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2024年10月11日 イイね!

スロベニア・クロアチア(その1:リュブリャナまで)

スロベニア・クロアチア(その1:リュブリャナまで)ヘルシンキから飛行機で約2時間、眼下には、イタリア北東部からオーストリアとスロベニアの国境に沿って続く👈ユリアン・アルプスが見えてきました。

飛行機は、そのまま南下してユリアン・アルプスをまわり込んで、スロベニアのリュブリヤナ空港へ着陸、ヘルシンキからは約2時間半の旅でした。


                 何れの画像もクリックで拡大します。


途中、オーストリア上空で、西側から飛んでくる旅客機を目視で確認。。。コンデジで撮りました。
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航空機が縦横無尽に飛んでいる欧州ならではのショットです。


オーストリアからスロベニアに進入するころには冒頭の景色が見えてきますが、それからぐるっと周ってスロベニアのリュブリヤナ空港へ着陸時点では、
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右側に見えていました。



関空からは、ここまで約18時間を要していますが、そのままスロベニアの首都リュブリヤナへバスで直行し、17世紀から18世紀にかけて造られた旧市街を散策します。

因みに、スロベニアは、1989年のベルリンの壁崩壊とともに始まった東欧革命の中、ソ連の衛星国のひとつであるユーゴスラビアがチトー時代の体制から脱却を開始する過程で、1991年にたった10日間の戦争スロベニア紛争で独立を果たしています。次に訪れるクロアチアが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争と絡んで、ユーゴスラビアから独立するのに4年もの歳月を要したことを思えば(特に旅の後半で痛感させられました)、実に要領よくやったな、と思います。


リュブリヤナ旧市街のうち、リュブリャニツァ川を挟む東西400m、南北300mの範囲を、北側から反時計回りに散策します。


まずは竜の橋。。。竜はリュブリヤナ市のシンボル、そして緑は市のシンボルカラーです。
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この橋は、フランツ・ヨーゼフ1世の即位40周年(1848-1888・・・欄干にも彫られています)を祝して1901年に造られました。


続いては、ひとつ上流にある肉屋の橋。。。2010年落成ですが、お約束の鍵(愛の誓い)とともに、
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橋の上や周辺に展示されている地元の芸術家によるブロンズ像で賑わっています。


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更に上流には、こちらの三本橋が。。。
写真では判りにくいですが、当初の橋に加えて、1930年代に2本の歩行者用橋が追加されたことで三本橋と呼ばれています。





三本橋の北側には、18世紀前半(ハプスブルク君主国統治期)のスロベニアを代表する詩人フランツェ・プレシェーレンの記念碑が配置されたプレシェーレノフ広場があります(左)。
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また、広場に面して聖フランシスコ会教会(17世紀中盤の建立)もありました(右)。


もうひとつ上流に架かる歩道橋(こちらは最近の建設)から、下流側を見たリュブリャニツァ川沿いの景色です。
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三本橋プレシェーレンの記念碑、そして聖サンフランシスコ会教会が見えています。


歩道橋を渡った旧市街に入ると市庁舎があり(左)、その前の通りには土産物屋が沢山並んでいます(右)。
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スロベニアは養蜂天国としても知られており、最近は日本でもブームになっているようです。私もこの通りの一角にある蜂蜜専門店で蜂蜜を買いました。
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LIPOV MEDと書いてある瓶はシナノキ(西洋菩提樹)の蜂蜜です。これは気に入りました。


市庁舎の前の通りを北上すると、先ほどから見えていたリュブリヤナ大聖堂があります。
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大聖堂のブロンズの扉です。1996年に当時のローマ法王(ヨハネ・パウロ2世)の来訪を記念して造られたそうで、見覚えのある顔が!!(左)・・・ということは扉だけは意外に新しい??
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外観はフレスコ画などで装飾されていますが、実は内部の装飾は相当豪華なものなのだそうです。時間の関係で入れなかったのが残念です。


最後は青空市場です。こちらに集合して昼食を食べに行きました。
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リュブリャナの美しく落ち着いた街並みを堪能した後のお昼はいきなりビール🍺です リュブリャナのビール。。。ですからビール瓶に竜の絵が刻まれていたので、画像を処理して明るくしてみましたが、辛うじて見えるかどうか???(左)
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午後からは、首都からは北西の方向に位置するボーヒン湖、そして最初の宿泊地ブレッド湖に向かいます。また、二日目はポストイナ鍾乳洞を歩いて、オパティア(ここからクロアチアです)に泊まります。
こちらは、リュブリャナ → ボーヒン湖 → ブレッド湖 → ポストイナ鍾乳洞 → オパティアと移動する予定の経路です。👇
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つづく



【関連のブログ】
 ◇ スロベニア・クロアチア(速報)


Posted at 2024/10/11 15:38:33 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2024年10月03日 イイね!

