壁紙がなかなか決まらない。
白だけで百種類以上あって、その中から機能性を選ぶのか
好き柄を選ぶのか、あーだこーだ話しても先が進まず。
白ばかりの壁紙じゃつまらないから冒険したいけれど
どう冒険するか、何色をどの部屋にどう使うか決まらない。
トイレ一か所決めるだけで、やっぱりこれはやめようとか、
何回も決め直しで夜が更けて決まらずじまい。
こんなに苦戦するとは。
他の家を見学した時は、ほとんど白ばかりで、
結局最終的に面倒くさいってなって、みんな白になってしまうのかな。
白は部屋を広く見せたり清潔感もある気がするけれど、
家って雰囲気は天井は木目調が家って感じがするなぁと思ったり、
でも猫を飼ってるから、がりがりしにくい壁紙を選ばなないとなぁとか、
もう全然決まらない・・。
3月に入り、
花粉も本格的に飛散し目が重たいです。
昨日は旦那が学童のお祭りの手伝いをしに朝から夕方まで出陣していました。
綿あめ係だったのだけれど、2台あるうち、1台の機械が壊れていて、
なんでやねんって旦那はバラし始めたそうです。
バラすとあちこちの配線がブチブチ切れててそれを繋げて、
直して、電源いれても動かず、結局、どんどん外して全部バラバラにして、
何かのお店を開いてるかのような状態になっていた。
「一体なんの仕事されてるんですか?」って他の人に驚かれる始末。
「ただの車屋ですが・・・」
そして散々バラバラにして必要な配線を繋げるも、
最後は電源入れて、動いた!と思ったら、
「モクモクモクモク~」と煙が出来上がり、「おぉぉぉ」と
はい、チーン。
風がビュービュー寒い中、1時間半も格闘空しく、機械はお陀仏でした。
ご苦労様でした。
来年は
上の子は学童はやめるのでお祭りに駆り出されることもなく、
お客として行けそうです。
帰宅後、旦那はぼそっと
「今日32の日やんか」とかぼやいてました。
ツイッターでも見て気づいたみたいでした。
車の世界で輝いて?いた時代から一転、
まさか、綿あめの機械でクルクル割りばし回して、
「いらっしゃ~い」って子供たちに綿あめ作ってる姿なんて
旦那は想像もできなかったでしょう。
人生5年先に何が待っているかなんて誰も想像できないものです。
車もあとどのくらいで復活するのか。
最後に乗ったのは一昨年の8月くらいまでだったか。
やっと車検を通したかと思いきや、すぐエンジンとかトラブル起こして、
また不動車になり・・・。
車を触れない自分には分からない事だらけですが、
旦那は、車を見るとスケルトンにでもしたかのように、車の細部が良く見えているのでしょう。
オイル一つでも自分で交換せず、高い新品ばかりを求めてきた自分には、
理解できない世界なのかもしれない。
車への価値観や愛情の注ぎ方はひとそれぞれ。
ただの足車である人もいれば、
面倒は一切機械屋に任せっ放して人もいる。
洗車もせずオイル交換も車検の時だけって人もいる。
いつも洗車をしてピカピカにきれいにして大事にする人もいる。
ぶつけても修理せずにそのまま乗っている人いる。
それぞれの人たちの暮らしの中で、
その日常の中にある車の立場はそれぞれ。
私は車はいじれないけれど暇があればピッカピカにしていた。
好きで好きでたまらなくて、ちょっとの傷や異音も気になった。
自分で治せなくとも、音やにおいとかで車の異変を感じとるくらいならできた。
でも、今はもうそれもできないでしょう。
「今日オイル交換しといたで~。タイヤもスリップサイン出てたから
とりあえず18インチに替えといたわ~」って普通にメールが来て、
「あら、そう、ご苦労様ね。」と返信する。
そんな日常になって、車から少し離れてしまった事も原因にある。
身近に「出来る」人がいると、その人を頼りきりになり、自分はどんどん衰退していく。
そんな日常が怖いなとも思った。
どんな形であれ、愛情は何にも替えられない最高の優しさと思いやり。
そんな風に、また車も乗り、楽しかった頃を思いを復活できればいいなと思う。
1つのモノを大事に大事にしていれば、
不思議なことに、必ずそれらから後で、「恩返し」が来る。
いつか必ず・・・
旦那にとって当たり前の世界、
私には異次元の世界、
そんな「自分の価値観がある世界」を持つ人を羨ましく思う。
人間は年齢を重ねれば衰退していく。
脳は使わなければ衰え、体は動かさなければ衰え、
口から言葉を発しなければコミュニケーションは取れなくなる。
仕事をして、本を沢山読んで、嫌な人とでも付き合いをしていくことが
多少のストレスだとしても、人間には必要なことらしいです。
立場や、環境が変わっても、自分の芯がぶれなければ、
多少の変化でも簡単に自分は変わらない。
心を強く持って、人を嫌がらず、向き合い、
誰にでも優しくできる者でありたいと思う。
いつだったか、
数年前の秋の夕暮れ時、近くの踏切にて。