「スープラをつくった男たち」…本当は「スープラをつくって下さった方たち」なのですが、今回は敬愛の念を込めて、こう呼ばせていただきます。
今から34年前の1986年1月、A60系のセリカXXの後継モデルとしてA70スープラは発売されました。その当時、スープラの開発にあたっていた中で中心になっておられたのがトヨタ製品開発室の和田明広主査(当時)と、久保地理介主担当員(当時)です。トヨタの社内で最終的に和田主査は代表取締役副社長、久保地主担当員は取締役までまで昇りつめられた方なので、いかに実力を秘めた方たちであったかが分かりますね。
当時のスープラ発表会の様子です。
おふたりを写真でご紹介します。
こちらが和田明広主査(当時)で、
こちらが久保地理介主担当員(当時)です。
この「スープラのすべて」を紐解いてみると…
「開発陣にとっては、全く新しい車でありスタイリングはもちろん、エンジンも足回りも全て一新して、トヨタの技術力を結集したクルマ作りだった。この機会にやりたいことを全部やろうじゃないかと意気込んだ。」(和田主査)
この「Motor Fan」の中にはこんな記述が…。
「スポーツカーと呼ばれる車というのは、若い人好みの車であるのも事実ですが、その他に本当に人生の充実したと言いますか、30〜50代の仕事もバリバリやっている、そういう方々が自分のアクティビティと言いますか、活力を示すものとして、あるいは自分のステータスを人に見せるものとしてスポーツカーを買っていただいているわけですね。我々としてはその線を狙って開発したわけです。」(久保地主担当員)
…なるほど、単なるスポーツカーを標榜して、若い年齢層のみをターゲットとして開発されたクルマではないことが分かります。発売当時のキャッチコピーが「1986年、GTがエグゼクティブの顔になる」だったことも納得です。70スープラは後期になって1JZを搭載するなどスポーツ性は高まりを見せていましたが、基本コンセプトはスペシャリティだと思っています。30年経った今でも30〜50歳代に入る私もそのターゲット層になっているわけですね。仕事もバリバリやっているかどうかは怪しいですが…(汗)。
エンジン開発秘話の話の中では…
「セリカXXあらためスープラにとって新しいエンジンは、7M-GT、3リッターツインカム24ターボと1G-GT2リッターツインカム24ツインターボだ。6M-Gは輸出用に途中から載せたが、国内用は5M-G から一足飛びの7M-GT起用だ。」
えっ、6M-Gは輸出用に途中から載せた?てことは、セリスーには5Mだけでなく6Mもあるってこと?もしそうだとしたら、セリスー界の希少車になるんですかね(画像は5M-G)。お詳しい方教えてください。
Out Run号の心臓部である1G-GTについてはこのように書いてあります。
「1 Gツインターボはもう2年ほど前に一応開発を終えていたが、無鉛ハイオクを使うかどうかのなどの問題などがあって発売が遅れた。モデルチェンジや車種追加タイミングの関係でマークⅡたちに先を越された格好だが、本来ならセリカXXに積みたかったエンジンだ。」(和田主査)
ツインカム・ツインターボの第1号がXXだったら、現存する個体の定番は1Gツインカム24ではなくツインカム24ツインターボだったかもしれませんね。
さらにこんな話題も…
「スープラの発売直後、いろいろな評論家の方たちからは、セリカの新しいスタイルに対してスープラには新しさがちょっとないのかなというお話で、必ずしも100%賛辞はいただけなかったのですけれども、実際はお客様にとって結構評判がいいんですね。」(久保地主担当員)
前身であるXXのスタイリングを踏襲しているといえども、先進的なのは同時期発売された流面形セリカと言えますね。セリカに対してスープラは、ロングノーズ・ショートデッキなと、古典的なスペシャリティですから、そういう見方があったのでしょう。
スープラが発売になって今年で34年、Out Run号が発売されてからも今年で30年になります。前回のブログにも載せましたが、スープラを購入したときは私も40歳、昔からの憧れと、自分の社会的な立ち位置、周囲の目つまり体裁、自分自身の生活環境などの間(はざま)で、購入を迷っていたのを思い出します。今、充実したスープライフを送ることのできている私にとって、久保地製品企画室主査(当時)が残されたこの言葉が心に響きます。
「自分がいいなと思うものをそのまま着てみる、つけてみる、乗ってみるということが、どうも人はどう思うだろうか、社会的に見てどうだろうかとなってしまう(中略)。そういう点から言いますと、まだスープラに乗っていただけるお客さんはたくさんいると思うんです。そういう方がもっと堂々と自己主張して、我々はのクルマに乗っていただきたいなと。それに耐えるだけの車には仕立て上げたつもりなんです。」(インターネットより)
最後に…
久保地理介様は、2015年に亡くなられております。謹んでご冥福をお祈りさせていただくとともに、スープラをつくって下さった方たちに、私なりの感謝を込めてこの言葉を送ります。
「スープラをつくって下さり、本当にありがとうございます。このクルマがあったからこそ、少年時代からクルマに憧れ、今でもその心を忘れずにいることができています。皆様が願いを込めてつくられたスープラをずっと大切にしていきます。」
「スープラをつくった男たち」終わり
Posted at 2020/08/29 15:00:37 | |
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