スロベニア・クロアチア(速報)

スロベニア・クロアチア(速報)9月22日からスロベニアクロアチアを巡ってきましたので、音信不通が続いていました。
欧州ではYahoo Japanが通じませんので、みんカラとYahoo Japanが提携して以降、彼の地ではみんカラを見ることは勿論、更新することさえままならない状況になっています。

さて、今回は往復ともヘルシンキ経由のFinnair・・・Finnairは6年半ぶり・・・です。


                何れの画像もクリックで拡大します。


往路は関空から北上し、北極圏を飛行。。。気になったのでモニターで緯度をチェックしていたのですが、見事に殆ど北極点を示すモニター画面👇を捉えました。
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👈私が確認したモニターと記念にいただいた👆北極点通過証明書に記載された緯度経度とで微妙に差異があるのが興味深いところです。


欧州内の移動は、ヘルシンキ→リュブリヤーナ(スロベニア)、ドブログニク(クロアチア)→ヘルシンキ だけFinnairを使用し、残りはバス移動でした。
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速報と言いながら、せっかくですので、自然の美しさと偉大な歴史が判る画像を少しですが、アップします。

まずは、スロベニアで訪れたブレッド湖です。元々の予定では、翌日に観光する予定でしたが・・・
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翌日はお天気が良くないという天気予報を見た現地ガイドさんの機転により、到着早々でしたが、ブレッド湖遊覧とこの景色を楽しみました。かなりの強行軍になりましたが、良かったです。



旅の中盤は、クロアチアが誇るプリトヴィッツェ湖群国立公園です。二日に亘って散策しました。
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最後はアドリア海の真珠と言われるドゥブログニクの街です。丸一日、ここで過ごしました。
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帰路は、当然北極圏を通るものと思っていましたが、何と南回り。。。というか、ロシア・ウクライナの間隙をぬった航路です。昨年末のドイツ往路でも似たような航路を飛んでいました。
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せっかく3時間もかけてドゥブログニクからヘルシンキまで北上したのに、2時間分くらい南下して。。。損した気分です。



と言うことで、速報です。少し落ち着いたら順を追ってブログをアップしたいと思います。


Posted at 2024/10/03 00:52:09 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2024年04月01日 イイね!

中欧三か国早周りの旅(その14:ヴュルツブルク)

中欧三か国早周りの旅(その14:ヴュルツブルク)12月12日、朝のうちにローテンブルク城壁内を観光した後、約70km北にあるヴュルツブルクへ向かいました。
ヴュルツブルクは、この時に次いで15年ぶり2度目になります。今回は、前日からフュッセン(ノイシュヴァンシュタイン城)→ ローテンブルク()→ ヴ ュルツブルクの順に1泊で移動していますが、15年前は丁度その逆順・・・ヴュルツブルク(古城ホテル)→ ローテンブルク → フュッセン()で移動しており、その間に2泊もしていました。
今回は普通の阪急交通社トラピクス、前回は優雅なANAハローツアーだったので、その違いが行程にも現れています(^^ゞ


          何れの画像もクリックで拡大します。


アウトバーンをB7からB8へと乗り継ぎ、B8でヴュルツブルクに入ったところの写真です。
ローテンブルクから小一時間を要していました。
ヴュルツブルクは宮殿と要塞、そして古城の街という印象だったのですが、道路わきの黄色い案内標識には大学都市ヴュルツブルクと記載されています。地図で見ると正面の建物群はヴュルツブルク大学病院だということで、認識を新たにしました。帰国後に判ったのですけど (^^ゞ
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そのヴュルツブルクの宮殿・レジデンツの裏手でバスを降り、これから2時間ほど散策します。

まずは、レジデンツです。
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裏手で降りたので、写真はレジデンツの裏側=東側(左)、南側(右)になります。


その後、正面側に周ったのですが、悔しいことに全体写真を撮っていませんでした。
代わりに15年前に撮った写真👇です。夏場でしたが、青空が眩しい良いお天気でした。
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                           👆
正面にあるフランコニアの噴水は、今回の旅でもちゃんとアップで撮っていました。
フランケン地方の守護女神フランコニアが、ヴュルツブルクの紋章を掲げて戦う姿を表しています。
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今回はレジデンツの中を観光することもなく、そのままレジデンツから西向きに歩いて旧市街地へと向かいました。すると最初に出てきたのが

