
友人と2泊3日で宮城県に行って来ました。
お供は友人のBRZ。
アイポイントが低く、回転数を上げると良い音を奏でるなど、生粋のスポーツカー。
これほどの長い時間乗ったのは初めてですが、意外と身体は疲れません。
シート形状が私に合っているのでしょう。
雨が降った時の屋根に当たる音が安っぽいと不評のようです。
友人は様々なことに造詣が深く、とても楽しいドライブです。
前日までいた福島県や仙台を越え、1泊目の鳴子温泉に到着。
白濁のお湯で温度が高い。
とても気持ちが良い風呂で、3回も入ってしまいました。
お風呂が良いと一気にホテルの評価が上がります。
鳴子に来たので、オリジナルのこけしを作ることにしました。
私は娘を、友人は奥さんをモチーフに作成。
集中力を使います。
2日目の宿は南三陸町。
町に近付くとダンプカーの往来が激しくなります。
町に入ると何も無い殺風景な光景に愕然とします。
道も凸凹で通行止めも多い。
線路は寸断されています。
ナビ上では道路や線路や駅や建物があるはずの場所が何もない。
広大な田んぼは塩害のためか、荒れ果てていました。
ホテル主催の震災を風化させないための語り部バスに乗りました。
旅行で訪れた人間が軽々しく書くべきではないでしょうが、感じたことを残したいと思います。
語り部の方が実際に体験された3月11日以降のことが生々しく語られました。
私が想像もしなかった苦労があったことを知り、胸が痛みます。
テレビで何度も見た役場(現防災対策庁舎)はバスを降りて見学しました。
献花台が備えられ、まずは亡くなった方に手を合わせます。
海からはかなり遠く、この高さの建物の屋上まで津波が押し寄せたということが全く実感できません。
10mを超す津波が襲って来ると想像するのは難しかったのではないでしょうか。
教師の言うことを聞いて助かった学校もあれば、残念ながら逆の結果となった学校もある。
結果論で無闇に批判するのではなく、今後の被害をより少なくするにはどうすれば良いのかをしっかりと検討すべきです。
役場を残すことや語り部バスの存在に対して、南三陸町の住民の中には悲劇を観光資源にしていると否定的な方もいるとのこと。
その考えはよく分かります。
一方、震災を風化させずに伝えて行くことも大切です。
洋の東西を問わず、ダークツーリズムは難しい問題を孕みます。
語り部の方が「被災者という地位に奢らず、自分の手と足を動かして復興に向けて活動することが、全国の支援して下さった人々への恩返し」とおっしゃっていました。
これもまた1つの答えであると感じます。
気仙沼・石巻・女川町も訪れました。
海からかなり離れたところを通っているのに、「ここまで津波が来ました」との看板を見るたびに驚かされます。
石巻は曲がっている電柱があったり、道路に凹凸はありますが、新しい建物が並び、復興がかなり進んでいるように思えます。
気仙沼も工事中の建物は多いですが、1つの方向に向かって進んでいるように感じられました。
しかし、女川町の様子には言葉が詰まりました。
海から遠く離れた山が抉られています。
海岸の形から津波が錐の先端のように押し寄せたことが分かりました。
倒れた建物や瓦礫も片付けられていなく、どういう方向で復興させていくのか見えて来ません。
被害が甚大な上、避けられない地形的な問題もある以上、どうすべきなのかまだ判断が付きかねているようにも感じました。
同じ海岸沿いでもほとんど被害がない地域もある。
不条理さを感じます。
現在、南三陸町は高い防潮堤を築き、土を盛ることで町全体をかさ上げしようとしています。
あまりにも大規模な工事のため、予定よりも大幅に遅れていて、仮設住宅から戻って来られない方も数多くいらっしゃるそうです。
そのせいもあってか、南三陸町の人口は震災前に比べて統計上30%減り、実際には半減近くしているのではないかとのことです。
高い防潮堤は津波被害を少なくさせるでしょうが、景観を損ねます。
漁業と並ぶ重要な産業の観光業もどう守るのかという課題を解決する方法はあるのでしょうか。
震災直後に比べて報道も寄付もボランティアの人員も少なくなっています。
しかし、仮設住宅の案内表示はそこかしこにあり、狭く不便な長屋のような仮設住宅で暮らす人々も数多くいます。
「支援」とか「復興」とかよく口にし耳にするけれど、そこで実際に生活する人々の考えも多種多様で一朝一夕に進まないのが分かりました。
それどころか住民の考えを無視した方向での「復興」もあるようです。
善意の押し付けにならない住民の方が望む支援とは何かを改めて考えさせられました。
Posted at 2014/08/08 23:26:41 | |
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