々生活する事が大切だと感じました。
この2週間、本当に多くの事を学ぶ事が出来ました。この経験は私の人生において大きな糧となって生かされるよう、仕事、遊びと頑張ります。
ベソシもバッテリーは上がっておらず(かなり弱っていますが・・・)何とか動きました。
洗車してバッチリな状態です♪
最後になりましたが、今回訪問した宮城県や被災地の復興が、今後も進む事を切に願っております。
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Posted at
2011/09/19 22:11:58