
どーも、こんばんわ。
今週の仕事が終了し、部屋でまったりしているjaminでございますよ(*´∀`*)
昨日でしたか、九州新幹線の試験運転か何かのニュースをやっておりましたね。
職場の食堂で昼食をとっていた時に、NHKのニュースでそんなことをやっているのを横目で見ていました。
何でも新大阪~鹿児島間を4時間で結ぶそうです。
ははぁ、速いなぁ~、と素直に感心してしまいました。
新幹線というのは、日本の技術力の代名詞みたいなもので、大戦前のゼロ戦の設計者も設計に参加したというまさに国を挙げての技術力の結晶です。
なので、それがどんどんと発展して、ついには九州の鹿児島にまで新幹線が到達した、このこと自体は喜ばしいことなのだと思うんですけど。
でもねぇ。
何かそれがマイナスに作用しなければいいなぁ、と私は感じてしまうわけですよ。
偏屈なんですかね。
というのはね、世の中どんどん便利になっていますでしょ?
クルマが道路には溢れ、新幹線は国中に張り巡らされ、人々は携帯電話を肌身離さず持ち歩き、部屋にいながらにしてインターネットを介して買い物をすることができる。
もっと速く。もっと楽に。もっと便利に。
そうやって人の歴史というのは動いてきたものだと思うし、とりわけ産業革命以後の歴史というのはそれが急速に進んできた歴史なんだと思います。
ちょっと大風呂敷を広げ過ぎてしまうので、ことを交通網特に今回の新幹線を例に話を進めさせてもらいたいんですけどね、要は何が言いたいかというと、便利さの陰で何か大切なものが失われていってやしないか、ということなんです。
その昔、まだクルマや鉄道もなかった頃なんてのは、ちょっと離れた場所に行くのも徒歩や馬ぐらいしかなかったわけですよ。
それはもう疲れたことと思います。
今や車を使えば数分~数時間の距離を数時間、下手すれば何日か掛けていかなきゃいけないわけですから。不便だったことでしょう、きっと。
でもねえ。そこにはいいこともあったと思うんですよ。
なぜなら、まず自分自らの足で歩くということの重要性があります。
いま、みんな移動に車や鉄道を利用しますでしょ?
場所から場所へ短時間で楽に移動できる、そのこと自体は非常に有益なことです。
でも、その移動のスピードが上がれば上がるほど、その移動区間の間にあるもの、ことというのは見えにくくなってきます。
飛行機などはそれが究極につきつめられたものだと思うんですが、
空港から空港を飛んで結びますよね。
たとえば羽田から福岡、みたいな感じで。
でも、その羽田~福岡の間には無数の町や都市、はたまた自然や人間や動物がいるわけです。厳然たる現実として。
でも交通網の発展は、この目的地への「過程」というものを見えにくくしてしまった。
自分の足で歩いたりしていればね、道端にきれいな花が咲いていることに気がつくこともあるだろうし、そこの路地裏にネコがいたりすることに気がついたり、ある町の商店街というものの活気さを知ったり、そこの人々とじかに触れ合うことができるわけですよ。
つまり、目的地までの行程というのは「線」でつながっていたと思うのです。
でもね、車で高速道路を走ったり、新幹線で高速で駅間を移動したりすると、その線はきっと「点」になってっちゃうんじゃないかと思うんです。
何か「ワープ」のように点と点を結ぶというか。
だって、たとえば新幹線で東京~名古屋間を移動するときに、その間の地域にどんな街があってどんな特色があってどんな人々が住んでいるか、そういうことをどれだけ乗客が「体験」として知ることができるんでしょう。
たぶん、「情報」としてはみんなある程度知っていると思うんですよ。
でもね、その町にふっと立ち止まって寄ってみたり、自分の手や足でじかにそれを「経験」することはきっとない。
自分で敢えて行こうと思って、途中駅から在来線やバス等を利用していこうと思わなければね。
飛行機に至っては雲の上だから、単なる車窓としたってみることができない。
そう、目的地までの「過程」は、どっか見えない、もしくは見えにくいところに追いやられてしまうんです。それは意識的にも、現実としても。
これは、その主要なラインの間にある地域に悪い影響をもたらしてるんじゃないかと、最近感じてるんです。
最近、それは日本の道路網を例にとって見ても明らかだと思います。
日本は、すごく道路網が発達してるでしょ?
高速道路は勿論、都市間には幹線道路やバイパスが張り巡らされ、そこに無数の車が行き交っている。
地方都市などは、この道路網のおかげで物流が盛んになって、クルマ社会とでもいうべき状況になっています。
でも、近年そういった地方都市での商店街の衰退や、地域固有の特色みたいなものが失われていっています。特に、地方の主要都市以外の地域ではそれが顕著です。
なんでか。
その一つが、クルマ社会化を象徴するような巨大ショッピングセンターの乱立だと思っています。
確かに、あれは便利。
私の地元にも大きいそれがあるし、映画館からレストラン、各種ショップが入っていて実に便利です。
でもね。
大体例外なく、そういった巨大ショッピングモールがある都市って、その町固有の商店街とかがさびれてるんですよね。
それもそのはず、みんな車でそういった地域を素通りして、ショッピングセンターに集まっちゃうから。
それも、クルマがある分、いろいろな地域からそこに人々が無媒介に「直接」集まってきてしまう。
まさに住んでいる「家」から「ショッピングセンター」までを「点」で結んでしまう。
そうなると、その間にある商店街や街並み、そこに住む人というのは忘れ去られてしまう。いや、見えなくなってしまう。
そういったことがいま、日本各地で起こってる。
これって何か違うんじゃないかなぁ、と違和感を覚えるわけですよ。
なんか無機質で等質な空間に生きているというか、味気ないもののような気がするのです。もちろん、私の勝手な思い込みなのかもしれないですけどね。
今回の九州新幹線のお話についても、九州から関西まであっという間に行けるようになるのは、ビジネスや観光にとって良い側面があるのは否定しないけど、でも、たとえば鹿児島から大阪が「点」で結ばれてしまって、点でその相互間の関係だけが活発になって、自分の手元足元の大切な「地域」、自分のリアルな感覚で実感できる範囲の地域社会が衰退していってしまうような、そういったことにだけはなってほしくないなぁ、と思うわけです。
「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」なんて標語がかつてあったような気がしますが、私なんかもっとゆっくりしていいのになぁ、と心底思いますけどね。
みんな、何か時間に追われ過ぎなんですよね。
私は、たとえば九州に行くのに、2時間で行ける飛行機か、20時間かかる寝台特急かどちらかを選べと言われたら、間違いなく後者を選びますよww
もちろん、ビジネスなど時間的制約を度外視しての話ですよ?
でも、目的地までの時間があった方が、いろいろな意味で豊かな時間が送れるんじゃないかと私は思ってるんです。
ただぼんやりと風景を眺めたり、ボーっとしてみたり、寝てみたり、本を読んだりしてみる。
そんなの時間の無駄だ、そう思う方もきっといらっしゃると思います。
でもね、そういった「無駄」こそがいまの人には必要なんじゃないかと、ひっそりと、でもとても強く私は思ってるんです。
「無駄」なことなんかないです。そういう「無駄」が、きっと何か豊かな心というか、およそ人間にとって健康的な感覚というか、そういったものを取り戻せるきっかけを内包しているんじゃないか、そう感じています。
・・・と、九州新幹線の話題から、こんなことを徒然もなく頭の中で考えていたjaminでした。
まとまりがなくて読みづらくて申し訳ないです・・・(;´∀`)
以上、解散!また明日!!
明日はSEEKERに行ってまいりまーす♪