2018年11月20日
成熟した自動車文化のために
車離れが叫ばれる中、私も近頃の自動車会社の度重なる不正や不祥事にうんざりし、あれほど好きだった車への興味がかなり薄れている。
価格はどんどん上がっているが、規制やパーツの共有化で車の個性は薄まり、隙間を埋めるように見た目と中身をちょっと変えただけのものばかり。
新型車が発表になっても心踊らされることが本当に少なくなった。
自動車そのものや使い方の魅力を伝えるべきメディアも機能を果たしているとは言い難い。
旧態依然として目新しい企画は殆どなく、あったとしても奇を衒った中身のないものばかり。
昔から自動車評論は誤字脱字・誤植・誤情報が多かったが、益々悪化している印象だ。
先日carviewに載った「AMGをアーマーゲーと無教養に呼ぶのはやめよう」との記事は、露骨な字数稼ぎが見られただけではなく、誤りも酷いものだった。
他にもたまたま乗り合わせたタクシーの運転手が高給取りだったから、タクシーの運転手は儲かる、などという内容を語るにも値しないものもあった。
元レーサーやメカニックの自動車評論家は、豊富な知識と経験に基づいているので参考になることが多い。
一方、中堅大学のしかも文系を出て車雑誌の編集部に勤め、そこから自動車評論家になったような人は、知識も語彙も文章力も足りないことが多く、読むに堪えない。
「お笑い」とか「バラエティ」といった枕詞をつけて、意識的にせよ無意識的にせよ内容の薄さや錯誤への批判を逃れようとする。
「しょせんお笑いクルマ評論なんだから、目くじらを立てなさんな」との予防線が透けて見えるのだ。
生き残るためにか極論を言ったり、違う雑誌には全く異なる意見を述べていたりと、ポリシーがないのもこのような人たちの特徴だ。
内容がありながら軽妙な文章を書くには人並み外れた文章力が必要なのに、自動車評論ではえてして文章力のない人間ほど軽い文体を用いようとする。
仕事に対する愛情や知識が欠ける人でさえ選考委員に選ばれるカーオブザイヤーに対して、世間一般の人が興味を持たなくなるのは当然である。
ましてや選考基準が非常に不透明であるし。
評論家も様々な車に関連する問題に対して意味不明な論調での擁護は止め、ムラで起こったことではなく社会的な問題だとの意識で取り組まないと、やがては自分の首を絞めることに繫がるだろう。
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Posted at
2018/11/20 20:53:34
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