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ノイミュンスター教会です。

11世紀に建てられ、18世紀以降に改築されたそうです。

表通りにも立派な入口があるようですが、我々は横手の入口から入りました。







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こちらは、ノイミュンスター教会に隣接する
ヴュルツブルク大聖堂です。





オリジナルは8世紀に建てられていましたが、2度の火災で焼失、現在の建物は11世紀に建てられたものが基となっています。
その建物も第二次世界大戦下、ヴュルツブルク爆撃が原因で、その1年後に崩壊しており、現在の大聖堂は1967年に再建されたものだそうです。










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大聖堂の正面玄関を出ると、西に向かったドーム通りが正面に見えます。
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ドーム通りの突き当りの奥にアルテマイン橋があります。この写真は、右手(北側)から来たトラムが右折してドーム通りに入り、アルテマイン橋の方に向かっているところです。トラムはデュワグ社(現シーメンス社)製GTW-D8型




アルテマイン橋に向かう途中、ドーム通りから路地を右側(北側)に入った所にあるマルクト広場(市場)を覘いてみます。
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ここでも、やはりXmasマーケットが開催されていました。また、マリアチャペル(左)も広場に面しています。




再びドーム通りに戻り、まっすぐ西に歩くとアルテマイン橋に着きます。ドーム通りを振り返ると・・・
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突き当りにヴュルツブルク大聖堂が見えます。3枚前の写真と真反対の写真です。
ドーム通りは大聖堂(写真奥側)とアルテマイン橋(写真手前側)を東西に結んでおり、大聖堂側の東端部は北側に向け、アルテマイン橋側の西端部は南側に向けて、それぞれ別の通りに繋がっています。拡大して確認すると、トラムの線路がクランク状に曲がりくねっているのが判ります。




では、マイン川に架けられたアルテマイン橋に進入してみます。
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川の下流側の景色です。

この景色を見て、ようやく15年前に観たヴュルツブルクの街との位置関係の全容が把握できました。


マイン川が左に曲がっている辺りにある3本の煙突が火力発電所で、曲がった川の向こうに見えるブドウ畑と、その丘の上に見えるホテル。。。


ズームアップして見ると、15年前に泊まった古城ホテルSteinburg)であることが確認出来ました。
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丁度、夏祭りの時期でホテルから花火を見物したこと、ホテル内に飾ってある夜になると動き出しそうな鎧、冷やしたフランケンワインが美味しかったこと、爽快だった朝食前のブドウ畑の散歩、朝食で飲んだ美味しいスパークリングワイン。。。等々、楽しい思い出いっぱいのホテルです。



上流側にも見覚えのある景色が。。。。
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相変らず、マリエンベルク要塞がそびえたっていました。

あの時は夕方、要塞に上ってヴュルツブルクの市街地を見下ろしました。







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橋の上流側、マリエンベルク要塞の更に上流側に見えたケッペレ巡礼教会(左)と。。。
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(右)橋の欄干に鈴なりだった愛の南京錠💓 恋人の聖地??? 最近はどこにでもありますが。。。



ヴュルツブルクのトラムはリンケ・ホフマン社(現アルストム社)製GT-E型。前回見たGT-N型(こちらの方が新しい)は今回、一回も見ませんでした。(左2枚)
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前後方向のバランスのせい?実に格好良く感じたドイツ向けカローラツーリング・・・調べたらホイールベース、全長が日本国内で販売されているものよりも長く、特にリアのオーバーハングの長さが際立っています。(右)




さて、遅い昼食です。これが中欧旅行最後のランチになりますので、奮発して大きいサイズの写真です。ドーム通りからマルクト広場の方に入ったところにあったRatskellerというお店です。
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キッチリ冷えたサラダ、柔らかお肉、そして白ビール・・・最後のランチも満足しました。



今回の中欧旅行では、過去に訪れた街をいくつか重複して訪れましたが、このヴュルツブルクでは全くと言ってい良いほど観光内容が重複しておらず良かったです。特に、前日のフュッセン(ノイシュヴァンシュタイン城ほか)やローテンブルクに比べて、エリアが広い、ネタが豊富、と言うこともあるのでしょうが、満足でした。



つづく



【関連のブログ】
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その1:速報)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その2:ミュンヘン)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その3:プルゼニ)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その4:プラハの前編)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その5:プラハの後編)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その6:チェスキー・クルムロフ)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その7:ウィーンの前編)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その8:ウィーンの後編)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その9:ハルシュタット)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その10:ザルツブルク)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その11:ヴィース教会からノイシュバンシュタイン城へ)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その12:夜のローテンブルク🌙)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その13:朝のローテンブルク🌞)


Posted at 2024/04/01 17:01:18 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2024年03月25日 イイね!

中欧三か国早周りの旅(その13:朝のローテンブルク🌞)

中欧三か国早周りの旅(その13:朝のローテンブルク🌞)12月12日、中欧における旅の最終日です
この日は朝のローテンブルク街歩きの時間を確保するために、6時過ぎに起床、さっさと荷造り&朝食を済ませます。
👈こちらは、前日夜、到着直後に撮った写真と良く似たプレーンラインでのショットを見繕ったのですが、元々計画していなかったもので。。。こんな感じの写真しかありませんでした(^^ゞ


                    何れの画像もクリックで拡大します。


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最後の朝食。。。ですが、何とも慌ただしいこと


・・・と言うことは、うっかりしていましたが、前のブログに記載した夕食はこの旅最後の晩餐だったことになります。




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8時15分、ホテルを出発して散策開始です。

ここはレーダー通り。。。奥に見えるのはマルクト広場の南西の角にある薬局です。




この通りは散策の最後にも辿ります。



夜明けのマルクト広場です。昨夜の広場とは色合いが異なって新鮮です。
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その後、広場の南側にあるプレーンラインに行ったところが冒頭の写真です。

少し戻ってお城の小径を西の方向に進むと、薄気味悪い。。。中世犯罪博物館がありました。
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この籠は、犯罪人を閉じ込めて、タウバー川に沈めたり引き上げたりしていたようです。


そのタウバー渓谷です。お城の小径から見下ろすことが出来ます。ミニチュアのような景色です。
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右の方に二重橋が見えます。川沿いに見えるのはコボルツェル聖マリア教会です。


更に、西に進むとフルブリンガー納屋塔があり、塔を抜けるとそこはブルク公園です。
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塔の通路の断面形状が内外で違うことに注目 なお、これで城壁の外に出たことになります。


公園に入ってスグのところにはブラジウス礼拝堂があります。中は質素な造りになっていました。
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公園から城壁、そして城門を見渡した景色です。右端はくぐって来た納屋塔です。
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納屋塔も城門もその通路の断面形状は、城壁内側と城壁外側で異なります。内側が円いアーチ外側が上部が尖がったアーチになっています。
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城門をくぐって再度城内へ戻り・・・  城内から城門を振り返ります。


昨夜も歩いたヘレン通りをマルクト広場の方に戻ります。昨夜と同じ景色ですが雰囲気が・・・
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違います。クリスマスグッズを売っているお店の左手は博物館だったのに見落としていました(^^ゞ


マルクト広場の南西の角に戻ってきました。 南西の角には聖ジョージの噴水があります。
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その角にある赤い格子模様の建物は肉屋兼舞踏館青い格子模様の建物はマリエン薬局・・・昨夜、薬局の看板を撮っていました・・・です。


9時になると、広場の北側にある市参事宴会場の左の窓から現れたティリー将軍がラッパを吹き、右の窓のヌッシュ市長がフランケンワインを一気飲みしました。昨夜と同じです(^^ゞ
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最後にもう一度、朝日を浴びて眩しく輝く旧市庁舎市参事宴会場を撮って、マルクト広場から
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レーダー通りをホテルに戻りました。 そのレーダー通りで東に見えるのがマルクス塔(左)で・・・
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マルクス塔を抜けた所にあったこちら(右)はレーダー噴水・・・街の人に飲み水を提供する設備・・・です。他にもこのような設備がありました。


更に東には城壁に付属するレーダー監視塔(左)があり・・・
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その手前を北に行った所には今回の旅で最後のホテル、プリンツ・ホテル(右)があります。


中欧早周りという慌ただしい行程の中でも、このローテンブルクでは、夜と朝の二回に亘り、比較的ゆったりと(合計3時間ほど)街歩きが出来て良かったと思います。


つづく



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 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その11:ヴィース教会からノイシュバンシュタイン城へ)
 ◇ 中欧三か国早周りの旅(その12:夜のローテンブルク🌙)


Posted at 2024/03/25 23:04:44 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記
2024年03月18日 イイね!

中欧三か国早周りの旅(その12:夜のローテンブルク🌙)

中欧三か国早周りの旅(その12:夜のローテンブルク🌙)12月11日、ホーエンシュヴァンガウでノイシュヴァンシュタイン城を観光し、昼食をとったあと、250kmほどのドライブでローテンブルクRothenburg ob der Tauber:タウベル河畔の丘上にあるローテンブルク)に到着したのは、途中事故渋滞等もあって17時をまわっていました。
こちらはプレーンライン・・・ドイツで最も可愛い街、と言われている景色です。今回は、ジーバー塔から入りましたので、最初に登場しました。


                   何れの画像もクリックで拡大します。


ローテンブルク・・・旧市街が城壁で囲まれた街・・・もこの時以来15年ぶりです。。。が、楽しみにしていました。 この旅では夜🌙と朝を体験しますが、まずは夜🌙から・・・


元々、一年中Xmas用品を買うことが出来る街として知られていますが・・・
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ジャストなシーズンのせいか、街並みも一色です。


そんな通りを歩いていると、奥の方にマルクト広場が見えてきました。
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逸る気持ちを抑えて、手前のお店もじっくりと。。。ウィンドーショッピング (^^ゞ
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右側のお店。。。1903年とあります。創業121年 僕のおじいちゃんと1歳違いです。



マルクト広場にやってきました Xmasマーケットやってます
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左が旧市庁舎、右は市参事宴会場です
市参事宴会場の壁には一気飲みのからくり時計(後述)が組み込まれています。



定時刻になるまで広場で時間を潰します。。。ドイツ国内有数のXmasマーケットということで。。。
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ドイツ人の観光客も多く、ガイドさんも稼ぎ時です。


さて、一気飲みのからくり時計が表現している故事です。
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ドイツを舞台としたカトリック(旧教)対プロテスタント(新教)の宗教戦争、いわゆる30年戦(1618~1648)でブロテスタント側についたローテンブルクの町が、1631年10月、カトリック側の連盟軍、ティリー将軍の率いる3万の兵に包囲され占拠された時に起こりました。
ローテンブルクの人々はマルクト広場に集まり、
ティリー将軍に皆の命ごいをしますが、将軍は受け付けません。そこで、将軍の気持ちをやわらげようとフランケンワインを将軍に差し出しました。
美酒に酔いしれた将軍は、機嫌を良くし、このワインを一気に飲み乾すものがいたら、特赦しようという思い付きを言い出しました。
それを受けて立ったのが、時の市長だった
ヌッシュ氏でした。ヌッシュ市長は、今度は民衆に向かって、「諸君 これまで市参事会で、ことあるごとに飲んできたのはダテじゃない。今日はこの町のために飲もう」と叫びました。
そう言い終わると市長は、しっかりと足を踏ん張って、10分間で3.25リットル入りの大杯を見事に飲み乾したそうです。こうして町は救われた。。。というめでたしめでたしな事件でした。
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ところで、市長はその場に倒れてしまい3日間眠り続けましたが、その後37年間健在で80の長寿を全うしたということで、酒飲みも悪いもんじゃないということですね。


ということで、左)窓際で準備していたティリー将軍ヌッシュ市長は、定刻(この時は18時)になると・・
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中)左の窓から現れたティリー将軍がラッパを吹くとともに、右)右の窓のヌッシュ市長が大杯に入った3.25リットルのフランケンワインを一気飲みする。。。というからくり時計なのでした。



さて、フランケンワインか雪玉(Schneeballen)でも買いたいなぁ、とウィンドーショッピングを続けます。
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右)このバン、健在でした。 あの時もいましたが、きちんとメンテされているのでしょう。


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そしてひと回りしたところで、目の前には聖ヤコブ教会




この前辺りに、日本人経営の土産屋さんがあって、そこでフランケンワインを調達しました。送料無料で帰国後すぐに届く。。。だけど、免税手続きもない。。。そのからくりは。。。既に日本に送ってある品物を自宅に届けてくれる、と言うものでした。

結果的に、この微発泡ワイン👇が美味しくて良かったです。

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あと少しウィンドーショッピングをして。。。
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最後にもう一度マルクト広場に行って、市庁舎の夜景を撮って城壁内にあるホテルでチェックイン、そして同じく城壁内にあるレストランに向かいました。
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そこでのメニューは、本場のソーセージ料理でしたうまい!うまい!ビール🍺はピルスナーを飲んでますね。
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本日の記録 バスでの移動距離:約380km、万歩計の歩数:17,528歩



つづく



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Posted at 2024/03/18 20:41:57 | コメント(0) | 海外(遊び) | 日記

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現住所変更(横浜 → 神戸)に伴い追記しました。(2011.5.17) ****************************************** ...

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